守れない約束
守れないとわかっていても、縋りたくなるような約束はある。
「おおきくなったら、パパと結婚する!」
そう言って反故にした父親泣かせの少女は、この世にどれほどいるだろうか。
私の前で、五歳になったばかりの娘は例にもれず、あどけない顔にいっぱいの笑みを浮かべて指切りをせがんだ。
私の妹も幼い頃、そんなことを父に言っていた覚えがある。その約束は当然守られることなく、数年前の妹の結婚式で父は「お父さんのお嫁さんになるって言ってたのに⋯⋯」と号泣していた。母が大人気ないとなだめていたっけ。
あの時は、真に受ける方が馬鹿なんじゃないのかと呆れていたが、いざ自分の娘から言われると、なるほど、嬉しくて嬉しくてたまらない。顔が自然と笑顔になって、温かい気持ちでいっぱいになる。
「だからね、パパ」
娘はすこし興奮気味に、袋を私に差し出した。
袋には妻の字で「あたまががよくなるおくすり」と書かれている。
「これ飲んで頭治してね!」
――――先月、身体がおかしいと思いかかった病院で、医師から脳腫瘍と診断された。手術できない場所の腫瘍で、放射線と抗がん剤での治療を進めているが、腫瘍マーカーの数値は下がらない。
妻から娘に、パパは頭にできものができてるのよ、と説明はしてある。だが、娘はまだ知らない。
このままだと、保って一年であることを。
「サンタさんがね、くれたんだよ! パパの頭が治るお薬くださいってお願いしたからくれたんだよ!」
「そっかぁ、パパのためにお願いしてくれたのか」
飲んで飲んで、と急かす娘。私は努めて笑顔を保ち、袋を空けて中身を飲み込んだ。粉砂糖だ。ひたすら甘い粉を、水で一気に流し込む。
「治った? 治った?」
「⋯⋯うん、治ったよ、ありがとうな」
「やったー! ママー!」
妻の元へ飛び跳ねていく娘。彼女に見つからないように、私は病院から処方されている薬を飲み込んだ。
痛み止めの頓服。最近は手放せなくなっている。
ごめんな。
約束を破っちゃうのは、パパの方なんだよ。
2020/10/07
ご自愛くださいますよう⋯⋯。