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知らないふりをさせて下さい  作者: 樫本 紗樹
本編

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8/50

大切な意味を持つ宿題

「ナタリー、何故ルイを森へと連れて行った?」


 違う。私ではない。兄上が私を連れて行ったの。私は行きたくないと、行くと怒られるからやめようと言ったのに聞いてもらえなかったの。


「二度とこのような事がないように地下室で反省しなさい。女神マリーに自分の犯した罪を報告し、その罪が消えるまで祈り続けるがいい」


 どうして兄上に連れて行かれた事が罪なの? 力強く引っ張られたら抵抗出来ないのに、何故私だけが罪を犯した事になるの? マリー様に嘘の報告をするのは罪にならないの? 兄上の顔を見てよ。私の事を見て笑っているわ。それがおかしいとは思わないの?




 勢いよく起き上がり、目の前の景色に困惑する。暫くしてここがレヴィ王宮の寝室だと気付き夢を見ていたと理解した。久し振りに嫌な夢を見た。あの時祖父の後ろに隠れて笑っていた兄の顔は一生忘れないだろうとは思っていたけれど、まさか夢にまで出てくるなんてとんだ悪夢だ。顔を洗ってさっぱりしよう。



 朝食の時間が過ぎた後もシルヴィとデネブは私の部屋に来なかった。どうやら本気で殿下と関係を持とうとしているのだろう。しかし今まで見た殿下が声を掛けた女性は皆線が細くて綺麗な人ばかりだ。忠告などしなくてもきっと相手にされないはず。


「ナタリー様、あの御二方は昨日の午後からこちらにいらっしゃいませんが、如何されたのです?」

「二人で相談があるようです。私は無能扱いなのでここでは都合が悪いみたいです」


 イネスは不思議そうな顔をした。出来たら追究しないで欲しいと心から願う。


「そうですか。あの二人がいないと静かでいいですね」


 よかった。イネスは流してくれた。でも昨夜殿下に宿題を出されたのだから、考えるには確かに静かでいい。私が何の為にここへ嫁いだのか。殿下は何故私との子供が要らないのか。しかし父は男児を産めと言っている以上、シェッドからしたら二人の間に子供は必要なのだ。この違いがきっと宿題の答えなのだろう。


「ナタリー様。もし何かあったら私に遠慮なく仰って下さって結構ですよ」


 イネスが私の様子を窺うようにそう言った。私が考え事をしている姿が、思いつめているように見えたのかもしれない。


「気を遣ってくれてありがとうございます。何もありませんよ」

「本当に何でも結構ですから。ナタリー様は遠慮し過ぎです」

「それではこの王宮の人間関係というか、殿下のご家族について教えて貰えませんか? 私は何も聞いていなくて、本当は挨拶に伺わなければいけない人がいるのではないかと不安なのです」


 王宮の人間関係を知れば殿下の宿題の意味がわかるかもしれないと思って聞いてみた。嫁いでから晩餐会は結婚式の夜だけで、それ以降王族と言えばサマンサしか会っていない。果たしてこれでいいのか不安だったけど、誰に聞いていいのかずっとわからなかった。


 イネスは微笑むと王家の人達について説明してくれた。現王妃は第四・第五王子の母親である事、殿下と第二王子チャールズの母親である元王妃オルガは病気で他界している事、第三王子ジョージとサマンサの母親であるクラウディアは側室だったが、こちらも病気で他界している事。


「殿下はサマンサ殿下やジョージ殿下と仲良く話されていた気がしたのですが」

「えぇ。クラウディア様は実質殿下の育ての母になります。殿下の実母であるオルガ様は生まれながらに病弱なチャールズ殿下の看病につきっきりでしたから」


 晩餐会の日、確かチャールズは寝込んでいると言っていた。病弱な弟に母親を取られてきっと殿下は寂しかっただろう。名前を呼ばれるのも嫌だと言っていたし、母親との間に何か確執があるのかもしれない。


「チャールズ殿下に御挨拶を兼ねてお見舞いに伺った方が宜しいのでしょうか?」

「いえ。殿下はチャールズ殿下にお会いになられません。ですからナタリー様が御一人で行かれる必要はありませんよ」


 イネスは焦っているような雰囲気だった。余程この兄弟は仲が良くないのだろう。私も出来たら要らぬ争いはしたくない。そもそも見舞いに行こうにも手ぶらでは失礼な気もする。それに父と名前の綴りが同じなので、好意を抱ける自身がない。


「そうですか。それでしたら遠慮しておきます」


 イネスが安堵の表情を浮かべた気がした。やはり触れてはいけない事なのだろう。家族の愛情が偏るのは珍しい話ではない。むしろ嫌と言うほど知っている。しかし自分は帝位継承権の有無の差だろうが、殿下とチャールズ殿下では逆になる。あんなに端正な顔立ちで賢そうな雰囲気のある殿下を可愛がらない母親などいるのだろうか?


「いかがされましたか?」

「いえ。いくら看病につきっきりとはいえ、殿下に会う時間も作れたでしょうに何故側室の方に任されたのか不思議で」

「私もその頃は王宮で働いておりませんでしたので詳細はわかりません。ただこの話自体する事が憚られますので、ナタリー様もあまり気にされない方が宜しいかと思います」


 自分がそうだったからわかる。皇女の存在を口にする事が憚られる空気はシェッド皇宮にもあった。いくら地下に部屋があってもそれは感じた。私が何もしていないように、殿下も何もしていないのに何かに巻き込まれたのかもしれない。もしかしたら似ているのかもしれない、なんて思うのは流石におこがましいだろうからやめておこう。


「この王宮は最初とても明るそうに見えたのですけれど、実はそうではないのかもしれませんね。どこの国でも闇はあるのが普通なのでしょうか」

「闇だなんて、そのような事はありません。殿下はジョージ殿下やサマンサ殿下とは本当に仲良くされています。王妃殿下と側室との間に争いがあったとも聞きませんし、相性の問題だったのではないかと私は思っています。血を分けた親子でもわかり合えない事があるではないですか」


 イネスの精一杯の説得は私の心に鈍い痛みをもたらした。血を分けた親子でもわかりあえないなんて自分がまさにそうである。父とも祖父ともわかり合えなかった、というかわかろうとしてもらえなかった。私も努力などいつの間にか諦めてしまった。わかり合えないものは一生わかり合えない。そう思う方が楽だった。


「そうですね。殿下は素敵な方ですし、失礼な事を言ってしまってごめんなさい」

「いえ。本当の所は当人しかわからない事ですから」


 イネスの言葉に頷く。殿下が子供は要らないと言ったのは、この複雑そうな家庭環境も影響しているのかもしれない。だけど私はレヴィの事を何も知らないから、殿下の環境はレヴィ王宮では当たり前の事かもわからない。しかしこれ以上イネスに尋ねてもわからないだろうし、サマンサに聞くのもおかしな話だし、これは聞かなかった事にしよう。私も過去の話を殿下に聞かれて全てを話すのは抵抗がある。自分がされて嫌な事を人にしてはいけない。政略結婚だからこそ最低限の線引きはしておくべきだ。


 会話が途切れたので窓の外に視線を移した。今日も天気がいい。この国は天気のいい日が多いのが何よりも素晴らしい。庭も綺麗で毎日見ていても飽きないけれど、たまに殿下が綺麗な女性と話しているのを見かけてしまうので完全に心から楽しめない。殿下は私に無理に好きにならなくてもいいと言われたけれど、むしろどうやったら好きにならずに済むかを教えて欲しい。昨夜だってお疲れの所を嫌な顔をせずに付き合ってくれた。いっそ冷たくしてくれた方が楽なのに。私に出来る事は殿下と出来るだけ顔を合わせないようにするくらい。きっと会話を続ければ殿下の魅力に惹きこまれてしまう。それは殿下を困らせてしまう。



 夜、入浴後私は一旦自室へと向かい、殿下宛の手紙を書く事にした。結局昨日殿下が言いたかった事はわからないけれど、素直にわからなかったと答えなくては礼儀に欠ける気がした。答えが出ていないのに起きていては不快な思いをさせてしまうかもしれないし、手紙を読むくらいならしてくれるはずだ。

 私は書いた手紙を持って部屋を出て寝室へ向かおうとすると、寝室の扉の前に寝衣を着たシルヴィとデネブがいた。二人は私に気付くと夜だというのに相変わらずの大声で話しかけてきた。


「ナタリー。今夜は自分の部屋で寝なさい」

「私は殿下の許可を得てこの寝室で寝ているのですけれど」

「煩いわね。昼間あの王子の所へ行ったら従僕に門前払いされたの。待ち伏せするならこの部屋しかないでしょ?」


 相変わらずの発想に眩暈がする。しかしここで倒れるわけにはいかない。殿下はただでさえ疲れているのに、寝る前にこの二人の相手をさせて余計に疲れさせるのは、たとえ形だけの妻だとしても阻止しなければならない。


「この部屋は殿下の寝室です。妻以外の者は入れません。どうぞお引き取り下さい」

「はぁ? 私達に意見をする気? 随分と偉くなったものね」

「ここでは私が殿下の正妻です。侍女であるお二人が入っていい部屋ではありません」


 私は内心気が気でなかった。こんなに強気な態度を取ったのは初めてだ。自分が我慢すればいい事なら我慢するけれど、殿下を侮辱するような事は許せない。例え蹴られたとしてもここは譲れない。

 そう思っていると早速シルヴィが私の足を蹴った。薄い寝衣なのでいつもより痛い。私は顔を歪めながらも何とか踏ん張る。


「あんたが役に立たないから私達が代わりにやってあげると言ってるんじゃない」

「代わりは無理です。どうぞお引き取り下さい」

「そんなのはやってみないとわからないでしょ?」


 デネブが私の肩を思い切り押した。その力が強く私は片足を後ろに下げて何とか身体を支える。いつもなら倒れていた。でも今は倒れたら寝室に入られそうで、それだけは阻止したいという思いだけで立っていた。


「随分と騒がしいけど、どうかしたの?」


 帝国語がシルヴィとデネブの後ろから聞こえた。二人も声がした方を振り返る。そこには笑顔の殿下が立っていた。しかし文句を言いそうな二人は言葉を発しない。ただそこに立ち尽くしていた。


「無言ではわからないな。一体何を揉めていたの?」

「いえ、何でもありません。ねぇ、デネブ」

「えぇ。たいした事ではありません。それではおやすみなさいませ」


 シルヴィとデネブは先程までの剣幕など忘れたかのように、殿下に一礼すると自分達の部屋へと下がっていった。私は暫く呆気にとられていたものの、殿下の視線に気付き頭を下げた。


「助けて頂きありがとうございます」

「いや、あの二人は君の侍女達では?」

「そうです。お騒がせして申し訳ありません。以後気を付けます」

「そうしてくれると助かる。まだ仕事が残っていて騒がれると集中力が散漫になるから」

「本当に申し訳ありません。どうぞお仕事にお戻りになって下さい」

「あぁ、ではおやすみ」

「はい、おやすみなさい」


 殿下はそう言うと自室へと戻っていった。寝室の隣が殿下の部屋なのだからここで騒いでは確かに煩い。私は殿下に迷惑しかかけられないのかと、落胆しながら静かに扉を開け寝室へと入る。そして持っていた手紙を殿下の枕の上に置いてすぐに眠る事にした。



 翌朝、手紙の位置が変わっていた。そしてそこには殿下の直筆と思われる文字が書いてあった。


――何も急いで考える事はない。気付いたらまた手紙にしたためて――


 この宿題、実はとても重要な事なのだろうか? 自分で気付かないといけないような大切な何かなのだろうか? そう考えても何も思い浮かばない。とりあえずこの手紙は安易に捨てるのもよくない気がするから折り畳んで何処かにしまっておこうと決めた。人生で初めて手紙のやり取りをした記念だと言ったら笑われそうだから、誰にも見つからない所にしまおう。

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