束の間の休息と存在意義
殿下は本当に忙しいようだ。相変わらずソファーをシルヴィとデネブに占領されているので、私は椅子に腰かけていた。イネスがクッションを持ってきてくれたのでそれで十分だった。イネスは遠慮をしたが私は無理矢理彼女を椅子に座らせていた。彼女だけ立たせておくのはあまりにも悪すぎる。しかも彼女は洗濯を一身に引き受けてくれていた。それはシルヴィとデネブの物も含まれていた。しかしその二人の分は、使用人に任せてシーツと一緒に洗っているとレヴィ語で教えてくれた。
スティーヴンに言われ王太子妃らしくなる為に色々とやっているが、気を遣ってくれているのか自由な時間が多い。今日やる事が終わってしまった私は窓の外を眺めていた。ここから見える庭はとても綺麗だ。
「ナタリー様、宜しければお庭をご案内致しますよ」
「いいのですか? 実はお散歩をしてみたかったのです」
イネスは私の口調を受け入れてくれていた。直らないと諦めたのかもしれない。結局殿下に確認が出来ていないので、もうこのままでいようと思っている。皇宮では誰に対しても丁寧に話すようにと祖父に強要をされていたので、心でどう思っていても口にすると丁寧な言葉になってしまうのだ。
「お二人はいかがされますか?」
「何で歩かなきゃいけないのよ、勝手に行けば?」
「ここは勝手に食事が出来ないから無駄に体力を使えないの。何でおやつがないのよ」
一体二人は今までどれだけ食事をしていたのだろう? 私にしてみればパンも柔らかいし、肉料理も魚料理も野菜も綺麗に盛り付けられて出てくるここでの朝夕の食事は十分満足だった。むしろいつもお腹一杯になるのでおやつは別に必要ない。
イネスはデネブのおやつに対する質問には答えずに立ち上がる。私も立ち上がると部屋を出た。王宮をあまり歩き回るのもよくないと思い、結局自室周辺以外は全くわからない。それでもすれ違う人は一応頭を下げてくれる。王太子妃というのは認識されているようだ。
庭に出て思わず顔がほころんだ。緑のいい香りがする。芝生も綺麗に整えられていて、花もあちこち綺麗に咲いている。それが綺麗な青空と相まってとても清々しい。例え城壁に囲まれているとしても、殺風景な皇宮とは大違いだ。
「何て素敵なのでしょう。きっと大勢の人が手入れをしているのでしょうね」
「はい。何十人もの職人がそれぞれの担当区域を競うように手入れをしております」
感心して頷いていると、遠目に殿下が見えた。彼は女性と仲良さそうに話している。私は思わず立ち止まってしまった。ここは見ないふりをするのが正しいだろう。
「イネスさん、あちらを案内して頂けないかしら?」
私が方向転換をした事をイネスは不思議に思っただろう。そして彼女の瞳にも私と同じ光景が映ったに違いない。
「あの、殿下の事は……」
「大丈夫です。政略結婚がどういうものかくらいは弁えていますから」
私は上手く笑えただろうか? イネスの顔が不安そうなので上手く笑えなかったかもしれない。食事は別々だし、本当に忙しいのか夜私が起きている時間に寝室に来た事はない。それなのに朝起きたらいない。多分ベッドで寝ていただろうとは思うのだが確信さえもてなかった。それでも母国よりこちらの暮らしの方が恵まれているのであえてそのままにしているけれど、やはり殿下が他の女性に優しく微笑んでいる姿は少し堪えた。
「私はここに何をしに来たのでしょうね? 出来る事があるといいのですけれど」
母国にいた時は礼拝堂で祈りを捧げていた。しかし王宮に礼拝堂はない。結婚式を挙げた教会は別の宗教の建物である。礼拝堂でなくとも祈りを捧げる事は出来るのだが、今までシェッド国民達の為に祈っていたので、レヴィに嫁いだ後も同じでいいのかわからなくなっていた。レヴィには国教がなく信仰は自由らしいけれど、レヴィ国民の為に女神マリーへ祈りを捧げるのも違うような気がする。スティーヴンが手配をしてくれてダンスの練習やレヴィの事について学んでいるけれど、それが果たしてこの国の為になるのかさえ私にはわからない。言われた事しか出来ないのは、ある意味正しいのかもしれないが。
二日後、私の部屋にサマンサが来た。
「ナタリー様。お願いがあるのですが聞いて頂けますか?」
流石に王女の前だから弁えて欲しいとイネスに言われシルヴィとデネブは嫌々立っていた。私はサマンサと向かい合ってソファーに腰掛けている。
「何でしょう? 私に出来る事でしたら何なりと仰って下さい」
「私に帝国語を教えて頂けませんか?」
「それは構いませんが、覚えてどうするのですか」
「色々な国の言葉を学ぶ事は思考を広げるのに大切だと思いまして」
サマンサはにっこりと微笑んだ。この少女は殿下に似ていてとても可愛らしい。
「勿論ただでとは言いません。お礼に毎回お茶菓子を用意させて貰います」
お茶菓子という言葉に後ろに控えている二人が反応した気がした。
「そのように気を遣って頂かなくても、私で良ければいつでも大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。では次回からお茶菓子を持ってこちらにお邪魔しますね。私は簡単な挨拶しか知らないので、結構な時間がかかるかもしれませんが宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
サマンサは微笑むと一礼して部屋を出て行った。まだ十一、二歳に見えるがしっかりしているように見受けられる。きっと十分な教育が施されているのだろう。サマンサが部屋を出て行ったのを確認すると、デネブは私の腕を引っ張り立ち上がらせた。このソファーがそんなに気に入ったのならいっそ部屋に運んでくれて構わないと思いながら、私は無言でソファーから離れいつも座っている椅子に腰掛けた。
それからサマンサは週に二回、紅茶とお茶菓子を用意して帝国語を学びに来た。紅茶もお茶菓子もどちらも美味しくて私はそれだけで幸せだった。しかもサマンサは賢く、教えるのが全く苦ではない。更にシルヴィとデネブは立っているのが嫌で、サマンサが来る時は自室へと引っ込んでいた。私は束の間の休息と、自分の存在意義を少しだけ手に入れた。
しかし殿下との関係は相変わらずである。初夜の日に会話をして以降、一切顔も合わせていなかった。たまに庭で見かけるものの、いつも違う女性と話している。どうしても気になってしまいイネスに尋ねたら、昔からそうなのだと教えてくれた。しかし特定の人は作らず、女性達も割り切っているらしい。全くもってその考えは理解出来なかったけれど、側室と無駄に争わなくていいだけましだと言い聞かせ、私は殿下の行動については知らないふりをして過ごす事にした。




