王太子妃としてすべき事
「改めまして、スティーヴン・レスターと申します」
イネスが洗濯に出ている時に、殿下の側近が私の部屋を訪れた。本来ならお茶でも出すべき所なのだろうが、シルヴィやデネブが出来るとは思えないし勿論私も出来ない。そもそもシルヴィとデネブはソファーから立ち上がろうともしない。私はスティーヴンに椅子を勧め、自分も向かいに腰掛けた。
「申し訳ありません。今イネスさんが出ていてお茶も御用意出来ないのですけれど」
「敬語は御遠慮下さいとお伝えしたはずです。殿下とは話されましたか?」
「言葉遣いの件は確認しておりません。丁寧な言葉遣い以外がわからないので、このままでいさせて頂けると非常に助かるのですけれども」
「かしこまりました。あとお茶は結構です。私は客人ではありませんから」
「そうですか。何も知らなくて申し訳ありません」
私は頭を下げた。お茶は客人に出すもので殿下の側近は客人ではないから要らないのか。そういう判断も出来なくて果たして私はここでやっていけるのか、もう不安しかない。
「頭も下げて頂かなくて結構です。出来ればナタリー様には堂々として頂きたいのですけれども」
何て難しい要求をしてくるのだろう。今まで皇宮で目立たないよう生きてきたのに、急に堂々と出来るはずがない。
「ナタリー様は我がレスター家の事、皇帝陛下もしくは皇太子殿下より何か聞かれてはおりませんか?」
「申し訳ありませんが何も聞いておりません」
「では、そちらのお二人は?」
スティーヴンはソファーに腰掛けているシルヴィとデネブに問いかけた。しかしレヴィ語で問いかけてもわかるはずがない。
「あの二人はレヴィ語がわかりません。帝国語でお願いします」
スティーヴンは頷くと帝国語で二人に質問し直す。先日帝国語は得意ではないと言っていたはずなのに普通に話しているように聞こえた。
「知っているわよ。レヴィで困った事があったら頼れと言われたわ」
「そう、貴方がレスターだったの」
王宮に到着した日レスターと名乗っていたのに、聞き流して優男と批判していたのか。この二人が人の話を聞かないのは今に始まった事ではないけれど。しかし何故レヴィの貴族を知っているのだろう? しかも頼れ?
「我がレスター家はシェッド帝国と接する場所に領地がございます。以前から交易などで親しくさせて頂いておりまして、今回の結婚についても尽力させて頂きました」
私の疑問の眼差しに気付いたのかスティーヴンはそう教えてくれた。どこにも派閥というものはある。レスター家はシェッド寄りの家なのだろう。シェッドとレヴィ、二国間に今まで婚姻関係はなかった。その歴史を変える努力をしたのがレスター家という事なのだろう。
「ナタリー様、昨夜晩餐会で王妃殿下に会われましたよね? どう思われましたか?」
「どうと言われましても。殿下の母君にしては若すぎるとは思いましたけれど」
「殿下の母上は既に亡くなっております。現王妃殿下はローレンツ公国の人間です」
ローレンツ公国。シェッド帝国の南西に位置しているその国は百年近く前にシェッドから独立を宣言した国だ。しかし祖父はその独立を認めない立場で揉めている、というのは地下で暮らしていた私の耳にも届いていた。ルジョン教の解釈で齟齬があるらしいけれど詳細までは知らない。
「国王陛下は最近シェッド帝国よりもローレンツ公国を重んじている傾向がございます。レスター家としてはそれでは困るのです。シェッド帝国が軽んじられない為にもナタリー様には立派な王太子妃として振る舞って頂きたく、本日はこうして伺いました」
「ローレンツ公国と繋がっている家が、レスター家と対立しているという事でしょうか?」
「ローレンツ公国と繋がっているのはスミス家になります。当家と対立と申しますか、昔から仲が良くないのはハリスン家になります。ハリスン家はどちらにもつかず、レヴィのみで国家運営をしたいという考えですね」
私は別にシェッドがどうなろうと構わないけれど、私の振舞いがよくなければスティーヴンの評価も上がらず、殿下からの信頼も受けられないので、王太子妃として立派に振る舞えと言いに来たのだろうか?
「私は殿下と結婚したのですから、殿下のご迷惑にならないように精一杯努める所存です」
レヴィの内争など興味はない。殿下がどの派閥に与しているのかわからないけれど、私が殿下と違う派閥と関わっては自分の首を絞めてしまう。シェッドに未練などないし、スティーヴンの評価もどうでもいい。
「それでしたら殿下に御迷惑がかからないように、王太子妃として立派に振る舞って頂く事はお願い出来ますでしょうか?」
「正直に申せば王太子妃というものがわかりません。貴方は私の事を何と聞いているのですか?」
「私はシェッド王家の内部事情は存じております。シルヴィ様とデネブ様が皇太子殿下の娘であられる事、ナタリー様は皇女として礼拝堂で祈りを捧げられてきた事など」
スティーヴンは全てを知っていたのか。ソファーから立ち上がらないシルヴィとデネブを窘めなかったのは、あの二人の背景を知っているから。つまり私の立場が弱かった事も知っている。知っている上で王太子妃として立派に振る舞えと無理難題を押し付けに来たのだ。
「ナタリー様には是非レヴィ王宮に馴染んで頂きたく、その為に色々と覚えて欲しい事がございます。それらについて私に一任して頂けないでしょうか?」
この男の目的は何だろう? 表情は柔らかいが本心を見せないような顔をしている。王太子の正妻ともなれば立候補者は他にもいたはずであり、派閥争いに勝ったのがレスターという事になる。その勢いを衰えさせない為には、私が無能だと困るという事だろうか?
「私は今まで女神マリーに祈りを捧げる事が生活の中心でしたから、知らない事も多々あります。殿下の為になるのでしたら言われた通り致しましょう」
「ありがとうございます。王妃殿下はあまり話されない方で、それ故に御公務が滞っている部分がございます。それをナタリー様が引き受けられるようになればきっと殿下の為になりましょう」
公務というのも何をするのかわからない。だけど政略結婚として嫁いだ以上、私にも何かしらの義務は生じるだろう。この素敵な部屋と美味しい食事を提供されているのだから、シェッドの時より忙しくなるのは当然だ。
「私に何が出来るかわかりませんけれど、精一杯努力をさせて頂きます」
「ナタリー様はレヴィ語の読み書きも大丈夫でしょうか?」
「えぇ、問題ありません」
「ではダンスはいかがでしょう?」
私は言葉に詰まった。ダンスが何を指しているかはわかるが、した事もなければ見た事もない。しかし嘘は吐けない。踊れないものを踊れると答えて困るのは私ではなく殿下の気がする。
「申し訳ありませんけれど私は舞踏会と無縁でしたので踊れません」
「ではダンスの練習は必要ですね。あとはレヴィの歴史やしきたりも学んで頂ければと思います」
私は頷いた。この国に来て何をするべきかわからなかったが、やる事があるならそれに没頭しよう。そうして自分の居場所が見つかればいい。殿下の隣には今後側室がいるようになるとしても、それまでの間だけは殿下に恥をかかせないように振る舞わなければならない。私が殿下の足を引っ張る事だけはしてはいけない。足さえ引っ張らなければ、ひっそりと暮らす事くらいは黙認してくれるはずだ。見返りを求めてはいけない事くらいは弁えているけれど、出来ればこの部屋で一生過ごしていきたい。たとえ夫婦生活がないのだとしても、シェッドの生活に比べれば十分に恵まれているのだから。




