おまけ10 とある日の執務室 その3
帝国との戦争が終わった後の執務室
「最近殿下の機嫌が良すぎて怖い気がする」
「それは気にせず流した方がいい」
不安そうな表情のリアンに私は意味深な顔を向けた。
「その顔は何か知っている? 俺にも教えて」
「私は何も知らない。あくまでも憶測だから話す気はない」
拗らせすぎていた殿下は、どうにかナタリー様と向かい合う事が出来たようだ。こちらとしてはもう少し早く向かい合ってほしかったけれど、帝国派を確実に追い出す事が出来なければ嫌だったのかもしれず、仕方がなかったのかもしれない。
「憶測する何かがあったという事だろう? それを教えて」
リアンは本当に時々鋭いから困る。この鋭さが今後必要だろうし、否定する気はないが。
「他の者には内緒に出来るか」
「勿論約束する」
リアンは笑顔を向けた。殿下にとって悪い事は言わないくらいは弁えているだろう。
「最近殿下は会食を全て忙しいと言って断っている」
「あぁ、聞いた事がある。国家反逆罪で混乱中だし仕方がないよね」
「しかし殿下は特に忙しくはない」
「え? 俺達は仕事が山積みなのに?」
リアンが不審そうな顔をしている。リアンの鋭さは一部だけなのが本当に残念だ。
「そうだ。殿下は各方面に自分の仕事が少なくなるように上手く差配をしている」
「何故?」
ナタリー様との時間を捻出する為に決まっている。最近では寝室に向かう時間が早いと、従者からの証言も掴んでいる。何も知らないナタリー様を殿下が自分好みの女性に染めようと……いや、詮索はやめよう。側近としてその事情は知りたくもない。ナタリー様に少々同情をするけれど、これはナタリー様が決めた道だ。
「それはわかるだろう?」
「あぁ、そうか。今もアリス姫に会いに行っているから、そういう事?」
私は頷いた。殿下は仕事をさっと片付けて、ナタリー様とアリス姫と三人で散歩中だ。正直それほど仕事が早く出来るなら、他の人に差配しないで自分でやってほしい。
「やっとナタリー様が相思相愛の相手だと気付いたの? 遅くない?」
遅いのはリアンだ。殿下は二年前から意識している。拗らせている事を上手く隠していたから、態度にはほぼ出ていなかったけれど。
「リアンは最初からナタリー様を推していたけれど、あの根拠は?」
結婚当初からリアンは何故かナタリー様と殿下を向き合わせようとしていた。殿下には一切伝わっていなかったけれど。リアンは政略結婚を知らないとはいえ、闇雲に何かを言う気もしない。
「ナタリー様は殿下に合っていると思ったから。ナタリー様は低姿勢に振る舞っているだけで、内心はそうでもない感じがする」
「シェッド人らしいと言いたいのか?」
「簡単に言うとそう。ナタリー様は自分が傷付かないように必死で、それ以外には何もしない感じがした。大聖堂に通っているのも、宗教の為というよりは現実逃避の場所みたいな」
私はリアンの言葉に思わず眉根を寄せた。
「けなしているのか?」
「いや、殿下の相手をするなら、その方がいいかなと思っただけ。殿下は自分の決めた事に口を出すような女性は嫌いだよ。ナタリー様は絶対に口を出さないと思っていたけど、最近変わってきたからわからなくなってきた」
「最近何かあったか?」
「ジョージ様の所に嫁いだガレスの姫。あの人が来てから少し変わってきて、サマンサ殿下も接し方が変わったみたい。サマンサ殿下は元々ナタリー様贔屓みたいだけど」
「どこからその情報を?」
私が掴んでいない情報をリアンが持っている事に少々苛立ち、視線が鋭くなってしまったのか、一瞬リアンが怯んだように見えた。
「妻はサマンサ殿下とは仲が良いから。サマンサ殿下は誰とでも仲良くされるから尊敬しかない」
「それはクラウディア様の血が流れているからだろう。殿下もクラウディア様と縁がなければ、性格は変わっていたと思う」
「スティーヴンはクラウディア様と出会う前の殿下も知っているのか」
リアンは殿下の一歳下なので記憶がないのだろうが、私は殿下の三歳上で従兄でもあるから、幼い頃も覚えている。
「あぁ。何の感情もなく誰も寄せ付けない雰囲気があった。クラウディア様と接するようになって、年相応の少年だったのだと安心したくらいだ」
「それがどう間違って今の殿下になってしまったのか。殿下とナタリー様はこのまま上手くいくと思う? 殿下の執着にナタリー様は付き合うかな」
リアンは少し不安そうな表情を浮かべた。今の殿下の執着具合を見たら、確かにナタリー様には耐えて貰いたいと私も思う。
「ナタリー様が殿下の見えない部分を無理に見ようとしなければ大丈夫ではないか?」
「あぁ、レヴィ王国が繁栄する為の犠牲は問わない冷酷さとか、自分の時間を確保する為に他の人に迷惑をかけているとか、実は面倒臭いとかね」
「最後の言葉は思っていても言ってはいけない」
「殿下の面倒臭い部分は魅力だから褒め言葉だよ」
リアンは少年のように微笑んだ。確かに一見完璧な王太子のように見えて、実は拗らせすぎて面倒な部分がとても人間らしく、それが憎めないから側近として楽しく仕えている部分はある。
扉をノックする音がして従者が扉を開けると、いつもの涼しげな表情の殿下が入ってきた。しかし扉が閉まり、殿下は自分の席に着くと明らかに不機嫌そうな顔をした。
「いかがされましたか?」
こういう時は構った方が後々面倒にならない事は学んでいる。殿下は視線を私の方に向けた。
「アリスが初めて言葉を話した」
「絶対に聞くと仰っていましたから宜しかったではないですか」
「言葉の内容が良くない」
殿下の表情は相変わらず不機嫌なままだ。リアンは笑顔を殿下に向ける。
「父親より母親を先に呼ぶのは仕方がない事ですよ。私の所は二人ともそうでしたし」
三人の中でリアンが一番歳下だが、彼には四歳と二歳の子供がいる。父親としては殿下より先輩にはなるわけだが、リアンが父親というのもどうも想像が出来ない。
「アリスは私の事を呼んだ。ただ呼びかけが違っただけだ」
殿下の言葉に私もリアンも訝しげな表情を向ける。
「まだ一歳だからお父様は難しいかもしれない。だが殿下は他人行儀でおかしいだろう?」
殿下の言葉に私は笑いそうになるのを必死に耐えた。しかしリアンはそれを耐える努力もせず、横で声を出して笑っている。本当にリアンは凄い。
「リアン、笑い過ぎだ」
「ですが殿下、それは自業自得ではないですか。ナタリー様にも殿下呼びを強要したからこそ、ナタリー様がアリス姫に殿下と呼びかけていたという事でしょう?」
殿下は名前を呼ばれる事を嫌っている。特に愛称は心を許した者にしか呼ばせない。私とリアンは名前を呼ぶ事を許されてはいるが、先日まで実家の兼ね合いで対外的にはあまり仲が良くない雰囲気を醸し出していたので、今更エドワード殿下と呼びかけるのも慣れずそのままになっている。そういえばナタリー様も殿下のままだ。
「いや、そこはお父様と呼びかけていればよかっただけの話だろう?」
「それはナタリー様と話して下さいよ。私の妻は名前で呼びかけるので、子供も私の事をリアン様と呼んでいた時期がありました」
「それはいつ直った?」
「上の子は三歳になる前には直っていましたよ。下の子も最近直りました。正直父上の方がしっくりこないのですけれど、執事が矯正してしまったのです」
それは執事が正しいのに、何故そこで悲しそうな顔をする。リアンの思考回路は相変わらずよくわからない。
「王家に執事はいない。教育係に命令をするか」
「ナタリー様にお父様と呼びかけて貰うようにすればよろしいのではないですか?」
「そうだな。そういう基本的な事も話し合わないといけないのかもしれない」
殿下は真面目そうな顔をして何を話し合うか考えている様子だ。厳密に言うと今はまだ執務中なので、それは後にして欲しい。休憩が普通になってきているのを、そろそろどうにかした方がいいのかもしれない。
「今度私の妻と子供をナタリー様と会わせてもいいですか?」
「急に何だ」
「子供の交流はあった方がいいと思うのですよ。この王宮には子供はアリス姫しかいませんし、友達がそろそろ欲しくなる頃ではありませんか?」
「リアンの所は息子が二人だろう? それなら娘のいる貴族を探す」
殿下の表情が明らかに不機嫌だ。ナタリー様だけでなくアリス姫にも同情してしまう。
「今からそのような事を気にされているのですか? アリス姫はいつか嫁ぐのですよ」
「政略結婚など要らないくらい国を豊かにする。そうすればアリスは嫁がせなくていい」
「政略結婚はさせなくてもいいですけれど、恋愛結婚はさせてあげないと嫌われてしまいますよ」
リアンに的を射た事を言われて殿下は言葉に詰まった。私は二人に対し冷めた視線を送る。
「そのような未来の話より、目の前の仕事を先に片付けて頂けませんか」
いくら殿下がある程度仕事を片付けて休憩に行ったとはいえ、まだ今日中に目を通して欲しい書類は残っている。リアンの机の上には今日終わるのかわからない量の書類が積んである。
殿下とリアンは渋々仕事に戻った。
だけど、このような話が出来るのは平和な証拠だから悪くはない。長らく殿下の為に色々と裏仕事をやってよかったなと心から思えた。




