現実を突きつけられる初夜
晩餐会の後、イネスに案内されて自室へと戻った。本当にこの王宮は広い。一人で歩ける日が来るのか甚だ疑問だ。
「今夜からは隣の寝室でお休み下さい」
昨夜はこの部屋にあるベッドで寝た。何故今日から隣なのかわからず首を傾げる。
「隣は殿下の寝室です。夫婦になられたのですから、今夜からそうなります」
イネスは私の疑問に答えるようにそう言った。あぁ、そうか。愛はなくとも子供は産めるのだ。現に母は私と兄を産んでいる。私の意思など考慮される事なく、そういう事をしなければいけないのだろう。
「どうせ何も出来ないんだから子供くらい産みなさいよ?」
シルヴィが馬鹿にしたように言った。子供を産むしか能がないみたいな表現はやめて欲しいと思ったが、反論出来るほど他に出来る事が思いつかない。
「そうよ。ちゃんと下着と寝衣はいい物を用意してあげたんだからね」
デネブも相変わらず上から目線だ。そもそも二人はいつまで私の部屋のソファーに腰掛けているのだろう。私はそのソファーにまだ腰掛けた事がないのに。昨日入浴後座ろうと思ったのに、早く寝たい気分が勝って先にベッドに倒れ込んで寝てしまった自分が憎い。
「お二人ともそろそろ自室へお戻り下さい。ここはナタリー様のお部屋です。お二人にも自室があるではありませんか」
「だってあの部屋は狭いし、ソファーもないし。ベッドも狭いのよね」
それはベッドが狭いのではなく二人の身体が標準より大きいせいだと思いながらも相変わらず私は口には出来なかった。皇宮とは立場が違うとは思うけれど、長年の関係をすぐに変えられる程簡単には割り切れない。
「とにかくもうお戻り下さい。私はナタリー様を浴室までご案内致しますから」
イネスは仕事をしないシルヴィとデネブに仕事をしろとは言わなかった。多分言っても出来ない事はわかっているのだろう。彼女一人に仕事を押し付けている事を私は申し訳なく思っていたが、王宮を歩くには彼女を頼らなければならない。
「ありがとうございます。私は早くこの王宮を覚えて迷惑をかけないようにしますね」
「迷惑だなんてそんな。これは侍女の仕事です。ナタリー様は遠慮されなくて宜しいのです」
「だからレヴィ語でこそこそ話すなと言っているでしょ?」
シルヴィが不満気に口を挟んだ。どうやら本気でレヴィ語を覚える気はないようだ。
「たいした事は話していないので気にしないで下さい。イネスさん、行きましょう」
イネスは頷き私の着替えを持って扉を開けると、無言でシルヴィとデネブを見据えた。二人は不満そうにソファーから立ち上がると、自室へと戻っていった。その後で私も部屋を出て浴室へと向かう。
「寝室は隣の部屋ですよね? イネスさんももう休んで下さい」
「宜しいのですか?」
「えぇ。よくして下さって本当に感謝しています」
「ではお言葉に甘えさせて頂きます。おやすみなさいませ」
「えぇ、おやすみなさい」
イネスは一礼すると踵を返した。私は服を脱ぐと浴室へと入った。浴槽は広く温かいお湯が張られている。石鹸も用意されている。皇宮の地下室には暖炉もなかったけれど、ここの自室にはある。きっと冬には薪をくべてくれるに違いない。もう凍えずに眠れるだけで贅沢というものだ。
私は入浴を済ませ身体を拭いて着替えた。デネブはいい物だと言っていたけれど、この寝衣は少し薄くて品がない気がする。しかしこれしかないので仕方がない。少し気が進まないまま扉をノックして暫く待ったものの返事がない。私はそっと扉を開けたが、そこにエドワードはいなかった。どうしようと迷っていると背後に気配を感じた。
「どうしたの? 入ればいいよ」
声に驚いて身体をびくつかせながら振り返ると、そこにはエドワードが立っていた。私は頭を下げると寝室へと足を踏み入れる。彼もその後に続き、静かに扉を閉めた。部屋にはキングサイズのベッドが置いてある。自室にあるベッドも十分高級そうだったが、これは更に高級そうだ。
「最初に言っておくけど、この結婚はあくまでも政略結婚だから、無理に私を好きになる努力はしなくていいよ」
私は間抜けな表情をしたと思う。予想外の言葉に理解が追いつかなかった。
「私も好きに過ごすから、君も好きに過ごしたらいい。別々で寝ると周囲が煩いからここで寝て貰う事にはなるけど、君に触れるつもりはないから安心していい」
エドワードは笑顔だった。私の理解は全く追いつかない。ここはどう対応するのが正しいのだろう? 女性として見られていないと怒るべきなのか、無理矢理抱かれないのだからよしとするべきなのか。
「それと今日は公務がないからこの時間だけれど、私は基本寝るのが遅い。だから無理に待っている必要はないし、出来れば先に寝ていて欲しい」
これは完全に拒否されたという事だろう。優しそうに見えてきっと父と同じだ。別に好きな人がいるに違いない。
「お言葉ですが、エドワード殿下――」
「殿下にしてくれないか? 名前を呼ばれるのは好きではない」
相変わらず笑顔だけれど視線が怖い。何か触れてはいけない部分なのだろうか? しかし逆らうなど出来るはずもない。彼に嫌われたら私はここでどう振る舞っていけばいいのかわからない。
「わかりました、殿下。しかし私が妊娠しない事で離縁をされる事はないのでしょうか?」
「それは気にしなくていい。必要だから政略結婚をしたのであり、別に君が子供を産む必要はない。この国はシェッド帝国と違い一夫多妻制だから」
私は大きく目を見開いた。シェッドは一夫一妻であり、それ故に妾を抱えるのだ。しかしこの国では妾でなく側室になる。側室の子供は庶子ではなく実子になるのだから王位継承権もあるはずだ。
「そうですか。ちなみに殿下には既に側室がいらっしゃるのでしょうか?」
「いや、今はいないよ。正妃を迎える前に側室は迎えられないから」
つまり今後迎えるという事ですね? と思ったが言葉には出来なかった。それを口にしてしまえば自分が情けなくなる気がしたのだ。
「とりあえず寝ようか。君も昨日までの長旅の疲れがまだ癒えていないだろう? 暫くは王宮に慣れるようにゆっくりするといい」
殿下は微笑んだ。しかしこの笑顔が何の意味もない事を知ってしまった。淡い想いが形になる前に押し潰さなければいけない。この人は好きになってはいけない人。好きになったら辛いだけ。私は本能的にそう悟り、促されるままベッドへと入った。大きいベッドは触れる事なく二人で寝られる。私は小さい声でおやすみなさいと言って彼に背を向けた。
シェッドに帰りたくないのならばここで生きていくしかない。ここで生きていくのなら殿下が望む振る舞いをしなければいけない。虐げないだけ殿下は優しい、それでいいと私は目を閉じた。




