予期せぬ事態
「突然このような時間に申し訳ございません」
午後九時頃、予想もしない訪問者を無表情で迎えた。笑顔を作る気もしない。久々に見たが相変わらず中性的な顔立ちだ。しかしいつも涼しい表情をしているウォーレンが今日はどこか違う気がする。そのような表情をされて追い返せるほど私は薄情でもない。
「いや、わざわざ出向いたという事は急ぎの用なのだろう?」
私がソファーに腰掛けるよう勧めるとウォーレンは大人しく従い、抱えていた書類ばさみをテーブルの上に置くと、その中から一通の手紙を取り出した。
「チャールズ殿下の遺言状です。中身を是非ご覧頂きたくお持ち致しました」
私は一瞬頭の中が真っ白になった。チャールズは確かに病弱である。二十歳まで生きられないだろうとも言われていた。しかし薬のおかげで無理をしなければ三十歳くらいまでなら生きられそうだと聞いていた。それが何故遺言状? チャールズはまだ二十二歳ではないか。
「病状が急変したのか?」
「いいえ。先程毒を呷られました」
ウォーレンの普段と違う表情の理由がわかり私は愕然とした。部屋に籠りきりのチャールズが毒を入手出来るはずがない。側近であるウォーレンが用意したに違いない。
「何故毒を用意した?」
「それは遺言状を御確認下さい。私はあくまでも主の為に行動したに過ぎません」
遺言状は鷲の封印がされていた。ウォーレンがペーパーナイフを差し出す。私はそれを受け取ると封を切り、中の手紙を取り出して広げた。
――兄上 長い間、私が存在する事で貴方に不要な苦労をかけた事を心よりお詫び申し上げます。私が薬を服用せずこの世を去ればいい事はわかっておりましたが、陛下が私を生かしている意味を考えるとどうしても時間が必要でした。先日実父である大叔父をこの世から葬り去る事が出来ました。伯父も長くはないでしょう。これ以上私に流れる忌々しい血を長らえさせる必要はありません。ウォーレンには計画を全て話し、薬は少し前から購入をやめています。今まで税金を無駄にして申し訳ありません。ウォーレンは必ず兄上の役に立つでしょうから、彼の事を宜しくお願い致します。兄上の治世が最高のものとなるよう心より願っております。 チャールズ――
チャールズは何て愚かなのだ。あんな男など放っておけばよかった。父上もこの事は承知なのだから、殺さなくても輝かしい未来など元々なかったではないか。
「チャールズ殿下は自分を王族として育ててくれた陛下に感謝し、国の為に出来る事をしたいと常日頃から仰っておりました」
「知っている。ジョージにも情報を流していただろう?」
私がチャールズと関わるのを避けていたからジョージも距離を置いていたはずなのだが、知らない間に距離を詰められていて正直面白くない。ジョージは私が将来国王になると思って赤鷲隊に入隊し、今隊長として懸命に働いている。ジョージに意見が出来る兄は私一人で十分なのだ。いや、今しがた一人になったわけだが。
「流石は殿下。御存知でしたか」
「私の目を節穴と思わないで欲しい。ウォーレンがリアンとスティーヴンも抱きこんでいる事も知っている。グレンは自滅待ちだろう?」
私の側近は勿論私の為に仕事をしている。リアンはウォーレンと手を組んだ方が私の為になると思っている事もわかっている。スティーヴンは手を組んだふりをしているのもわかっている。そしてウォーレンの兄グレンをウォーレンが嫌っている事も知っている。
「殿下には敵いませんね。私は父の反感を買って一旦王都を離れる予定です。時期が来たらまた戻ってきます。その時はレヴィ王家の為に働く事をお約束致します」
「ハリスン領は黒鷲軍団基地から近いからジョージを取り込む気か? まだ隊長になって一年だ。過度な期待はやめてほしい」
「ジョージ様にはカイルがいますから、私が直接どうこうする気はあまりないのですよ」
ウォーレンは微笑んだ。ウォーレンが弟カイルをとても可愛がっている事も知っている。ジョージの忠実な側近として私もカイルは信用をしているが、ウォーレンが絡むのは面白くない。私の計画を邪魔しそうで嫌だ。
「私には私なりの考えがある。それだけは邪魔しないで欲しい」
「えぇ。わかっております。チャールズ殿下はナタリー様も邪魔なら消してしまおうかと思ってらっしゃったのですが、それは思い留まられました」
「会わせたのか?」
「チャールズ殿下がどうしてもご自分の目で確認したいと仰いましたので。本日の昼間は体調もよさそうでしたし」
手紙には薬の購入をやめたと書いてあった。あの薬を服用していても常に風邪気味のような状況だというのに、薬を飲まなければ肺炎など酷い症状になったのではないか?
「そうか。病状が悪化して苦しむ前に毒を呷ったのか」
「そうです。勿論自殺ではなく病死で処理するよう指示をされていますので、そのように取り計らいます」
「そう処理出来る毒を手配したという事か」
「チャールズ殿下にこれ以上苦しみを与える事など望みませんでしたから、せめて眠るように旅立てる毒を用意する事が私の最後の仕事だったのです。またジョージ様にレスターの誰かに殺されたのではないかと思わせるようにとも指示をされています。その怒りの矛先がレスターに向かい、それが将来的に殿下の為になるはずだと」
私はやるせない気持ちをどこにぶつけていいのかわからなくなった。母がずっと愛していた弟を私は避けていたが、チャールズは私やレヴィ王国の事をこんなにも考えていたのか。つまらない意地など張らずに話す機会を設けていれば、このような結末にはならなかったのかもしれない。
「私からは以上です。それでは失礼致します」
ウォーレンは一礼して部屋を出ていった。私は扉が閉まったのを確認してから、ソファーの背もたれに頭を預ける。
チャールズの事をよく思えなかったのは否定出来ないが、このような結末を望んでいたわけではない。チャールズの実父、大叔父が病死したと聞いた時点で疑うべきだった。年齢的に病死でもおかしくないと思わず、不審な点がないか調べるべきだった。もしこれが父上の望んでいた結果だとしたら何て残酷なのだろう。自分を裏切った女の子供に、その父親を殺させる。あぁ、吐き気がする。この秘密を一生抱えていけと言うのか。これだから王宮は嫌いだ。逃げ出したジョージが羨ましいが、そのような事を言っていても仕方がない。王太子として生まれた以上、逃げる事は許されない。わかっていてもやるせない。
私は身体を起こし遺言状を封筒に戻して、その封筒を机の隠し扉の奥にしまった。もう今夜は仕事に集中出来ないだろうと、自室の扉を開けて廊下へと出た。