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虐げられ皇女 政略結婚で隣国へ

【謀婚】のナタリーとエドワード夫婦のお話です。こちらだけでも楽しめますが【謀婚】も読まれていると世界観がわかりやすいと思います。

 女神マリーよ、愚かなる我らに御慈悲を。迷える我らに正しきお導きを。


「ナタリー、ちょっと来なさい」


 扉を開ける音が煩く不愉快に感じて私は一瞬口を歪めた。デネブはいつも煩い。まさか礼拝堂にまで乗り込んでくるとは思っていなかった。信心深くない人はここには来ないから心穏やかにいられる場所なのに、どうして邪魔をしてくるのだろう。どうせ大した用事でもないだろうし、聞こえなかったふりをして祈りを続けようと私はデネブを無視した。


「無視するなんていい度胸ね。蹴るわよ?」


 デネブに腕を掴まれ私は顔を引きつらせた。私の腕はデネブ程脂肪がついていないから、そんなに強く掴めば痛いと何故わからないのだろう。蹴られるよりはましだけど十分痛い。


「一体何用でしょうか?」

「父上が呼んでるの。早くして」


 父か。もう何年も顔を合わせていないのに呼び出すとは、やっと正式に決まったという事だろう。果たしてそれは天国への道か地獄への道か。どうせ今がほぼ地獄なのだから、ここより悪い場所もないとは思うけれど。

 私は諦めたようにデネブを見た。


「わかりました。参りますから腕は離して頂けないでしょうか?」


 デネブは不機嫌そうに私の腕を離した。私は修道女として祈りを捧げていただけなのに、何故それほど不機嫌そうにされなければいけないのか。好きで皇女に生まれた訳でもないし、生かしておいたのは父であって、私は死ぬ事を許されなかっただけなのに。

 私は内心文句を言いながら、品のない歩き方をするデネブの後ろを静かについていった。父の部屋の前には無愛想な従僕が立っている。


「父上、ナタリーを連れてきました」


 デネブ、いつのまに敬語を覚えたのかしら。前までは父に敬語など使っていなかったのに。相変わらず太っているけれど、頭の中は少しすっきりさせたのかしら?

 私がそんな事を考えていると従僕が扉を開けた。私は考えるのをやめて室内に入ると恭しく父に向かって頭を下げる。


「御無沙汰しております、父上」

「修道女の真似、まだしていたのか。嫌味な女だな」


 父の目は相変わらず冷たい。私に何の衣服も用意しないから、自分でこの修道服と頭巾を縫ったというのに嫌味? 皇女が裸というわけにはいかないという常識さえも持ち合わせていないのか。デネブは無駄に宝飾品で着飾っているのに私には一切お金をかけない事など、今となってはどうでもいいけれど神を冒涜するのは許せない。ルジョン教を守るのは我がシェッド家の役目であるのに、何故それを否定されなければならないのか。私には父が祈らない事の方が不思議で仕方がないのに。


「その恰好は本日で止めよ。隣国レヴィ王家の第一王子との婚姻が決まった。それに相応しくなるべく準備せよ」

「そう仰せになられましても、私には準備する手立てがございません」

「お前はシルヴィとデネブに言われた通り動けばいい」


 何故そこでその二人の名前が出てくるのかわからず、私は無表情のまま父を見据えた。皇太子妃の娘である私の婚姻の準備を、妾の娘であるシルヴィとデネブがするなんて理解が出来ない。父は一体何を考えているのだろう? しかし父は私を見ていない。


「父上、私達も色々と準備をしていいの?」

「あぁ、好きなだけするがいい」


 準備? 私の嫁入りに一体何の準備がいるのだろう。妾の娘は庶子だから結婚式に参列さえ許されまい。しかもレヴィ王国は山脈を越えた先、その重そうな身体でついてくるなど旅路の足を引っ張られそうで嫌だ。


「本当? ありがとう、父上」


 暑苦しくデネブは父に抱きついている。父も嫌そうな顔をしないのが不思議だ。そう言えば敬語ではなくなっている。扉を叩いた時は従僕が控えていたから取り繕ったのか。そういう事だけ覚えるとは、いかにもあの妾の娘らしい。この父娘の会話は聞きたくもないので早々に立ち去ろう。


「私はもう下がっても宜しいのでしょうか?」

「あぁ、構わぬ。但し今日から行儀作法を徹底的に洗い直せ、いいな」

「かしこまりました。シェッド皇女として恥を晒さぬよう精一杯務めさせて頂きます」


 行儀作法などあの部屋に押し込めておいてどの口が言うのだろう。しかしそのような事を今更言っても遅いし、もう父の顔も見たくないし、とりあえずここは去ろう。

 私は一礼すると静かに部屋を出た。皇宮内を歩くのは好きではない。頭巾で髪を隠しているから私が皇女ナタリーだと気付く者はいないと思いながらも足早になる。


 地下にある自室に入り、誰にも気付かれかった事に安堵のため息を吐いて私は頭巾を外した。鏡に映る黒髪。憎い黒髪。母のように綺麗な金髪がよかった。何故父と同じ黒髪なのだろう。シェッド帝国の皇族として黒髪は優遇されるのに、何故私だけがこのような生活を……


 やめよう。考えても仕方がない。もうこの国を去る事は決まったのだ。幼き頃より教育は一切施されなかったのにレヴィ語だけは叩き込まれた。いくら教育をされていなくてもその意味くらいわかる。私はレヴィ王国に嫁ぐ為だけに生かされてきた。そしてきっと嫁いだ後も死ぬ事は許されない。それでも父や兄と何よりあの異母姉二人とも離れられるのなら、これ以上の幸せはない。たとえ嫁ぎ先でいびられようとも、ここよりひどい生活にはならないはずだ。



 それから嫁ぐまで私の周囲は忙しくしていた。修道服以外持ち合わせていない私にシルヴィが古着をくれたが、私より一回りも二回りも大きい彼女の服は大きすぎた。仕方なく腰に紐を巻いて誤魔化したけれど、絶対修道服の方がまともだ。私は採寸だけされたが、それだけだ。どういう服を仕立てるかという相談が一切ない。多分シルヴィとデネブが勝手にやるのだろう。ずっと修道服を着ていたので流行などわからないが、あの二人の服は私の好みでないから不安しかない。しかし私は口答えが出来ない。父の愛情は妾とその娘二人にしかないのだ。皇太子に愛されていない娘を守ろうとする者などこの皇宮にはいない。皇太子妃である母でさえ軟禁状態である。


 

 私は目の前の光景に驚いて唖然とした。食事の行儀作法を学べと言われたはずなのだが、皿とスプーンとフォークとナイフしかない。料理が一切ないのだ。


「あの、これをどうしたらいいのでしょうか」

「それで練習をと皇太子殿下より承っております」


 料理もないのに練習なんて出来るだろうか? 肉料理を切る時に妙な音が立たないか、パンを綺麗に食べられるかを架空でやって出来るとは思えない。

 私は困惑の表情を用意した男に向けた。


「せめて何か代わりの具材でも置いて頂けませんか?」

「余計な食材はないと承っております」


 余計とは何だろう? シルヴィとデネブを太らせる食材は余計ではなくて、私が恥をかかぬように練習をするものは余計なのか。私はシェッドを背負って嫁ぐわけではないのだろうか?


「そうですか。しかしこれでは練習も出来ません。一通り作法は頭には入っていますから、下げて頂けますか?」


 男は不愉快そうな顔をして片付けた。まるで折角準備をしてやったのにと言いたそうだ。これで練習出来ると思える方がおかしいのだが、もしかして私がおかしいのだろうか?



 その後も私の周囲は慌ただしく準備をしていた。私は特に何もする事がなく、修道服に着替えては礼拝堂で祈りを捧げていた。



 いよいよ出立の時が来た。私は十七年生きてきて初めて自分用に仕立てて貰った服を着た。予想に反して用意されたのは真っ白のワンピース。花嫁と言ったら純白と言う常識を持ち合わせていた事に、私は胸をなで下ろした。


 皇宮の広間には皇帝である祖父、皇太子である父、そして母と兄がいた。珍しく父の妾とその娘二人がいない。多分嫌っている祖父が広間に入れなかったのだろう。


「女神マリーよ。我が孫ナタリーに多大なる御加護を」


 祖父の白々しい言葉に私は恭しく頭を下げる。兄だけを大切にし、兄の言葉だけを聞き、私の事など所詮道具としか見ていない祖父。それでももう会う事はないと思うと不思議と心は穏やかだ。私の人生は今日から変わるのだ。もう虐げられてきた皇女ではなくなるのだ。


 儀式を終え、皇宮の入口へと向かう。そこには贅を凝らした馬車が止まっていた。レヴィ王国にシェッド帝国の威厳を知らしめる為に用意したものだろう。その後ろに何台も馬車が止まっている。一体どれだけの荷物をレヴィに持ち込むつもりなのだろう?


「ナタリー。身体には気を付けてね」

「はい。母上もどうぞお元気で」


 久し振りに会った母はやつれて見えた。母を見ていれば政略結婚など幸せになれないとわかっている。この皇宮に母を残していく事だけが心残りだが、母を連れていく事など叶うはずもなく私は涙を見せまいと必死に微笑んだ。

 挨拶を終え馬車に乗り込んだ所で私は驚いた。そこにはシルヴィとデネブが座っていた。


「何故お二人がここにいらっしゃるのでしょう?」

「ナタリーの侍女として一緒に行くからに決まっているでしょ? 馬鹿なの?」


 私は眩暈がしそうになるのを必死に堪えた。皇女の侍女が妾の娘二人など聞いた事もない。しかもこの二人は侍女の仕事など出来ない。父は一体何を考えているのか? それとも祖父の嫌がらせなのだろうか?

 その時馬車が動き出した。私は仕方なくデネブの横に座った。デネブが狭いと文句を言っているが、四人乗りで狭いなら自分が太り過ぎていると認識するべきだと思う。そして後ろに続く馬車が自分の物ではなくこの二人の私物だと理解した時、私はもう夢を見るのを諦めた。虐げられる皇女から虐げられる王太子妃に変わるだけなのだから。

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