ハイドランジアには秘密がある
ハイドランジアには誰も、両親すらも知らない秘密がある。
ハイドランジアはかつて魔王を討伐した勇者、シリウスとその仲間の魔術師アンの間に生まれた子である。十年前に生を受けて以来、蝶よ花よとかわいがられてきた。
今、ハイドランジアはその小さな手に収まりきれないほどの巨大な魔石を抱えて自室に向かっていた。
近くの森に出現した魔獣から出たものだ。これ一つで豪邸がいくつか建つほど希少で高価なその石をハイドランジアが持っている理由は単純。
ハイドランジアが魔獣を狩ったからだ。魔獣は十歳やそこらの子供にどうにかなるような相手ではない。しかも抱える程の魔石を持つ魔獣となれば、普通は騎士団がぞろぞろやってきて討伐するような相手だ。
元勇者である父に依頼された魔獣狩りについて行ったのは、自分の目的のためにあわよくば魔石が手に入らないかと思ったから。
はじめは、父親の討伐を少し手伝ってご褒美に魔石を貰えないか交渉するつもりだった。小さいものでも売ればかなりの金になる魔石だが、幸い我が家は「魔王討伐」の報酬でお金に困っていない。 勝算の高い計画だった。
一つ誤算だったのは、母親である魔術師のアンも同行することになったことだった。前回同じような依頼があったときには父一人で行っていたのに。自分が同行することになったことで母親が心配したせいだった。
となれば。二人は魔王を討伐するほどの手練れである。まだ幼い自分が手を出せるような隙があるわけもない。出現していた魔獣も並からすれば強力な方だったが、二人を苦戦させるには全くの力不足だった。
予想通り討伐は苦もなく終わり、ハイドランジアは自分が魔石を手に入れるためのいいわけを考えられずに呆然とした。
次に魔獣が現れるのはいつになるかわからない。
ハイドランジアにとって幸運だったのは、近くにもう一匹の魔獣がいたことだった。
しかし同時に不幸でもあったのは、その魔獣が突如として自分のすぐ後ろに現れたことだった。
やばい、と思ったときにはもう半分頭が顎の中に入っていた。父が必死に駆け寄ってきているが間に合いそうにない。魔術師である母では詠唱が間に合わないだろう。
なので仕方なく、自分がやることにした。
初級の魔術を打ち込んで、その勢いで距離をとる。そうすれば父が追いついて、あとは適当に手伝いながら討伐すればいい。そんな計画。
だが、しかし。
久しぶりの、いや、 この身体では初めての 戦闘に自分でも気づかないうちに浮き足立っていたのか、魔術の制御を誤った。
ちょっと衝撃を与えるつもりで放った魔術は母親譲りの大きすぎる魔力を遠慮なく使ってすさまじい火力を出した。
結果、二匹目の魔獣は何もできぬまま上半身を失って絶命していた。
明らかにやりすぎた。これまでは両親に怪しまれないように極力常識の範囲内で活動してきたが、今回のこれはその常識を大きくはずれる。
さてどうやって言い訳しようか、と考えていたのだが、それは杞憂だった。両親は親バカを遺憾なく発揮し、うちの子すごい、で片づけてくれた。
しかもハイドランジアの望み通り、魔石を手に入れることができた。はらはらさせられた一日だったが、結果だけを見れば上々だ。
「あーしんど」
部屋に入るなりハイドランジアは大事に抱えていた魔石を寝台に無造作に投げ落とすと、襟元をゆるめて自分も倒れ込む。
一息つくと、枕元の魔石を眺めてひとしきりニヤニヤ。これで計画の実現に大きく一歩近づいた。自然と笑みもこぼれるというものだ。
「よし、と。じゃあ早速やりますか」
寝台から起きあがると、魔術を一つ行使する。
「《サイレントルーム》」
この術の効果を一言で表すと、部屋の中で起こっている一切のことを外部から気づかれないようにする、というものである。
秘密を抱えるハイドランジアは度々この魔術を使っては、自分の計画のための準備を秘密裏に進めてきた。
部屋の隅の、もう使わなくなった古い遊具の入った箱をひっくり返して一番奥から引っ張り出してきた物を作業机に乗せる。
それは母親から拝借した古い化粧用の手鏡を元にした作りかけの魔術具だった。
この魔術具を動かすにはその心臓部となる魔石がどうしても必要だったのだが、その魔石が手には入らなくて計画が頓挫していたのだ。
「それにしても思いがけず良い魔石が手には入ったぞ。これで凍結していた幾つかの計画が再開できるな」
にまにまと呟きながら注意深く魔石を観察していく。時には手のひらから少しの魔力を流してその反応を見ながら。
「ふむ、この辺を使えばできそうだな」
そう当たりをつけると、指先に魔術で発生させた極小の刃で魔石の一角を切り落とす。
何カ所かを切り取って、それを再び魔術で結合。
その作業を二時間ほどぶっ通しで続けると、指先ほどの小さな魔石の板ができあがった。
「できた」
額に浮かぶ汗を拭って満足げに笑う。
早速魔石の板を作りかけの魔術具に装着して、深呼吸。緊張の一瞬。
「《コネクト》」
その複雑さ故に長い長い詠唱の果てに魔術を行使する。
自分の顔を映していた鏡が暗転し、次の瞬間には見慣れない室内を映し出した。
「一応成功、かな?」
ハイドランジアが作った魔術具は、遠隔地と会話をするための物だった。どこかに繋がったのは確かだが、果たして目的の場所に繋がったかどうか。
「おーい、カルマン君?いるかい?いたら返事をしておくれ」
呼びかけに反応したのか、部屋の隅に積まれた毛布の固まりがわずかに動いた。
「おーい」
もう一度呼びかけてみる。
今度ははっきりと毛布が動く。
ばさり、と毛布がめくれると、その下から寝癖をくっつけた中年男が顔を出す。
ハイドランジアの方を、正確には男の部屋に置かれているはずのもう一つの魔術具の方を見て目をしばたたかせると、跳ね起きて駆け寄ってきた。
「ししょ…痛え!師匠!!」
途中脇机に思い切り向こう脛をぶつけて悶絶しながらも、男は魔術具にすがりついていた。ハイドランジアの鏡に男の顔が大写しになる。
「カルマン君、息災そうで何よりだ。とりあえず落ち着いて少し離れてくれないか?あんまり見ていて気持ちのいい絵面じゃない」
「ああ、すいません、師匠。そういう師匠は随分かわいらしくなっちゃいましたね」
「十歳だからな」
鏡の前で胸を反らしてみるが、かつての威厳など出ようはずもない。
「そっかぁ…もうあの日から十年も経つんですねぇ。師匠のことだから三、四年で連絡が来るかと思ってたんですけど待てど暮らせど連絡が来ないから魔術が失敗したんじゃないかと心配していたんですよ」
「ああ、すまんな。いろいろと都合がつかなくて遅れてしまった。ひとまず、今までの状況を確認させてもらえるかな?」
「了解っす!いやあ、それにしても成功してよかったっすね、転生術」
「そうだな。さすがの私も失敗するかと思ったが、ギリギリなんとかなった。備えあれば憂いなしだ」
ハイドランジアには誰も、両親すらも知らない秘密がある。
それは、自分が二度目の人生を送っている、ということだ。
死の間際に行使した転生の魔術によって。
「それでは!何から話しましょうかね、魔王様!」
「その名で呼ぶなと何度も言ったはずだが?」
「へへ…このやりとり、もう一回やりたかったんですよ」
「…ふん、変わった奴だな」
「そういいながらも顔が笑ってるっすよ」
「そ、そんなことあるわけないだろ!」
かつて魔王は勇者に討たれた。
しかしその死の間際、最悪の場合を想定して研究していた転生術を行使する。
試すわけにも行かないので一発勝負だった。勝算は五分五分と読んでいた。
結果何とか魔術は成功。魔王は再び世界へと生まれ落ちた。
一つ誤算があるとするならば。
転生先が自分の死のすぐそばで同じく死にかけていた、魔術師に宿ったばかりの胎児だったことだろうか。
かくして魔王は、勇者の子として再誕する。