勉強だけが学生の務めではありませんので!
ハイドランジアはリリイと魔術理論の担当教授であるラヴィオとともに、研究内容について話し合っていた。
通常であれば半年から一年の間は先輩についてその研究を手伝いながら知識と経験を積んで自分の研究に取り掛かるが、最初から独自に研究してもいいとラヴィオが認めたためである。
この研究室の分野は魔術理論であるが、その範囲は恐ろしく広い。大雑把に括ってしまえば、魔術に関する事であればなんでもいい。
ハイドランジアとしてはここで自分の知識を安売りする気はない。小出しにして自分の優位は保ったまま、文句なしの成績で卒業したいのだ。そのギリギリの線を見極める必要がある。
「ちなみに、リリィさんはどんな研究を?」
「私は単位詠唱よ。何らかの効果を表す詠唱の最小単位を調べる研究」
「なるほど」
理論の分野の中でも殊更地味な部類だ。既知の魔術詠唱を組み替えてどんな効果が出るかを記録していく。現代の魔術は古代から受け継がれてきた詠唱をそうやって切り詰め、組み換え、組み合わせていって構成されているので、その詠唱はもはや言語の体を為していない。どこを切って繋げたらどうなるかが予測できない状態になっている。
例えば比較的単純な部類である十節程度の詠唱でさえ、全ての節の並び替えまで考慮して愚直に組み合わせを試すと一千万通り近くになってしまうのだ。時には別の魔術式から節を移植したほうが短くなることさえあり、実質的に組み合わせは無限に存在する。当然全ては試せないので、何らかの仮説に基づいた切り捨てが必要なのである。その研究はひたすら地味な詠唱と記録の繰り返しになる。
「では私は、魔術陣の型を研究しましょうか」
「これはまた、茨の道を行くね」
「難しいからこそ取り組む価値があるのです!」
「ハイディちゃん…!」
感極まったリリィにまた抱きしめられた。
魔術陣の型も組み合せを試す対象が詠唱から陣に変わるだけで本質的には同じ種類の困難さがあった。リリィからすれば可愛い後輩が自分の後についてともに無限の海に飛び込む覚悟をしてくれた!ぐらいの感覚である。
この数日で身にしみてわかったことだが、彼女はこうやって事あるごとに抱きしめてくる癖がある。ハイディは学習した。もう慣れたので最初のようにどぎまぎする事もない。その様子をラヴィオは微笑ましく眺めていた。
「それでは、ハイディちゃんの輝かしい未来目指して頑張ろう、オー!」
「おー!」
というわけで、ハイディは魔術陣の研究に取り組むことになった。と言ってもすでに研究済みの成果を小出しにするだけなのだが。
実のところ、この選択は半分はリリィのためである。と言うのも、魔術陣の型と単位詠唱の間には密接な関係があるため、このふたつを並行して進めると効率が段違いに高くなるのだ。
ハイディですらこの事に気づくのに三十年近くを要したが、一般的にはまだその域に達していない。リリィに魔術陣の相談をするように見せかけてこっそり単位詠唱の助言を与えよう。彼女には恩しかないのだから。
何しろ一緒に寝ているとポヨンポヨンで気持ちいいのだ。ポヨンポヨン加減ではマチスに軍配が上がるので彼女にも今度何か便宜を計ろう。そうしよう。
◇
その後は同好会の時間である。
今日は、狩猟部の活動に参加するつもりだった。明日は授業がない休日なので、それを利用して部員勧誘のための体験会として泊りがけで狩りに出るらしい。
集合場所である運動場には二十人近くが集まっていた。
「新入生諸君、今日はお集まりいただき感謝する。私が狩猟部の部長、ジオだ。よろしく頼む」
そう挨拶した部長の横には、先輩部員が九人ほど並んでいた。みんな順番に自己紹介をしていくが、数が多すぎて覚えきれない。人の顔を覚えるのは微妙に苦手なハイディなのだった。あまり興味がないとも言う。
一方で、それに向かい合うようにしてハイディを含めた新入生が十二人並んでいる。こちらも順々に挨拶していくが、こちらについては最初から覚える気がない。どうせこの中の何人かしか残らないのだろうから、残った奴だけ覚えればいいと割り切っている。
「我が部では、基本的に弓と魔術を組み合わせて狩りを行う。みんな、弓を使ったことはあるかな?使ったことのある者は?」
部長の問いかけに 半数くらいが手を挙げた。ハイディは手を挙げなかった。
弓は杖と並んで魔術師がよく使う武装の一種だ。魔術による遠隔攻撃との相性がいい。杖も別に魔石がついていればどんなものでもいいので、弓に魔石を埋め込んで杖代わりにしている魔術師がいるぐらい弓は一般的な武装だ。しかし魔王だった頃はガチガチの理論派だったのでその辺りの武装とは無縁の生活だった。
「さて、これからの二日間、君たちは先輩と新人の二人ないし三人組で行動してもらう。組みわけは弓の経験等を参考にこちらで勝っ手に決めさせてもらったが、不都合があったら言ってくれ」
不都合と言われても、相手の人となりもわからない今の段階でどうしようもないが。
「よろしくね、ハイドランジアさん」
いつの間にか目の前に細身の美人が立っていた。先輩の一人で、名前をえーと、忘れた。ミ、なんとかだったはず。
「よろしくお願いします、お姉さん」
「…どうしてみんな私のことを姉御とか姉さんとか呼ぶんだろう」
とりあえずごまかそうとしてみたが、裏目に出てお姉さんは何とも言えない困った顔をしていた。
ハイディの担当となったこの細身の女性、名をミスクというのだが、年齢は十八歳で在校生の中では高めだ。といっても入学が遅かっただけで卒業まで何年もかかっているというわけでもないのだが。
ほかの組もそれぞれ挨拶をしていたようだが、それがひと段落したところで部長であるジオが手を叩いて注目を集めた。
「これからの予定を説明する。今日は移動と野営だけだ。街を出て馬車で一時間ほど移動した森の畔が目的地となる。そこで一晩明かして、翌日の午前中森で狩りをする。そこで取れた獲物を料理して食べてから、ここまで戻って解散とする。何か質問のあるものは?」
特になかった。先輩部員たちは予め打ち合わせを重ねていたし、新入生達はお客さん気分でついていくだけだ。
「それでは、出発しよう」
二十二人が四台の馬車に分乗し、目的地に向かう。
まだあまり打ち解けていない微妙な空気のまま言葉少なに馬車に揺られていくうち、すぐに目的地に到着した。
「ここが本日の宿場となる」
森に程よく近く、水場となる池があったが他には何もない場所だった。そこかしこに野宿の形跡が残っているところから定番の野営場所であることが伺えた。
「各自、分担して野営の準備を勧めてくれ。新入生諸君は先輩の支持に従うように」
「はい」
三々五々散って準備に取り掛かる。ハイディはミスクと一緒に天幕張りの担当だ。
「ようミスクの姉御、そうしてると可愛い妹ができたみたいだな。いや、娘か?」
男が一人、ハイディたちを指して揶揄してきた。正直気持ちのいいものではなかっだが、懸念事項だったミスクの名前を知れたので今回だけは勘弁してやる。
「そういうのはいいから、手を動かしなさい、ハンス」
日頃から皆より少し年齢が高いことを気にしていることを知っているのにこんな失礼な冗談を言ってくる男を相手にするほど暇ではない。シッシッ、と追い払って軽くあしらうに限る。
「おーこわ。ちょっと話すぐらいいいじゃんね?えーと、ハイドランジアちゃん、だっけ?」
「えーと、そうですかね?」
「注意一秒怪我一生!油断大敵!真面目にやらないと怪我をするわよ」
「わーってるよ、子供じゃねーんだからさ」
文句を言いながらも、男は真面目に準備を始めた。男ハンス、引き際は知っている男だ。
そうこうしているうちに天幕が張れた。他の部員たちもそろそろ作業が終わる頃だ。さっきからちょくちょく話しかけてきていたハンスも新入生と一緒にすでに準備を終えていたようだ。こういう作業は体が小さいと少し不利なのかもしれない。まあ、いざとなったら魔術でぱーっとやってしまうのだが。
食事組と合流して夕食を準備し、皆で食べる。献立は持ち込んだ食材を刻んで調味料で煮込んだだけの簡単な鍋料理だ。味はまぁ、普通。
「明日はどんな獲物を狙うんですか?」
「基本的には鳥とかウサギよ。あとは足跡を追跡して遭遇できればイノシシとかかな。ボウズだとお昼ごはん抜きになるから頑張ってね」
「ま、最初は弓魔術とか探知魔術の練習からだけどな」
と話に割り込んできたのはやはりハンスだった。さっきからミスクと話しているとちょくちょく口を挟んできて鬱陶しいことこの上ない。ほら、ハンスが担当している新入生が手持ち無沙汰にしているではないか。とりあえず手を振ってみよう。おや、目を逸らされた。悲しいな。
とにかく、ハイドランジアの勘違いでなければハンスはミスクが好きなのだろう。ミスクの方は年下にあまり興味なさそうな雰囲気だが。ハンスがちょっと幼く見えるせいで下手すると姉弟にすら見える。
食事のあとは、交代で見張りを立てながらの野営となる。見張りが必要になるような場所ではないのだが、訓練の一環なのだからやらねばならない。ハイディとミスクは順番的には最後、早朝の当番になった。
早朝ともなれば、辺りはすでに明るくなって来ているので特別なことは何もないのだが、訓練なので部伝来の見張りに便利な魔術を教えてもらった。野営地の周辺に書いた大きな魔術陣の上を何かが通過すると感知できる魔術だ。部伝来と言っても一般のものと大差なく、少しだけ効率がいいかな?と言った程度のものだったが。
暇なので探知魔術の改良案を考えながら見張っていると、ミスクが話しかけてきた。
「ハイドランジアさんはいつも剣を身に着けているようだけど、剣術が得意なの?」
「ええ、父に随分しごかれまして、それなりだと思いますよ」
実際のところハイドランジアの腕前は国で五本の指に入るほどなのだが、他人と比べたことがないのでよくわからない。
「父には剣だけでは全く叶いませんでしたけどね」
悔しいので、言外に魔術も使えばなんとかなると匂わせておいた。
「なるほど。私達は魔術師の集団だからどうしたって後衛に偏ってしまうのよね。今だって正規の部員に前衛ができる人はいないし。剣を扱える人が居ると戦術の幅が広がるから、ハイドランジアさんにはぜひ入部してほしいな」
「前向きに考えておきます」
こんな子供を前衛に据えるなんて鬼かと思わなくはないが、どうせ子供ばかりでちょっとそこらで狩りに行く程度、遅れを取るつもりもないので笑って返しておいた。どうせ、在籍はしておくつもりなのだ。機会があればうっかり魔獣に遭遇しそうなところに迷い込むために。
そんな話をしているうちに、合宿初日の夜が明けた。
あと2回ほど合宿が続きます。




