人には人の事情があって、バカみたいな勘違いをすることもあるのです
イライラした様子で爪を噛みながら、魔術学院での授業を終えたマヤは足早に自室である研究室に戻った。
扉を閉めた勢いで棚が小さく揺れるほどだったが、後ろ手に施錠すると振り返りもせずに金庫に歩み寄り、中から魔術具を慎重に取り出す。
それを机に並べて、長い長い詠唱によって魔術を一つ起動した。
「…《コネクト》!」
魔術具に埋め込まれた鏡に映った像が歪み、別の場所を映し出す。鏡には太った中年女性が映っていた。この魔術は、遠く離れた場所との会話を可能とする、一般的には知られていない魔術だ。
「定時報告ご苦労様です、同志マヤ。この一週間でなにか変わったことはありましたか?あったのでしょうね、そんなにカリカリして」
鏡の向こうからの問いかけに取り繕うこともせずに思いのままに叫んでいた。
「どうもこうもありませんよ。勇者の娘が学院に入学してきたのです!」
その言葉に、鏡の中の女性の表情が変わった。
「勇者、とは、魔王様を討ったあの勇者ですか?」
「その勇者です。勇者シリウスと魔術師アンの間に生まれた娘で、今年十歳になります。名前はハイドランジアです」
鏡の中の女性は、なにか考えている様子で黙ってマヤの報告を聞いていた。
「詳しくは次週行われる技能測定の結果待ちではありますが、トゥールがわざわざ休暇期間に招聘に向かったらしいのでよほど優秀なのでしょう。伝聞ですが既に魔獣を倒したとか、クラーケンの撃退に成功したという情報もあります。試しに難易度の高い収集課題を出しましたが涼しい顔で終わらせました。すでに市長の息子を傘下に収めたという報告もありますし、寮では同室の上院議員の娘とも懇意にしているようです」
報告を受けた女性は、ふむ、と小さく相槌を打って。
「なるほど、親の威光を笠に着ただけの小娘ではなく、着々と政治的な地盤も固めているというわけですか。成人したら、全ての権利を放棄して姿を隠した勇者とアンに代わってその娘を国政の中心に据えて自分たちの権力拡大を狙う、学院の狙いはそんなところでしょうか」
「おそらく、その通りかと。そうでなければ、この学院で学院長に次ぐ地位にあるトゥールがわざわざ出向いて招聘するなどありえません。こちらに来たその日には学院長への目通りもしていますし、翌日には市長とも面会していました。来月には王と謁見でもするんじゃないですかね」
へっ、と吐き捨てるように呟く。ほとんどやっかみのようなものだが、実感がこもりすぎたその台詞に鏡の中の女性も苦笑する。
「なるほど。実力のほどはどう見ますか?」
「能力的な部分は先ほど言ったように来週の技能測定で明らかになりますので次週またご報告いたします。しかし、授業の様子からは天瞠の魔術師と呼ばれ学院を首席で卒業したアンの英才教育を受けているのか、かなりの余裕が見えました。授業選択の内容も確認しましたが、一年で卒業する気のようです。もしかしたらそれも実現して史上最短・最年少の卒業記録になるかもしれません。多少実力が足りない程度なら学院側から何かすることも十分に考えられますから」
「そうですか、面倒ですね。中央とて我々の動きはある程度感づいているはず。将来的には十年前のように討伐隊が組まれることになるかもしれない。その時に先頭に立っているのはその娘かもしれませんね」
女のつぶやきを、マヤはある種の現実感をもって受け止めていた。
女性の隣に立つ自分、その後ろに数多の仲間たちと育て上げた魔獣とゴーレムの群れ。それに立ちはだかる錦の御旗を掲げた王の軍勢、その先頭に立つうら若い乙女。
あの、人を馬鹿にしたような憎たらしい笑みでこちらを睥睨する。剣と魔術を自在に操り、次々と魔獣を切り捨てていく…
ぶるり、と身震いをした。
最悪の未来だ。なんとしても回避する必要がある。
「少し、計画を早める必要があるかもしれません」
今日のところは、そう進言することしかできない。
「そうですね。こちらで計画の見直しを行うので、当面はその娘の観察をお願いします。どれほどの脅威となるのか正確に見極める必要があります」
「御意に」
「ほかに何か報告はありますか?」
「特には。細かい報告は別途通信で送っておきますので、確認をお願いします。これ以上は、魔力が持ちません」
「わかりました。報告ご苦労様です。期待していますよ」
「ありがとうございます、ミラ様」
鏡の中の女、元魔王の側近であるミラは、その言葉に満足したのか大きく頷いた。
「すべては、われら新生魔王軍の栄光のために」
「栄光のために」
ミラとの通信を切ったマヤは、ぐったりとして机に突っ伏した。魔術の使い過ぎで力を消耗してしまい、どうにも体を動かすことができなかった。
マヤは、魔術によって世界を手中に収めるべく活動している新生魔王軍の同志として中央魔術学院に潜入し情報を集めている。週に一度こうやって通信魔術を使って総統であるミラに報告をしている。そのあとはいつもこのようにぐったりしてしまってすぐには動けない。
本当はもっと頻繁にやりとりをしたいところなのだが、いかんせんこの魔術は魔術具の補助をもってしても要求される詠唱と集中が段違いなのだ。魔力の消耗も激しく、週に一度十分程度の使用におさめなければ、日常生活に支障が出るほどに。
手を伸ばして魔術具を撫でる。
潜入に際してミラから下賜されたこの魔術具は、一般的な常識とはかけ離れすぎた魔術具だった。
どうやったのか全く理解の範疇外だが、いくつもの魔石を切り取ってつなぎ合わせて作られた心臓部はもはや芸術的ですらある。何時間でも眺めていられる。事実、暇さえあれば取り出して眺めている。
魔術具を専門に研究してきた自分にはその偉業がとてもよく理解できた。魔石を割るだけでも常識外れだというのに、それをつなぎ合わせて全く新しい魔石を作ってしまうのだ。しかもそれで実現される魔術もまた独創的だし、今まで見たことのないものだった。
直接会った事は無いが、これを開発したという事実だけでも自分が魔王を崇めるのには十分すぎる。
本来ならば魔力の消費を抑えるためにこの道具や術式の改良を行いたい所なのだが、マヤはまだこの術式と魔術具のの全貌を理解できずにいた。毎夜毎夜仕様書を片手に解読を進めているのだが、一年たった今でも全体の半分も理解できていなかった。これでは改良など夢のまた夢だ。
ようやく体に力が戻って動けるようになると、すぐに魔術具を金庫の奥にしまい込む。これの存在だけは中央の連中に気付かれてはならない。これは、数で劣る新生魔王軍が中央に楔を打ち込むための非常に重要な鍵になる道具なのだ。
金庫がしっかりと施錠されたことを確認してから、研究室のカギを開けた。もうじき昼休みが終わり、そうすると研究室に所属する生徒たちが午後の研究をするためにここを訪れるからだ。
そこまでしてから、食堂で持ち帰り用に包んでもらった昼食をもそもそと食べる。
食べながら、あの憎たらしい小娘について考える。
授業はろくすっぽ聞いている様子はないのにこちらの質問には常に淀みなく答える。少々クジに細工して高難易度の素材収集をさせてみたが、それも難なくこなしたばかりか、どうやら無関係の素材も複数集めて自分用に持ち帰ってきたようだ。
純粋な戦闘力は未知数だが、魔獣や巨大イカの討伐が事実であれば、すでに子供離れした能力を持っていると考えていい。トゥールが箔をつけるために「吹いている」可能性もないではないが、彼女の性格からするとその可能性は殆どない。
ミラからは待つように言われたので、このまま観察を続けるのはいいとして、観察のために少しいじめるくらいはしてもいいだろう。
さて、次はどうやっていじめてやろうか…
悪巧みしてると研究室に入ってきた生徒が不気味な笑顔を見て小さく悲鳴を上げた。
ストックがもうないのでね、まったり行きますよ・・・




