元勇者だけど俺の子供が強すぎる
魔王の指から放たれた雷光の狭間を縫って男が駆ける。
仲間はすでに倒れもう自分一人になってしまった。
しかしそれは相手も同じだ。振り抜いた剣は空を斬るが、それは少しずつ、しかし確実に魔王を追い詰めている。
一方の魔王もただ追い詰められているわけではない。虎視眈々と反撃の機会を窺っている。
わずかの隙が雌雄を決する。それを理解しているからこそ、男は鍛え上げたその剣を、魔王は練り上げた魔術を、最大限の集中力で操っていった。
まるで世界が二人だけになったような感覚。
並の人間であれば目で追うこともできない超高速の攻防の中でその勝敗を決したのは――
二人の意識の外から放たれた一条の光だった。
光は魔王の横腹を抉ったが致命傷になるような傷ではない。すぐさま魔法で修復すればまだ戦える。しかし魔王の目は無意識に光の出処を追っていた。そこで見つけたのは、倒れ伏す一人の魔術師の姿。男の仲間だった彼女が、すでに死んでいると魔王が判断するほどの深手を与えたはずの彼女が、正に死力を持って一撃を放ったのだと知ったその時、魔王の首は胴体から離れていた。
魔王の心に去来するのは、魔術の深淵にたどり着けなかったという深い悔恨。
しかし、さりとて。
首だけになってなお魔王は最後の魔術を試みる。
魔術の波動が放たれた。
しかし、何も起こらなかった。
失敗だ。
最期に魔王は目を開けて、己を殺した男を睨みつける。
男は油断なく剣を構えていた。
その姿に若干の苛立ちを感じた魔王は
「なんだよてめぇわざわざこんな辺境に引きこもって研究してただけの俺を金目当てに殺しに来た殺し屋の分際でそのやり遂げた!って顔は!!魔王を倒した勇者です!って肩書だけでこの先生きて行くんでしょうね!おめでとうございます!でもって増長して何も知らない世代から鬱陶しいおじさん呼ばわりされて用無しになった世界ではただのゴクツブシで最後は落ちぶれて酒場でクダ巻いて野垂れ死ね!!」
私怨丸出しのその言葉は、しかし首と胴体が切り離された魔王の口から出ることはなかったのだった。
戦いは終わった。
◇
俺はシリウス。十年前に王命によって集められた魔王討伐隊の数少ない生き残りの一人であり、魔王を倒した勇者だ。
俺はその功績によってかなりの金額を受け取って、当時パーティーを組んでいた魔術師の娘アンを娶って小さな農場で悠々自適の生活を送っている。世界は至って平和。そういう意味では元勇者と言える。
そんな俺達の間に子供が授かったのは、魔王討伐から半年ほど経った頃、この家に住むようになってすぐの頃だった。
そこ、計算合わないとか言わないように。そう、真っ当な知識があればお気づきのように、俺達は魔王討伐の旅の間からすでにデキていた。そして子供もデキていた。それだけのことだ。
さて、そんな我が子を紹介しよう。もうすぐ十歳になる自慢の子、ハイディだ。俺に似た利発そうな顔立ちに、アンの美貌を彷彿とさせる少し影のある眼差し。控えめに言って美形。
幼い頃から日課になっている俺の訓練に付き合っていたせいか、鍛えられ引き締まった体つき。それでいてアンから引き継いだ稀代の魔術師としての才覚。
今はまだ子供ゆえの非力さから剣の腕で俺が負けることはないが、魔術については完全に俺が負けている。これでも俺は魔術にもそこそこ自信がある方だ。ただそれでもアンには全く敵わない。そんな彼女の天性を十二分にこの子は受け継いでいた。
まず魔力。並の魔術師百人分と称されたアンに、十歳にもならない今の時点ですでに比肩する程だ。これから先体の成長に合わせてまだまだ魔力は伸びるだろう。
そして一を教えれば十を知る吸収力。初級の火炎魔法を教えれば、その日のうちに上級クラスの魔術で裏山を劫火に包む。そんなやつだ。
親ばかかもしれないが、こいつが俺たちと同世代なら勇者の名は確実にこいつのものになっていたはずだ。それどころかこいつ一人で魔王を倒してしまっていたかもしれない。そう考えるとかつて失ったレミリアやジーンたちといった旅の仲間を想わずにはいられない。
「どうしたんですか?父上」
じっと見られていたことに気づいたハイディが素振りをやめて首をかしげる。かわいい。
「いや、全力でやればそろそろお前に負けそうだなと思ってね」
「僕なんてまだまだですよ!魔王を倒した勇者の技は流石です。受けるだけで精いっぱいですから」
そうは言っても魔王との戦いを経て研ぎ澄まされた俺の剣戟を受けられるやつなんて、王様の近衛兵の中にもそうはいないんだけどな。
「でもお前には魔法があるじゃん?」
「それまだ父上と剣を打ち合いながらだと分が悪いです」
しょんぼり、と可愛らしくうなだれて見せる我が子の頭を力いっぱい撫で回す。
「ふふ、精進するがよい!」
「はい!」
元気よく返事をして素振りを再開したハイディを眺めながら、かつての熾烈な戦いを思い返す。
魔王を討ち取り平和になったこの世界で、それでも俺が訓練を続けるのは、ある予感があるからだ。
アン決死の一撃で隙を作った魔王の首を切り飛ばした瞬間。魔王は確かに俺を見ていた。そして怨嗟に塗られたその顔で何かを叫んでいた。その顔が忘れられない。
魔王は最期に魔術を使おうとしていた。その場では何も起こらなかったから呪いの類を疑ったが、神官が調べても何も出てこなかった。
不安を振り切るように素振りを再開したその時、遠くから慌てた声が俺を呼ぶのが聞こえた。
「おーい、シリウスさま!てーへんだー!」
やってきたのは隣に住むケビン爺さんだ。隣と言っても歩いていけば十分はかかる距離なのだが。
「爺さんどうした?もう年なんだからうっかり死んじまっても知らねえぞ」
「冗談じゃないわい!本当に危うく死ぬところだったんじゃぞ!」
「悪い悪い。で、何があったんだ?」
「おお、魔獣じゃ!魔獣が出たんじゃ!」
「なんと!」
魔獣というのは、要するに魔術を使う獣のことだ。
狼のような普通の獣でも農家にとっては憎むべき相手だというのに、簡単には駆除できない魔獣たるや。
とは言え魔獣自体の数はそれほど多くはない。ここに引っ越してからで数えても、五回目ぐらいか?並の人間ではどうしようもないから普通は領主に討伐の依頼を出す。しかしこの村には元勇者の俺が居るから、この手の案件はまず俺の所に来るのだ。
こんな時元勇者の俺に期待がかかるのは仕方がない。村の爺さんや子どもたちに怪我でもされたら大変だ。俺は訓練を切り上げて早速討伐に出かけることにした。
そこでふと、ハイディが俺を見ていることに気がついた。
そういえばこの子には俺が戦っているところを見せたことはなかった。こいつも随分動けるようになったし、そろそろ自分の身ぐらいは守れる頃か。
「ついてくるか?」
俺の言葉にあからさまに嬉しそうな顔をする。
「いいのですか!?」
「ああ。その代わり、俺の言うことはしっかり聞くんだぞ。俺がいるからといって油断もしないように。自分の身は自分で守るんだ」
「もちろんです!」
俺達は手早く準備を済ませると、爺さんに聞いた場所に向かった。ちなみに、アンもついてくることになった。戦力は多いに越したことはないもんな。
爺さんに聞いた場所は、爺さんの畑の裏から続いている森の中だ。猪を狩りに入っていたところで見つけたらしい。先に気づいてなければ殺されていたかも知れない。運のいい爺さんだ。日ごろの行いがいいんだろう。
「…こっち」
アンの探知魔術にかかれば隠れている魔獣を探すなんて事は朝飯前だ。この力で奇襲して倒した敵は数えきれない。
俺を先頭にして次がハイディ、最後がアンの順番で森の中を進んでいく。かなり近づいてきたのか濃厚な魔力を感じる。かなり派手に魔術を使う奴のようだ。
「…いた」
アンが指し示した先、気の隙間に巨大な毛の固まりが見えた。熊よりも遙かにでかい極躯。今は眠っているのか動かない。
「遠距離でやれるか?」
「このあたり一体が焼け野原になってもいいなら。もう少し近寄ればやりようはある」
杖を握りしめて彼女は言った。ハイディも釣られたのか杖を握る手に力が入っている。
「あの、かなり大きい魔獣ですけど、大丈夫なんでしょうか?」
「あれぐらいなら問題ないだろう。魔王の迷宮に住み着いていた奴はあの倍ぐらいあったしな」
「ケルベロス、でしたっけ?」
「そうそう。頭が三つもあってな、それぞれの首でひっきりなしに魔術を使ってくるから大変だった」
「その話は七回目くらいです」
「良いじゃねえか。何度でも話してやるぜ!」
俺たちはもう少し魔獣に近づくことにした。アンが気配を遮断する魔術を使ってはいるが、ここから先はお静かに、だ。
二人は黙って俺の後に付いてくる。しばらく行ったところで不意に裾を引かれた。振り返ると、アンが杖を構えていた。そろそろいけるらしい。
俺は肯くと最前列を譲る。魔獣が襲いかかってきても良いように剣を構えたところで、アンが魔術の詠唱に入る。
魔獣はまだこちらに気づいていない。奇襲は成功だ。
「《スパイラル・フレア・アロー》」
俺達の目の前に炎の渦が現れ、勢いそれは矢となって猛烈な速度で木の隙間を縫って魔獣へと殺到する。
ズドン、と腹に響く音と共に森が爆ぜた。
「やったか!?」
「シリウスくん、それやってない時のヤツだよ…」
アンの言葉通り、煙の向こうから魔術が飛んできた。しかし魔獣が放ったその術は、眼前で透明な壁にぶつかったように弾け飛ぶ。
「炎属性だったか」
「残念」
基本的にその魔獣がどんな属性の魔術を得意とするかは実際に使ってこないとわからない。得意属性の魔術は通りにくいからさっきのアンの魔術も致命傷にならなかったってわけだ。こればかりは運である。アンの得意属性も炎だからそれで攻撃したまでだ。
「もう大丈夫」
心配そうに見ているハイディの頭に手を置いてアンが言う。
魔法が通じないと判ると、魔獣は体を起こして突進してきた。熊よりも大きな黒犬だがその巨体をものともせず木の方が避けているような速さで間合いを詰めてくる。
このあたりにこれほどの魔獣が潜んでいたとは正直予想外だった。もしかするとこの辺のヌシなのかもしれない。
しかしこの程度、魔王が「改造」して迷宮を護らせていた魔獣たちとは比べるまでもない。
「せいっ!」
俺は障壁から飛び出して魔獣に切りかかる。黒犬は自分の毛皮の防御力を確信しているのか避けようともしない。そんな魔獣のわき腹を俺の剣はたやすく切り裂いた。剣自体が王様から下賜された値段もつかないような業物だと言うのもあるが、それを魔術で強化して俺の力と技術で振るえば大体のものは切り裂ける。
「グギヤアアアア!!」
魔獣は悲鳴を上げながら素早く距離をとるが、そこにアンの魔術が叩きつけられた。先ほどの反省を生かして氷の魔術だ。火の魔術が得意な魔獣は氷に弱いことが多い。狙い通りかなりの効果があったようだ。
巨大な氷塊が斜め上から黒犬を貫き、地面へと縫いつけている。傷口から氷が浸食して、徐々に魔獣の体力を奪っているはずだ。アレ、きついんだよな。
黒犬はしばらく俺達を睨みつけていたが、徐々にその呼吸が浅くなり、ついには止まった。
これで討伐は完了だ。
「終わったのですか?」
「ああ。あとは魔石を回収しておしまいだ」
魔石というのは、魔術を使い続けていると頭の中にできる石で、いろいろな道具の材料になったりするので良い値で売れる。別に金に困っているわけではないが手には入るものは手に入れておいた方がいいに決まっている。
「魔術で焼くから、離れていなさい」
「あ、はい、ごめんなさい」
初めて見る魔獣の死骸を興味深そうに観察していたハイディに声をかけると、詠唱を始める。魔石はなぜか魔術で破壊できないので燃え滓から簡単に回収できるのだ。
この仕事は昔から俺の役割だった。迷宮での連戦を考えたときにアン達本職の魔術師の力を温存するための役割分担だ。
俺もアンも、油断しきっていた。
こんな所に魔獣などそう何匹も居るものではないと信じ切っていた。
だから。
突如俺達の背後に現れた二匹目の魔獣に咄嗟に対応できなかった。
魔術の行使には詠唱時間が必要だ。詠唱の短い低級の魔術ではこの二匹目の魔獣、巨大な双頭の黒犬には目くらましにもならない。
俺は死骸を焼くための詠唱を継続しながら剣を振り抜いてハイディに襲いかかろうとしている犬に突っ込む。
人間の頭よりも大きな顎がハイディに近付いていく。それが妙にゆっくりと見えた。
間に合うか!?
全身の筋肉が悲鳴をあげるがそんなのは関係ない。今はハイディを助けることだけを考えろ!!
「やめろおおおお!!」
後一歩が届かない!!
目の前で大顎がゆっくりとハイディの頭を飲み込んでいき…
そして、爆散した。
ぴぴっ、と魔獣の血が頬に当たる感触で我に返ると、そこには下半身だけの魔獣の姿があった。境目からは絶え間なく血があふれ出していて、立ち尽くすハイディを深紅に染めていた。
やがて魔獣はすべての血を吐き出し、その場に倒れた。
何が起こった?
俺は一部始終を見ていた。見逃すはずがない。こんなに集中していたのなんて、かつて魔王と戦ったときでもなかっただろう。
結論。
俺の子、凄い。
「や、やってしまいました」
振り返ったハイディは自分が成しとけたことの凄さを知ってか知らずか引きつった笑みを浮かべていた。
俺達でさえも苦戦するであろう巨大な双頭の黒犬の上半分を、殆ど無詠唱に近い、つまり初級の魔術で消し飛ばしてしまったのだ。十歳にもならない子供ができることじゃない。
見れば、アンが誇らしげな顔で立っている。俺も同じ気持ちだ。
「よくやった」
ぽん、と頭に手を置いてほめてやる。勢い余ってグリグリしすぎたせいか、最後には身をよじって逃げられたほどだ。
「とりあえず、早く帰ってお風呂にしましょう」
「「異議なし!」」
何しろ三人とも返り血でどろどろだった。
俺たちは油断なく死骸を焼いて魔石を回収し、うちの子自慢をしながら家路についた。二匹目の魔獣から出てきた魔石は、ちょっと引くぐらい巨大だったことをお知らせしておきたい。
途中、あまりにも褒めすぎたせいでハイディが少し不機嫌になってしまったのもご愛嬌だ。
五日後ぐらいまでは毎日更新しますね・・・そこから先は神のみぞ知る・・・