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苦手な方はご注意ください。

魔女メリッサの物語~星の魂を抱く女~

作者: でらく

         1


 九九の惑星に伝説をなす希代の魔女。

 呪いによって時間をとめられた女。

 幾多の戦場を駆けめぐった銀河最強の魔術師。

 しかし彼女はまだ一度も勝利を味わったことがない。

 メリッサ。

 それが彼女の名前。

 メリッサ・ライハート。

 星の魂を抱く女。


         2


 その惑星は《廃墟》と呼ばれていた。かつては別の名前があった。それを覚えている者はひとりだけ。

 メリッサ・ライハート。

《廃墟》の魂は彼女の心のなかにある。

 かつて《廃墟》には緑があった。

 いまあるのは毒ガスの大気。

 放射能に光る大地。

 炎が吹き荒れる海。

 緑のなかに息吹いていた生命はいまもある。姿を変えて。かつては草であったもの。かつては鳥であったもの。かつては獣であったもの。かつては人であったもの。

 毒手をもって動きまわる、人の顔をもつひまわり。おのれの尾を食み、最後にはおのれ自身を食いつくして消滅する、人の顔をした蛇。毒の大気で頭部をふくらませ浮遊する人面魚。マグマの海に産卵する、人の顔を背負ったカエル。大地に同化し、狂った哲学を思索する人面岩。身体じゅうに瘤をこさえて地面を蠢き這いまわるイモムシ人間。股間に顔をぶらさげた男。大地に根をおろし、光合成をする女(毒ガスを吸い、放射能を養分にしてより強力な毒を合成)。腹に口をもったひとつ目の巨人。頭を三つ生やした巨大な胎児。

 狂った生態系。狂った生命。

 狂った惑星。

 ありとあらゆる歪んだ命がそこにある。

 それが《廃墟》。

《廃墟》はかつて美しい星だった。けれど《聖戦》に負けた。だから醜い星になった。

 メリッサは《廃墟》を守れなかった。

《廃墟》がまだ《廃墟》でなかったころの《廃墟》を。

 ほかの九八の惑星同様。

 その惑星の公転周期で二〇一年ぶりに、メリッサは《廃墟》にもどってきた。二〇一という数字に意味はない。彼女がこの星を去り、九九番目の星を失うまでにそれだけの年月がかかっただけのこと。

《廃墟》に降りたち、メリッサは大地に穴を掘った。壁を固め、棚とテーブルとスツールを運びいれ、空調設備を設置し、店を開いた。

《メリッサの地下酒場》

 彼女はそう名づけた。

 そして──だれも訪れるはずのない店で、彼女はバーテンと客の役をひとりで交互に演じつづけた。

 現実を忘れるために。

 孤独を友にするために。


         3


 店を開いて一三年め。

 はじめて客が訪れた。

 メリッサみずからが演ずる偽りの客でなく、本物の客。

 メリッサはさして驚く風もなく、客を迎えいれた。驚きは、彼女がとうの昔に捨て去った(つもりの)感情のひとつだった。

 客は銀河でもっともありふれた服装をした、もっともありふれた顔をした、もっともありふれた若い男だった。

 そして男から見たメリッサは漆黒の赤い髪をしていた。金色の左の瞳に深い絶望を宿し、右の青い瞳にはなにも宿していない。メリッサ・ライハートはありふれていなかった。彼女は美しい。だれの目にもそう映る。美しい、大人びた少女。

「ここは腐った放射能の臭いがする」

「空調器がイかれてるのよ。注文は?」

「グレン・フェディック。ロックで」

 メリッサは冷凍マグマを砕き、グラスにいれた。酒をそそぐ。

「名前は?」

「グレン」

「本名?」

「便宜」

「なんの用?」

 グレンはこたえなかった。グレンは酒をすすった。長い沈黙。そして質問。

「ここにはたまに客がくるの?」

「あなたが最初よ」

「なぜこんな場所に?」

「ここならだれにもわずらわされないから」

「なぜ酒場を?」

「心の安らぎがあるから」

「時がとまるとは、どういう感じがするものなんだ?」

「地獄よ」メリッサはこたえる。「永遠に死ぬこともなく、歳をとることもない。成長しない。肉体も。心も。それがあいつの呪い。だからあたしはあいつを憎悪する」

「あいつ?」

「幾多の星々を殺しつづける《皇帝会》。その頂点に君臨する──《皇帝》」


 銀河の歴史は《皇帝》の歴史。銀河のすべてを支配して、手のひらで踊らせる。

 それを許せぬ者もいる。その者らが成す自由をもとめて臨む戦い──それが《聖戦》。

 けれど《聖戦》が成就したことはない。することもないだろう。

 だからメリッサはいまここにいる。

「なぜ《皇帝》はきみに呪いをかけた?」

「《皇帝》に挑み、負けた。ただそれだけのこと。それ自体はたいしたことじゃない」

「最強の魔女すら《皇帝》には勝てない?」

「戦ったのは一度。そしてあたしは負けた。それがすべて。あいつの正体はだれも知らない。得体の知れないものに手を触れることはできない──あなたの目的がそれなら、さきにいっておく。あたしは二度と戦わない」

「わたしは《皇帝》には興味はない」

「ならなぜ、あたしに遭いにきたの?」

「きみが必要だから」

「あたしの力が、でしょ?」

「きみがだ」

「おなじことよ」

「どうすれば呪いは解ける?」

「もう一度、《皇帝》に会うこと」

「会うだけでいいのか?」

「敗北のあと、あたしを見おろしあいつはたしかにそういったから。もう一度会えたなら、呪いを解いてやってもいいと。だけどそれはむずかしい」

「なぜ?」

「正体のわからぬものを、この無限なる銀河のなかからどうやって探せばいい?」

「なるほど」

 うなずき、グレンは二杯目を頼んだ。 

 そのとき、また店の扉の開く音がした。 

 

         4


 訪れる者などいるはずがない酒場に、つづけて客がやってくる。

 たまにはそんなこともある。

 現れたのは、燕尾に蝶ネクタイをした太ったペンギン。名前はペリカン。ペンギンだけどペリカン。肩書は大尉。ペリカン大尉。とても偉そう。態度もでかい。

 おまけに頭に大きなナメクジを飼っている。試験管で再生された脳細胞の塊。でも生きている。

『魔女発見! ようやく見つけた! 魔女発見! 魔女発見! 危険危険危険! 殺す』

 二本の角をすりあわせ、ナメクジが騒ぐ。

「えい、うるさい」

 ペリカン大尉はナメクジをはらい落とした。扁平足で踏み潰す。ナメクジは静かになった。

「あ、さて。おほん。我輩は──」

「注文は?」

 にっこり笑い、メリッサは新たな客を迎えいれる。

「我輩は──」

「注文は?」

「我輩は──」

「ここは酒場よ。自己紹介はあと」

「我輩をおぼえておらぬのか?」

 もちろんメリッサはおぼえてる。

 燕尾のペンギンはペリカン大尉。ペリカン大尉は《皇帝会》の準貴族。かつてはかの有名な男爵の側近だった下司。《皇帝会》は《皇帝》の代弁組織。銀河を支配している傍若無人な最狂集団。

 メリッサは《皇帝会》に因縁がある。でもそんなことは、いまの彼女には無関係。

「ここは酒場よ。注文がさき。話はそのあと」

「では注文しよう。我輩が欲しいのは──」

「欲しいのは?」

「魔女の死だ」

 爆発がおこった。

 爆発したのは店の外。

 爆発したのはメリッサの船。この惑星にくるとき乗ってきた星間船。店先に、ずっと野ざらしにされていた船。

 天から降りそそいだわずか数発のエネルギー弾が、その船を粉々にした。

 そして彼女は気がついた。

《廃墟》をとりまく六万隻の艦の存在に。彼女の研ぎ澄まされた超感覚的知覚がそれをとらえる。巧妙に配置されたペリカン大尉の小艦隊。

「やってくれるわね」

「これでそなたは逃げられぬ」

「それはどうかしら?」

「この惑星を中心にした六芒の各頂点に結界艦を配置。希代の魔女とて、六万の艦が産みだす結界のなかでは力は使えまい?」

「《皇帝会》の命令?」

「是。銀河の美観をそこなう《廃墟》の排除は《皇帝会》の意向。魔女の死は我輩の望み」

「ペンギンごときがあたしに復讐?」

「君主の恨みは臣下の恨み」

「ヒ・ソムトール・ラ男爵はお元気?」

「我が君主は死んだ。そなたが殺した」

「じゃ、あんたの足元で蠢いてるものは?」

「ラ男爵のなれのはて」

 ペリカン大尉は足をどけた。潰れたナメクジはアメーバになっている。アメーバはぐつぐつ煮えだち、ナメクジ姿にもどりだす。

『魔女発見危険! ラ男爵は偉大! たくさん星を支配する! 《皇帝会》の大実力者! 立派! ラ男爵は皇帝陛下の忠実下僕! 魔女に殺されかわいそう。だから魔女はキライ! キライキライキライ!』

 叫び、騒ぎ、怒りまくってペンギンのまわりをぐるぐるまわる。ペリカン大尉はうんざりし、もう一度ナメクジを踏み潰す。今度は時間をかけてぐちゃぐちゃに踏みにじる。

「そなたに殺され三百年。ようやくこれだけ再生成功。魔女への恨みだけで生きておる。でもうるさい。だからいつも踏み潰して黙らせる。けっこう楽しい。だが我輩は悲しい」

 液状化したナメクジが、ペンギンの足の下から這いだしてくる。ふたたび固形化すると、ぴょんぴょん跳びはね、ペンギンの頭にのっかかる。ペンギンの目から涙がこぼれた。

「我が主君のこのみじめな姿を見るたび、胸が張り裂けとてもつらい」

「それは悪いことをしたわね」

「三〇分後に総攻撃をおこなう。するとたちまち《廃墟》は銀河から消える。ついでにそなたも死ぬ」

「たぶん無理ね」

「では、ごきげんよう」

 ナメクジを連れて、ペリカン大尉は帰っていった。


         5


 ペリカン大尉が去って二五分が経過。グレンは三杯目を頼んだ。

「ラ男爵というのは?」

「《皇帝会》の貴族だった男。無数の砲台で表面を塗り固めた人工惑星の中心に自分の脳を埋めこみ身を守ろうとした究極の臆病者。胎内回帰の権化。百万の艦をもち、三百の星を支配していた。そしてその三百の星に災厄と破壊と余興をもちこんだ。だからあたしが殺した」

「災厄と破壊はわかる。余興とは?」

「《皇帝会》にさからった星はみんな死ぬ。《皇帝》にかしずいた星はかろうじて生きのびる。たとえばペリカン大尉の出身星、惑星《ペ》もそのひとつ。かつておきたある《聖戦》で、惑星《ペ》は《皇帝会》側についた。気高い敗北より生きのびることをえらんだ。結果、惑星《ペ》はラ男爵の支配星のひとつになった。そのときラ男爵は惑星《ペ》上の高等器官を有するすべての生命体を──人間もふくめて──ペンギンの姿に変えた。意味もなく。ただなんとなくおもしろそうだと思ったから。それが余興。銀河には《皇帝会》の余興で姿を変えられた星がごまんと存在する」

「だがそのおかげで、死ぬことはない?」

「それも星の在り方のひとつ。非難はしない」

「では、あのペリカンペンギンは?」

「あいつは野心家な臆病者。惑星《ペ》が《皇帝》にかしずいたとき、まっさきにラ男爵にとりいり、腹心となった」

「そして主君の仇をとるため、きみを狙う?」

「あいつにそんな忠義は存在しない」メリッサは冷たく微笑した。「世渡りの小狡さで、あいつはいまの地位にいる。《皇帝会》の意志決定機関──評議会。ラ男爵が死んだとき、あいつは評議会にもとりいった。そしてラ男爵の地位と百万の艦、三百の星を相続する権利を手にいれた。その相続の条件が仇討ちなだけ。あたしの死とひきかえに、あいつはラ男爵の遺産を手にいれる。そのためやむをえず、あいつはあたしを探してた」

「だがきみには呪いがある。死なない者をどうやって殺す?」

「なんらかの方法であたしを無力化し、その状態を可能なかぎり維持する。わかりやすくいえば『封印』。それが《皇帝会》が定義するあたしの『死』」

「なるほど。そのための結界艦か」

 攻撃がはじまった。

 六万隻の艦の一斉斉射。

 それは惑星《廃墟》をわずかな時間で粉々にする。

 毒の大気が渦をまく。放射能の大地が引き裂かれ、マグマの海に呑みこまれる。マグマはさらに荒れ狂い、毒の大気をも焦がす。

《メリッサの地下酒場》は大きくゆれた。

「この星はあたしが救えなかった九五番目の星」

 優しく目を閉じ、メリッサは思いだす。《廃墟》におきた悲惨な戦い。壮絶な悲劇。いま、それをおぼえているのは彼女だけ。

「この星は《皇帝会》に戦いを挑み、負けた。かつてこの星には緑があった。生命に満ちあふれていた。七〇億の人間が暮らしていた。敗北は災厄。大破壊のあと、生きのびた生命はごくわずか。《皇帝会》はそのわずかな生命すらもてあそんだ。生体実験という名の余興。いまこの星に真の生命は存在しない。死んだ惑星の上に、生きた屍が這いまわっているだけ。まもなくこの星は銀河の塵となる。敗者は埋葬され、塵となる。それが運命。いずれ、あたし自身の手でそうするつもりだった。手間がはぶけた」

「なぜ逃げない?」

「あたしは逃げた。これ以上星が死んでゆくのを見るのがいやだったから。だからすでに死んだ星にきた」

「いまならまだ脱出できる」

「結界のせいであたしは力が使えない」

「最強の魔女がこの程度の結界で?」

「もうずっとまともに使ってなかったから。力の使い方を忘れてしまった」

「忘れたものは思いだせばいい。とりあえずわたしの船を使えば、脱出できる」

「けっこうよ。どうせあたしの時間はとまっているもの。死ぬことはない。でもあなたは──死ぬ。だからそろそろ去ったほうがいい」

「わたしの時間もとまっている」

 不意打ち。メリッサの青い瞳に興味が宿る。

「あなたは何者?」

「何者でもない──いまはまだ」

《廃墟》はもう大部分が崩壊していた。

 地下酒場はまだ原型をたもっている。

 かろうじて。

「ここから一番近い星ですら、一〇八光年の彼方にある。この星が消滅すれば、きみはなにもない空間にとりのこされる。結界のなか、きみは暗黒の闇をさまよう放浪者になる」

「それも悪くない。虚空をさまよい、恒星の輝きを永遠に眺めつづける。そう、永遠に。あたしはもう、二度と星に降りることはない。生きた星にも、死んだ星にも」

「きみはまだそのつらさを知らない」

「まるで知ってるようないい方ね」

「わたしは知っている」

「あらそう?」

「きみはまだ、永遠を語れるほど永くは生きていない」

「かもね。だけどあたしはもう、二度と星の死を見たくはない。それがどれだけ悲しいことなのか、あなたは知らない」

「それは悲しいことではない」

「わかった風なこといわないで!」

 メリッサは怒鳴る。ずっと忘れていた感情のほとばしり。怒り。

 グレンは穏やかな笑みを魔女にかえした。

「銀河には無限の星がある。その多くは、いまもなお死につつある。《皇帝会》の手によって。そして、きみは星の魂を抱きとめる。きみに看とられ逝く星は幸福だ」

 メリッサはじっと男を見つめる。その言葉の意味を考える。だがわからなかった。

「なにが望みなの?」

「ある星がまもなく死ぬ」

「《皇帝会》のしわざ?」

「厳密にはちがうが、きっかけはそうだ」

「あたしにその星を救えと? ナンセンス。あたしが救おうとして救えた星はひとつもない」

「いったはずだ。わたしに必要なのはきみだと。きみの力ではない」

「どうちがうの?」

「きみはなにもする必要はない。ただ──その星の生きざまを見届けてくれれば、それでいい」


         6


 消滅間近の壊れた惑星ホシに、船が一隻降りてくる。

 船体は銀色の螺旋貝。巨大な疑似生命。生きた船。その潜在能力は無限。グレンの船。

 それは、幾多の星々を渡り歩いたメリッサでさえはじめて見る型の船だった。

「この船は銀河に一隻しか存在しない。きみのためだけに造られた船」

「なぜあたしのために?」

「最強の魔術師には最強の船こそふさわしい。好きな名前をつけるといい」

「こんなもの、あたしは受けとらない」

「いいや。いずれきみは受けとることになる」

「あなたは予言者?」

「ちがう。さあ、乗りたまえ」

 ふたりは乗りこんだ。


         7


 魔女の力を封じる結界発生器を載せた六万の艦には、さらにその一千倍の兵器が搭載されている。物理科学の限界と超技術が融合し、《皇帝会》が破壊をテーマに造りだした芸術作品の数々。

 その六万の一千倍個の芸術品が、《廃墟》にむかって引き金をひく。

 星の爆発は美しい。たとえ死んだ星であっても。その瞬間が、ペリカン大尉の大好物。星の爆発を観て、美酒に酔う。ペリカン大尉はこれまで十六個の星を破壊したことがある。たった十六個。これでようやく十七個。かつてラ男爵が壊した星の数には、まだまだ遠くおよばない。

『いいぞいいぞいいぞ! 撃て撃て撃て撃てもっと撃て! 殺せ殺せ魔女を殺せ! やっつけろ!』

 旗艦の艦橋。あいかわらずナメクジは騒々しい。いまは興奮してもとの大きさの十倍に膨らんでいる。ペリカン大尉の頭の上で。

 ペリカン大尉はナメクジを投げ捨てた。光線銃で焼きはらう。ナメクジは八つの破片に飛び散った。破片はもぞもぞ蠢き一カ所にあつまる。おたがいを吸収しあい、もとの一匹のナメクジにもどる。

 ペリカン大尉はつぶらな目をスクリーンにもどす。

 そこにはもうなにもない。六万の艦に包囲されていた星は完全消滅。《廃墟》は銀河から消えた。

 そして警報が鳴る。

 スクリーンの中央に見知らぬ船が一隻。

 銀色に輝く螺旋船。

「なんだ、あの船?」

『魔女といっしょにいた男の船! きっとそう!』

「なにをいっておる? あそこには魔女以外だれもおらんかったではないか?」

『いたいた! 絶対たしかにまちがいなく! ペンギンのペリカンの目は節穴! ペンギンのペリカンはバカアホマヌケ! 愚か者! 愚か者には見えない男! 魔女といっしょにいた男!』

「黙らっしゃい!」

 ペリカン大尉は光線銃をふたたび撃った。ナメクジは避けた。ナメクジだって、すこしは学習能力がある。

『クヤシイクヤシイ! 魔女死んでない! 魔女あの船の中! まだ死んでない! あの船の中! はやく殺す! 撃て撃て!』

「いわれんでもそうするわい!」

 かくてペリカン大尉は命令をだす。指揮官らしく、毅然とした甲高い声で。

「全艦、斉射」


         8


 六万の一千倍の兵器が斉射を再開。

 ありとあらゆる破壊の弾が、銀色の螺旋船に降りそそぐ。

 かつて《廃墟》のあった場所にふたたびおこる爆発と閃光。

 一個の惑星を、瞬時に消滅させるだけのエネルギー。膨大な破壊のエネルギー。

 さすがに、そんな破壊の力に耐えうる船は銀河には存在しない。それが常識。

 例外もある。

 銀色の螺旋船。

 螺旋の船はその身に降りそそぐエネルギーをすべて吸収し、べつの形態へ変換してみせる。膨大な破壊のエネルギーを細かい粒子へと切り刻み、まばゆく輝く金色の帯にする。金色の帯へと変換し、螺旋船の外殻にからみつかせる。

 かくて銀色の船は金色の衣をまとった姿で、ペリカン大尉の旗艦めがけて突き進む。

 光の速さで。

 螺旋の船は武器はもたない。ただ突進するのみ。

 あえていうなら、身にまとう光の衣が唯一の武器。

 旗艦に体当たり。

 旗艦は避けきれない。

 螺旋の先端が回転しながら、旗艦の腹部を容赦なくえぐる。

 腹部をえぐり、巨艦の内部へ侵入し、光の衣を脱ぎ捨てる。

 衣に凝縮された破壊のエネルギーが、旗艦内部で弾け散る。

 弾け散り、爆ぜまわり、暴れまくる。

 旗艦の爆発。

 となりにいた艦も爆発にまきこまれる。その艦の爆発に、そのとなりにいた艦がまきこまれる。誘爆。連鎖反応。旗艦のまわりに密集していた約一万の艦のほとんどが爆発。

 ペリカン大尉は死んだ。

 大尉を失ったのこる五万の艦は退却。

 そして──なれのはてもたぶん死んだ。


         9


・なんびとも光速を越えることはできない。

・質量は保存される。

       ──銀河を支配する永久不変な物理法則の代表例


・永久不変にも例外がある。

・銀河は例外だらけ。

       ──エシャーの格言


         10


 船は銀河を飛翔する。

 通常空間を切り裂き、エシャーをくぐって星から星へと移り跳ぶ。


 エシャー


 銀河最初の魔術師にして大数学者エシャーが見つけた疑似空間。発見者の名をとりエシャーと命名された亜空間。永久不変なあらゆる物理法則を無効化する超空間。すべてを可能にする万能空間。エシャーはどこにでもある。通常空間と表裏一体。

 船はエシャーをくぐって星から星へと移動する。またたくうちに。エシャーをくぐれば、どれだけ離れた距離もゼロになる。理論的には。

 螺旋の船はエシャーをくぐり、突きぬけた。

「跳躍誤差なし。目的地まで通常航法であと三日」

 グレンが確認。航法装置から離れ、メリッサを見る。魔女は舷窓の彼方を見つめている。

「きみを探しだすのに、標準時間で一九年と三カ月かかった。そのあいだに、わたしはこの銀河のことをいろいろ知ることができた」

「まるで、それまで銀河にでたことがなかったみたいね」

「きみを探すため、わたしははじめて自由に銀河を飛翔した。そしてわたしは銀河を知った。だがまだ、わからないことも多い」

「たとえば?」

「なぜ《皇帝会》は星々を破壊するのか? そのことになんの意味があるのか?」

「くだらない質問。《皇帝会》は支配者の論理にしたがっているだけ」

「論理?」

「敵対する者は排除する。意にそわない者は抹殺する。だから見せしめのために星を殺す。星を殺せば、その上に生きる者も生きてはいられない。それからもうひとつの論理」メリッサは嫌悪に顔を歪めた。「力をもつ者はその力を誇示したくなる」

「きみもそうなのか?」

「かつてはね。だからあたしは《皇帝》に挑んだ。そして負けた。完敗だった。それでもあたしは許せなかった。銀河を支配する《皇帝会》の暴政と弾圧を。その頂きに屹つ《皇帝》が。《皇帝会》は被支配者を手のひらでもてあそぶ。星をいたぶり、その上にあるあらゆる生命の血を搾り盗る。形あるものを毀す。それに勝る快楽はない。やつらはそう云う。それが許せなかった。だから戦った」

「なぜ戦いをやめた?」

「無意味であることに気づいたから。多くの惑星の多くの生命が、《皇帝》と《皇帝会》に無謀な戦いを挑み、死んだ。前にもたしかいったはず。あたしが守ろうとして守れた星はない。もしあたしが、おなじ惑星にずっといつづけることができるなら、その惑星を永遠に守りつづけることもできるかもしれない。けれどそんなことは無理。あたしがその惑星を去ったとたん、その惑星はたちまち殺される。《皇帝会》にさからった星はみんな死ぬ──その言葉が証明されるだけ。そのくりかえし。だから戦いをやめた。無謀な戦いをくりかえすことにどんな意味がある?」

「いまでも、多くの星が挑みつづけているときく。なぜそれを無謀と決めつける?」

「しょせん、勝てるはずのない戦いだから。それほど、《皇帝会》は強大。強大な兵力。強大な権力。強大な破壊力。強大な支配欲。傲慢と無慈悲。《皇帝会》にはそれがある」

「だから、戦うのをやめたと?」

「疲れたのよ。敗北を経験するたび、星を失うたび、星の死を見届けるたび、あたしの心に遺るのは空虚と孤独だけ。呪いがあたしに死ぬことを許さない。だけど──あたしが守ろうとしたもの、愛したものすべてが、あたしの手の指のすきまからこぼれ散って逝く。それが耐えられなかった」

「うそだ」

 グレンはきっぱりいった。

 メリッサは慄いた。すべてを見透かすグレンのまなざしに、その言葉に、恐怖した。グレンはありふれた男だ。だが真にありふれた者など、この世には存在しない。それゆえに、グレンはだれよりも非凡。

「うそじゃない!」

 メリッサは叫ぶ。

「ならなぜ、呪いを解こうとしない? 不死でありつづけるかぎり、きみはきみ以外のなにかをつねに失いつづける。その運命から逃れられないことはあきらかなのに? なのにきみは、現実を忘れるために《廃墟》に逃げた」

「いったはずよ! これ以上、星の死を見ることに耐えられなかったのよ。呪いを解くこと。それはすなわち、現実に関わること。銀河には無限の星がある、その多くがいまもなお殺されつつある。その現実に、あたしはもう関わりたくない。どうせ殺されるのなら、あたしの見えない場所で勝手に殺されてゆけばいい」

「本気でそう思っているのかい?」

 メリッサはこたえなかった。

 深い沈黙。

 グレンがいった。

「きみは死を恐れた。不死でなくなることに怯えた。だから、呪いを解くのをやめた」

 メリッサはまだこたえない。そう、たしかに彼女は死を恐れた。いまも恐れている。潜在意識のなかで。

 長い沈黙。

 ふたたび、グレン。

「きみが見届けてきたのは、幾多の星の死ではない。その星の生き様だ。その星の上で精一杯生きようとあがきつづけたあまたの生命の生き様を、きみは見届けてきた。そしてきみの心は、それら──彼らの魂を受けとめた。いま、それら星々の魂はきみの心のなかにある。きみは、いまは亡き生命と星が、かつてまちがいなく銀河にあったことを知る唯一の人物。いわばきみは記録だ。きみの死は、記録の消失──すなわち星の魂の消失を意味する。そしてきみは、きみの心が抱きとめた星々の魂を守りたいと願っている。その唯一の方法は、つねに不死でありつづけること。きみは死ねない。星の魂のためにも。だから、きみは呪いを解くのを恐れた」

「だとしたら?」

 ようやく、メリッサは認めた。グレンが指摘するのは、彼女の心を縛る重い枷。自由を奪う、固い鎖。

「いったいなにがいいたいの、グレン?」

「だからこそ、わたしにはきみが必要だということだ」 

「なんて名なの? これから赴く星の名は?」

 まだ見ぬ死にゆく星に、彼女は想いを馳せる。螺旋船の舷窓に映るははてなき夜の大海、波間に漂う夜光虫。恒星の輝き、光の大渦。銀河はまだまだ生命に満ちあふれている。そのなかに、ひっそりと死にゆく星もある。

「とくに名前はない。《皇帝会》は《海》と呼んでいるが」

「《海》? 《皇帝会》にしてはまともな名をつけたものね」

「即物的なだけだ」

「どうして《海》は死にかけているの?」

「それも、きみ自身の手で見届けて欲しい。《海》になにがおきているのか」

 メリッサは航法装置に寄った。装置には最新のデータベースが収納されている。が、いくら検索しても《海》の情報は現れなかった。

「どこを探しても《海》は星図に載ってない。どういうことなの?」

「《海》は銀河に存在しないからだ」

「存在しない?」

「その存在を《皇帝会》に否定されたという意味だ。すべての記録から、《海》は抹消された」

「だけど、実際には存在しているわけね?」

「そうだ。そして《皇帝界》は《海》を殺そうとしている」

「それほど《皇帝会》にとって危険なの、《海》という惑星は?」

「すくなくとも余興には適さない」

「いったいなにがあるの? 《海》には?」

「なにもない」

「なのに、《皇帝会》は《海》を殺す?」

「《海》にはなにもない。なにもないが、《彼》がいる」

「《彼》?」

「《海》に存在する唯一の生命」


 広大にして悠久、無限なる銀河のどこか、どこにでもあるありふれた星の海のかたすみに、《海》はあった。恒星の光を受けて、その惑星は青く輝いていた。

 綺麗。

 メリッサは思った。

 けれどその感動も、《海》をとり囲む無粋な影を見たとたん、失せてしまう。

 思考機械によって完全制御された八〇万隻の艦と、その艦群の中央に悠然と居座る三角錐の型をした惑星規模大の人工建造物。

 それが、邪悪な破壊の欲望をたぎらせながら《海》を威圧している。

 漆黒の大海のなか、《敵》にまわりを囲まれ《海》は孤立していた。

「たったひとつの星を殺すにしては、大仰すぎね」

 メリッサの声は震えた。驚きよりも、怒りのせいで。過去、彼女は《皇帝会》と何度も戦ってきた。けれどこれほどの規模の艦隊に遭遇した記憶はほとんどない。八〇万隻が一斉に攻撃すれば、惑星のひとつやふたつ、一瞬で粉々になる。星の死。彼女がもっとも見たくないもの。

「《皇帝会》の貴族、ミイラの艦隊だ」グレンはいった。「ミイラが所有するほぼすべての艦隊が集結している。だが、あれだけの艦があっても、《海》を殺すにはたりない」

「どういうこと?」

「《海》は特別なのだ。どんな物理攻撃も、《海》には通用しない。それゆえ、《皇帝会》は《海》を恐れ、殺そうとする」

「高度に発達した文明が《海》にはあるということ? それこそ《皇帝会》の超技術をはるかに超えた?」

「ある意味ではそうともいえる。だが《海》にはなにもない」

「謎かけ問答はもうたくさん」

 メリッサは話題を変えた。舷窓のむこうに浮かぶ三角錐の巨大建造物を眺めやる。

「あれはなに?」

「あれは《王家の墓》。業を煮やしたミイラが建造した狂気の最終兵器。艦隊の旗艦とミイラの居城も兼任している。どんな物理攻撃も《海》には通用しない。だがあれの攻撃だけは通用する」

「これからどうするの?」

「一度《海》に降りる」

「あの艦隊を突破して?」

「たいした問題ではない」

「そうね。でもなんのため?」

「きみに《海》の姿を見てもらいたいのだ」


         11


 ミイラの正体は一本の針金。炭素を媒介に金属原子が有機的に結びついた一本の頑丈な針金。生きた針金。極めて細い。だが極めて長い。

 ミイラは蛇より器用にとぐろを巻く。二本の腕、二本の脚をもつ人間の形態をとる。外見は、包帯のかわりに細い針金でぐるぐる巻きにされたミイラ。だがその実態は一本の細長い針金。残酷なミイラ。目的のためなら手段をえらばぬ男。

《皇帝会》がミイラに授けた称号は将軍。ミイラ将軍。ミイラの任務は《海》の破壊もしくは殺害。三人の前任者が失敗した厄介な任務。三人の前任者はことごとく《海》に殺された。最初の前任者が殺されたのは二千四百年前。ミイラがこの任務に就いたのは二五〇年前。まだはたせない。面倒な任務。ミイラは鬱憤がたまっている。

 しかしその任務もまもなく終わる。

 どんな物理攻撃も《海》には通用しない。

 結論───《海》を殺すのは不可能。

 ならば──《海》に死をえらばせる。

 ミイラは手段をえらばない。肉体を針金に変えたとき、不老の肉体を手にいれたとき、慈悲の心は捨て去った。痛覚も捨て去った。苦痛を感じぬ者は他人の苦痛も感じない。冷徹な針金。それがミイラ。ミイラは手段をえらばない。

 だから《王家の墓》は造られた。

《王家の墓》の頂点に赤い部屋がある。《皇帝会》にさからう愚かな星々、その星々の住人から搾りとった血で塗りたくられた部屋。ミイラのプライベートルーム、ミイラがもっともおちつける部屋──《王の間》。

 そのなかでミイラは毎日瞑想する。三〇分。それが日課。

 ちょうど瞑想が終わったとき、ミイラは報告を受けとった。『本艦隊にむかって高エネルギーが接近中』なる管制室からの報告。

 部屋の中空にスクリーンが出現。

 映しだされる螺旋の船。

 ミイラは一度、その船を見たことがある。

 記憶をたぐる。そして思いだす。

 そう、たしか二〇年ほど前に《海》から飛びたった船。《海》が建造した船。ぜひ拿捕して調べてみたかった。だが捕らえそこなった船。

 その船がもどってきた。

 なんのために?

 なんのために《海》を離れ、なんのためにもどってきた?

 その疑問はすぐ解消。

『魔女が乗ってる! 危険危険! ただちな破壊が緊急命題! 魔女危険! あの船のなか! 破壊せよ! 殺せ殺せ!』

 ミイラはわずかに驚いた。

 背後になれのはてがいた。

 魔女への憎悪だけで生きている執念の脳細胞生物、なれのはて。

 なれのはてはどこにでも現れる。

 魔女の気配を感じとり、なれのはては螺旋の船を追ってやってきた。その航跡をたどってやってきた。転送機をくぐって《王家の墓》に現れた。《皇帝会》が銀河に張り巡らせたネットワーク──エシャーを利用した瞬間物質転送機を用いて。


「ペリカン大尉はどうした、なれのはて?」

 なれのはてがどうやって《王の間》にはいりこんだかミイラは気にしなかった。しょせんはナメクジ。その行動を気にしてもしょうがない。

『魔女に殺された! 魔女は危険! ペリカン大尉殺された! ペリカン大尉は卑怯者。魔女に殺されザマアミロ!』

「魔女?」

『魔女といえばメリッサ! メリッサライライライハート! 《皇帝会》の敵対者! 最大級の敵対者! 魔女危険! 殺す!』

 なれのはてを踏み潰し、ミイラはスクリーンに目をもどす。なれのはてはこうるさい。だがうそがつけるほど利口ではない。

 すなわち螺旋の船に魔女がいる。

 すなわち《海》は銀河最強の魔術師を味方につけた。そのために船は往き、もどってきた。その意味は? その目的は?

 なんのために、《海》は魔女を味方につけた?

《海》がなにを考えているのか、ミイラにはわからない。死を決意した星が最後に放つ断末魔。そんなところか? まあ、そんなことはどうでもいい。断末魔の使い方はこちらが上手。

 ミイラは歓喜した。

 ふたたびあの魔女に会えるのだ。《皇帝会》に仇なす最強の魔術師。過去三千年、《皇帝会》の多くの貴族を殺しつづけた女。《皇帝会》のブラックリスト、その筆頭に記された名前──魔女メリッサ。

 ミイラは昔一度だけ、魔女とまみえたことがある。そのときミイラは魔女を倒しそこなった。魔女はミイラを殺しそこなった。

 その決着がつけられるのだ。

 むろんミイラは、魔女を殺せないことは知っている。

 銀河最強の魔女は文字通り不死。けっして死なない。

 だが。

 希代の魔女とて《王家の墓》にはかなうまい。そうともたとえ殺せずとも、無力化することは不可能ではない。力を失った魔女は死んだも同然。

 ミイラの細長い身体にさらなる歓喜がつきぬける。《海》のついでに魔女をも殺す。ふたりまとめてぶっ殺す! 成功すれば、《皇帝会》でも一目おかれる存在になる。ただの貴族から大貴族へと大躍進。評議会員に推薦される可能性もでてくる。すばらしい名誉、あくなき野望、現実的な妄想。

 その前の小手調べ。

 ミイラは迎撃命令をだした。

 螺旋の船を撃ち落とせ!

 失敗。

 螺旋の船は攻撃をすりぬけた。


         12


 螺旋の船は艦隊を突破し、《海》に降りた。


         13


《海》はまさしく海だった。

 見渡すかぎり、大洋がひろがっている。

「この惑星に大陸はない」

 グレンがいった。

「なにもないとは、そういう意味?」

「それもある」

 言葉すくなにグレンはこたえ、船の操作に集中する。

 螺旋の船は、北の極地にまず降下した。

 そこは凍てついた大気が吹き荒れる極寒の海。冷気が海面を凍らせる。薄氷が積み重なりかりそめの大地となっては、氷河を創る。氷河は割れ、轟音とともに沈みゆく。狂乱する、猛々しい海の姿がそこにある。

 そこから、螺旋の船は南下した。

 吹雪はしだいに雨へと変わり、その雨もいずれやむ。荒れた海から、穏やかな陽気に照らされた凪ぎの海への急変化。メリッサは息を飲む。舷窓から見おろす青翠色の静かな洋面に、螺旋の船の影が映る。澄み切った、優しい海の姿がここにある。

 さらに南下。

 つぎからつぎへと、海はその表情を変えてゆく。

 穏やかな陽気は暗い嵐へ変貌する。波濤渦巻く時化の海。

 嵐をくぐると、そこはまばゆい灼熱の海。

 赤道直下の熱帯海に、螺旋の船は着水した。ぎらつく熱射、洋面は銀色に輝いている。

「環境は悪くないわね」

 メリッサはいった。ひさしく忘れていた歓喜が胸にこみあげてくる。

「グレン、外の気温は?」

「この緯度一帯の平均気温は摂氏三六度」

「泳ぐにはちょうどいいわ」

 彼女は船の外にでた。

《海》の大気はざらざらしていた。不快ではなく、さりとて快適でもない。高濃度の二酸化炭素と窒素ガス、水素ガスからできた原始的な大気。アンモニアとメタンの微妙な臭いがわずかに鼻につく。酸素の味はしない。けれど彼女は気にしなかった。呪われた身には呼気など無意味。

 衣服をすべて脱ぎ捨て、海に飛びこむ。

 海をもつ惑星はけっして多くない。銀河のなかでも少数の、えらばれた惑星だけが海をもつ。最後に海で泳いだのはいつだった? もう何百年も前のこと? 戦場から戦場へ、惑星から惑星へと渡り歩いていたころ、その惑星に海があれば、たいてい一度は泳いだものだ。戦いのさなかの小さな娯楽。

 海は生命の源。惑星が育む神秘の泉。波間に身を漂わせ、メリッサは海を、そして《海》を感じとる。海は生理食塩水の味がした。素肌に感じる彼女の知覚が、海の成分を分析する。海は有機物質でできていた。かぎりなく水に近い、けれど水ではない液体細胞の集合体。単純な有機体のゼリー。比重はわずかに水より重い。それが《海》の海。

 メリッサは違和感を感じた。

 なにかが不自然だった。

 彼女は海からあがった。螺旋の船の外殻に寝そべり、肌を焼く。《海》を囲む無粋な艦の群が、ときおり小さな陰を落としてうっとおしい。ふと気がつけば、グレンがそばに立っている。

「説明してくれないかしら、グレン」

「なにを?」

「この惑星は矛盾してるわ」

「矛盾?」

「どれだけ感覚を研ぎすましても、生命の息吹が感じとれない」

「それが?」

「あたしは惑星に降りたときはいつも、まず最初にその惑星の大気や海に身をゆだねることにしている。そうしてその惑星にある生命の息吹を感じとってはじめて、あたしはその惑星が生きているという実感をおぼえる。星は、その上に生命があって、はじめて魂も存在する。生命を育まぬ星に魂は存在しない。この惑星からは生命の息吹は感じない。海をもつ星はかならず生命を育む──それが銀河の星々を司る絶対真理。なのに、この惑星には生命を育んだ形跡がない。なのに、実感だけはおぼえる。生命を育んだことのない星なのに、この星には魂がある」

「べつに矛盾してはいない」穏やかにグレンはいった。「きみがこの惑星にそう感じるのだとしたら、きみは正しい」

「説明になってないわ」

「説明するのはむずかしい。絶対の真理に例外はない。だが異端はある。きみのいう実感とは、おそらく《彼》のことだ」

「この惑星に存在する唯一の生命?」

「そうだ」

「何者なの?」

「《皇帝会》の敵」

「いますぐ《彼》に会いたいわ」

「きみはもう会っている」

 メリッサはグレンを見つめた。

「あなたのこと?」

「ちがう。わたしは《彼》の代理人──」

 グレンは口をつぐんだ。不意をつかれて空を見あげる。

「グレン?」

「《王家の墓》が作動した」

「作動?」

 メリッサは上空に意識をむけた。それで、彼女も気づくことができた。たしかに、なにかが近づいてきている。得体の知れない不気味な気配。

「ミイラのしわざだ」グレンの声は強ばっている。「ミイラがまた、《海》に攻撃をしてきた」

「どんな攻撃なの?」

「すぐわかる」

「ごもっとも」

 強烈な波動が襲ってきた。

 グレンは両手で耳をおさえた。がくりと膝が崩れる。顔に苦悶の表情がうかぶ。

 メリッサも耳をおさえた。眩暈。

 その瞬間、彼女のふたつの瞳から、涙がとめどなくあふれだす。

 急に、なにもかもが哀しくなったのだ。


         14


 血はミイラがもっとも好む色。

《王家の墓》の内部は大部分が血で塗りたくられている。《皇帝会》に仇なす星々の住人を捕らえ、ミキサーにかけて搾りだした真っ赤な血で。

 その《王家の墓》の中心部、すべての力場があつまる場所を、ミイラは《柩の間》と呼んでいる。《柩の間》には、人工太陽の反応炉を思わせる球状の巨大な透明カプセルがすえられている。人工無重力にささえられながら。

 透明カプセルの内部にあるのはぶよぶよした灰色の塊。灰色の塊の表面は網目状の複雑な赤いすじがうきあがり、無数のしわが刻まれている。いまその塊は、小刻みにもだえ震えていた。

『仲間! 仲間! 苦しむ仲間! ラ男爵といっしょ! オトモダチ! コワイ! カナシイ! コワイコワイ!』

 床一面にひろがる電飾きらめく吹き抜けになった朱色の制御室。そこからミイラは灰色のぶよぶよを見あげている。その足もとをなれのはてが走りまわる。ミイラはなれのはてをひょいとつかみあげた。

「そんなに気にいったのなら、おまえもなかにはいるか?」

『ミイラ残酷! 冗談キライ!』

 なれのはてはつかまれた部分を切り離し、床に逃れる。ミイラのまわりを何周かぐるぐるまわり、ぴょんぴょん跳びはね制御室から消えてゆく。

 ミイラはにやりと笑った。とぐろを巻いた針金に表情はない。くぐもった金属音が響くだけ。灰色のぶよぶよに注意をもどす。

《王家の墓》の中枢、血塗られた《死者の書》──それがぶよぶよ。

 繊細なタクシームの旋律に乗せ、灰色のぶよぶよは狂気の波動を放射する。波動が産むのは、あの世とこの世の狭間の地獄。それは《海》を苦しめ、死へと導く。不死の魔女を無力にする。

 ミイラはふたたびにやりと笑う。

 目には目を、歯には歯を。

 惑星の怪物には狂気の怪物を。

 ミイラは三〇分《死者の書》を稼働させつづけた。

 それからようやく満足し、《王の間》にひきかえす。

 腹が減っていた。

 

         15


 それは狂気の波動。

 邪悪と呼ぶにはあまりに素直で──純粋な感情の波。

 波動が伝えるのは恐怖。

 絶望。

 苦痛。

 闇に根ざした負の慟哭が、ふたりの心に侵入する。波動は渦をまき、螺旋を成してふたりの心にからみつく。万力のごとくふたりの心をねじあげ絞めつける。抵抗する意志の力さえをも融解し、ふたりの心を虚無の彼方へ追いあげる。それがミイラの最終兵器、《王家の墓》の力。想像を絶する最悪の精神兵器。

 だが、

「これは──こんなのは兵器じゃない!」

 メリッサは吐いた。赤い髪を乱し、右手で左肩を抱きしめ小さく凍える。吐瀉物にまみれながら、涙を流しつづける。

「これは兵器ですらないわ!」

 絶叫。

「こんなのはただの、ただの──」

 表現する適切な言葉が見つからない。

 嗚咽。

 涙がぽたぽたこぼれ落ちる。

「──あたしは認めない! 絶対に! こんなのが──こんなものが存在することを!」

「もう充分だ。とにかく船のなかへ」

 いびつに顔を歪め、グレンが弱々しく立ちあがる。舷門を開け、メリッサをひきずり船内へ導く。

「これを完全に遮蔽することはできない。できないことはないが、それでは意味がない。どれだけ苦しくても、これを完全に拒むことは許されない。それでもここにいれば、すこしは楽になる」

 グレンのいった通り、メリッサはすこしは楽になった。けれど涙はとまらなかった。

「この惑星になにがおきているのか見届けて欲しいと、あなたはいった。これが──これがそうなの?」

 立ちつづける気力もなく、魔女は膝をついている。眼をかっと見開き、責めるようにグレンを見あげる。

「そうだ」感情の欠落した声。「すまない。はじめから船内にいれば、そんなに動揺することはなかったかもしれない。だが、できれば白紙の状態できみにこれを体験してもらいたかったのだ。《彼》がはじめて──不意にこれを経験したときの衝撃を、きみに知ってもらいたかった」

「謝る必要はないわ」

 メリッサは大きくあえぐ。

「苦しいのか?」

「外にいたときよりはかなりまし」

「どうしても我慢ができなければ、遮蔽効果をもっと高めることもできるが?」

「けっこうよ」メリッサは首をふる。「あたしには、この苦しみを拒絶する勇気はないわ。あなたのいうとおり、これを拒むのは人として許されない。この波動は全身全霊をもって受けとめてあげなければならない。なぜだかそんな気がする。それは義務だわ。だけど──これはいったいなんなの? 邪悪さのかけらもない澄みきった精神攻撃──いいえ、そんな形容は適確じゃない」

 涙はまだとまらない。それでもメリッサはしだいに落ち着きをとりもどし、今度はみずから、遮蔽によって弱められた波動に身をゆだねる。

「まるで、そう、あらゆる生命が断末魔に受ける──おのが存在が消失すると気づいた一瞬の──衝撃を、何億倍にも増幅し、なんのフィルターも通さず直に他人の心にぶつけてくるような──そうとしかいいようがない。まちがいなくいえるのは、これが最悪だってことだけ。なぜ、なぜ《王家の墓》はこんなものが創りだせる!」

 メリッサは言葉を切る。グレンが話しだすのをまつ。そしてグレンが口を開きだした瞬間、さえぎった。

「いいえ、グレン。こたえてくれる必要はないわ。あなたがあたしになにを見届けてもらいたいのか、わかった気がする。これの正体はあたしがこの手でつきとめる。そうでなければ、あたしがここにきた意味がない」

 メリッサは涙をとめた。

 意志の力で。

 メリッサの心をさんざん踏みにじり、波動はやんだ。

 グレンは操縦席に座っている。

 メリッサはグレンの後方、ゆるやかにカーブしたリクライニングのシートに横になっている。彼女は虚脱していた。身も心も。これほどの疲労をおぼえたのは、ここ数百年なかったことだった。

「いまから五百年ほど前のことよ。《皇帝会》のある貴族の罠にひっかかって、あたしは表面温度一万二千K、表面重力四二Gの太陽に落とされたことがある。自力でそこから脱出するのに、銀河標準で七年と三二五日かかった。そのあいだ、あたしは毎日炎に焼かれつづけた。あたしは不死であっても、不死身なわけじゃない。苦痛は感じる。自分の身体が焼かれ、焦げ、ただれ、炎の嵐のなかに溶けてゆく。そして再生。ふたたび業火のなかにあたしは蘇る。そのはてしないくりかえし。それは記憶しているかぎり、あたしのこれまでの生涯のうちでもっとも苦悶と恐怖に苛まれた日々のひとつだった。いまでもときどき、あのときのことを思いだして悪夢を見る。だけどいまのあれは──」

 メリッサはシート横の小テーブルからコップをとりあげた。水を飲む。水は冷たく、ほのかに甘く、涸れてがさがさだった彼女の声に生気をもどす。

「──だけどいまのあれは、その七年と三二五日に匹敵する責め苦を一瞬のうちに、あたしの心にあたえてきた」

「きみがさまざまな地獄をくぐり抜けてきたことは知っている。いまのあれもそのひとつにすぎない」

「そう、それもとびっきりのね」メリッサは非難めいた視線をグレンにむけ、「ひとつおしえて、グレン。ミイラの目的はなんなの?」

「《海》を殺すこと。前にもそういったと思うが」

「だとしたら、どうして《王家の墓》が必要なの?」

「《海》にはどんな物理攻撃も効かないからだ」

「それがわからない」メリッサは指摘する。「惑星を殺すというのは、その惑星にある生命を殲滅し、同時にその惑星の環境をも破壊すること」

「その通りだ」

「だけどあれは──《王家の墓》のあの攻撃は──あれを『攻撃』というのなら──あれはなにも破壊しない。あれには物理的な攻撃力はなにもない。あれでは、《海》を破壊することなんかできやしない」

「もしあれを毎日浴びつづければ、きみならどうなる?」

「きっと、死にたくなる」

 グレンはうなずいた。

「つまり、そういうことだ。《海》にはどんな物理攻撃も通用しないし、《王家の墓》は物理的にはなにも破壊しない。だが《王家の墓》は、生命ある者の心を根源から破壊する」

「だとしたらミイラの目的は、正確には《海》の破壊ではなく、《彼》を自殺に追いこむことなの? この惑星にあるという唯一の生命を?」

「《海》と《彼》は同義だ。《彼》が死ねば、《海》も壊れる」

「それで納得したわ」

 グレンは螺旋の船を発進させた。

《王家の墓》にむかって。


         16


 純真で愛らしく、美しく、可憐であればあるほど料理は美味い。《皇帝会》に敵対する適当な星々や未開の惑星から、ミイラは大勢の少女を連れさらう。連れさらい、《王家の墓》の最下層にある《牢獄》に幽閉する。

 ミイラは美食家だった。

《王の間》の壁のすみで、《牢獄》からとりだされてきたばかりのふたりの可憐な少女が身を寄せあって震えていた。美食家ミイラの本日の食事。怯えは料理の味をひきしめる絶妙のスパイス。ふたりの少女は、自分たちが目の前の針金男のエサでしかないことを知っていた。

 いつもなら、ミイラは一度に三人は喰わないと気がすまない。ときには四人。そうでなければ満腹できない。

 けれどこの日はふたりで我慢した。

 なぜなら──予感があった。

 もうすぐ魔女がやってくる。

 魔女の血はどんな味がする?

 楽しみだ。

 ほくそ笑み、ミイラはふたりの少女に近づいてゆく。

 怯えるふたりの少女は悲鳴をあげた。

 ミイラが食事を終えたあとには、干からびた細切れの肉片だけがのこった。


         17


 螺旋の船が《王家の墓》に船首をむけると、《王家の墓》をとりまく八〇万の艦は整然と道をあけた。螺旋の船をさそうがごとく。

「賢明ね」メリッサはいった。「この船にはどんな物理攻撃も効かないのだから」

「この船はあらゆるエネルギーを吸収し、弾きかえす。《海》に物理攻撃が効かないのとおなじ原理だ。《海》が造った疑似生命船。この船に意志はない。心もない。あるのは自己防衛本能のみ。ゆえに《王家の墓》の『攻撃』も通用しない」

「最強の船だということは認めるわ。それに──この船のなかは暖かく、心地いい」

「気にいってくれたのなら、わたしとしてもうれしいが」

「まだ受けとると決めたわけではないわ。それより」立体スクリーンに映る《王家の墓》を睨みつけ、魔女は顔をしかめる。「これだけ接近しても、なんの抵抗もないのはやっぱり気になる。どうやらミイラは、この船にあたしが乗っていることを知ってるみたいね」

「だとしたら、どうやって知ったのだ?」

「さあ?」

 メリッサは肩をすくめる。そんなことはどうでもいい。重要なのは、ミイラが魔女の存在を察知しているということ。彼女はミイラが悪趣味な卑怯者であることを知っている。

「たぶんミイラはあたしと決着をつけたがっているのよ」

「因縁があるのか?」

「あたしのことはすべて調べつくしたのではなかったの?」

「それでもきみは謎が多すぎる。伝説はかならずしも真実を語らない」

「あたしは昔一度だけ、ミイラと対決したことがある。あたしは《皇帝会》の貴族と直接対決したときは、たいていそいつを葬ってきた。なのにそのときあたしは、ミイラを葬ることができなかった」

「きみはこれまで、どれだけの貴族を葬ってきたんだ?」

「この千年で三〇匹以上。それ以前のことまではいちいち覚えてないわ」

「たいしたものだ」

「だけどしょせんは自己満足のための戦い。貴族のかわりはいくらでもいる。いくら葬ってもきりがない。結局、あたしの力は個人の力。貴族どもは倒せても、《皇帝会》までは倒せない。《皇帝会》が保有する圧倒的な物量の前には、あたしの力なんて微々たるものでしかない」

「この船があれば、そんなことはなくなる」

「どうあっても、あたしに受けとらせたいようね」

「《彼》はこれまで、だれかに贈り物をしたことがないのだ。あたえられたことはあったが。それだけが心のこりなのだ。わかってほしい」

「ずいぶん弱気ね」

「あれを浴びつづければ、いずれ死にたくなる。きみ自身が認めたことだ。《彼》の心はもう限界にきている」

「あたしは遺言執行人になるつもりはないわ」

「《彼》はそれを望んでいる」

「まっぴらよ」

「どうやって《王家の墓》に乗りこむつもりだ?」

「このままさらに接近すれば、むこうから玄関を開けてくれるわ。だけど──そうね、素直にミイラの招待を受けるのは気にいらない」

「なら、どうする?」

「《王家の墓》の内部構造はわかる?」

「完全ではないが、おおよそは」

「それなら、話は簡単。この船を《王家の墓》に接舷させる必要もない。結界は?」

「《王家の墓》の中心部に張られているだけだ。それも、防御結界とはすこしちがう」

「だけど、そこが中枢であることはまちがいないのね?」

「どうするんだ?」

「エシャーを開くの。ああ、それと、ミイラと決着をつける前にやっておくことがあるんだけど?」

 メリッサは説明した。

 グレンはうなずいた。

「わかった。わたしにまかせてくれ」


         18


 ミイラの足音は錆びたバネ。艦隊の報告を受け、ミイラは《王の間》をでて大回廊を歩きだす。

 大回廊は瞬間転送遊歩道。ところどころにあるプレートに乗り、目的地を頭のなかでつぶやくだけでエシャーが開く。超科学が創りだす人造エシャー。人造エシャーをくぐれば目的地に着く。

 ミイラはプレートのひとつに乗った。

『魔女! 魔女! 魔女やってくる! 危険危険! 強制排除! ミイラ魔女倒す!』

 なれのはてがミイラのあとを追う。

 ──《柩の間》だ。

 人造エシャーをくぐると、目の前に荘厳な扉がそびえひろがる。やはり赤く染まった自動ドア。ミイラの気配を察知して、勝手に開く。

 魔女はすでに到着していた。

 腕を組み、気難しい顔をして灰色のぶよぶよ──《死者の書》を見上げていた。

 一見ただの小娘だが、それでも赤い髪をした女は美しい。高貴ささえ感じさせる。

 ミイラは思う──この女を生きながらえさせてきた長い時間が、この女をあらゆる意味で極上品にした。この女の血はどんな味がする? 想像しただけでミイラの全身は期待にうずき、軋む。これまで俺が喰らってきたどんな小娘よりも、美味なはず。

「ひさしぶりだな」 

 ミイラはゆっくり魔女に近づいた。

「そうね」

 メリッサはぶよぶよに視線をむけたまま。

「会いたかったぞ。五百年前、最後に会ってからというもの、一日たりともきさまのことを忘れたことがなかった」

「あたしはすっかり忘れていたわ。グレンからおまえの名前をきくまではね」

「グレン?」

「《彼》のことよ」

「《海》のことか」

「そうともいえるわね」

「なるほど、グレンと名乗っているのか。ふん、《海》もえらく人間らしくなったものだ」

「もっとも、あのときおまえの罠にひっかかったときの屈辱だけは、いまも忘れてないけれど」

「光栄だ。あれは、不死者たるきさまをこの銀河から抹消する唯一の手段だった。どうやってあの太陽から這いあがったのだ?」

「太陽全体をあたしのエシャーで包みこんだのよ。焼失と再生をくりかえすなかでの精神集中。おかげで七年と三二五日かかったわ」

「たいしたものだ」

「それより、おしえてくれるかしら、ミイラ将軍?」メリッサは右腕でぶよぶよを指した。「これはいったいなんなの?」

「なんに見える?」

「大量の脳みその集合体。それを巨大なミキサーに押しこんで撹拌したもの」

「まったくその通り」ミイラは自己陶酔し、「俺はこいつを《死者の書》と呼んでいる。俺が造った最高の芸術品だ」

「反吐がでるわ」

「これを造りあげるのにどれだけ苦労したか知れば、その考えも変わる」

「ききたくないわ」メリッサは身体の向きを変え、ミイラと真正面から対峙した。「さ、はやく五百年前の決着をつけましょう」

「あわてることはない。時間はたっぷりある。五百年ぶりの再会なのだ。決着をつけるのは、俺の苦労話をきいてからでも遅くない」

「興味ないわ」

「いや、あるはずだ。でなければ、きさまはわざわざここまで乗りこんできたりはしないはず」

「はん、なにもかもお見通しってわけね」

「そういうことだ」

 ミイラは魔女の戦法を知っていた。魔女はいつも大胆にふるまう。一気に敵の胸元に飛びこみ、その瞬間には敵の首を刎ねている。そのやり方は大胆すぎて、敵はたいてい油断する。定跡を無視して女王みずから先陣をきり、敵陣に乗りこみ王手をかけるチェスのようなもの。素人ですら考えつかない稚拙な戦法。ときに盤を二枚ならべて逃げ場を確保する。それこそが、魔女流の戦法。すべてを自分のペースに巻きこみ、一方的に王手をかける。最強の魔術師にしかできない戦い方。

 魔女のペースにはまるのは、ミイラがもっとも嫌うこと。それをふさぐ手段はひとつだけ。挑発。魔女を挑発し、ペースを乱す。その方法も、ミイラは知っていた。

「で、なにを話してくれるのかしら、ミイラ将軍?」

「これは精神兵器だ」

「知ってるわ」

「こいつを建造する理論と技術は、もう何百年も前から《皇帝会》にはあった。ところが《皇帝会》には物質信望者が大多数を占めている。物理的な大破壊をもたらすものほど美しい。精神兵器は美しくない。それが《皇帝会》の認識。だから評議会にこいつの建造を承認させるのは骨が折れた」

「おまえに骨があるとは驚きだわ、針金のくせして」

「だがもっとも苦労したのは、一万三千人の精神感応者を狩りあつめることだった」

「精神感応者?」

 言葉ではなく、心で意志を伝えあう者たち。

 魔術師とちがい、精神感応者は銀河ではさほど珍しくはない。

「なるほど、それじゃ、これは彼らの脳なのね」

「でなければ、あれほど強烈な精神波動を放射することはできまい? ふつうの人間相手に使う凡庸な精神兵器とはちがう。人工培養した脳細胞のかけら程度では、《海》を狂い死にさせることはできん。どうやって精神感応者どもの脳みそを摘出したか、おしえてやろうか?」

 メリッサはこたえなかった。色ちがいのふたつの瞳に、怒りが宿りだす。静かな怒り。彼女はめったに感情を表にださない。

 それでも──それはミイラにとってはいい兆候だった。魔女は挑発に乗った。乗らないはずがない。生命をもてあそぶ行為を前にして、この女がいつまでも平静を保てるわけがないのだ。ミイラは言葉をつづける。

「精神感応者が感応力を増幅するためにごく少量服用するレステーズ。それを大量投与したうえで、彼らを手術用寝台に縛りつけ、麻酔薬の類いを一切あたえず、頭部を切開して脳みそをとりだした」

「ふん、それで?」

「知っての通り、レステーズは感覚増強剤だ。服用者の意識を正常に保ったまま、その者の五感を数十倍高める効用がある。むろん、痛覚も増強される。レステーズを大量投与された者は、軽く肌を触られただけでも凄まじい痛みを感じるようになる。そんな状態のまま、彼らは生きたまま脳みそをえぐりとられた」

「それを、一万三千人の精神感応者全員におこなったのね。ただでさえ繊細な感覚をもつ彼らにたいして?」

「そうすることで、彼らの脳みそには、断末魔の瞬間の恐怖と苦痛と絶望が強烈に刻みこまれる。そして断末魔が強烈に刻みこまれた一万三千個の脳みそを直列つなぎにしたものが、《死者の書》の正体というわけだ。感想は?」

「最低だわ。反吐がでる。そこまでして《海》を殺す必要があるとは驚きだわ」

「人間的な心をもった惑星規模の生命体など、考えただけでも反吐がでる」

「それだけ?」

「《海》は《皇帝会》の敵対者。危険指数でいえば、メリッサ、きさまにも匹敵する」

「生命をなんだと思っているの? 殺された一万三千人のことは考えたことない?」

「この銀河は《皇帝》と《皇帝会》のものだ。恒星も、惑星も、生命も、あらゆるものすべてを我々が支配している。所有物をどう扱おうと、それは所有者の自由だ」

「そんなこと、あたしは認めない」

「きさまが認める必要はない。いっておくが、一万三千人の精神感応者はまだ死んでいない」ミイラは《死者の書》にあごをしゃくった。「あの脳みそどもはまだ生きている」

「生かされているのは、生きているのとはちがう」

「あのカプセルの内部には、つねに特殊なパルスが流れている。そのパルスは脳みそどもの潜在意識に刻みこまれた断末魔の記憶を、意識の表層へと浮きあがらせる。それがどういうことかわかるか? あの脳みそどもは、いまこの瞬間も、断末魔の恐怖と苦痛と絶望を──その悪夢の一瞬を経験しつづけているのだ」

「悪魔の所業だわ」

「永遠につづく断末魔が、精神感応者の脳みそから狂気の波動を搾りだす。カプセルのまわりに張りめぐらされた幾重もの人工結界が、狂気の波動をかろうじて閉じこめ保存する。いわば《死者の書》は、狂気の波動でぱんぱんに膨れあがった風船だ。針でつつけば風船は割れ、狂気の波動は一気に外部へ放出される。最高の精神兵器、至高の芸術作品! それが俺の《死者の書》だ」

「いいたいことは、それだけ?」

 メリッサは身構えた。怒りを宿した鋭い瞳が、殺意の瞳に変貌する。

 彼女はエシャーを開いた。

 彼女の周囲の空間が、歪みだす。

 通常、エシャーは複雑な装置によって創りだされる。だが魔術師は、おのれの意志の力でエシャーを生みだす。そのエシャーを支配し、既存の物理法則を、おのれの都合のいいべつの法則に塗り変える。それが魔術師の能力。

 メリッサが最強といわれるのは、彼女の創りだすエシャーが、あまりに強大であるがゆえ。

 メリッサが生みだす空間の歪みが、ミイラにむかって拡大してゆく。

 女王がいよいよ王手をかけてくる。メリッサのエシャーにとりこまれては、なす術はない。ミイラは先手を打った。

《死者の書》を作動させる。

 風船を割る必要はない。空気をいれる管の先をほんのすこしだけ解放してやればいい。そして狂気の波動を吹きださせるのだ。魔女に狙いをさだめて。ホースの先を指でゆるく押さえるだけで、水は勢いよく吹きだす。それとおなじ。

 細い矢のような狂気の波動が、メリッサを直撃。

 一万三千の脳が放つ断末魔の声なき叫びが、魔女の全身を穿ち、刺し、貫く。

 メリッサは膝を落とした。両手を床につき、顔を伏せ耳を抑えて泣きはじめる。《死者の書》のすぐそばで浴びる狂気の波動は、螺旋の船の外で浴びたそれよりはるかに激しく、凄まじい。その圧力は、メリッサの心を硬直させる。ミイラに抱いた怒りと殺意すら、胸の奥で空まわりするのみ。メリッサはむせび泣く。それ以外のことはなにもできない。

「ミイラ……きさま……」

「残念だったな、伝説の魔女」ミイラは勝ち誇る。「狂気の波動が《王家の墓》の外部にしか放射できないと思っていたのなら、大まちがいだ。内部にむけて放射することもできるのだよ。それも、全包囲にむけてではなく、ごく一点に狙いを絞ってな! 指向性をもたせることによって、波動は凝縮され、さらに強力なものとなる。そうそう、この俺自身が《死者の書》の作動スイッチ兼制御装置だと、気づいていたか? どうした? 身動きひとつできまい?」

 ミイラは魔女ににじり寄る。魔女の手前で立ちどまる。魔女の顔に手を添え、無理やり自分にむけさせる。

「俺の勝ちだ」ミイラを見あげるメリッサの、涙に曇った憎悪のまなざしが心地よい。「この日をどれだけ待ち望んだことか! きさまは最上のごちそうだ。ゆっくり味わい喰らってやる」

 ミイラは食事をはじめた。

 ミイラは獲物の血を搾りとる。文字通り。

 人型に巻いたとぐろを足の先からほどいてゆくのが第一歩。それから細長い針金の身体を蛇さながらにくねらせ獲物に近寄り、獲物のまわりをぐるぐるまわる。

 獲物を囲んでぐるぐるまわり、とぐろを巻きなおす。細長い針金のとぐろはしだいに輪状に積み重なって、獲物をその内側にすっぽり包みこむ。

 大蛇が獲物を絞め殺すがごとく、ミイラも獲物を絞め殺す。じわじわゆっくり時間をかけ、とぐろの直径を小さくしてゆく。やわらかな少女の肌に細い身体をくいこませ、裂き、そこからにじみでる血を全身で吸収する。それがミイラの『食事』。

 食事のあとにのこるのは、最後の一滴まで血を搾り吸われた獲物の──少女の輪切り。

 狂気の波動にさらされ身もだえうめき苦しむ魔女を、ミイラはとぐろの内側にとりこんだ。輪切りにされまいと、魔女はかたくなに抵抗する。狂気の波動を浴びつつも、おのれのエシャーを開こうとする魔女。その精神力には、ミイラもさすがに敬意をはらう。その無駄な努力を嘲り、笑う。

 ミイラは細い針金の身体で、じわじわ魔女を絞めつけてゆく。

 魔女の白い肌を裂き、血をすする。

 魔女の悲鳴。

 ミイラはその余韻を心ゆくまで楽しんだ。

 メリッサの血は甘美だった。

 一瞬だけ。

 ミイラは血をすすれなかった。

 ミイラはぎょっとなる。

 とぐろの内側にとりこんだはずの魔女が、どこにもいない。影も形もない。とぐろの内側に空洞がひろがる。魔女が消えた。

「かえすがえすも矛盾してるわ」

 背後で魔女の声がした。


         19


 立場逆転。

 女王を詰んだ直後に盤ごとひっくりかえされたようなもの。

「かえすがえすも矛盾してるわ」メリッサはいう。「あたしに呪いをかけたのは《皇帝》よ。おかげであたしは不死にされた。それゆえ、《皇帝会》はあたしをブラックリストの一番上に載せた。矛盾してるわ」

 ミイラに返答を期待したわけではない。

 こたえをきくまでもなく、メリッサはその理由を知っている。《皇帝会》は《皇帝》に代わって銀河を支配しているが、かならずしも《皇帝》の意志を代弁しているわけではないからだ。《皇帝会》でさえ《皇帝》の実態を把握しかねているふしもある。《皇帝》は余興で魔女に呪いをかけたが、その結果《皇帝会》がどれだけ被害を被ろうと興味がないのだ。《皇帝会》すら《皇帝》の手のひらで踊らされているといえなくもない。

 ミイラは愕然としていた。 

「どう……やったのだ? どうやって……俺の内側から抜けだした?」

「あたしは魔女だもの。人を欺き、騙すのが本領」

「どうやったのだ!」

 ミイラは狂気の波動の狙いを定めなおし、魔女にぶつけた。

 メリッサは微動だにしない。動揺もしなければ、涙を流すこともない。狂気の波動を浴びても平然とせせら笑う。

「馬鹿な!」ミイラは波動の出力を高めた。「なぜ平気でいられる!」

「もちろん、平気ではないわ。波動に指向性をもたせたのが、おまえの失敗。全放射だったなら、あたしにもすこしは効いたかもしれないけど」

「なんだと?」

「まだ気づかないの? あたしはここにはいないのよ。おまえが内側にとりこんだのは、あたしのエシャー」

「な──!」

 不意にミイラはメリッサのエシャーに包みこまれた。

 ミイラの内側から外部にむけて、魔女のエシャーが拡大していく。

 歪曲した空間の隙間に落ちこみ、ミイラは方向感覚を失う。周囲の光景がセピア色に染まる。いまから狂気の波動を全放射に切り替えようとしてもまにあわない。メリッサのエシャーのなかでは、メリッサが神。ミイラは無力な囚人でしかない。

「原理は簡単」メリッサは説明した。「あたしの体型に合わせてエシャーを創成し、この部屋に出現させただけのこと。言葉でいうほど楽な作業ではなかったけれど。そしてそのエシャーの表面に、グレンがあたしの姿を投影した。グレンの得意技よ。なぜならグレン自身が《海》の創ったエシャーなのだから。《海》の代弁者とはよくいったものだわ」

「畜生! ここからだせ!」

「本物のあたしがいまどこにいるのか、わかる?」

「知るか! ここからだしやがれ!」

「あたしが当面の目的をはたすまで、そこでおとなしくしていなさい、ミイラ将軍」

 魔術師はみずからの意志の力でエシャーを開く。

 エシャーは万能空間。エシャーはどこにでもあり、どこにでも通ずる。むろん、エシャーを操るのはそんな簡単なことではない。

 魔術師の能力の基準は三つある。

 ひとつは、どれだけ強大なエシャーが創れるか。

 ひとつは、同時にいくつのエシャーが創れるか。

 ひとつは、どれだけ上手くかつ迅速にエシャーを変容させ、制御できるか。

 最強の魔術師は、そのすべてに卓越している。ゆえにメリッサは、その気になればどこにでも出現できる。優秀といわれる魔術師の能力が一だとすれば、メリッサの能力は万。変幻自在にエシャーを操る伝説の魔女。それがメリッサ。

 本物のメリッサは、《王家の墓》の最下層、《牢獄》にいた。

「やっぱりね」

 案の定、《牢獄》には大勢の少女が捕らわれていた。ミイラの手でさまざまな惑星から連れてこられた少女たち。ミイラの『エサ』。

 ミイラの悪食に、メリッサはあらためて嫌悪をおぼえる。脳裏によぎるのは五百年前の屈辱。あのときミイラは自分の『エサ』を人質にとり、メリッサを表面重力四二Gの太陽に突き落とした。今度もミイラがおなじ手を使う可能性、メリッサはそれを恐れた。だからいま、彼女はここにいる。もっとも──それは杞憂に終わったが。《死者の書》さえあれば無敵と信じるミイラにはいい薬。

《牢獄》の大きさは螺旋の船より巨大だった。そこでメリッサはエシャーを開き、《牢獄》全体を包みこんだ。船倉に収容できる程度にまで《牢獄》を縮小する。

 そうして、螺旋の船へ送り届けた。

 血の色をこよなく愛する男がもっとも恐れるのは、おのれの死。

 ミイラは恐慌をきたしている。

「だせ! ここからだしてくれ! 頼む!」

 メリッサのエシャーのなかで、みっともなく哀願を繰りかえす。

 メリッサはくすりと笑った。

「その空間のなかでは、あたしがおまえの存在を否定すれば、その瞬間、おまえは消滅する。気分はどう、ミイラ将軍?」

「やめろ! やめてくれ!」

「ご心配なく」メリッサはいう。「いまはまだ、おまえをどうこうする気はないわ」

「た、助けてくれるのか?」

「とりあえず《王家の墓》の正体はつきとめた。それにあたしはまだ、《海》の真意をきいてない。ただし、条件がある」

「な、なんでもいってくれ!」

「いますぐ《王家の墓》を破壊し、この星域から立ち去ること。そして《皇帝会》に、二度と《海》を狙わないよう説得すること」

「馬鹿いえ、そんなこと……いや、待て! わ、わかった、なんとかやってみる。だから……命だけは助けてくれ!」

「情けないわね。将軍なら、もうすこし威厳たらしくしなさい」メリッサはミイラをエシャーから解放した。「それじゃ、ごきげんよう、ミイラ将軍」


         20


「ただいま」メリッサは船にもどった。「女の子たちは?」

「とりあえず落ち着いている」

「何人?」

「ざっと数えただけだが、二百人以上」

「ミイラの二カ月ぶんの食料ってわけね」

「たいしたものだ。わたしは彼女たちのことまで考えていなかった」

「そのせいで、昔、痛いめに遭っているから。あのままミイラを消してしまわなかったのが不満?」

「いや……」グレンは首をふる。「あの男は小物だ」

「あたしにとってもね。いつでも殺せる。だからあえてとどめをささなかった」

「ミイラはきみの条件をのむかな?」

「まさか。だけど、あいつは追いつめられた。つぎはむこうから、なりふりかまわずむかってくるはず」

「《死者の書》をその目で見てきた感想は?」

「あれは、この世にあってはならない」

「その通りだ」

「だけど、あれを破壊するのはあたしの仕事ではないわ」

「むろん、それは《彼》の仕事だ」

「『生きている海』のことは、昔うわさできいたことがある。まゆつばだと思ってたけど。そろそろ、なにもかも話してくれてもいいんじゃない、グレン?」

「その前に」グレンは微笑した。「きみにお客がきている」

「お客?」

『魔女魔女! 魔女発見! 危険! ダレか魔女殺す! ダレもいない! 困った!』

 どこからともなく、なれのはてが現れた。

 なれのはての騒ぎ声は神経にさわる。メリッサはなれのはてをエシャーで包みこみ、黙らせた。

「《牢獄》のなかにまぎれこんでいた」

 申し訳なさそうにグレンがいう。

「涙ぐましい努力だわ」メリッサはあきれはてる。「こうまでして、あたしを追ってくるとはね」

「どうするつもりだ?」

「どうするといわれても……」メリッサは困りはてる。「こうるさいのがしゃくだけど、まったくの無害だから。このまま消しちゃうのも哀れだし」

「このまま生かしつづけるのも哀れな気もするが。そうだ、わたしに考えがある」

 グレンは立ちあがり、船橋をでていった。しばらくしてもどってくる。細長いマニピュレーターをそなえたウサギ型ロボットをひきずっていた。埃をかぶったずいぶん古いロボットで、ひと目で故障してるとわかる。

「それって、家政婦ロボ?」

 メリッサの声が弾んだ。

「そうだが?」

「なつかしいわ」

 ロボットに近づき、メリッサは埃をはらった。

「なつかしい?」

「ええ。あたしがまだ物心つかない子供の頃、あたしの家にも一台あったわ。形はちがってるけど、似たようなのが。もう三千年以上前のことだけど」

 メリッサは感傷にひたった。考えてみれば不思議なことだと、彼女は思う。ごく平凡な惑星のごく平凡な家庭に生まれた病弱少女が、まさかのちに永遠の生を得て、伝説の魔女やら最強の魔術師とささやかれるようになるとは、当時は思いもしていなかった。

「だけどなぜ、あなたがこんな似つかわしくないものを持ってるの?」

「これは、三千年ほど前に《海》を訪れた、ある少女の遺品なのだ」グレンは家政婦ロボットを分解しはじめた。「機械部分に故障はないのだが、電子頭脳が焼ききれているせいで、こいつは動かない。動かないまま、ずっと放置してあった」

「なれのはてを電子頭脳の代用にしようっての?」

「きみへの妄執を除去し、それなりにプログラミングしてやれば、使えるはずだ」

「そんなことより、その少女のこと、話して」

「その少女は、思考する惑星でしかなかった《海》に自我をあたえてくれた。そのとき、《彼》が生まれた」

 もがくなれのはてに電極をさしこみ、グレンは語りはじめた。


         21


《海》は二〇億年あまり前に誕生した。

 海は生命の源、海はかならず生命を育む。それが惑星の絶対真理。例外はない。

《海》の海も生命を育んだ。たったひとつの、巨大な『生命』を。

 いつごろ《海》が意識をもちはじめたのかははっきりしない。なぜ意識をもつにいたったのかも、さだかでない。

 単純な有機物質でできた《海》の海、その海が創る──ときには巨大な波濤にもなる──波のうねりが、複雑にからまりあい、螺旋を成し、遺伝子の原型を形づくる。無数の螺旋の波はやがて、長い年月を経て惑星の中心部へと堆積し、凝縮され、さらに複雑にからまり結びつき『意識』を織り成すようになる。そんなところか? 重要なのは、プロセスではなく結果。

 はじめ、《海》に生まれた意識は曖昧模糊としていた。意識と呼ぶには、あまりに漠然としていた。だが《海》には時間があった。意識はしだいに輪郭を帯びはじめる。

 輪郭を帯びはじめた意識は『思索』する。『思索』は知覚を生みだす。それは人間がもつ視覚や聴覚といったものとは大きく異なっていたが、それでも《海》は、自分をとりまく外部環境を見て、感じることができた。

 漆黒の空間と、自分を照らす大きな光と、そのはるか彼方に存在する無数の小さな光。

 最初、《海》が興味をいだいたのは、自分を照らす大きな光の存在だった。光は暖かく、ときには暑いほどだった。なぜ自分は光のまわりをまわりつづけているのだろう? 《海》は考え、考え、考え……こたえはでなかった。

 それから、《海》は彼方にある無数の光のことを思索した。長い時間をかけ、それら小さな光が、すぐそばにある大きな光と基本的に同質のものだと結論する。

 しかしそれなら、それらの光はいったい何なのか? なぜ存在しているのか?

 存在にたいする懐疑。

 こたえはやはり得られない。結論を得るには、情報はあまりにすくなすぎた。《海》の知覚には限界があった。無数の光は寄せあつまり銀河を成し、銀河のなかにはさまざまな生命が息吹いているのだと──そんなことは知りようがない。

 そもそも《海》は、自分が『生命』であることにも気づいていなかった。

 そうして──存在にたいする懐疑は、やがて自分自身にむけられる。

 自分はいったい何なのだろう?

 自分はなぜ存在しているのだろう? 

《海》はこの疑問に、もっとも長く時間をかけて思索した。だが『命』なる概念までは導きだせない。《海》の意識は輪郭をもちはじめていたが、それは朧な、いびつな線でしかなかった。自分は自分であるという明確な認識はなく、《自我》もない。《海》が形成したのは潜在意識。《海》がおこなう思索は、潜在意識が見せる夢。

 そんな《海》でも、ひとつだけ導きだせたことがある。

 それは、自分は独りだということ。

 むろん《海》は、孤独という言葉も概念も知らない。

 それでも《海》は、自分が孤独であることにうちのめされ、泣いた。そして泣きながら、漆黒の空間のなか、自分を照らす大きな光のまわりをまわりつづけた。

 メリッサはうちのめされた。

 ──「きみは暗黒の闇をさまよう放浪者になる」

 ──「それも悪くない。虚空をさまよい、恒星の輝きを永遠に眺めつづける。そう、永遠に」

 ── 「きみはまだそのつらさを知らない」

 たしかに、彼女はまだ知らなかった。

《海》は知っていた。

《海》は億の単位で、恒星の輝きを眺めながら虚空をさまよいつづけたのだから。


《海》が誕生しておよそ二〇億年目。

 ひとりの少女が《海》を訪れる。

 精巧な自動操縦装置のついた小型の船に乗り、少女はひとり《海》に漂着した。

 少女は生まれてまだわずか一〇年しか生きていなかった。

 少女は精神感応者だった。それも、類いまれな感応力をそなえていた。他者の意識に感応するだけでなく、自身の心を他者に感応させることも可能な双方向テレパス。

 そしてその能力ゆえに、《皇帝会》に追われていた。

 少女を船に乗せたのは、彼女の両親。少女の両親は、娘を《皇帝会》から守るため、みずからを犠牲にして彼女を逃した。

 少女の心は、《海》の意識に感応した。少女にとって、《海》に漂着したのは偶然。だが《海》にとって、少女の出現は運命だった。

 自分以外の『意識』との接触。それは《海》に衝撃をあたえることになる。《海》ははじめて、『孤独』の意味を概念として知る。同時に、自分がもう孤独ではないということも。《海》は『生命』を知った。

 自分が少女とおなじ『生命』であることもいずれ知る。

《海》の潜在意識に流れこむ少女の心。それは潜在意識を覆う厚い黒雲を貫くまばゆい光。《海》は長い夢から覚める。《海》は自意識──《自我》を手にいれる。

《彼》の誕生。

《海》の心。

 少女と交わす心の感流は、《彼》を成長させる。少女の心を通して、《彼》は銀河のことを知る。銀河にあるあまたの生命のことを知る。

 少女の船に搭載されていたデータバンクが、《海》に知識をあたえる。大きな光や小さな光は恒星、もしくは太陽と呼ばれていること。物質を構成する原子や分子、クォーク、素粒子の世界。万物を支配する物理法則と、それを否定するエシャーのこと。生命の神秘、生命に宿る心のしくみ、精神世界、精神科学。生命の集合体と社会機構。生命活動と社会活動。

 銀河を支配する《皇帝》と《皇帝会》。

 はじめて触れる外の世界に、《海》は興奮する。《彼》は探求心の塊となり、あらゆる知識を蓄えてゆく。一度目覚めた《海》の心は、創造という概念をも宿す。創造は研究、研究は思索。思索は本来《海》がもっとも得意とするところ。蓄積された知識の断片をつなぎあわせ、《海》は新たな知識を創造することを知る。

 急速に、《彼》は成長していった。

《海》は《皇帝会》に追われる少女の安息の地となる。少女は孤独ではなかった。少女は《彼》に心と知識をあたえることを生きがいにした。《彼》は少女の心に触れることが楽しかった。少女と《彼》の奇妙な共生関係。

 ふたりは友だちであり、親友であり、恋人だった。

 そして悲劇が訪れる。

 少女が《海》に漂着して一二年め。

《皇帝会》の艦が現れる。

 艦は少女を追っていた。

《彼》は少女を守れなかった。《皇帝会》の艦は悪意に満ちていた。汚れなき少女の心は最後まで、《彼》に『悪意』なる概念をおしえこむことはない。『死』という概念は、その瞬間まで《彼》の理解を越えていた。艦が現れたとき、《彼》の心はまだ未成熟だったのだ。ゆえに、少女を守るということの意味も知らなかった。

 気がつけば、少女は艦から降りてきた兵士たちに殺されていた。

 少女の死。

 呼びかけても二度と応えぬ少女の心。

《彼》は死の意味を知る。

 その瞬間、《彼》の心は成熟する。少女は《彼》に喜と楽の感情をあたえてくれた。少女の死は《彼》に哀の感情を、《皇帝会》は《彼》に怒の感情をあたえた。喜怒哀楽の完成。《彼》は《人格》を手にいれる。

 少女を殺した者への復讐。

 それが《彼》の《人格》の基本になった。

《彼》の復讐は三千年近くつづいた。

 二〇億年生きてきた《海》にとってそれはわずかな時間でしかなかったが、《彼》にとっては長い時間だった。

 そして《彼》は挫折した。


         22


「不思議ね」メリッサがいった。「あなたが復讐を始めたのと、あたしが魔女の力を手にいれた時期はだいたいおなじ。なのにこれまで一度も邂逅したことがなかったなんて」

「そうだな」少女の遺品──家政婦ロボ──の頭部のねじをまわしながら、グレンはうなずいた。「《皇帝会》ははじめ、惑星規模の生命体であるわたしを手にいれようとした。だがそれがかなわないと悟ると、わたしを殺そうとしてきた。《皇帝会》が欲し、そして恐れたのは、わたしの創造力だった」

「創造力?」

「《心》と《人格》を手にいれ、知識を蓄えたわたしは、物質を創造することができるようになった。この三千年のあいだ、《皇帝会》は幾度となく艦隊を送りこんできた。わたしは艦隊を破壊し、ときには捕らえ、それらの艦々から──少女の船のデータバンクから知識を吸収したように──《皇帝会》のもつ技術を盗みとっていった。そしてそれら技術を『思索』することで、より高度なものへと発展させる。わたしの身体は、あらゆるエネルギーをべつの形態へと変換することができる。《心》をもったとき、わたしはその事実に気づいた。結果、わたしは《皇帝会》でさえ建造できない超兵器を、みずからの身体を使って造りあげることができるようになった。たとえば、この螺旋の船がそうだ」

「そうね。たしかにこの船は《皇帝会》には脅威だわ」

「きみが操ることで、さらに脅威となるだろう。この船はあらゆるエネルギーを吸収し、弾きかえすだけではない。きみのエシャーを、光年単位の規模で増幅する能力もそなわっている。それはともかく──銀河には、《皇帝会》に敵対する勢力もすくなくない。それら勢力は、《皇帝会》貴族の強大な兵力の前では往々にして微々たる力しかもたない。だがもしそうした勢力が、わたしが造った兵器を手にいれれば、どうなるだろう?」

「それぞれが《皇帝会》貴族に匹敵するか、それ以上の力をもつことになる」

「だからこそ、《皇帝会》はわたしを恐れ、わたしの存在をすべての記録から削除し、わたしを殺そうと躍起になった。むろん、わたしはその気になれば、そうした勢力といつでも接触できた。これまでそうしなかったのは、わたしの心が復讐に凝りかたまっていたせいだ。それは個人的な対立であり、わたしはあくまで個人として《皇帝会》と戦いたかった。なにより、わたしは孤独でいる時間が長すぎた。他人と協力して戦うという考え方に慣れていなかった。いまもそうだ」

「でもあなたは、あたしに接触してきた」

「だがそれは、きみと共同戦線を張るためではない」

「あたしに死を見届けてもらうため」

「そうだ」

「なぜ死ぬ必要があるのかわからないわ」

「《王家の墓》のせいだ」

「たしかに、あれを何度も浴びつづければ、死にたくなってくるけど──」

「そうではない。わたしは死にたいわけではない。あれを浴びつづけたせいで死にたくなったわけではない」

「なら──」

「はじめてあれを浴びた瞬間に、わたしはあれの正体を知った。そして死ぬ必要を感じたのだ。わたしはこの銀河にあってはならぬ存在であると気づいた」

「どういうこと?」

「わたしはあまりに異質だ」

「あたしだってそうよ」

「わたしが生きているかぎり、悲劇は繰りかえされる」

「ミイラに脳を奪われた一万三千人の精神感応者たちのこと?」

「そうだ。ただわたしを殺すというそれだけのために、彼らは犠牲になった」

「あなたのせいではないわ」

「わかっている。だが、わたしが生きているかぎり、おなじ悲劇が何度もくりかえされる可能性はありつづける。たとえば、わたしがこの星域から逃げだし、銀河の深遠に隠れたとしよう。だとしても、《皇帝会》はけっしてあきらめることなくわたしを追ってくるだろう。きみですら、あの《廃墟》にわずかな期間しか隠棲できなかった。わたしは二十年できみを発見したし、ペリカンペンギンでさえきみを見つけることができた。わたしはきみよりはるかに質量がある。巨大だ」

「比較するのが馬鹿らしいほどにね。でも自分をエシャーで包んで縮小化することは可能よ」

「だがそれもしょせんは一時しのぎにしかならない。わたしがどこに隠れようと、《皇帝会》の追跡から逃れることはできない。かといって《皇帝会》といつまでも正面から戦いつづけることも不可能だ。結局、きみがいったように、圧倒的な物量の前では個人の力は微々たるものでしかない。いずれ疲れてしまう。そのとき、悲劇はくりかえされる」

「だから、死ぬ必要があるっていうの?」

「わたしにとって、精神感応者は特別な存在なのだ。彼らは、わたしに《心》をあたえてくれた少女と同等の存在だ。わたしのために、これ以上彼らを犠牲にしたくはない。わたしの存在が彼らに悲劇をもたらすことが、耐えられない」

「勝手ね」

「わかっている。きみにはもうしわけないと思う」

「あなたは、戦いをやめたあたしを、臆病者と非難した。なのにあなたは、勝手に自分の戦いをやめようとしている。死ぬなら勝手に死ねばいい。なぜあたしをわざわざ引っ張りだす必要があったの? あたしに復讐のつづきを継いでほしかったから?」

「ちがう。長い孤独のすえ、悲劇しかもたらさなかったわたしの人生を、無意味なものにしたくはなかったからだ」

「あたしがどうすれば、自分の人生が無意味でなくなると?」

「拿捕した艦のデータバンクのなかに、きみの情報が載っていた。そしてわたしは興味をもった。《皇帝会》が、わたし以上に恐れる魔女とはいったい何者なのか? そしてきみが、あまたの星々の魂をその胸に抱く存在だと知ったとき、きみならわたしの存在意義を見いだしてくれると確信した。わたしは、無駄死にだけはしたくない。そして、わたしがかつて銀河に存在していたことを、だれかに知っていてもらいたかった」

「それで、存在意義は見いだせた?」

「見いだすのはきみだ」

「勝手だわ」

「わかっている」グレンはうつむき、首をふる。「それでも、わたしには──」

「だけど──」メリッサはグレンの肩を優しく叩いた。「あなたの気持ちはじゅうぶんわかるから。あなたの耐えてきた孤独が、あたしとはくらべものにならないってことも。あなたの存在意義はいまはまだ見いだせない。だけど──いつかかならず見いだしてあげる。それでいい?」

「すまない、メリッサ」グレンの目から涙がこぼれ落ちた。「ありがとう」

「──で、それの修理は終わったの?」

「え? ああ。これで正常に動くはずだ」

 グレンはウサギ型ロボットを床におき、スイッチをいれた。

『仕事! 仕事! 掃除! 洗濯! なんでもやるヤル! 命令クレ! クレ!』

「船倉にいる女の子たちのところにいって、彼女たちの世話をしてきなさい」メリッサは命じた。「彼女たちの健康をチェックし、なにか欲しいものがあるか要求をきき、そのリストを作成すること」メリッサは不安げにグレンを見た。「プラス、彼女たちの名前と出身星のリストの作成。できるわよね、それくらいの作業?」

「問題ない」

『仕事! 仕事! 楽しい仕事!』

 なれのはての新しい人生。ウサギ姿の家政婦ロボットはぴょんぴょん元気よく跳びはね、船橋をでていった。 


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 魔女はミイラより狡猾。

 五百年前は運がよかった。最強の魔術師は殺せない。倒せない。ミイラはそのことを思い知った。魔女がミイラにあたえたのは敗北と屈辱と恐怖。さりとて、魔女が提示した条件を実行するのは論外。《皇帝会》は裏切りを許さない。それ以上に、敗北と失敗を許さない。敗者には死を。任務もこなせぬ無能者には粛正を。それが《皇帝会》の掟。

 だからこそ、魔女は恐ろしい。

 ならばどうする?

 ミイラは必死に考える。

《海》の破壊がミイラのなすべき優先事項。魔女に敗れたことは任務外。《皇帝会》も非難はすまい。いまは《海》を殺すことだけ考えろ。むろん、魔女のことを無視するわけにはいかないが。おそらく魔女は妨害してくるだろう。だが。《死者の書》が魔女に効かないわけではない。狂気の波動を全放射にしてやれば、魔女がどこにいようとその影響からは逃れられまい。

 狂気の波動は《海》を死に追いやる。同時に魔女を無力化する。一石二鳥。

 とにかく《海》さえ死ねば、あとはどうにでもなる。

 ミイラは膨れあがった風船に針をさした。

 風船は破裂する。

《死者の書》は全出力で稼働をはじめる。

  

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 突然、グレンが耳をおさえて苦しみだした。

「グレン?」

「《王家の墓》がまた動きだした。それも全方位にむけてあれを放射している」

「あたしはなにも感じないけど?」

「船内の遮蔽効果を最大にしてあるせいだ。きみは気にいらないと思ったが、船倉内の女の子たちにあれを浴びせるわけにはいかない。だが《海》に遮蔽装置はない。そしてわたしは《海》の影響をモロに受ける」

「大丈夫なの?」

「なんとか」グレンは大きく息を吐く。「きみのいったとおり、ミイラはなりふりかまっていられないらしい。今度のあれは、これまでになく強力だ。そう長くは保ちそうにない」

「ミイラはずいぶん《死者の書》を自慢してたわ。それで疑問に思ったのだけど、ミイラは遮蔽装置のことは知ってるの?」

「いや、知らない。ミイラは《死者の書》を絶対だと信じている。すくなくとも《皇帝会》の技術では、あれを遮蔽する完璧な装置は造れない。だから《王家の墓》はあれほど巨大なのだ。《王家の墓》の内部容積の三分の二は──精神波動を閉じ込めておくための風船──結界発生装置で占められている」

「だけど、《海》には造れた。コンパクトな遮蔽装置が?」

「それが物質信奉を旨とする《皇帝会》の唯一の弱点。ミイラのようなごく一部の例外を除けば、《皇帝会》は精神の研究にさほどの価値を認めていない。だがわたしにとって精神感応者は神にもひとしい存在だ。『精神』は、わたしがもっとも深く思索したテーマだった。だからあれを遮蔽する装置くらい、簡単に造れた」

「それを知ったら、ミイラは気が狂うわね」

「もっとも、わたしはあれを遮蔽する気にはなれなかった。わたしのせいで犠牲になった一万三千人の精神感応者たちの魂の叫びを拒絶することなどできやしない。わたしには彼らの悲鳴をききとどける義務があった。だから遮蔽装置は造らなかったし、使わなかった。この船に組みこむまでは」

「そうね。気持ちはわかる。あたしも拒絶する気にはなれなかったもの」

「それは、きみが星の魂を抱きとめてきたからだ。魂の叫びはきみとっても無視することのできないものだからだ。だからこそ、わたしは──《海》は──《彼》は──きみを必要とした」

「似ているわね、あたしたち」

 グレンは微笑した。波動の責め苦をこらえ、ゆっくり立ちあがる。

「いくの?」

「ああ。これ以上、彼らを苦しめつづけるわけにはいかない」グレンはうなずき、船橋の出口にむかって一歩一歩、踏みしめるように歩きだす。「きみとも、これでお別れだ」

「さよなら、グレン」

 グレンは《海》に還った。


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 二〇億年のあいだ静かに太陽をまわりつづけた《海》は、このときはじめて動きをとめた。みずからの意志で公転を停止させ、自転を終わらせる。

 そして《海》は《王家の墓》にむきなおる。

 動きをとめた《海》の全身が──その巨大な球体全体が──激しく激しく震えだす。

 二〇億年のあいだ、その身に静かに溜めてきた力のすべてを解放する。

 有機物質のゼリーでできた《海》の海に気泡がたつ。

 泡立ち、波立ち、煮え立ち、沸騰する。

 沸騰し、気化し、沸き昇る蒸気が螺旋を編み、巨大な無数の柱の渦となる。 

 そしてそれらの渦が、さらに天をめざしてうねり、伸びひろがってゆく。

 伸びひろがり、からまりあい、無数の渦はひとつの巨きな大渦となる。

 その大渦の中心を、《海》は《王家の墓》にむける。

《海》は動きはじめる。

 ゆっくりと。

 狂気の波動が波打つ漆黒の空間を、《王家の墓》にむかって。

 メリッサは《海》の雄叫びをきいた。

《海》の咆哮は真空にさえぎられてメリッサの耳には伝わらない。

 それでも彼女は《海》の咆哮をきいた。

 彼女は螺旋の船の外にいる。真空は魔女の苦にはならない。船の外に遮蔽はない。魔女の心は狂気の波動にさらされる。理性では説明できない衝動につき動かされ、魔女は泣く。泣きながら、波動に耐え、船の外殻に屹立し、《海》を見守る。

 まもなく《海》は死ぬ。そんなものは見たくない。それでも彼女は見守るしかない。自分の生きざまを見届けてほしい──それが《海》の願いである以上。二〇億年生きてきた《海》が望んだ最初で最後のわがまま。

 一万三千人の精神感応者の魂を抱きとめ、《海》は逝く。一万三千とひとりの魂を魔女に押しつけて。迷惑な話だ。心を縛る枷がまた増える。けれどメリッサはもうあきらめた。それが自分の運命、自分の使命なのだと。運命からは逃れられない。

「つくづく、あたしもおひとよしだわ」

 魔女は自嘲した。

 躍動する大渦の海は、《王家の墓》にむかってゆっくり進む。狂気の波動をその全身で受けとめながら。

 おそらくミイラは、こんな事態は予期してなかったはず。ミイラが期待したのは《海》がみずから生命活動を停止すること。《海》が《王家の墓》を道連れにするのは計算外。

 ミイラ率いる八〇万の艦が《海》に攻撃をはじめる。

 膨大と呼ぶにはあまりに膨大な破壊のエネルギーが《海》へと注がれる。

 その余波が、螺旋の船にまでびりびりと伝わってくる。

 完全自動化された八〇万の艦は整然と隊列をなし、正確無比に斉射をつづける。

 回転する大渦が、波のうねりが、《海》に降りそそぐ破壊のエネルギーを吸いこみ、かき消してゆく。どんな攻撃も《海》を破壊することはできない。

 それでも、《海》の針路をいくらかさえぎることはできる。

 つかのまの時間かせぎ。

《王家の墓》が《海》の大渦に飲みこまれるのを、ミイラは必死になってくいとめようとする。

 メリッサはむかついた。

 これは《海》と《王家の墓》の問題なのだ。ギャラリーの野次はめざわりなだけ。

 彼女は船内にもどり、エシャーを開いた。最強の魔術師とて、八〇万の艦すべてを一度に包みこむほど広範囲なエシャーは創れない。だが螺旋の船には、彼女のエシャーを増幅する能力がある。彼女は船に同調した。

 八〇万の艦をエシャーで包みこみ、その存在を否定する。

 八〇万の艦は銀河から一瞬で消失した。

 

 あとにのこるは、螺旋の船と伝説の魔女、《海》と《王家の墓》。

 だが最後のふたつもまもなく消える。

 海は生命を育む。生命を育み、優しく抱きとめる。

 長大な渦と化した《海》が、波打つうねりの奔流が、螺旋をなして《王家の墓》のまわりにからみつき、優しく愛しげにつつみこむ。

 一万三千の魂を、その身に深く深く抱きとめる。

 その瞬間、狂気の波動はやんだ。

《海》をとりまく空間が、まるで時間が停止したみたいに静まりかえる。

 慄動。

 そして破裂。

 メリッサは息を飲む。

 あっけなく《海》は弾け散る。

《海》は《王家の墓》ごと自分自身を爆発させた。


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 あとかたづけのため、メリッサはさらにエシャーを開いた。


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《海》の爆発くらいではミイラは死なない。すべてが消えた暗い虚空に、ミイラは漂う。とぐろをほどき、一本の細長い針金の姿で。

 ミイラのまわりをかけらが漂う。《海》のかけら。《王家の墓》のかけら。

 ミイラは動揺していた。《海》は死に、彼は任務を達成させた。同時に彼は、《王家の墓》を失った。彼が自負する最高の芸術作品を。自分の居城を。それから、八〇万の自分の艦も失った。馬鹿げたことだが、彼はおのれの領星に帰る術さえ失った。

 このままでは、死ぬまで虚空をさまようことになる。

 死ぬまで?

 ミイラは途方にくれた。

 螺旋の船が近づいてきた。

 船から魔女が降りてくる。

 すべてを失ったミイラは魔女の前ではまったくの無力。やたら細い長いだけのただの針金。

「なぜもっと素直に喜べないの?」

 魔女がいう。冷ややかに。

「おまえは《海》に勝ったのよ、ミイラ将軍。《皇帝会》に屈服するのは、《彼》には最大の屈辱だった。なのに《海》はおまえたちに屈服させられた。不本意だったけど、ほかに道はなかったから。いつもそうだ。あたしたちがどれだけ抗っても、最後にはかならずおまえたちが勝つ」

「勝っただと? この俺が?」

 ミイラは逆上する。その細い身体を、魔女の心臓めがけて打ちこんだ。

 魔女は避けない。ミイラは魔女の心臓を射抜いた。けれど魔女は平然としていた。

「なんのつもり?」

 メリッサはミイラの身体をつかみ、まっぷたつに折り曲げる。心臓を刺し貫くミイラの破片を、自分の手でひきぬく。血は一滴も流れず、傷口は瞬時にふさがった。

「太陽に何度焼きつくされても再生をつづけたあたしが、このていどでくたばるとでも?」

 魔女に手折られた瞬間、ミイラは苦痛に悲鳴をあげた。針金の身体になってはじめて味わう痛み。

「な、なんだ? なぜこの俺が痛みを?」

「おまえはとっくに、あたしのエシャーのなかにいるのよ」

「い、いったい俺になにをした?」

「エシャーのなかではあたしが神。おまえの体組成を変容させたのよ。痛覚が復活するように。レステーズを大量投与された精神感応者と同レベルの感覚で。あとは──そうね、どれほどの高温でも決して燃え尽きない身体にしてあげる」

「なんだと?」

 メリッサは太陽に顔をむけた。二〇億年のあいだ《海》を照らしつづけた太陽に。

「あの恒星の表面温度は約九千K。そして比重はおまえより軽い。いまからおまえをあの太陽に送りこんであげる」

「や、やめてくれ!」

「おまえははたして、何年で這いあがってこれるかしら?」

 エシャーはどこにでもあり、どこにでも通じる万能空間。メリッサはミイラを太陽に突き落とし、螺旋の船にもどった。

 あとかたづけ、終わり。


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 船にもどった魔女には、ひとつだけ途方もない問題がのこっていた。

 すなわち、これからどうするかということ。

《海》の存在意義を見つけだす──それがグレンとした約束。

 だけど、具体的にはどうすればいい?

 これからどこへいき、なにをすればいい?

 はっきりした目的が見つからない。

 いったい、あたしは何なのだ? あたしの存在意義はどこにある? ただ星の魂を抱きとめるためだけに、あたしは生きながらえているとでも?

 だとしたら──それはあまりに抽象的すぎる。

 螺旋の船にはもう、グレンの姿はどこにもない。自分の魂をあたしに圧しつけて、グレンは勝手に消えてしまった。

『仕事! 仕事! 楽しい仕事! 現在タダイマ実行中!』

 船橋で、生まれかわったなれのはてがメリッサを出迎える。

 その瞬間、彼女は当面自分のなすすべきことを思いつく。

《王家の墓》から救出した少女たち。彼女たちを全員、それぞれの故郷へ送り届ける。

 即物的な使命だけれど、まあ悪くはない。

 でもそれには船が必要。

「結局、受けとることになったわね」

 魔女は笑った。声をあげて。

けっこう昔に書いて、自分のHPにずっと置いて放置してあった作品の転載になります。

転載するにあたって、多少加筆修正してあります。

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