#39 月影瑠璃:回帰する復讐者
西暦2046年。
日本最大の巨大都市を建設中の人工島に建てられた一棟の簡素な建物には、倒壊した旧IDEAL施設から発掘した極秘資料やデータの復元を行っていた。
そこはツキカゲ・ルリが所属する統合連合軍の地球外事件対策室──IDEALが担っていた宇宙からの驚異に対して人類を防衛する新たな組織──の拠点である、はずだった。
「一体どういうことなんですか?! 説明してください!?」
司令執務室。ツキカゲ・ルリは複数の職員から羽交い締めにされながら、こちらに背を向けてデスクに座るガラン・ドウマへと叫ぶ。
「貴方がどうしてそこの席にいる!? そこは司令の」
「あぁ皆まで言わないとわからないんですか? いわゆる、貴方は知りすぎた……って奴ですよ、これ」
「知りすぎたもなにも、貴方と私は協力してIDEALの陰謀を暴くんじゃなかったんですか?!」
「もう存在しない組織に陰謀も何もないでしょう? それにですね」
ガランはルリに近付いて、耳元で囁くようにこう言った。
「彼らの意思は私が継ぎます」
「……な、何……ですって?」
「ツキカゲ・ルリさん、人類が新たなステージに行くための礎になっていただきたいのです。なぁーに、少しばかり目がよくなるだけですよ…………連れていきなさい」
目配せをするガランの合図で、暴れるルリを押さえていた職員の一人の首筋にスタンガンを当てた。一瞬、衝撃で体が跳ねるとルリの抵抗は虚しく意識は遠くなり目の前が真っ暗になった。
同志だと思っていた男の裏切り。
初めから利用するために仕組まれていたことなのか。
とっくの昔に克服したと思っていた“闇”が再びルリを襲う。
待っていたのは非人道的なな改造手術と人体実験。
IDEALの秘密ファイルに書かれた強化兵士を作り上げるためにテンガイ・ブライが考案した計画。
およそ百日間にも及ぶ肉体を酷使されながらの監禁生活は、ルリにとって忘れることの出来ない屈辱的な日々だった。
(騙してモルモットにされたのは“彼”にした報いか)
しかし、それと同時にルリ自身もかつて“学生服の彼”を利用して同じく実験体にさせたことが、今度は自分に罰として返ってきた当然の結果である。
「生きているか、元隊長殿?」
独房のベットの中、ギリギリ保っていた精神力が切れてしまいそうなある時、ルリを助けに一人の男が現れた。
機械の肢体を持つ黒衣の男はドアの鍵を音もなく破壊し、虚ろな目で天井を見上げているルリを担ぎ上げた。
「〈ドラゴン〉からアンタを探せとしつこくてね。危ない橋を渡ってるような軍人は、自分が消されるの覚悟しているはずだよな?」
「……つ…………る……ぎ…………」
痩せ衰えたルリは掠れた声で男の納を呼ぶ。
「助けるのは今回だけだ。アンタも断ったんだからな、あまり無茶はするんじゃねーぞ」
命からがら救出されたルリ。
薬物投与で汚染された身体が浄化するのに相当な時間がかかった。今現在も完全には癒えていない。
復帰できるまでに回復したルリは、ガラン・ドウマの計画を阻止するため自らが組織のリーダーとなって〈リターナー〉を設立。表向きは軍の物資配送会社として活動しながらイデアルフロートの動向を調査し、反撃の機会を伺った。
◆◇◆◇◆
「……あそこから逃げたしたあの時、施設の中で幼い少女を見たの。廊下にポツンと立って、あの子は不気味に笑っていた。幻でも幻覚でもない、あれはヤマダ・アラシだったのよ」
「そのときの子がこの写真の白衣の娘で、元IDEALの技術主任であるヤマダ・アラシだと…………にわかに信じられない」
トキオはルリから貰った写真とパソコンの画面に映る男を見比べる。どことなく似た雰囲気はあり、これが親子と言われれば納得は出来るが、同一人物だと言われてしまうと疑問しかない。
「この目もヤマダが関わっている。視覚による空間把握能力や反射神経の強化……こんな目、私には必要ないもの。見えすぎて逆に見たくないモノも見える……幽霊とか」
「幽霊? オカルトの話か?」
理解を越えたことばかりを言うルリの言葉にトキオの頭がこんがらがる。
「…………冗談よ? 今のは忘れてちょうだい。それよりサングラス返してもらえないかしら?」
「あ、あぁ。たしかここに仕舞ってある」
デスクを漁ろうとしたその時、廊下から誰かの叫びとバタバタと走る音が聞こえる。
「レディムーンっ!?」
緑のジャージとハチマキをした少女、リターナーのSVパイロットであるミナモが息も絶え絶えになりながらルリ達の部屋に飛び込んできた。
「面会いいんスよね? オレどうしたらいいか」
「落ち着きなさいミナモ」
「ヤマブキがオレ達を助けるために死んじゃって、アリスも……そうアリスが!」
「アリス? 貴方とアリスは帰還したって聞いたけど」
「それが……アリスは島に残るって一人でイデアルフロートに行ったッスよ!」
◇◆◇◆◇
イデアルフロート。
エリア1郊外にある小さな飲食店。
『芸能人最強は誰だ? 第十回っ! 新春SVバトル選手権ンンン!!』
「あぁ言ってますけど今の時期にやってる番組って、大体十一月末とかに収録してるんですよね。この番組ってね、そこの空き地で撮影したんですよ?」
壁の高いところに設置されたテレビを指差しながらカウンター席のガラン・ドウマは自慢気に話した。
「FREESがスポンサーで、少し見学したんですけどね。芸能人いっぱいいて楽しかったですよ? あっ、これ勝つの俳優チームです。ここ水はセルフなので持ってきますね」
さりげなく番組のネタバレをして周りの客から睨まれながら、ガランは席を立ち上がると給水機へとお冷やを取りに行く。
「……あの、何なんですかここ」
馴れない場所にアリスが困惑したように質問する。
「何って、長崎チャンポンの店ですよ。知ってますチャンポン? 長崎の郷土料理で魚介スープの麺類です。おいしいですよ」
「そうじゃなくて! 私は貴方を討ちに来たんです。敵同志で何故、食事をしなきゃいけないんですか!?」
「まぁまぁ、固いことは言いっこ無しですよアリス・アリア・マリアさん? はい水」
ごくりと水を飲み干すガラン。水を受けとると見詰めるだけでアリスは口にしなかった。
「……はい、どうぞ」
老店主がぶっきらぼうに出来上がったチャンポンの丼をガランとアリスの前に置いた。
「ありがとうございます。では、頂きます」
白濁したスープに炒めた野菜と魚介がふんだんに盛られ、モチモチとした太麺が食べ応え抜群の一杯。
ガランは長い髪をゴムで纏めると、丼に向かいズルズルと豪快に麺を食らいつく。
「冷めますよ」
「…………いただきます。あの、フォークください」
促されて仕方なくアリスも食べ始めた。
「普通、レディを連れてくるのにラーメン屋はないんじゃないですか?」
「そうですか? 堅苦しいのは好きじゃないんで」
まだアリスの丼が半分残こしている時点で、ガランは綺麗に完食していて呑気にテレビを見て笑っていた。
アリスにはこの男がレディムーンの言う、イデアルフロートを牛耳る悪の親玉には全く見えなかった。
「あの虹浦セイルって昔は“歌って戦うSVアイドル”なんて言われてましてねぇ……でも、あんなに操縦は上手くなかったけどなぁ?」
テレビの映像には女優の一人が華麗な操縦テクニックで障害物を避けながらSVで独走する姿が映し出されている。
その後の様々な競技も他の芸能人や助っ人のプロSVパイロットと違って、明らかな腕前の差があった。
「プロですね、あの人」
「おっ、ゲームのE―SVパイロットの天才から見てもそう見えますか」
「動きに無駄がない。あれは…………って何でE―SVのことを?!」
アリスは驚いて飛び上がった。リターナーに所属する前のことは組織のトップであるレディムーンなど一部の者しか伝えていない。同期のミナモやヤマブキにも話してはいないことだ。
「そっちでは顔を出してないですけど本名でやってましたよね? 黒須十子さんの妹、黒須亜里亜さん。久しぶりだなぁ、また一緒に暮らしましょう。親というものに馴れてなくて昔は厳しくしすぎましたけど、もうあんな酷いことは言いません。仲良くしましょう」
背を向け過去の思い出話を喋るガラン。
無防備な今なら確実に仕留められる。と、アリスはとっさにフォークを握るとガランの首もとに降り下ろした。
「……、……止めろ」
フォークを持ったアリスの手が止められて、さらに腕を背中の後ろに捻られた。ガランは振り替えることもなくコップの水を一口飲む。
「ジャストタイミン」
「がっ……な、なんで?! アンタが、生きて……裏切ったのヤマブキ!?」
「知り合いは多い方が楽しいと思いまして……ほらほら、皆が見ていますよ。仲良く仲良く」
ガランが忍者少女ヤマブキの肩をポンポンと叩くと、アリスの拘束を解き再び何処かへ消えた。
「それで続きなんですが、また家族になりませんか?」
ガランの言う“また”とは、十年前に事件を起こして父が自殺、母は病気になり幼い姉妹だけとなった黒須家を救った時の話だ。
ガランのお陰で母の病気は治り、かなり裕福な生活が送れるようになったが、優秀な姉トウコのせいでいつも比べられ、十二歳の頃にアリス自ら家を出ていくのだった。
「……何を企んでるの」
「企むも何もないですよ。ただ血の繋がりなんて無くても信頼し合える絆が欲しいだけです」
真っ直ぐな瞳でガランは言った。
「貴方は力を求めている……姉を越える力を。家族になって貰えれば、その望みを私が叶えて差し上げます」
「リターナーを裏切れって?」
「あんな過激派武装組織に入ればいずれ不幸になる。お姉さんはそちら側に着いたらしいですよ」
その言葉を聞いてアリスの表情が強張る。
「与えられるのは決して恥じゃない。その力をどう使うかは君次第だ。大将、お勘定。お釣りは要らないよ」
カウンターには万札を起き、アリスには赤い宝石があしらわれた金の鍵をプレゼントしてガランは店を出た。
一人残されたアリスは鍵を見つめ、しばらく考えたあと決心する。
「私は、あの姉を越えたい……!」




