第91話 形見(Side:Rayshield)
落ち着いたヴィアーは今度は寂しがりの子猫のようにライシールドの右手に腕を絡めて彼の肩に頬を擦り付ける。先程までの警戒が嘘のようにライシールドにベッタリと甘えついてくる。
「おい、いくらなんでもくっつきすぎだろう」
隣を居場所にとは言ったが、ここまで張り付かれるのは流石に困る。物理的にも精神的にも。
だが、そんなライシールドの言葉にもヴィアーはしょんぼりとした顔をする。
「……駄目か?」
縋り付いたままの上目遣いで子供のような表情をされては、まるで虐めているようで剥がすに剥がせない。
溜め息を吐くと「もう少しだけな。戻るときは離れてくれよ。歩きにくいから」と譲歩する。
「うん、ありがとう! ライ!」
子供のような笑顔でそんなことを言われたら、文句も出てこない。蛇腹の左手でヴィアーの頭を撫でてやる。目を細めて嬉しそうにする彼女を見て、この少女はまだ子供のままなんだと気づいた。
ダキニのところで過ごした四年間が彼女の人生の全てだったのだろう。精神的には四つの子供と大差がないのかもしれない。
老練な妖精と共に旅を始めて、年経た子供に押し掛けられ、知恵持つ幼子の同行を頼まれ、戦うお姫様を押し付けられ、そして精神的子供を保護する事になった。何とも色物ばかりが集まったものだ。
「まぁ、俺も大概か」
ヴィアーを引っ付けたまま呆れて笑う。旅の仲間と言うより、大きい娘を手に入れた気分だが、毒を食らわば皿まで、親代わりでも何でもやってやろう。
「もう少し休憩したら、みんなのところに戻るぞ」
はーい、と元気よく返事をするヴィアーを見ながら、旅の間はずいぶんと無理をしていたんだな、と思う。恐らくこちらが地なのだろう。
「旅を共にする以上、俺の事も話しておこうと思う」
自分自身の過去、旅の目的、これから向かう先や最終的な目標、そしてその困難さを話して聞かせた。
「あたしだけが不幸だった訳じゃなかったんだな」
「お前に比べたら、俺なんて幸せな方さ。村は皆平等に不幸だったし、何より俺には姉さんがいた。あの頃は当たり前すぎて解らなかったが、あの頃の俺は不幸ではなかったんだ」
ライシールドは思う。自分の“姉を救う”と言う目的は、結局はヴィアーの後ろ向きな願いを叩き潰したように、姉の想いを否定するだけの彼の我が儘なのではないか、と。
「まぁ、救い出してからいくらでも文句を聞けば良いか」
どちらにしても、このままの状態で放置しておくなどという選択肢はないのだ。
「何を言っているんだ。あたしをこれだけ強引に、身勝手に救い出しておいて、今更お姉さんを救うのが正しいか判らないとか言われたら、救われたあたしはどうしたら良いんだ」
ライシールドの肩に顎を乗せ、ヴィアーは文句を言う。そのまま背中に回ると、後ろから彼の事を抱きしめる。
「大丈夫。お姉さんはライが死んでしまったと思っているから復讐に取り付かれているんだろ? だったらライが生きているってだけで喜んでくれる。今は復讐で目が曇っているかもしれないから、あたし達で救い出そうよ」
あたしも手伝うからさ、と抱きついたまま耳元で囁く。
「さっきまでの駄々っ子とは思えない言葉だな」
「う、あたしも目が曇ってたんだよ。仕方ないだろ」
痛いところを突かれて言葉に詰まるヴィアーをからかうようにライシールドは笑う。拗ねたように口を尖らせていたヴィアーも釣られて笑った。
「で、仲良く手を繋いで帰って来た、と?」
ライシールドの右側に立ち、彼の右手を独占するように手を繋いでニコニコと満面の笑顔を浮かべるヴィアーを前に、アティとロシェはヒクヒクと眉間を引きつらせた。
確かに連れ戻して来いとは言った。しかしここまで仲良くなって来いと言ったつもりは無かった。って言うかちょっと展開が速すぎるのではないだろうか、と二人はイラつき半分疑問半分で手を繋ぐ二人を見ている。
「ヴィアーは俺が保護する。取り合えず次の居場所を手に入れるまでは俺の隣が居場所で良いそうだ」
ライシールドがさらりと爆弾を投下する。ククルはこの男はいきなり何を言い出すんだろうと困惑した顔になる。隣が居場所と言う事は常に共にあるということで、つまりは。
「ライ様とヴィアーさんはお付き合いされると……そういうことですか?」
おずおずと質問するククルの言葉に、アティとロシェはギョッとした顔になってライシールドの返答を待った。
「「お付き合い?」」
ライシールドとヴィアーの声が重なる。どちらも理解出来ないといった顔でククルを見る。
「この二人はそういうのではないと思います」
ずっとマントのポケットに潜んでいたレインが答える。聞いていた限りでは恋人のそれではなかった。まるで親子や兄弟の様な雰囲気であったと告げる。
「なるほど。そういうことなら」
「仕方がない……のでしょうか」
納得して良いのか解らない様子の二人に、レインは答える。
「ヴィアーさんの好きにさせてあげたほうが良いとは思うよ。彼女の心は今、支えを失ったばかりで不安定だから、ライが緩衝材になって壊れるのを防いでいるような状態。それに今はお姉さんの事で一杯一杯だから色恋沙汰になることはないと思うよ」
そう告げられてほっと胸を撫で下ろす二人。その様子を見てククルは溜息を吐く。これはきっと安心して良い事態ではない。そう彼女の知識は告げているのだ。
「銀狐の娘を狐族の集落から連れ出して欲しいとは言ったが、こうなるとは予想外だったな」
アスクはライシールドと手を繋ぐヴィアーを見て素直に呆れた。ダキニのことしか頭に無かったヴィアーがここまで懐くのは想定外だったようだ。
「ダキニも安心するだろう。銀狐の娘よ、今まで辛く当たってすまなかったな。息災でな」
「あたしこそごめんなさい。蛇族はあたしとダキニさんを心配して言ってくれていたのに、あたしはそれに気付いていなかったから……」
アスクは首を振る。
「それが解るようになっただけで、我々は嬉しいのだ。今更の話だ、気にする必要はない」
そう言うと、アスクはヴィアーに銀細工の髪留めを差し出す。狐の尾を題材にした作りの物だ。
「これは……?」
「ダキニがまだ元気だった頃、我らの細工師に依頼していた品だ。あのごたごたの中で結局渡せずじまいとなっていたものだ。ヴィアーと暮らし始めた記念日に渡したいと言っていたらしい」
その願いは叶わなかった。細工師は前金で全額頂いていたので損をすることは無かったが、狐の細工品は宙に浮いてしまっていた。それをアスクは預かり、ヴィアーが前を向いて歩けるようになったときに渡そうと思っていたらしい。
「ダキニさんがそんなことを」
「形見代わりに持っておくと良い。ダキニも喜ぶだろう」
アスクから受け取ると、ヴィアーはそっと胸に抱きしめた。何時かダキニに幸せの報告をする時に、これを身に着けていこうと決めた。
「ありがとう」
蛇族の戦士達は用が済んだとばかりに姿を消す。アスクも街道を真っ直ぐ行く分にはもう手出しはしないと確約した。北との国境は流石に関所があるそうなので、そこで出国と入国をするように教えてくれた。
アスクと別れ、街道を進む。途中何ヵ所か道が別れていたが、アスクとの約束通り真っ直ぐ北を目指して進んだ。
そして三日目の昼過ぎに、無事関所の見える場所に辿り着いた。面白味のない石造りの建物と二メル程の壁で区切られた国境線の手前には、旅人のための宿や商店が幾らかあり、少し離れた丘の中腹には関所管理の蛇族の為の宿舎や家屋が立ち並んでいた。小規模な町のようになっていてそれなりに人の姿もあった。とは言えこれから冬になるので旅人の数は少ない。
国境を越えると魔道国家側はすぐ山岳部に入る。それほど厳しい行程ではないとは言え、雪が降るとそこそこの難所となる。ここを通る旅人は雪解けの時期から寒くなる前までに集中し、冬場はもっと西側の平地よりの関所を使うようになるのだ。
出国前に食事と休憩の為に店に入り、食事中にある問題に気付いた。関所で提示する身分証明を持たない者が居るのだ。
ライシールドは神域製の組合札を持っている。西南の都市国家群の組合に書類上登録がされているきちんとした偽造札である。効果は正式なものと全く変わらない。
アティは森人の集落発行の身分証明がある。ヴィアーは狐族としての身分を証明する書類を持っているので、関所で正式に獣王国の身分証が発行される。
問題はククルとロシェである。ククルは隠れ里出身で身分を証明する者を有していない。小柄な外見は子供と言う形にすればアティかライシールドが保護者として申請することでいけるとは思うが、ロシェに関してはどうしたらいいのかが判らない。
「確か身分証明を発行するには獣王国の住人の推薦と身元引き受け人、後金貨一枚が必要だった……と思うんだが」
ヴィアーが自信なさげに答える。その言葉通りの審査で通るなら、ヴィアーとライシールドでロシェの身分証明を発行してもらい、アティにククルの保護者となってもらえば問題はなさそうだ。
「手続きをして、駄目だったらまた考えるか」
出来たら今日中に国境を越えてしまいたい。朝一で出発すれば、関所向こうの山越えはその日の内に可能との事なので、魔道国家側で一泊して明日は早い内に出発してしまいたいところだ。
順調に出入国手続きは終了した。アスクが事前に手を回してくれていたらしく、蛇族側の手厚い協力が順調に手続きが進む一助となってくれた。
無事に国境を越え、宿も確保できた。明日は山を越えて首都を目指さねばならない。早々に休み、明日に備える一行であった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。