第87話 逃げ切った後に(Side:Lawless)
「来ます。僕が弓で仕留めますので、万が一馬車に接近してきたときはライオットさん、申し訳ありませんがお願いします」
ローレスは火竜の弓を構え、火の文字を付与した矢を番える。まだ距離に余裕のあるうちに仕留めようと狙いを定めてまずは一射。矢はローレスの手から放れると猛烈な勢いで斬牙狼目掛けて突き進み、狙った個体の後ろを走っていた別の一匹に突き刺さった。甲高い悲鳴を上げて足を縺れさせ、頭から転がるとそのまま動きを止めた。
「凄いな……あの斬牙狼を一撃で仕留めやがった」
レイリーが信じられないものを見たという顔で呟いた。ライオット達もそれは同様で、皆呆然と遥か後方で倒れる狼の姿を見詰めていた。
しかしローレスはあれが偶々だと理解している。狙った一匹の陰に隠れて後ろの狼は矢に気付いていなかった。外れた矢が偶然中ってくれて、それが運よく狼を転ばせて倒してくれたに過ぎない。
問題は避けた方だ。目視して避けたのか、ラルウァンが言っていた様に“狙いの殺気”に気付いて避けたのか。
「試してみるか」
次は先頭を走る狼の少し前方の地面を狙って矢を放つ。勢いよく飛んでいった矢は狼に中ることなく地面に突き刺さった。
「あれは目視で避けているな。と言うことは、まだちょっと距離が遠いのか」
ならば手法を変えよう。まずはラルウァンにも効果があった山射ちだ。狼は素早いから、それを考慮に入れて角度を調節、上に向かって三本射ちをする。まだ暗い空の闇の中へと三筋の軌跡が消えていく。
「お、おい、ローレス君。どこに向かって……」
ルクスの声が途中で途切れる。後方で甲高い悲鳴が三つ上がる。二匹は頭部と背中に矢が突き刺さって即死、一匹は後ろ足に突き刺さって追撃速度が落ちた。
「わお、もしかしてあれ、狙ってやったの!?」
リズリットが感嘆の声を上げる。空高く射ち上げた矢が高速で走る狼に直撃する等どんな神業か、と。
これで現在後を追ってきているのは六匹。しかし油断は出来ない。更に後方から何匹かが追加で追跡してきているのをローレスは感じ取っていた。
「おい! 馬車にしがみ付いていないで戦わんか!」
馬車の窓が開き、ニックが顔を出すとライオット達に怒鳴りつけた。彼らも反論するがニックはまったく聞く耳を持たない。
「そもそもお前らがしがみ付いているから馬車の速度が出ないんじゃないのか!? お前たちは護衛なんだから下りてあれと戦え! 勝てなくても私が逃げる時間を稼げば良いんだ! 戦って死ね!」
あまりの言い草にライオット達の眉間に皺がよる。確かに護衛の任務に付いているのだ。いざとなれば戦わねばならないのは当然だ。戦って死ぬのも仕方ないとは言えないが可能性としては十分にある。この辺りが治安も良く安全だからといってまったく危険が無いという訳ではない事も理解しているし、どうしようもないときの覚悟はある。
だが死ねと言われてまでして護らねばならない道理は無い。依頼は失敗扱いになるだろうが、命あっての物種だ。
「なんなのよ! あんたみたいなのにここまで言われてまで護衛任務なんかやってられないわよ!」
夜番中も散々あれしろこれしろと命令され、夜は夜で相手をしろと好色な目で見られ、随分と鬱憤が溜まっていたリズリットがニックに怒鳴り返した。
「何を生意気なことを言っている! 階級の低い冒険者の女風情が! 私を誰だと……」
「あら、私も階級は二の低ランクですけど、貴方を磨り潰すくらい訳ありませんよ?」
馬車内の女性陣もニックの発言には据えかねていたらしく、アイオラが杖を構えてニックを脅した。思わぬ方から来た反撃に言葉を詰まらせるニックに、ネリアが背後に修羅を背負って追撃する。
「女風情と仰いましたが、貴方は他者を見下すほどの何をお持ちというのでしょう?」
ニックは彼女の見えざる怒気を感じ取り、先程よりは小さな声で「私の家は王都でも指折りの……」と喋りだしたところでテーナが追い討ちをかける。
「うわ、当主でもない坊ちゃんが家名を笠に来て威張ってる。かっこ悪い」
押し黙るニックに従者の女性が止めを刺す。
「ニック様、この醜態はきっちり当主様にご報告させていただきます。ご自慢のお家に席が残ると宜しいですね」
正に慇懃無礼なその言葉に、ニックは青褪めて従者に詰め寄る。狭い馬車内での騒動を聞いていたライオット達四人は車内の女性陣のやり取りを胸の空く思いで聞き、胸中で感謝しつつ再び後方に目を向ける。
「確かもう少し行ったら街道警備の屯所があっただろ! あそこまで持てば常駐している兵士達が対処してくれるはずだ!」
ライオットが周りを見て叫ぶ。王都周辺の街道沿いには町と町の間に街道警備の任を受けた兵士達の屯所が設けられている。特に王都から程近いこの街道の屯所にはそれなりに精強な部隊が詰めているので、斬牙狼が相手でも対処は可能だろう。
ローレスは接近してくる狼を速射で牽制し、油断させて山射ちで仕留めるといった感じに確実に一匹ずつ片付けていった。残り五匹になったところで空が白み始め、小聖鏡が姿を現すと狼は唐突に追跡を止めた。森の奥から、追跡してきていた狼達よりも更に巨大な個体が姿を表して鋭く一声鳴くと、狼は一斉に森に戻って行った。ローレスを睨む巨大な狼は、全ての狼が茂みに入ったのを確認すると視線を外さずにゆっくりと森の中へと消えていった。
その後、気配察知の範囲から全ての狼の気配が消え、ローレス達はようやく一息つくことが出来た。
斬牙狼の出現と襲撃、更には他の狼よりも強力そうな個体の存在を含めて全てを兵士に報告し、ローレス達は現在屯所の近くの平地で休憩している。
「ローレス君、君が居なかったら夜明けを待たずに全滅していた」
ライオットがそう言って頭を下げた。事実ローレスが居なければ夜営地を取り囲まれて寝込みを襲われていたことだろう。
「ライオットさん達が僕の言葉を信じて迅速に行動してくれたからこそですよ。僕一人では出来ることなんて限られています」
ローレスは本気でそう思っている。あの時ルクスがなにも疑わずに行動してくれたからこそ、彼の言葉を伝え聞いたライオット達がローレスを信じてくれたからこそ、今のこの時間があるのだと。
「謙遜することないわよ! この馬車の全員を救ったのは間違いなくローレス君よ!」
リズリットがそう言ってローレスを抱き締める。彼の頬に軽く唇を触れさせると「この恩は忘れないわ」と笑顔を返した。
アイオラの眉間に皺が寄り、ライオットが盛大に焦っていたのはまた別の話だ。
テーナはそんなローレスの姿をキラキラした目で見つめていた。彼女はずっと探していたのだ。彼女の英雄を。彼女が見て聞いて感じた全てを詠うに値する者を。彼女の直感が告げる。ローレスとアイオラ、この二人に着いていけば必ずや偉大な何かの目撃者になれる、と。
「ねえねえ、ローレス君。実は、ちょっとお願いがあるんだけど……」
そして彼女の、一世一代の大勝負が幕を開けた。
「そんな急に言われても」
「いや、迷惑は掛けないよ! 自分の事は自分でする。こう見えてそれなりに剣の腕はあるし、町々で詠って路銀だって稼げる。お願いだから旅に同行させてよ」
「って言われても、僕に英雄の資質なんてないよ! もっとそれっぽい人を探しなよ」
ローレスに英雄の資質を見た、従者として連れていって欲しい、と頼み込まれて早一時間。何を言ってもどう断っても、彼女は一向に諦めてくれない。
「それにほら、二人旅って色々不便でしょ? わたしを連れていけば色々便利だよ!」
確かに多少は楽になるだろう。しかしそんな利益より同行者が増える不利益の方が大きい。ローレス達には秘密が多すぎるのだ。
結局何をどうしても諦めないテーナにローレスが折れ、取り合えず次の町につくまでの間に考えると玉虫色の答えでお茶を濁すのだった。
「凄いじゃない。その歳で吟遊詩人付きなんて始めて見るわ」
リズリットが素直な感想を述べる。ライオット達もどこか納得したような顔で笑う。
「そうね。私も同行のお願いをしようかしら? 小さな勇者様?」
ネリアが茶化すようにローレスを覗き込む。彼女達巡回修道女は自らが見出した勇者と行動を共にすることもよくあるという。ここで言う勇者とは修道女の感性に合致した人物というだけで、何か偉業を成せと言う訳ではない。別の言い方をすれば神の次に惚れ込んだ相手ということだ。
ネリアはローレスにそこまでのものを見出だしてはいないようで、言葉の端々にはからかうような空気が感じられる。
「ネリアさん、ローレス君をからかうのも程々にしてください」
狼狽するローレスを見て楽しんでいるネリアを引き離すと、アイオラは彼を抱き締めた。
「そうですよ! ローレス君はわたしが見出だした英雄候補なんですから」
それはそれで勘弁して欲しいローレスだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
15/12/14
何匹かが更に→何匹かが追加で
迷惑は欠けない→迷惑は掛けない