第86話 夜明けの逃走(Side:Lawless)
二日目の夜営中のことだ。ニックはやはり良いところの坊っちゃんらしく、夜は女性陣を差し置いて馬車を独り占めし、従者の女性すら外に閉め出す始末である。
お陰でローレスは駆け出し冒険者達や巡回修道女のネリア、吟遊詩人のテーナと仲良くなれたので、悪いことばかりということもない。
「しかし、ローレス君はとても十歳には見えないね」
テーナがそういうと笑った。彼女は薄い枯葉色の髪を後ろで無造作に二つに縛って背中に流している。何時も少し眠たそうな目をしているが、その実よく周りを見ている。割とどうでも良いことも見ているらしく、昨日は馬車とすれ違った人の数、男女の別、老若の別、そして一人一人の容姿を延々聞かされ続けた。
「本当ですわ。とても落ち着いていらして」
ネリアがそれに同意する様に首肯した。薄い赤色の髪が焚き火の光を浴びて揺らめく。長い三つ編を後頭部で団子状に纏めている。教会発行の導きの書を膝の上で開き、焚き火の灯りでゆっくりと読み進めながらローレス達との会話に参加している。羊皮紙を束ねて作られたその書籍は、すでに端々が擦り切れていて、読み込まれているのが一目で判る。
「私の騎士様ですもの。ただの十歳ではありません」
そう自慢げに答えるのはアイオラである。その隣に腰掛けて、補充用の鏃に付与術で火の文字を焼き付けていたローレスは聞こえないふりをして作業を続けている。若干耳が赤いのでこの三人にはばれているが。
「ローレス君、その鏃は何を付与しているんだい?」
夜番に立っている冒険者の一人が訊いてくる。彼はパーティのリーダーを務めるライオット。彼は十七歳だそうだ。彼らは向学の意識が割合高く、初日からローレスの使う自然魔術を見て学ぶべき相手と判断したらしく、年下であるということなど関係なく、護衛の合間や休憩中などにあれこれと訊きに来る。
冒険者としての知識を対価に、ローレスは教えられることを出来るだけ解りやすく、丁寧に説明するので彼らもそれに答えるべく様々な知識を返してくれた。
「今は鏃に火の文字を刻んでいます。基本的なやり方だと鏃の先端付近に刻んで射られた矢に当たる風で着火し、火矢とするのが常道ですが、それだと矢の本体まで使い物にならなくなるので、僕は鏃の尻側に刻んで風で着火しないように改良しています。これなら回収した矢が折れていなければ、鏃の交換だけで使い回せるのでお得です」
「そうか。僕らはあまり弓を使わないからただの消耗品としてしか見ていなかったが、そうやって大事に使っていくことも大切だな。また一つ勉強になったよ」
感心するライオットに「貧乏性なだけですよ」と笑って返すローレス。今度はお返しとばかりに各地の迷宮の話をライオットは教えてくれた。とは言え今だ王都付近から離れたことのない彼らがもっとも詳しいのは城壁迷宮の事だが、伝聞で聞いた話を色々と教えてくれた。
「オットー! ローレス君と遊んでないでちゃんと仕事しなさいよ!」
ライオットのパーティの一員のリズリットが小声で嗜めてきた。ローレスに「作業を中断させてごめんね」と一言謝り、ライオットに詰め寄る。
「今度はオットーが馬車側をお願い。あのおっさんあたし達冒険者を小間使いか娼婦とでも思ってるみたいで嫌になるわ」
「ごめんよ、リズ。ローレス君、悪いけど続きはまた今度にしよう」
まだ旅路は数日続く。話をする機会はいくらでもあるだろう。
「僕こそ仕事中に話し込んじゃってごめんなさい。リズリットさんも僕が引き留めたのが悪いんだから、ライオットさんをあんまり怒らないであげてね」
年下のローレスにそうまで言われては、面と向かってライオットを叱り続ける訳にもいかず、リズリットは大きく溜め息を吐くと彼を釈放した。
「ローレス君に免じてここは許すけど、もうちょっと自覚を持ってよね、リーダー」
釘を刺すことは忘れない。
「解ってるよ。こっちは任せたよ」
そう言いながら馬車の方へとライオットは向かっていった。その背中を見送り、ローレスに小声で「ありがとね」と囁くと焚き火の向こうへと歩いていった。
「……やっぱりローレス君は大人ですわね」
「大人すぎです。わたしがあのくらいの頃はもっと我が儘でしたねぇ」
「私の騎士様ですもの」
ローレスが誉められて嬉しいアイオラが当たり前のように答えるのを見て、テーナが兼ねてから気になっていたことを訊ねる。
「ずっと聞きそびれていたけど、その騎士様ってどういう意味なの?」
「そのままの意味よ。私を護ってくれる騎士様。私の全てを捧げる誓いを立てた恩人でもあるの」
焚き火の向こう側で鏃の製作を再開したローレスを見ながら答えるアイオラを好奇の目で見るとずいっと近づく。
「それってどういう事? 助けられたってどういう事?」
アイオラは自分の唇に指を当てると興味津々なテーナに向かって片目を瞑る。
「それは私とローレス君だけの秘密よ」
夜明け前、ローレスはおかしな気配を感じて目を覚ました。
「……なんだ?」
夜番の冒険者はまだ気づいていないようだが、街道の西側の森の方からこちらの様子を伺う気配が十や二十では利かない程潜んでいる。
「ルクスさん」
夜番で焚き火側を見張っていた青年に声を掛けた。
「どうした? ローレス君。まだ朝には少し早いぞ」
呑気な声で訊いてくるルクスの側に寄ると、小声で囁く。
「森がおかしいです。何かがこちらを伺っています」
「何だって!?」
思わず声を上げるルクスの口を塞ぎ、小声で続ける。
「静かに。まだ向こうはこちらの様子を伺っているだけです。下手に刺激すると一斉に襲い掛かってきますよ」
「どうすれば……」
ローレスはライオット達を起こしてくるように頼むと、アイオラ達を起こして事情を説明する。
「いつでも動けるように準備しておいてください。僕は御者のお兄さんに声を掛けてきます」
ネリアが戦棍を右手に、中型の丸盾を左手に構えると、杖を片手にローレスの隣に立つアイオラと不安げに竪琴を抱えるテーナを見て、ローレスに視線を向ける。
「いざとなったら私が皆さんをお護りします」
その言葉に頷くと、ローレスはアイオラをネリアの方へと促す。
「お願いします。皆さんの準備が整い次第、行動しましょう」
この場をネリアに任せて馬車の方へと足を踏み出した途端、前方で大きな怒鳴り声が薄闇に響いた。
「荒事をどうにかするのがお前達の役目だろうが! 私に指図するな!」
「……馬鹿な事を」
森の気配が動き出す。事態は悪い方へと進んでいった。
準備を終えていたローレス達は慌てて馬車に駆け寄ると馬車側の夜番を担当していたレイリーがニックに胸ぐらを捕まれていた。
「さっさと行って倒してこい! それがお前達の仕事だろう!」
「だから、襲われる前に逃げた方が良いって言ってるでしょうに」
呆れ返ったような顔で捕まれるがままにされているレイリーの態度が気に入らないのか、いつまでも騒ぎ続けている。
「ニックさん、何を騒いでいるんですか」
見兼ねたローレスが割って入った。ようやく準備を終えたライオット達も馬車の近くに集まってきた。
「餓鬼は黙ってろ!」
「あんたの餓鬼と言うローレス君が襲撃に気づいてくれたんだぞ」
ライオットが渋い顔でニックを睨み付けるた。その顔にニックは嘲笑を返した。
「こんな餓鬼が気付くようなものも気付けないとは、お前達冒険者に向いていないんじゃないか?」
ライオット達は言葉に詰まる。確かに彼らは全く気づいていなかった。たった十歳の、冒険者ですらない少年は気付いたと言うのにだ。
「今はそんなことを言っている場合じゃないでしょう。御者さん、馬車を出す準備を。皆さんは馬車に乗って。片付いていない荷物は捨てて行きます」
まだ多少残っている毛布や食器類は積んでいる時間が無い。茂みの中に潜んでいたもの達がこちらに向かって動き始めているのだ。
「ライオットさん達も乗ってください。僕は屋根の上から追ってくる奴等を牽制します」
言いながら馬車の屋根の上に登る。全員が馬車に乗り、ライオット達が馬車の外側にしがみ付くのを確認してローレスは御者に出発を合図する。
動き出す馬車の屋根の上から仏具【蓮華座】を起動、干し肉や干物等を複製すると後方にばら撒いた。近づいてくる足音から四足歩行の獣か何かだということは判明している。ばら撒いた食料に気を取られている間に距離を稼げれば良いのだが。
「ローレス君、いいのかい? あんなに食料をばら撒いてしまって」
「命には代えられません。あれで逃げ切れるなら安いものです」
ライオットにそう返すと、ローレスは片眼鏡の技能を発動、遥か後方の茂みから飛び出してくるものを確認する。
「あれは……狼の群れ、か?」
ローレスの見たことの無い魔物だった。狼に似ているが見知ったものとは二回りは大きい。
「ライオットさん、この辺りで狼に似た魔物って何か判りますか?」
知らなければ訊けば良い。ライオットはローレスの質問に一瞬考える。詳しい容姿や大きさを確認し、さっと顔を青褪めさせる。
「不味いぞ。そいつは恐らく斬牙狼の群れだ。この馬車の速度だと直ぐに追いつかれるぞ!」
数匹から多くて数十匹の群れを作って集団で襲い掛かってくる狼の魔物で、その鋭い牙と爪は下手な風の術式よりも鋭く切り裂いてくる。準中級位の冒険者でもなければ一対一での戦い等無謀だろう。初級が遭遇すれば命の保障は無い相手だ。
「こんなところに何故あんな奴が出てくるんだ!?」
ルクスが絶望の叫びを上げる。どう転んでも逃げ切れない上に戦っても勝ち目が無い。
「それで、どのくらい来ているんだ?」
せめて少数の群れであれば、もしかしたら。そんなライオットの願いも虚しくローレスの気配察知に引っかかる数は優に二十を超えている。
「……恐らく二十は超えています。とにかくどうにかして逃げ切ることを考えましょう」
再び干し肉を複製し後方に投げ落としていく。それに習うようにライオットたちも手持ちの食料を投げ始めた。
「これで気を逸らせれば良いんですが……」
ローレスはその願いが叶わないと気付いている。群れの何匹かが落ちている食料に見向きもせずに馬車を目指して追跡を開始したのだ。
こうして夜明けの逃走劇が幕を上げた。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
15/11/17
ライオット! ローレス君と
→オットー! ローレス君と
15/11/20
摘んでいる→積んでいる
17/10/02
表記ミスを修正