第85話 滑らない靴(Side:Lawless)
すみません。お風呂入ってたら遅れました。
首飾りの後に出てきた城壁迷宮産の遺失品はどれも今一で食指が動かなかった。
壊れるまで灯り続ける角灯も、水をお湯にする桶も、その効果の割には値段が張る上に無くても困らなかったり術式で同じ事が出来たりと必要性を感じなかった。
「そろそろお兄さんの隠し玉も底を突きそうだよ……」
張り切って解説しては要らないと言われてを繰り返し、男は再び凹みの極地にあった。ローレスも悪いとは思いつつも、要らない物は要らないのでどうしようもない。
「僕としては三つも掘り出し物を手に入れられて嬉しいんだけどね」
「俺だってこんなに買ってくれた客は、お前さんが初めてさ。だがそれとこれとは別だ。ここまできたらお前さんをもう一回驚かせてやりたい」
どうやら商売とは関係の無い所へ嵌まり込んでいるようだ。そんな男を好ましく思うと同時に、残り少ない彼の在庫の中のどれかが自分を驚かしてくれる事を祈った。
「お兄さん。落ち込まないでよ」
結局最後の一個が不発に終わり、男はがっくりと項垂れた。
「これはいけると思ったんだよなぁ」
手の中で輝くのは遠見の珠と呼ばれる宝珠を嵌めこんだ片眼鏡。残念ながらそれと似たものをローレスは持っている。恐らく彼の持っていた物は今目の前で輝く物の劣化版だろう。だが技能となった今これ以上の物はあえて必要ではないだろう。
「狙い撃ったように僕の技能と被ってるとは思わなかったよ。ごめんね」
「はは、良いんだよ。お前さんが悪いんじゃないさ」
そう言いながら店仕舞いの支度を始める。ひょいひょいと無造作に袋に商品を放り込む。何気無く男が掴んだ革の靴を見て、ローレスはこの靴はなんだったろうと首を傾げた。
「ああ、こいつは大したものじゃないから説明を省いたんだ。足留めの靴という、発動している間地面を掴んで転ばなくなる。それだけの靴だよ」
氷の上を歩くときには便利かもしれない。滑って転びそうになってもこの靴が支えてくれる。
「使い道がそのくらいしかなくてな。むしろ下手に靴底が固定されちまうもんだから、足首に負担が掛かって直ぐ痛めちまうらしい」
試しに履かせてもらっても良いか訊くと、好きに履いて良いと投げ渡された。当の男もこれをガラクタだと認識しているらしい。
「履き心地はすごく良いね。普通に靴として売ったら良いのに」
「買うかい? そんなんでも城壁迷宮産だ。普通に買ったら金貨十枚ってとこだな」
履き心地が良いと言ってもたかが靴である。金貨十枚の靴などどこの貴族のものだと言うのか。
「お兄さんとお前さんの仲だ。欲しいなら金貨一枚で良いぞ。靴として見ると高いが、お前さん何か思い付いただろう? それを俺にも見せてくれたらその値段で良い」
最後に一つ、今思い付いたことを披露してくれと言いたいらしい。出来る確信はないから失敗しても良いと言うなら、と前置きしてまずは石畳の道の上で靴の効果を発動する。
「アイオラさん、僕の手を引っ張って」
「はい」
伸ばした手を握り合い、引かれるままに上半身が前に持っていかれる。しかし靴底がガッチリと張り付いてびくともせず、一歩も動かない。
「解除するまで何があっても離れないぞ」
期待に溢れた表情の男に首肯する。確かに縫い付けられたように全く動かない。
それでは実験開始。まず最初に試したのは左右でバラバラに発動出来るかどうか。これが出来なければどれだけ掴みが優れていても歩くという靴の基本動作が出来ない。幸いなことにこれは問題なかった。発動しながら歩ける。これだけでも手札の一枚として使える。金貨1枚の価値は十分にある。
「ここから先は出来なくても買うつもりだから、先に渡しておくね」
ローレスは金貨を取り出すと男に渡す。彼は「まいど」と受け取るとローレスに実験の続きを促す。
「滑り止めのきつい靴ってだけなら靴底に鋲でも打てば良い。それ以上の何かがある可能性があるんだな?」
「出来るかは判らないけどね。まずは……」
ローレスは鞄から革の紐と手拭いを取り出すと、足首と膨ら脛を縛って靴が脱げないようにしっかりと固定する。
実験その二。狭い路地裏の建物の壁面を地面に見立て右足の靴底をつけ、固定。壁面に張り付いたのを確認すると右足首に力を籠めて左足を壁面に固定する。
「お、おお!」
ローレスは壁面に横向きに立っていた。立ち止まっていると足首を筆頭に全身の筋肉に力を入れていないと姿勢が維持できないので非常にきついが、実験は成功だ。
「成る程。地面を歩くときに転ばない靴、としてしか見てなかったが、接地面が固定されると言い換えればこういう発想になるってことか。お兄さん歳でほんとに頭固くなってるわ。良い勉強になった」
もう一度手持ちの道具を見直して、売り口上を考え直してみるか、と一人納得している。
そんな男を余所にローレスは実験を続ける。石畳、石の壁は行けた。ならばこれはどうだろう、とおもむろに街灯の釣られた鉄の柱に靴底をつける。掴んだ感触を感じ、体重を靴底に預けて体を持ち上げる。
今度は勢いをつけて二歩ほど歩いてみる。アイオラと男の称賛の声を聞きながら、見事壁(鉄の柱だが)歩きに成功するのだった。
「いやぁ、良い勉強になったよ。俺はロキって言うんだ。迷宮のある町を訪ねては仕入れて売り捌いていく、そうやって世界を旅する放浪商人ってやつだ。お前さんもそんななりだ。一つ所に住み着くような人種じゃないだろ? また何処かで会ったらうちの商品を覗いてくれや」
男はそういうと、商品を詰め込んだ麻袋を担ぎ上げた。
「僕はローレスっていいます。僕も楽しかったし、随分と良いものが手に入りました。また何処かで会いましょう」
ロキはへらっと笑うと手を振って路地裏の暗がりに消えていった。その背中を見送り、ローレスとアイオラは表通りへと戻る。
「北に向かう乗り合い馬車でもあれば良いんだけど」
馬車の待合所まで向かいながら、二人はのんびりと通りの喧騒の中を進む。時に露店を冷やかし、屋台の物を飲み食いしながら。
辿り着いた待合所で北行きの馬車の予定を訊き、小一時間ほど待ってやって来た馬車に乗り込む。
ニルの言っていた彼の商会があるという雪待の町はまだ大分先らしく、王都から直接向かう馬車は無いという。
「無理に寄らないとといけない訳でもないし、北を目指して進んだ流れで、寄れそうだったら行きましょうか」
馬車に揺られながら次の町を目指す。王都の短い生活を終え、再び彼らは旅路の人となった。
今回の同乗者は四人。線の細い神経質そうな男性とその従者と思われる女性。男性はそれなりに裕福な家の者らしく、服装や態度にそれが現れている。
残り二人のうち一人は巡回修道女のようで修道服の上に鉄の胸当てをつけ、腰にはその柔和そうな顔には似合わぬ凶悪な戦棍を下げている。座席に立てかけるように中型の丸盾が置かれている。
最後の一人は旅の吟遊詩人のようで、大事そうに布袋に収められた六十セル程の小型の竪琴のような形のものを抱えている。
御者は若い男性が一人。同行の冒険者は四人。王都周辺は当然だが警備が厚い。それだけ安全であり、つまりは護衛も安い。この辺りの護衛依頼は初級の為の階級経験値稼ぎの側面が強く、今回の同行冒険者も階級四~五の低階級の者達で構成されたパーティである。
「何故私がこんな小さな馬車に乗って移動せねばならぬのだ」
「それは御当主様の御命令だからでございますよ、ニック様。下々の労を感じ、我が身を省みよとの仰せです」
ニックと従者に呼ばれた裕福そうな男性が、ギリギリと歯軋りをして苦虫を噛み潰したような顔をする。従者を睨みつけるが、どうやら彼女をどうこう出来る権限は無いらしくその視線を涼しい顔で受け流している。
「シスターは王都の修道院での修行を修められて巡礼の資格を得たと、そういうことなんですか」
「ええ、そうですわ。これから中央王国の各地の教会を回り、様々なものを見聞きしてその経験を持ち帰りたいと思いますの」
吟遊詩人の女性と修道女の二人は仲良く会話を楽しんでいる。ローレスはニック氏に絡まれたりしないと良いなと思いながら、うつらうつらするアイオラの隣でぼーっと窓の外を見ていた。
迷宮を内包した城壁が遠くに見える。もう随分と離れたはずなのにその存在感は今だ健在だ。遥か昔は迷宮から抜け出してくる魔物の対処が大変だったそうだが、今は冒険者が嬉々として潜り込み、迷宮内部への封殺に成功している。国も最低限の兵力を置くだけで済むので非常に助かっているらしく、冒険者組合に多額の保障がされているらしい。
「冒険者のお陰で治安に余裕が生まれ、珍しい素材や魔道具が手に入る、か」
今はまだローレスは登録していない。あの雪豹の仔と再会して、約束を果たしたらアイオラと一緒に冒険者ってやつをやってみても良いかなと思っていた。やはりなんだかんだ言って憧れが無いわけではないのだ。
遠ざかる城壁から目を離し、進む道へと視線を向ける。この道を進めば北の魔道国家へと辿り着く。そこからあの精霊湯の湧く山を探し出し、再会を果たそう。
ぼんやりとそんなことを考えているローレスの頬を冷たい風が撫でる。その風は雪の期の到来を告げていた。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
15/11/14
ルビを追加
15/11/15
ルビを少し弄りました。
15/11/20
護衛の冒険者の階級を四~五に修正。