第81話 狐と蟻(Side:Rayshield)
「そりゃね、ダキニさんの言うことだから聞かない訳には行かないけどさ」
先頭を歩くヴィアーの尻尾が目の前でフリフリと揺れている。手首、足首に付けられた鈴がチャリチャリと涼しげな音を立てる。
「でも、こんな急に言うこと無いじゃないか。そう思うだろ?」
手を頭の後ろで組んだ状態で振り返る。ぴんと延ばした背筋のせいで強調された小ぶりな胸が揺れる。
「……まぁ、旅の準備をするには時間が少なかっただろうな」
ぷりぷりと怒りながら、上半身を捻って視線を背後のライシールドに向ける。彼はヴィアーの視線を避けるように斜め上を見ながら答えた。
「だよね。ダキニさん絶対あれはあの場で思いついただけなんだ。あたしはいっつもこういう役回りでさ」
頭の後ろで組んでいた腕を広げ、大げさに嘆く振りをするとヴィアーはがっくりと肩を落とした。
「ライシールド君達も、急にあたしみたいな同行者が増えて迷惑だろ? 出来るだけ迷惑かけないようにするから、しばらくの間よろしくな」
くるくると表情がよく変わる。
アティやロシェの様な他と一線を画した美貌があるわけでもなく、ククルの様な幼い顔つきと不釣り合いな恵まれた体型があるわけでもない。
ヴィアーは小柄な少年の様な線が細いながらもしなやかで締まった健康的な肢体をしている。かといって女性的な部分がないかと言えばそうではない。愛嬌のある顔つきに中性的でありながらも控えめに主張する女性らしさが彼女を魅力的に彩っている。
「気にするな。今更一人増えたくらいでどうと言うこともない」
ぶっきらぼうに答えるライシールドに、ヴィアーは笑顔を向ける。
「そうか。そう言ってくれるとあたしも助かるよ」
ヴィアーの笑顔に何か違うものを重ねたのか、少しだけ寂しそうな表情を浮かべる。
「……どうしたんだ?」
「いや、何でもない」
その表情の変化に気付いたヴィアーが尋ねる。ライシールドはヴィアーの後ろ側に見えた姉の影を振り払うように否定し、視線を行く先へと移した。
「蛇族の縄張りはどの辺りからなんだ?」
「ああ、目の前の山を越えた辺りからだな。山頂に狐族の集落があるから、そこに今日は泊まろうと思うが、それで良いか?」
あからさまな話題の切り替えに気付いたヴィアーは、あえてそれには触れずにライシールドの誤魔化しに乗ることにしたようだ。
ヴィアーの指差す小高い山を見て、二人は今日の予定を話し合う。ライシールドはあえて訊いてこないヴィアーに感謝しつつ、いつしかいつもの調子を取り戻していった。
「と言う感じのお二人を見て、アティ姉様、ロシェさん、どう思う?」
明らかに急速に距離を縮めるライシールド達の背後で、ククルとレインはアティとロシェを見て問う。
「旅を共にする上で仲が良くなると言うことは宜しいと思いますが」
「うむ。ヴィアーは素直な良い娘じゃな」
危機感処かまさかの好印象評価に、ククルとレインは同時に溜め息を吐く。
「高貴な血筋の割に純粋と言いますか、歪みがないと言いますか」
「アティ姉様達の良いところではあるんですけどね」
独占欲が薄いと言うか、邪気がないと言うか。
「我らもヴィアーと仲良うせんとな」
アティの言葉に間違いはない。いつまで同行することになるのかは判らないが、明るい雰囲気でいられる方が良いに決まっている。
「それに、あの娘は相当出来る事は間違いありませんね。一度お手合わせ願いたいものですわ」
ロシェは獰猛に笑う。その殺気に気付いたのか、ヴィアーのふさふさの狐尾がピンと毛先立つ。
「っと、失礼しました」
殺気を引っ込めるのと同時に、不安げなヴィアーが振り返ってロシェを見る。
「ロシェ、気持ちは解るがそういうのを向けるのは事前に了解を得てからにしろ」
呆れ顔で苦言を呈するライシールドに頷くと、ヴィアーに向かってにっこりと微笑む。
「申し訳ありません。その身のこなしを見て少し疼いてしまいました」
ロシェの柔らかな笑顔に見惚れてボーッと聞き流していたヴィアーだったが、その言葉の意味が遅れ馳せながら理解できたのか、怪訝な顔で隣のライシールドに訊く。
「あの綺麗なお姉さんは、何をいっているんだ?」
ちょっと意味が判らない。疼くって何がだ。
「ああ、ロシェは戦闘馬鹿だから。ヴィアーは結構出来るんだろ? 手合わせしたくてウズウズしているみたいだ」
ライシールドの説明に耳と尻尾がぐんにゃりと垂れる。ヴィアーは別に戦いに生き甲斐を感じる類いの人種ではないので、その気持ちは理解できない。
「まぁ、鍛練の合間に適当に相手してやれば満足するだろうから」
そんなライシールドの助言に、さらにげんなりとした表情になる。生きるために鍛えてはいるが、進んで誰かと競い合いたい訳ではないのだ。
やりたくないといっても聞き入れてもらえそうもない空気に、ヴィアーは天を仰ぐのだった。
そして夕方、無事に狐族の集落に辿り着き、腰を落ち着けて一休みした後、気が付けばヴィアーは集落外れの広場でロシェを前に立っていた。
「あー……どうしてこうなった」
目の前で鞘を着けたままの長剣と小円盾を構えるロシェの生き生きとした姿を見ながら、ヴィアーはがっくりと肩を落とす。
一応こうならないように抵抗はした。移動中にちょっと足を捻ったので、と断れば神術の捻挫治癒を行使され、集落に泊めてもらう以上多少の奉仕をせねばと言えばロシェのみならずライシールド一行全員が薪を割り、撤去に苦労していた巨木の根を引っこ抜き、固い地盤を掘りぬいて井戸を完成させるといった奉仕活動に勤しんだ。因みに彼らは集落のほぼ一ヶ月分に相当する量の労働を片付けてしまい、ヴィアーは呆れるやら恐ろしいやらで複雑な表情を浮かべていた。
ここまでされてしまうと、もう言い訳を考えて避けて通る方が困難と認識、聞く耳を持たないロシェと一度だけと言う約束をどうにか取り付けてこうして対峙するに至った訳である。
「それでは、そろそろ始めても良いか?」
ライシールドがロシェよりの位置からヴィアーに声を掛けた。それに頷くとヴィアーの近くに立った集落の長が「準備良しだ」とライシールドに返事した。
一応実戦形式の模擬戦と言うことで多少の手傷を負う事は想定内としても、万が一大怪我に繋がる事態になる恐れがないとは言いきれない。なので集落一の実力を持つ長とライシールドが判定役として側に付く事になっている。いざとなったら強引に割って入る為だ。
「ロシェ、やり過ぎないようにな」
ライシールドがロシェを窘める。このお姫様は戦いになると我を忘れる傾向にある。道中何度か魔物との戦闘を経験したが、若干突出する癖が見られた。剣の腕と盾の扱いは上手いのだが、暴走気味になると危なっかしい。最近はそれを念頭に置いた戦いが出来るよう、現在は高ぶりを抑える戦いを練習中だ。
「ヴィアー、あの方は力を抑えずに戦える相手です。本気を出しても大丈夫そうですよ」
ダキニの使いでよくこの集落までお使いに来ることが多いので、ヴィアーはこの集落の住人とは割と仲が良い。特に子供には人気が高く、今も作業が無くなった集落の殆どの住人が観戦に来ているが、最前列は小さな子供達で占められていた。
弟分妹分達の声援に笑顔で答え、長の言葉に頷くと腕を回す。身体を捻り、簡単に柔軟をこなす。身体を動かすたびに、手首足首に括りつけられた鈴の音が鳴る。
「では、参りますわよ!」
ロシェがヴィアーに向かって飛び出す。無手の彼女が一体どういう戦闘形式かが判らない以上、まずは手を出して相手の出方を見る事にしたようだ。
ロシェに遅れてヴィアーも前に出る。速度では軽装のヴィアーに分があるようで、先に動き出したロシェとの最初の対峙は広場の中央となった。
鎧骨格で全身を固めるロシェに対して、前腕部や脛、胸部に申し訳程度の革の保護具を付けた程度のヴィアーの軽装は非常に頼りなく見える。手の甲や関節部を保護する部品には金属片が貼り付けられているが、それとてまともに武器を受ければ何の役にも立たないだろう。
ロシェが左手の盾を目眩ましの様に前に出し、その後ろから鋭い突きを放つ。ヴィアーはその剣を左手の甲で払って軌道をずらすと、払った力に逆らわずロシェの左側に移動、盾の横を通り過ぎて無防備な左脇腹に右手を握り締めると拳を放つ。
剣を逸らされた時点で早々に攻撃を諦めていたロシェは盾の向こう側に消えたヴィアーを肉眼で追うことを止め、鈴の音を頼りに、来るであろう左半身への攻撃に備えて強引に盾を振り戻す。体格差を考えてヴィアーの打点は低いと中りを付け、脇腹から太ももまでを特に重点的に護るべく盾を振り下ろす。果たして予想通りに突き出された拳をどうにか引っ掛けて威力を殺ぐ事に成功し、攻撃を受けた感触からヴィアーのおおよその位置を予測して下半身を踏ん張り、上半身だけで強引に左側を突いた。
しかし一撃離脱とばかりに既にその場にヴィアーは居らず、ロシェの突きは虚しく空を切った。上半身の勢いを追いかけるように右足を大きく左に踏み込むと、身体全体で左を向いて盾を構える。
「やりますわね。あの突きを払うなんてそうそう出来るものではないでしょうに」
「死角からあんなの飛んでくるんだもの。冷や汗出たよ」
三メル程離れた位置で向かい合う。ヴィアーの尻尾が揺れ、鈴が涼しげな音を奏でる。
「狐族幻惑、朧火」
ヴィアーが獣人特有の術式、獣人咆哮の狐族限定術式を起動する。彼女の周りに九つの小さな青白い炎が現れ、宙に漂う。
「今度はあたしの番だよ」
妖しく揺れ漂う炎を従えて、ヴィアーがしなやかな身体を若干沈め、前傾姿勢で足に力を溜める。
「いつでもおいでください。蟻人種の堅さ、お見せいたしましょう」
今にも襲いかからんとするヴィアーにそう答え、ロシェも防御を固めて立ち向かわんと盾を構えた。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。