第78話 擬装(Side:Lawless)
「お兄ちゃん、お姉ちゃん。今度はロナのお家に遊びに来てね! 絶対だよ!」
ぶんぶんと手を振るロナに手を振り返し、ラルウァン邸を後にする。結局館の主は翌日の昼になっても戻ってこなかった。代わりに始末書に苦戦して帰れない、とだけ使いの者が伝えていった。
「まずはルナさんに教えてもらったお店に向かいましょうか」
未だに偏見は強いとは言え、王都の新市街には結構な数の妖魔が住んでいる。自衛と共生の足がかりとして、妖魔とその支援者で構成されるコミュニティが存在する。生活様式は変えられても、種族としての制限に関しては個人の努力でどうにかなるものでもない。そういった部分を時に知恵を出し、時に物品で解決できるものならばそれを入手する手伝いをして、人と妖魔の仲立ちをする為の組織である。勿論ルナもそのコミュニティには顔が利くし、ラルウァンの立場を利用した融通等もしていたりする。
「アイオラさんはあまり妖魔としての性質が表に出ませんね。もしかして僕が気付いていないだけで道中苦労とかしてませんでしたか?」
「大丈夫よ、ありがとう。私は属性的には地を司るものだから、こうして地面と接している限りは特別不都合は無いのよ」
アイオラは割と人族に近い容姿と生活様式を持っている為、町に溶け込むのはそれほど苦労しない。だがルナが指摘したように、魔道国家にはどのような判別方法で持って正体がばれるか予測が付かない。
そこでアイオラの使う擬装魔術を見破れる術式がどれ程あるのかを調べる為、専門家を紹介してもらうことになった。新市街のはずれに建つ人の入りの悪い薬品店がルナの教えてくれた人物が居るという場所だ。
店の扉を潜ると、所狭しと積み上げられた木箱で光が遮られて薄暗い店内の最奥、そこに座る老婆が強い光を宿した目でローレスを睨みつける。
「いらっしゃい。何をお探しだい?」
しわがれた声で問うて来る老婆に、ローレスはルナに教わった合言葉を答える。
「避役の涙と看破の鏡を」
「あんたらがルナのお嬢ちゃんからの報せにあった二人かい。こっちへおいで」
老婆に招かれるままに奥へと進む。老婆は机をずらすと床の一部を強く押し、跳ね戻ってきた取っ手を掴んで引き上げる。地下へと続く真っ暗な穴が口を開けた。老婆が店の奥に向かって「店番頼むよ! 私は調合に回るからね」と叫ぶ。
「了解しました。店番はお任せを」
店の奥から柔和そうな顔立ちの青年が出てきて、老婆に頭を下げる。老婆はそれに特に答えることもせず、床に開いた穴へと身体を滑り込ませる。
「着いといで」
老婆の後に続いてまずはローレスが、その後をアイオラが追った。穴は緩やかな坂道になっていて、五メルも進むと右に折れ曲がり、そこからは壁に松明が掲げられて何とか足下が見えるくらいには明るい。先程とは打って変わって急な階段になり、そこから随分と地下に降りたところで目の前に扉が現れた。
「一応確認しておこうか。そちらの女が妖魔で、お子様が人族だね?」
首肯する。何故それが判ったのかが疑問だが、聞くほどの事かと問われれば悩むところだ。ルナが伝えてくれたのかもしれないし、ここに辿り着くまでに既に看破されていたのかもしれない。
まったく術式の起動の気配は無かった。これで看破の術式によって見破られていたのであれば、ローレス達はまったく気付かぬうちに正体を掴まれる事となってしまう。
「まぁそんなに緊張しなくても大丈夫だよ。ルナのお嬢ちゃんには世話になっているしね、不義理なことはしないつもりだよ」
そう言いながら扉を開く。その向こう側は昼間の外のように眩しく、薄暗い地下通路を進んできた為に暗闇に慣れた目には刺激の強い光だ。ローレス達は思わず目を瞑る。
「そこの女は部屋の中央に移動しておくれ。餓鬼はこっちにおいで」
ようやくその光にも慣れて室内を見回す。角灯がいくつも壁にかかっており、一辺十メルはある正方形の部屋の中央に既にアイオラは立っていた。
何が行われるか判らない以上、若干の不安は残る。しかしルナの紹介で縁を繋いだのだ。警戒を怠らないのは当然ではあるが、さしておかしな事はされないだろう。
老婆の側により、アイオラの事をじっと見つめる。何かあれば即座に飛び出せるように。
「そう警戒しなさんな。今からいくつかの術式で擬装を剥いてやろうってだけさね」
言いながら、老婆は目深に被ったフードを跳ね上げた。
ローレスは一瞬我が目を疑う。さっきまでは声も見た目も一挙手一投足まで確かに小柄な老婆だったはずだ。若干腰の曲がった、歳を感じさせるような緩慢な動きをしていたはずだ。
それがいまや背筋も伸び、声も若々しくなり、容姿も艶やかな黒髪と額に第三の目を持つ女性へと変貌していた。驚くローレスを三つの瞳で見ると、フードを被りなおす。
途端に元の老婆の容姿に戻り、フードを外すと妙齢の女性の姿に変わる。
「これが擬装術式ってやつさね。今のはこのローブに付与されていたやつさね。自分の能力、精神力の有無に関わらず一定の姿に擬装できる。このフード部分が顔と声を変えているのさね」
「付与術はそんなことも出来るんですか」
ローブを注意深く探ると、確かに付与の痕跡らしき魔素の残滓を見付ける事が出来た。言われなければ判らないような見事な術式だった。
ローレスの知っている術式は属性付与と耐性強化といった直接的な効果を付与するものが殆どだ。やはり師を持たず、基礎的な教本だけで学んだ知識では限界がある。これから向かう魔道国家でなら、師を得る事は難しいかもしれないがより深い知識を得る事はかなうかも知れない。
「おや、あんた付与術者かい。それならついでに擬装の暴き方を覚えていくと良い。暴き方が判らなければそれを防ぐ術も解らないだろうからね」
懐から二つの指輪を取り出し、ローレスに手渡す。女性は「両手の人差し指に嵌めな」と指示し、ローレスはそれにしたがって指輪を嵌める。右手の方に嵌めた指輪が一瞬ピリッと静電気の様な刺激を発し、何かが繋がったような感覚を覚えた。
女性の指示で両手の人差し指と親指で四角を作り、その間からアイオラの顔を覗くと、彼女の群青色の直毛長髪から生える山羊に似た角が見えた。指を離すと違和感無くその角は姿を消した。
「暴きの指輪、使用者次第だけれど術式的な擬装は大体見破る」
今から千年以上前の旧帝国期に作られた遺失技術の産物だそうだ。彼女自身は自前の擬装看破があるので死蔵されていたらしい。
「擬装看破の為には両手を使わなければならないし、指の間から覗いたときだけしか見破れないからね。あまり使い勝手がいいもんじゃない割には値が張るもんだから、ずっと売れ残ってるんだよ。あんたルナの紹介だしあっちの女と魂で繋がってるみたいだから信用も出来そうだ。金さえあるなら譲ってやっても良いがどうする?」
擬装を見破る手段は他にいくつもある。わざわざ両手を不自由にするような道具に大枚を叩く必要は無いだろう。
「もう少し使い勝手の良いものってないんですか?」
女性は肩を竦めて「やっぱり要らないよねぇ、そんな指輪」と奥の棚を漁り出す。なんだかんだで不良在庫を押し付けようとされていたようだ。商魂逞しい女性に苦笑いを浮かべると、ローレスは指輪を返そうと指から抜こうとした。
「……あれ?」
左手は抵抗無く抜けた。しかし右手の指に嵌めた方がどんなに引っ張っても外れない。まるで根が生えたようにびくともしない。
「おかしいねぇ。今までこんなことは無かったんだが」
どれだけ引っ張っても外れない。捻ると皮膚ごと引っ張られて痛みが出る始末だ。
「どうしたもんかねぇ。外れない以上買い取って貰いたい所だけど、流石に要らないといっている客から金を取る訳にも……」
己の職業倫理観と損得を天秤にかけて悩む女性に、ローレスは抱く必要の無い罪悪感を覚える。
「因みにこの指輪、いくらなんですか?」
「金貨で百枚は下らないね。こいつの使い勝手云々は別問題として、遺失技術が使われてるって事で希少性はあるからねぇ。しかし、この指輪にそんな大金使うやつなんて居やしないから、うちでは金貨五十枚で出してたんだけど」
金貨五十枚。結構な大金である。農村の一家族なら一年は遊んで暮らせる。
「まぁ待ちな。私だってこんな押し付け詐欺みたいなことはしたくない。そもそもどうせいつまで経ったって売れやしない不良在庫だ。相場の十分の一でどうだい?」
相場の一割といえば破格の値段と言えるが、元が元だけにそれでも金貨十枚となる。払えない金額ではないが、やはり少々高い。
「この変装外衣もつけてやろう。こっちは借金の利子の肩代わりに毟り取ったヤツだから、私もそれほど損はしないし」
装着するときに想像した容姿に擬装することができるらしい。使いこなせば声や体格なんかもある程度は自由に変えることが出来るそうだ。
「解りました。では金貨十枚で」
「まいど。すまないね、余計な出費させちまって」
左手の人差し指にも指輪を嵌めなおす。買ってしまった以上、どうにかして良い使い道を考えねばならない。今は何も思いつかないが。
「さて、肝心の案件に入る前に余計な問題を起こしちまってすまなかったね。それじゃあ擬装解除の術式を試していこうか」
部屋の中央に立つアイオラに目を向けると、女性はローレスの聞き取れない言語で何事か呟く。アイオラの身体が何度か淡い光に包まれるが、変化は何も起こらない。
「中々いい擬装術式だね。これならそこそこの使い手程度なら見破れないだろう。次は少し高度なヤツを行くよ。ちょいと全裸になってくれるかい?」
全裸。その言葉にローレスは慌てて後ろを向く。女性はその行動に怪訝な顔を向けた。
「なんだい? 魂で繋がっておいてまだなのかい?」
「ええ。ローレス君に任せていますから。彼がその気になるまでゆっくり待ちます」
アイオラが若干顔を赤らめて答える。当のローレスは後ろを向いたまま硬く目を瞑る。二人の受け答えからまだの意味は何と無く察しは付いたが、前世の頃から晩熟のローレスには刺激が強い話だ。まぁまだ十歳の身体に引き摺られて精神的に未成熟と言うこともあるが。
「あんたがそれで良いなら良いけどね。こっちのは相当ヘタレっぽいから、相当待つんじゃないかい?」
呆れたような女性の声に内心でほっとけと突っ込むも、ヘタレの自覚があるだけに強くは出られない。
「まぁいい。恥ずかしかったらお前さんは部屋から出ておくと良い。擬装の暴き方はこの後教えてやろう」
アイオラの立つあたりから聞こえる衣擦れの音から逃げるように部屋を飛び出す。そういうことに興味が無い訳ではないが、もうちょっと体格的に釣りあうようにならないと覚悟が決まりそうも無かった。
早く大人になりたい。生まれ変わって初めて己の子供な身体が恨めしく思えたローレスだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
15/11/13
子供名からだが→子供な身体が