第72話 訓練(Side:Lawless)
「あの城壁の手前が新市街、向こうが王族や貴族の邸宅のある旧市街になります」
カイトの説明を聴きながら、ローレスは馬車の窓から彼の指差す方を見る。
まだ随分と遠いはずなのだが、その城壁は山のような高さでもってその存在を主張していた。城壁の手前には町並みらしきものが見えるが、それも城壁ほどではないが高い壁で覆われているようだ。
「あの城壁はどれ程の高さがあるのですか?」
「一キルメあると言われていますね。正確な数値は軍事機密とかで公開されていませんが」
実はあの城壁は古代遺跡の一部だそうだ。この地に王都が出来る遥か昔からあそこに聳えていたらしい。確認されている最古の記録では五百年前には既にあったと言われている。
城壁の内側は一部迷宮になっているらしく、防衛の意味でも盛んに攻略が進められている。王都守護騎士団の任務の半数がこの城壁迷宮の監視と攻略と言っても過言ではない。
無論冒険者も許可を取れば攻略に参加できる。新市街側に冒険者組合の王国本部があり、多くの冒険者がここを利用している。
人が集まれば物も集まり、物が集まれば金も集まる。新市街は大陸でも一、二を争う大都市である。
「新市街を囲んでいる壁は後に造られたものですが、そろそろ新市街の許容量を人口が越えるということで、新たに外側に建設される予定だそうですよ」
遠目に見ても端が見えない城壁でも、収まり切らない数の人が住む都市ということだ。大陸一、二の大都市と言われても納得できる。
「今代の女王様は公明正大で、かつ民を第一に考えてくださるお方で、その人柄に惹かれてここに移り住むものも少なくないと言います。先代は王でありながら先陣に立ち、常に騎士達と共にある豪胆な方でしたが、当時戦争状態にあった侵略者との激しい戦いの末、辛くも撃退した際に受けた傷で命を落とされたそうです」
重傷を負った王を王都まで連れ帰ったのがラルウァンだったらしい。当時、王位継承権を持つ者でその場に居合わせたのは王女ただ一人。
死を前にした王から戦時特例で王位継承を受け、戦後復興に尽力した。しかし国が安定した頃に他の王位継承権を持つ者達が異議を唱え、王位の返還を求める騒動が起きたそうだ。その際に女王の側に立ち、よく護ったのがラルウァンであり、それらの功績から叙爵されたが後にとある事情で爵位を返還、現在は一介の騎士としてその剣を振っている。爵位は返還したが、その功績が消えた訳ではない。名前だけの爵位である名誉男爵の地位と卿の敬称だけは残されている。
「ラルウァン卿はまさに英雄なのですね。なぜ爵位を返還されたのかが気になりますが」
「妖魔の女性と結婚しましてね。当時は妖魔との間には乗り越えがたい壁がありまして、周りの反対がうっとおしいと、女王に直接許可をいただいて返還されたらしいです。一時は王国自体を見限るつもりだったそうですが、女王様には弱いラルウァン卿は彼女のためにこの国に残ることにしたそうです」
一人の女のために貴族の地位を捨て、一人の女のために剣を捧げて国に残っているらしい。
「素敵な話ね。ラルウァン卿、女性に人気が高いんじゃない?」
アイオラが少しうっとりした顔で訊く。妖魔と結婚と言う件に、自分とローレスでも重ねたのかも知れない。
「そうですね。本人を知らない女性からはよくそういわれますね。まあ本人もいい人なんですが」
どうにも歯に物が挟まったような言い回しをする。横でクローラも苦笑いしている。
「お父様はその、いろんな意味で豪快な方ですので」
まあ、会ってみれば判るだろう。ローレスは呑気にそんな風に考えたことを後悔することになる。もっと詳しく聞いておけば、対策も立てられただろうに。
「君が手紙に書いてあったローレス君か。孫のロナが色々とお世話になったようだな」
四十はとうに越えているはずなのだが、ラルウァンは三十代前半でも通じるほどに若々しい。くすんだ金髪を短く切り、派手すぎない上品かつ動きやすそうな衣服を着用している。左手は革製の肘まである手甲をしており、左腰には剣身の部分だけでも長さ一メルはありそうな片手半剣を佩いている。
やけに威圧感のある笑顔で右手を差し出し、ローレスが握手に答えると異様な力で握り締めてきた。
「ロナが随分と懐いているようだが、勘違いしてもらっては困るぞ」
ぼそり、とローレスにしか聞こえないような声で囁く。ローレスは反論どころか声もでない。右手の感覚が無くなるほどの力で握りつぶされているのだ。
「何してるの、お父さん」
クローラがラルウァンの背後から頭をはたく。更に後ろで半泣きのロナが「お兄ちゃんをいじめるおじいちゃん、嫌い」と訴える。
「ろ、ロナ!? お祖父ちゃんは別に虐めてないよ!?」
慌ててローレスを解放し、情けない顔でロナに詰め寄るラルウァンはとても国を救った英雄には見えない。
「……確かに、無知ゆえの憧れってヤツね」
アイオラは溜息を吐く。ローレスなんかはこうした隙のある男の方が付き合い易そうな印象があるのだが、やはり女性は違うのだろうか。
「ローレス君の言いたい事は解るけどね。それは憧れの対象には必要ないものなのよ」
隙の方向に因っては魅力になりえるのだろうが、孫のお気に入りの男の子に脅しを掛けた挙句、情けない姿を晒すのは如何なものか。少なくともアイオラの好みからは外れるようだ。
「ロナちゃん、ラルウァン卿は別に僕の事を虐めたりしないよ。さっきもただの挨拶だよ」
半泣きのまま「本当? お手手痛くない?」とラルウァンに握りつぶされた右手を擦ってくれる。鬼の形相の彼を横目で見ながら、ローレスはロナの頭を撫でる。
「大丈夫。ラルウァン卿はロナちゃんのことが心配だっただけだよ」
頭を撫でられてくすぐったそうにした後、ロナはいつもの笑顔に戻ってくれた。
「ラルウァン卿はロナちゃんのことが大好きみたいだね」
「うん! ロナもおじいちゃんだいすき!」
満面の笑顔で答えるロナに打ち抜かれ、ラルウァンは胸を押さえて蹲る。何とか昇天を免れて立ち上がると、彼はロナを抱き上げると肩に乗せた。
「お祖父ちゃんの格好良いところを見せてあげよう! ローレス君、ちょっと君も付き合ってくれたまえ」
見学の許可を貰う前に同行が決まってしまった。何と無く見学と言う雰囲気では無さそうだが、断ることは無理そうな流れだ。
「……ローレス君。死なないでね」
心配そうなアイオラの物騒な懸念が外れることを願うしかなかった。
そして何故かローレスはラルウァンの横に立っていた。目の前には百人ほどの完全武装の騎士兵士の皆様が整列している。
「こいつは今日の訓練の特別参加者だ! 弓兵の訓練に参加させる! 締めの演習までに色々叩き込んでおけ!」
見事な同期で敬礼をすると、各隊はそれぞれの訓練場所へと移動していく。呆気に取られるローレスの腕を、弓を背負った女性が引っ張った。
「ぼさっとしてたら駄目だよ! ラルウァン卿は気を抜いてるヤツには容赦ないからね」
そもそもこんな餓鬼のお守りを何であたしが……等とぶつぶつ呟いているが、こちらこそ問い詰めたい。なぜこうして訓練に参加するはめになっているのか。
「弓は一応射てるんだよね? あの的に十射して。精度を見ないと力量以前だからね」
どれだけ強力な一撃も当たらなければ意味がないのだ。
ローレスは百五十メル先の藁人形の的を狙って弓を引き絞る。
「ちょっと、どこ狙ってるんだい! そっちじゃなくてあっちの……」
集中したローレスには女性弓兵の声は届かない。藁人形の右手に当たる部分に矢が突き刺さる。
「うっそ、一射で百五十を当てるなんて……」
一射捨てて標準を合わせてなら彼女でも中てられる。偶然に違いないと自分に言い聞かせる彼女の前で、偶然は必然に変わる。
左手、右足、左足と中てていき、次は右肩、左肩、腹、胸、首と矢で貫く。最後の一射に眉間に相当する部分に矢が突き刺さったところでローレスは大きく息を吐く。
「ふう、このくらいでどうでしょう」
旅の間は余り弓の訓練をする機会もなかったので、思い切り射たせてもらった。スッキリした気持ちで振り返った先で、女性弓兵が驚愕の表情でローレスと的を交互に見ていた。
「……あんた、何者よ」
なんとか出てきた言葉に、ローレスは答える。
「南の帝国の猟師ですが」
帝国猟師恐るべし。彼女の心にはそう刻み込まれたのだった。
ローレスの動向を伺っていたラルウァンは、その弓術に感嘆の声を漏らした。
「あいつ、やるなぁ」
可愛い孫の興味を引く気に入らない餓鬼だと思っていたが、その腕はなかなかの物だ。伊達に蛇蝎のアボミを討伐してはいないということか。
「弓兵の訓練を中止、こっちに集合させてくれ」
横で全体の訓練状況を報告していた騎士に指示を出し、ラルウァンの前に二十名の弓兵とローレスが整列する。
「ローレス君、ちょっと百メル程下がってくれるか」
言いながら、ラルウァンは肩を回しながら前に出る。側に寄ってくる騎士達を手で制すると、ローレスと向かい合う。
「さて、好きなように射てくれて良いよ」
「好きなようにと言われても……武器も防具も無しの相手には流石に」
ラルウァンは真顔で「十年早い」と右手を突き出して、人差し指を動かして射て来いとばかりに挑発する。そこまでやられては流石にローレスも黙ってはいられない。弦を引き絞り、ラルウァンの左手を狙って矢を放つ。
「甘いな。俺を殺すつもりで射ても中らんよ」
放たれた矢はラルウァンに中ることは無かった。一瞬右手がぶれた様に見えたかと思ったら、その手にはローレスの放った矢が握られていた。
「おいおい……マジかよ、ラルウァン卿は化け物か」
「お前、今の見えた?」
「無茶言うな。俺はまだ人間だ」
周りで見学中の弓兵達がざわつきだす。その声に他の場所で訓練をしていた者達も何事かと近づいてくる。ラルウァンはそれらを一瞥すると「良い機会だから弓兵と対峙したときの対処法を見ておくように」と告げると再びローレスに視線を移す。
「次は本気で来い。万が一にも俺に中てられたら良いことを教えてやるよ」
普通に射ても中らない。ならばどうすれば良いというのか。ローレスは考える。まず一本では駄目だということは判った。ならば次は。
「ほう」
矢を三本持ち、一本を番えて残り二本をそのまま指で握る。弦を引き絞り、まず一射。当たったかどうかの確認など後回しに、指先だけで器用に二射目を番えて射る。同じように三射。
「今のは良いな。弓兵! 見たな? 覚えろ」
ラルウァンの足下には三本の矢が落ちている。そして右手には一本の矢。背後の「はい!」と全員一致の返答を聞きながら、再び構える。
「さて、次はどうする?」
ローレスは何と無く解ってきた。ラルウァンに中てるには早さや数でどうにかなる話では無さそうだ。
「使用するのは矢以外は駄目って事は……」
「無いな。何を使っても良いぞ」
そういうことなら弓に拘る必要はない。ローレスは知らず知らずの内にラルウァンに文字通り一矢報いる為に策を考えるのが楽しくなってきていた。
「では、行きます」
ラルウァンは遥か高い位置の強さを持った武人だ。胸を借りるつもりで全力で行こうと、ローレスは矢を番え、狙いを付けるのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
16/01/31
柵→策