第71話 牛料理(Side:Lawless)
ちょっと一眠りのつもりが、二人揃って盛大に寝過ごしてしまった。
実は夕食を共にと約束していたのだが、なかなか出てこないローレス達を心配してカイトは従業員を部屋に向かわせた。呼び掛けに起こされたローレス達は慌てて準備をして玄関広間で待っていたカイト達に頭を下げる。
「すみません、ちょっと休憩のつもりが寝入ってしまいまして」
「ははは、お気になさらず。長旅の疲れが出たのでしょうな。うちのロナもさっきまで夢の中でしたしね」
まだちょっと眠いのか、クローラに寄りかかってうとうとしている。ローレス達の姿を認めると眠気が吹き飛んだのか、飛び上がって駆け寄ってくる。
「ローレスお兄ちゃん、遅いよーっ!」
「ごめんごめん、ロナちゃんと一緒でちょっと寝ちゃってたんだ」
そっかー、と解ったんだか解ってないんだかよく判らない返事をして、ローレスと手を繋いでにぱーっと笑った。
「あら、お姉ちゃんのローレス君盗られちゃったなぁ」
「お姉ちゃんはこっち」
ロナは空いている方の手を差し出す。アイオラはロナの手をとると二人でにっこりと笑い合う。
「あらあら、ロナちゃん、あんまりご迷惑を掛けてはダメよ?」
母親のクローラがやんわりと注意するが「迷惑なんかかけてないもん」と聞く耳持たずだ。ローレスもアイオラも特に気にしていないので問題ないと言えば問題ないが。
「この宿に併設されている料理店なのですが、中央王国の料理を主軸としたものが多いのが特徴ですね。ローレス君は南の帝国から出たことがないと聞いています。この機会に中央の料理もお試しいただこうと思いまして」
カイトの案内でロビーから屋根続きで建てられた建物に移動する。上品な雰囲気の店内には四人掛けの机が十程並んでいる。奥の壁には3つ扉があり、個室棟と大人数用の部屋にそれぞれ繋がっているとの事だ。店内はすでに全席埋まっているようで、ローレス達は奥の個室棟へと通された。
「特別苦手なもの、宗教上あるいは種族的制約のある食べ物等ございませんか?」
まず白パンの篭が置かれた。その際に給仕の若い男性がローレスとアイオラに確認を取る。ローレスは特に好き嫌いはないし、宗教上の禁忌もない。アイオラも特に気を使うほどの物はないようだ。
中央王国は広大な湿地帯を南東部に持ち、その周辺では野生の水牛や湿地特有の作物などが多数存在する。それらを用いて作られる中央料理の代表作が彼らの前に並べられる。深皿に入った白いスープにローレスは懐かしさを覚える。
「家畜化された水牛の乳をベースに野菜と燻製肉を使って作ったスープになります。初めての方は水牛の乳の独特の風味が苦手と言う方もおられますので、お口に合いませんようなら残していただいても構いません」
ローレスの知るクリームシチューと比べると、さらさらとしてとろみがなく確かに独特の臭みを感じるが、恐らく水牛の肉を燻製にして作ったであろうベーコンの旨味と野菜の甘味がそれ以上の美味しさを提供してくれる。
「僕は平気ですね。むしろこの独特の風味が燻製肉と合うと言うか」
「私は少し苦手かもしれないわ。野菜や燻製肉は美味しいのだけれど、この臭みはちょっと」
ローレスは想像とは少し違う食感と味ではあったが、これはこれで口に合ったようだ。逆にアイオラには余り合わなかったようで、申し訳なさそうに匙を置いた。
「これは王国民でも好みが別れるものだそうですので、アイオラさんはお気になさらずに。ローレス君に気に入っていただけたのは嬉しいですね」
アイオラの前の皿が下げられ、代わりによく見る野菜ベースのスープが入った深皿が置かれた。付け合わせの燻製肉のベーコンと煮込まれた野菜の香りが食欲を誘う。よく見ればロナの前にも同じスープが置かれている。
「見ての通り、ロナも水牛の乳のスープは苦手でして」
三歳にしては上手に匙で掬って食事をしているロナを見ると、ローレスの視線に気づいて首を傾げる。何でもないと返すとにぱっと笑顔を返してくれた。
「次は水牛の熟成肉のステーキです。こちらの肉叉で押さえてナイフで切り分けて食べてください」
次に出てきたのは木の皿に盛られた厚さ二セル程のステーキだった。カイトは左手に二股のフォークのような物を持つと肉に刺して固定すると、右手のナイフで一口大に切り分け、肉叉で刺して口に入れる。
ローレスは前世の知識があるのでナイフ捌きも慣れたものだが、アイオラはフォークとナイフを使った食事というもの自体が初めてなので、少し苦戦ぎみだ。
「アイオラさん、やりましょうか?」
見かねて声をかけると「お願いして良い?」と申し訳なさそうに皿を寄せてきた。ローレスはまず目の前の皿の肉を素早く一口大に切り分けるとアイオラに渡し、アイオラから受け取った分を自分の前に置いた。
「ローレス君、見事な捌き方ですね。とても初めてとは思えません」
「これでも猟師の端くれですから。肉の扱いが苦手では勤まりませんよ」
確かに、とカイトは納得したように頷く。猟師云々も理由の一つではあるが、手慣れている本当の理由は上手いこと誤魔化せたようだ。
食後に出されたお茶を飲みながら、今後の予定を話し合う。
「ここから北に街道を進むと王都に出ます。途中何度か町によって宿泊する予定ですが、ローレス君達もそれでよろしいですか?」
「そうですね。道中わざわざ町の側で野宿もないでしょうし、僕達もそれで構いません」
その日程で王都まで行くとなると、大体十日から十二日位の旅程になるようだ。
「ひとつお聞きしたいのですが、リーア商会と言うのは王国名誉男爵で大戦の英雄、ラルウァン卿の御生家の事でしょうか」
アイオラが唐突に尋ねる。
「ああ、ご存知でしたか。ラルウァン卿は私の伯母の夫の弟に当たり、クローラの父親でもあります」
ラルウァンは直近の二つの大戦で功績をあげ、王国に多大な貢献をしたことで過去に男爵位を一度賜った。その剣技は大陸に並ぶものなしと言われる剣豪の一人である。現在は王家の信も厚く、王都の守護騎士団の剣術指南役を勤めているそうだ。
「今回もそのラルウァン卿を訪ねる訳ですか」
「ええ、うちのロナを随分と可愛がってくれましてね。数ヵ月置きにわざわざ訪ねて来られるんです。今回も来てくださるつもりだったみたいなのですが、一度はロナに王都を見せてやりたいと言うこともありまして、私たちの方から出向くことにしたんです」
ラルウァンはロナに良いところを見せたいらしく、到着初日に騎士団演習の見学が予定されているらしい。
「お急ぎでないなら、ローレス君達もご一緒に見学しませんか?」
騎士団の演習風景なんて、見られるものなら是非見てみたいところだが。
「しかし、良いんですか? 僕達みたいな素性も判らない者がそういう国の防衛の要とも言える行事を見学させてもらっても」
カイトはそんなローレスの懸念に目を見開いて驚く。十歳の少年が思い付くような問題ではない。
「ローレス君は本当に聡いですね。でもたぶん大丈夫ですよ。王国にちょっかいをかけようとする勢力が演習風景を見たら、おそらく考えを改めるでしょうね」
そうまで言われると俄然興味がそそられる。許可が得られるのなら、是非見学させていただくということで話がついた。
「さて、そろそろお開きとしましょうか。ロナが限界のようです」
いつの間にか結構な時間が過ぎていたらしく、ロナはクローラに寄りかかって寝てしまっている。
カイトが抱き上げると「お兄ちゃん、おやすみー」と力無く挨拶して完全に寝てしまった。明日は昼前には手配した馬車が到着するそうで、それまでは自由にしていて良いらしい。
「では、僕達は明日は少しこの辺りを見て回ります。お昼前には宿に戻りますので」
「慌てなくても大丈夫だよ。多少遅れても問題ないように日程は調整しているからね」
ではまた明日、とカイト達が食堂を後にする。ローレス達もそれに続いてロビーまで出ると、アイオラがローレスの腕を引く。
「ローレス君はもう眠たい?」
「中途半端に寝てしまったので、まだ全然眠くはないですね」
ローレスの答えにほっとすると、困ったように「私もなのよ」と答える。夜とは言っても、まだ開いている店も多い。後一、二時間は人通りも多いだろう。
「そうですね。明日以降の旅の準備の為の下見にでも行きましょうか」
露店や冒険者向けの店ならまだやっているだろうし、そういう名目で町を歩けば、良い時間潰しになりそうだ。
遅くならないように、危なそうな所に近付かないように注意しつつ、街灯がしっかりと点った道を選んで進む。
「何か気になるようなものはありました?」
ふるふると首を振る。目的があるわけでもないので何も見付からなければそれはそれで構わないのだ。
「僕は、先日使った投げ短刀の補充を忘れてました。購入自体は明日でも良いと思うので、今は見送りですが」
後は美味しそうなものがあったら仏具【蓮華座】に登録してしまえば道中食に困ることもなくなる。今手に持っている野菜のサンドイッチや肉を挟んだパンなんかは、そういう目的で買ったものだ。
牛乳が比較的手軽に手に入るからか、チーズを使った食品が多い。前述のサンドイッチ等にも薄切りされたチーズが挟まっていたり、溶けたチーズをまぶしてあったりと結構胃に重い。
「アイオラさんは無理に付き合わなくても良いですよ。さっき食べたばかりですし」
ローレスはまだ育ち盛りの十歳だから、多少無茶な量を食べても問題ないだろう。しかし女性にそれを真似させる訳には行かない。
「そうね。さすがにそんな重たそうな物を食べる自信は無いわ。だから」
ローレスが持っている食べかけのサンドイッチに口をつける。
「一口だけ頂戴ね」
悪戯っぽく笑うアイオラが夜の街灯の光に照らされる。何気ないやり取りが楽しい。そんなちょっとした幸せに水を注す不届き者はどこにでも居るものだ。
「お、可愛いねーちゃん発見。何だよ、そんな餓鬼と一緒に夜のお散歩ってか? 寂しいおねーさんにお兄さんが素敵な夜「廃棄物処理」をぉ!?」
アイオラの肩に背後から手を掛けようとした明らかに酒に酔った若い男が突然姿を消す。彼の足下の地面が消滅して、彼の身長程の穴が生成される。ローレスの独自魔術で狩りの獲物の廃棄物処理を目的とした穴掘りの術である。分解促進の為に、付近の地虫や蚯蚓を引き寄せる効果も付属している。
「うお、なんだこれ!? うぇ! なんか降って来やがった!」
穴の中で酔っ払いの男が騒いでいる。壁面から地虫や蚯蚓が降り注いでいるのだろう。
「埋め戻し」
止めとばかりにローレスが呟くと、男の胸の上辺りまでが一気に土で埋まる。これは廃棄物処理と対になる術で、掘った穴を埋める効果がある。男の身動きが取れなくなった所でローレスは穴に向かって宣告する。
「お兄さん。呑みすぎて気が大きくなってるようだけど、絡んだ相手が悪いよ。そこで頭を冷やして、今後は気をつけてね」
水をぶっ掛けないだけ優しいと思っていただきたいところである。アイオラにちょっかいを出そうなど、天が赦してもローレスは赦さないのだ。
煉土で煉瓦を積み上げ、誤って誰かが落ちないように細工する。後は町の警備兵にでも通報しておけばいいだろう。
「アイオラさん、大丈夫?」
「うん。ローレス君が護ってくれたから平気よ」
アイオラの事となると容赦がどこかに家出するローレスにしては、寧ろ押さえた方だろう。声を掛けようとして半生き埋めになった方としてはたまったものではないが。
「そろそろ宿に戻りましょうか。酔っ払いも増えてきたみたいですし」
よく見ればそこかしこに赤ら顔の男が居る。ローレスの勘違いでなければ、その半数以上がアイオラの事をチラチラと伺っている。アイオラの美貌からすれば当たり前なのかもしれないが、ローレスからしたら面白くない。
「遮蔽幕」
夜行性の獲物を狙うとき、焚き火やランタンの灯りを外に漏らさないようにするための自然魔術の術である。外からは中は見えず、中からは外が見える。反射硝子の様な効果を持った幕で対象を覆う。
「これでアイオラさんは誰にも見られないはずです」
「ふふ、ありがと」
ローレスに手を引かれ、小走りで宿へと戻る。そんな彼のささやかな独占欲が嬉しいアイオラだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。