第67話 罪の意識(Side:Lawless)
夜が明けてしばらく待っていると、街道の北側から護送用と思われる大型の馬車一台と騎馬五騎、少し遅れて徒歩の駐屯兵の一団が到着した。
「捕獲が十四に討伐が十七、頭領はこの黒焦げか。そっちの指がちぎれたのと腹に矢が刺さった二人が幹部か」
褒賞金鑑定官が武装盗賊の査定を始める。と言っても名も売れていないような者は一律死体で銀貨五枚、捕虜は犯罪奴隷として労働力となるので銀貨十枚が支払われる。幹部二人はそれぞれ小規模な盗賊団を率いていた経歴があったようで、どちらも労働力としても申し分ないと一人金貨一枚が支払われることになった。
肝心の頭領が問題だった。どうやら中央王国で幅を利かせていた武装強盗団の生き残りだったらしく、賞金がかかっていたそうだ。
「蛇蝎のアボミ。こいつは狙った獲物を嬲り殺しにする事で有名でな。被害者の遺族からの訴えで賞金が跳ね上がってたんだよ。中央の盗賊狩りから逃れて姿を暗ましていたんだが、よもやこんな所で再起を図っていたとはな」
懸けられた賞金は金貨五十枚。破格の額だが、それだけ恨みが強かったのだろう。ローレスの取り分は金貨五十二枚銀貨四十五枚となる。幹部二人と無名の盗賊が一人、犯罪奴隷として計算された。茂みに隠れた一人が足を射抜かれただけで命に別状はなかったらしい。
流石に今この場にそんな大金の持ち合わせはないので、金貨二枚と銀貨四十五枚だけ受け取り、アボミの分は討伐証書の発行がなされた。これを街道警備の本部か国境関所に持っていけば換金してくれる。
受け取った現金の入った革袋を見つめて固まるローレスに、アイオラが声を掛ける。
「ローレス君、どうしたの?」
アイオラの声に金縛りが解けたようで、ローレスは力なく笑う。
「こうして対価を受け取ると、人を殺したんだって実感出来たって言うか……」
実際に襲ってこられた時はアイオラを護ると言う一念で夢中だったし、頭領のアボミと戦っているときはやらなければやられていた。終わってからもあまりにあっさり命の灯が消えていったので実感が沸かず、人を殺したと言う忌避感を感じる暇もなかった。
と思いたかった。
「殺したことになにも感じなかったんだ。きっと人を殺すって言うのはもっと心にクルものがあると思ったんだ。でもなにも感じなかった。森の獣を射止めるときにすら感じる罪悪感が欠片もないんだ。僕はそれが怖い」
今回は凶悪な犯罪者で、命の危機でもあった。しかし次はどうなるか判らない。行き違いから争いになったら、ちょっとした悪事を目にしたとき、自分にとって気に入らない相手にたいして、どんどん敷居が下がっていき、いつか罪悪感を感じない自分が当たり前になるのが怖かった。
「なんだ、そんなこと?」
アイオラは事も無げに答える。
「そんなことって、僕は結構本気で不安なんだけど……」
「だって、ローレス君はローレス君でしょ? そんな悩みを抱えて迷うような人の、心の箍が外れるようなこと、そうは無いと思うわよ?」
呆れたように笑い、アイオラはローレスを抱き締める。
「それにね、もしそんなことになったら、私が連れ戻してあげるから安心なさい。私の全部を賭けてでも、必ず連れ戻してあげる」
アイオラの心臓の鼓動を聴きながら、ローレスは不安が小さくなっていくのを感じていた。
「そんな必要ないと思ってるけどね。ローレス君は優しい良い子よ。それに私の騎士様ですもの」
アイオラの腕の中で安心しているうちに、どうやら冒険者の方にも報酬が支払われたようで、馬車の辺りが騒がしくなってきた。
「そろそろ出発みたいです。僕達も行きましょう」
いつまで経っても一向に離してくれないアイオラに声をかける。
「んー、もうちょっと。ローレス君の抱き心地、最高よ」
「そういうことではなく、見られちゃいますよ!?」
何とか逃れようとアイオラの腕の中で暴れるローレスだが、どんな技術か巧みに力点をずらして抜け出せない。寧ろあんなところやそんなところを触ってしまってローレスが硬直する事態に陥る。
「見られても私は困らないわよ? それともローレス君は私とくっ付くのが嫌なの?」
「アイオラさんっ!? その質問は狡いですよ!」
嫌な訳がなかった。ローレスも健康な男の子である。結局、御者に出発の声をかけられるまでアイオラは離してくれなかった。
街道を塞ぐように建てられた大きな門と東西に延々と続く高い防壁が、南の帝国と中央王国を隔てる国境となる。西は禁忌の砂漠を警戒する砦まで、南に森人の大森林を見ながら続き、東は疾風の森林付近の監視塔の辺りまで続いている。
防壁の上は馬車が通れる程度の広い通路になっており、頻繁に伝令や監視の兵が行き来しているのが見える。
「それでは、皆さん良い旅を!」
御者が護衛達を連れて移動していく。国境付近の乗り合い馬車用の待合所で客を乗せ、今度は街道を南下する進路を取るようだ。
「おし、俺らも行くか。今日中に依頼を終わらすぞ」
冒険者達も移動していく。あれから馬車内で何度か話をする機会があり、彼らが国境を目指して移動していた理由を聞いた。
普段は帝国領南部の町を拠点に活動しているのだが、特殊な病気の治療に必要な薬草を採取する依頼を受けたかららしい。その薬草は暑さに弱く、国境付近になら辛うじて自生するらしい。しばらくこの辺りを探し、もし見つからないようなら国境を越えるそうだ。
「僕たちも行きましょうか」
ローレスがアイオラの手を取り、先行する親子連れの後を追った。彼らとは途中まで行き先が被るので、一緒に行動することになっている。旅の途中で知った名前は父親がカイト、母親はクローラ、そして娘はロナと言うそうだ。
「それでは、私は出国に時間がかかりますので、ここで失礼します。またどこかで会いましょう、師匠」
商人のニルはそう言うと商会用の出入国口へと向かっていった。関税や違法な密輸の検査があるらしく、それなりに時間がかかるそうだ。入国後も直接自分の店に移動するそうなので、彼とはここでお別れだ。
「結局師匠呼びは変わらなかったな」
「良いじゃない。それだけあの人がローレス君から得る物が多かった証って事じゃないかしら」
出入国審査は思ったよりあっさり終わった。ローレスは辺境とは言え立派な帝国人で戸籍がはっきりしているので問題ない。事前に父親のウルが申請して発行してもらっていた身分証を提示するだけでよかった。
意外だったのはアイオラで、身分証として提出したのは冒険者証だった。ほとんど依頼は受けていないらしく、まだ冒険者階級は二、準初級となっていた。東の竜王国で取得していたそうだ。
「ローレス君に会うためには国境を越えないといけなかったから、身分証代わりに取っておいたのよ」
入国審査の時、ついでに賞金の換金もお願いした。討伐対象の名前と賞金額に一瞬窓口がざわついたが、別窓口に移されるでもなく換金が完了した。
「ローレス君、アイオラさん、そちらも無事出国できたようですね。私たちはここで一泊する予定ですが、お二人がまだ宿を決めていないならご一緒にどうですか?」
カイトの提示する宿は見るからに高級といった感じの大きな建物で、如何にも敷居が高そうだ。
「因みに一泊おいくらですか?」
街道沿いの宿で、素泊まり専門の大部屋なら銅貨五十枚から銀貨一枚、普通に食事つきの個室なら銀貨五枚から二十枚、贅沢をしても銀貨三十枚でお釣りが来る。
「確か、一部屋金貨一枚だったかな」
さらりととんでもない金額が出てきた。庶民の平均月収の二倍を一晩で要求する宿なんて聞いたことがない。
「ああ、宿泊費はご安心ください。命の対価としてはまったく足りませんが、救っていただいたお礼のひとつと思ってくだされば」
金貨を端金のように扱うカイトの姿に、ローレスは初めてこの男の素性に興味が出た。
「いえ、宿泊費は賞金を頂いたので問題ないのですが、カイトさんは普段からこの宿をご利用なんですか?」
「ええ、うちの商会の出資で経営している宿ですので、宿泊費は頂きません。安心してお寛ぎください」
聞けば南の帝国領南部の海商都市で塩を扱う商いをほぼ独占しているリーア商会の次期会頭候補だそうだ。リーア商会には“受けた恩に報いるには、出来る全てを持って尽くせ”との会訓がある。家族三人の命を助けてくれた大恩を返すには金貨の一枚や二枚は物の数でもないのだろう。確かに、そんな商会の身内ならば出し惜しみをする愚は犯すはずがない。
だが同時にそんな人物が護衛もつけずに国境まで乗合馬車を使うなど無用心に過ぎるのではないか、そう訊いてみると、“貧して腐らず、富して奢らず”と言う会訓も掲げており、国内の整備された道を行くのにわざわざ護衛や専用の馬車を雇うまでも無い、と乗合馬車での移動を徹底している。護衛の質や同乗者を見極め、自らの安全は自らで勝ち取ると言うのが信条であった。
「まだまだ人を見る目を養わねばなりません。同乗の冒険者と護衛の数で安全を図ってしまいました。ローレス君のことも見誤っていましたしね。お恥ずかしい限りです」
ばつが悪そうに頭を掻くが、乗合馬車一台で護衛六、冒険者五は十分過剰戦力だ。今回は相手が悪すぎただけだ。そもそもローレスを強者と認識できる人間はそうは居るまい。見た目は十歳前後の子供なのだから。
「ローレスお兄ちゃん達も一緒にここで泊まるの? やったー!」
焼き菓子の一件以来懐かれてしまった様で、ローレスが同じ宿に泊まると言う話に飛び上がって喜んでいる。お金が無いでもないし、遠慮するつもりだったのだがどうにもそういう訳にもいかなそうな空気になってしまった。隣のアイオラも若干困り顔だが、ローレスと目が合うとにっこりと笑って頷いた。
「……よろしくね、ロナちゃん。クローラさんもお世話になります」
分不相応な高級宿に気後れしながら、入宿手続きを済ませる。豪華な内装に若干引きながら、従業員に案内されて部屋へと向かった。
通された部屋は最高級としか言い様のない部屋だった。灯りの魔道具を惜しげもなく設置し、床には特殊な編み込みの見事な刺繍がされた絨毯が敷かれ、壁には防音と断熱を兼ねた大型の動物のなめし皮が、壁紙のように隙間なく張られている。続き部屋の奥は寝室になっていて、ベッドはどんな中綿を使っているのかは判らないが、まるで雲のように軽くふかふかで、触り心地も抜群である。きちんと二台ベッドがあったのを見てローレスはほっとしたような残念なような複雑な気分になって慌ててその邪な考えを振り払った。
更に従業員の説明によると、二台のベッドの間にある小さな机の上に置かれた魔道具は、宿の受付に直通の通信魔道具で、用事があった場合はこれで連絡するとのことだ。この魔道具一つで一体どれ程の価値があるのか。
「はー……これはまた凄い部屋ね。一泊金貨一枚でも安いぐらいじゃないかしら」
無論洗濯サービスもしてくれる。外部洗濯専門店と提携しているらしく、新品よりも綺麗になるとの触れ込みの店で、簡単なボタン付けや繕いなんかもしてくれるらしい。無論宿泊客はただで利用できる。
そして一番の驚きがバスルームが付いている事。水を湯船に張る魔道具と張った水をお湯にする魔道具が設置されていて、宿泊中はいつでも好きなだけ入ることが出来る。これを見たアイオラが「一緒に入る?」等と誘惑してきたのを、ローレスは血の涙を流すような鉄の意志で退けた。
残念そうにバスルームに消えるアイオラを見送り、ローレスは精神的に激しく疲れて革張りのソファに深く座り込む。馬車に乗っての旅だったとは言え、やはり疲れは溜まっていたのだろう。うとうとと舟を漕ぎ始める。
アイオラがさっぱりして出てきた頃には、ソファに座ったままローレスは完全に落ちていた。彼女はくすりと笑うと、ローレスに毛布を掛けて対面に腰を下ろす。
「こうして見ていると、年相応の男の子なんだけどな」
偶に見せる大人びた表情との差異で余計にこういう無防備な姿が子供っぽく見えるのかもしれない。そんな風に考えながら、何をするでもなくただローレスを見つめる。
「あふ……私も眠くなってきちゃったな」
ローレスの隣に移動すると横から彼を抱き寄せて一緒の毛布に包まる。子供特有の高めの体温を感じながら、アイオラはゆっくりと目を閉じ、睡魔の導くままに眠りに落ちていくのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。