第03話 弱さ
狩猟蟷螂の鎌はそいつの表皮に到達する前に発火した。
「どうすりゃいいんだ、これ!」
火のついた鎌を引き戻し、睨みつけてくるそいつから距離を取る。
「忌々しい蜥蜴野郎め」
火炎蜥蜴。五番目に生成された、尻尾の先まで入れるとほぼ自分と同じくらいの全長を持つこいつにライシールドは苦戦していた。
片手剣では身に纏う炎と熱を超えられない。そもそもあの鱗を超えて攻撃を通すことが出来るとは到底思えない。触れるものを燃やし溶かす火炎蜥蜴の鱗は、鉄製の剣ごときに突き通せるものではない。然程掛からずに原型を失うことだろう。
──頑張ってください! ライシールド様なら出来ます!
簡単に言ってくれる。ライシールドは内心悪態をつきながら火炎蜥蜴を観察する。
幸い、積極的にこちらに手を出してこようとは思っていないらしく、チロチロと火炎雑じりの長い舌で威嚇してきている。じっとこちらの目を睨みつけ、動きに合わせて常に正面だけを見せてくる。
「鉄蟻の腕」
焼け爛れた鎌を霧散させると、黒鉄色の腕を装填する。摺り足で近づくと、視線を外さずに後ずさる。近づきながら左手の爪を前に出し、牽制しつつ右手の片手剣を振り上げる。
振り上げた片手剣に視線を向けると、左手の爪を気にしつつも上半身を沈めて臨戦態勢を取る。ライシールドがわざと大振りした片手剣に反応し、灼熱の舌を勢いよく伸ばして剣を絡め取ろうと巻きつけた。
「その目が気に入らないんだよ!」
巻きつけられた舌ごと片手剣を跳ね上げ、強引に火炎蜥蜴を引き寄せる。踏ん張りきれずにライシールドの側まで引き摺られ、踏みとどまろうと前足に力を込め、動きの止まった瞬間に左手の爪を右目に突き入れた。
苦悶の鳴き声を上げ、火炎蜥蜴が大きく飛びのいた。その右目は抉れ、左目は怒りに染まってライシールドを睨みつけている。対するライシールドの左腕は焼け爛れ、爪先に至っては炭化して既に焼失している。
「ぐ……、小鬼の腕」
痛みを堪え炭化した蟻の腕を霧散させると、緑色の腕を装填する。膂力があるとは言え、それを生かす武器もない状況は詰んでいると言わざるを得ない。先の攻撃でもう少し深く抉ることが出来れば、頭の内を破壊できたのだが、蟻の腕と炎では相性が悪すぎた。
火炎蜥蜴は片目を潰された事で様子見をやめ、積極的に攻撃を仕掛けてきた。細剣の突きの様に鋭く、真っ直ぐに舌を伸ばし、ライシールドはそれを剣で払い、右目を潰した成果である死角側に回り込む。火炎蜥蜴はそれを嫌って身体ごと振り返りながら伸びた舌で足元を横薙ぎにする。
飛び上がってその舌を回避し、空中で狙いを定めて生き残った左目に剣を突き入れる。瞼を閉じて顔を逸らせ、わざと鱗の部分で剣を弾き、ライシールドが着地で僅かに体勢が崩れた隙に大きく距離を開ける。
ライシールドの手が届かない位置まで下がると、火炎蜥蜴は大きく口を開け、息を吸い込んだ。全身を覆う炎も勢いを落とし、換わりに口元に炎が収束していく。
何か拙いものが来る。ライシールドはそう確信すると一瞬迷った。前に出て潰すか、下がって避けるか。その一瞬の隙を逃す火炎蜥蜴ではなかった。
轟音。ライシールド目掛けて炎の塊が突っ込んでくる。とっさに右に動いた体のおかげで何とか回避は間に合ったが、左の緑の腕は掠っただけだというのに肘から先がぼろぼろの消し炭に変わった。
「がぁぁっ!」
痛みに思わず声を上げるが、立ち止まるわけにはいかない。痛みを訴える腕を霧散させ、火炎蜥蜴の死角を取るために移動を続ける。火炎蜥蜴は視界内に捉えようと、その場でぐるぐると回った。
火炎蜥蜴の周りを回りながら思案する。登録された四本の腕の内、三本はもう使えない。残り一本は攻撃向きとは言えないのだが、これしかない以上これで何とかするしかない。
「空穂の腕」
肩口から無数の蔓が勢いよく伸び、絡まって腕の形になった。掌から三本の太い蔓が螺旋を描きながら真っ直ぐに伸び、その周りを細い蔓が補強して一本の槍を形作る。
「こいつでどうにかするしかないか」
(レイン! 訊きたいことがある! この腕の……)
──はい、問題ありません。
(よし、一泡吹かせてやるか!)
倒せるかはやってみないと判らないが、鉄すら溶かす鱗を前に火に弱い植物の腕で挑まざるを得ないのは正直厳しい。それを理解しているのか、心なしか火炎蜥蜴の目が嘲笑の色を見せたように感じた。
「嗤ってろ! 目に物見せてくれる!」
槍の穂先を火炎蜥蜴の目の前に突き出し、しならせるように左右に振る。ぶれた穂先から中ほどまでが空に溶けるように掻き消える。間合いを誤魔化し距離感を狂わせる穂先も、火炎蜥蜴相手では余りに分が悪すぎる。
右半身を見るように動き続けるライシールドは、威嚇しながらその後を追って右回りする火炎蜥蜴を牽制するように何度か地面を穂先で叩いた。最初こそ警戒していた火炎蜥蜴だが、叩きつけた音で注意を引いているだけの虚仮威しでしかないと判断したようで、隙を突いて火炎舌で反撃してきた。
「もう少し騙されとけよ!」
早々に虚撃を見破られて舌打ちした。逆に火炎舌の動きに惑わされ槍の引き際を見誤り、穂先が火炎蜥蜴を掠ってしまう。触れてしまえば見えなかろうがお構い無しに穂先に火がつき、一瞬で半ばまで炭化した。彼は辛うじて原形を留めた黒焦げの槍を振り上げ、折れ砕けろとばかりに叩きつけた。
火炎蜥蜴はその攻撃が自分に何の被害も与えないことを理解しているので、あえてそれを受けて反撃の機会にするつもりだった。頭に当たった瞬間、舌を延ばして相手の身体を貫くつもりで力を込める。
「引っかかったな!」
ライシールドは叫ぶ。火炎蜥蜴が何かを狙っているのは解っていた。火炎息は溜めがいるし、体当たりにしては後ろ足に力が籠もっていない。となれば舌だろうと中りをつけて、槍を叩きつけると同時に右に飛んだ。
火炎蜥蜴は砕け散る槍の破片を無視して舌を射出し、横に逃げたライシールドを追って頭を左に振った。伸びきった舌もその動きに合わせて左側にしなる。
火炎蜥蜴は無様に倒れこむライシールドを見た。横薙ぎの攻撃は腹這いにうつ伏せる彼の頭上を通過したが、体勢を立て直す前に舌を引き戻し、もう一度射出して止めを刺せる、そう思った。
しかし、その夢想は訪れない。ライシールドがにやりと口元を歪め、同時に火炎蜥蜴の抉られた右目に激痛が走った。
何が起こったのか解らない。顔面の痛みから逃れようと後ずさり、数歩下がった瞬間後ろ足が空を切った。突然なくなった地面にさらに混乱し、為す術なく落下する。
更なる激痛はすぐにやってきた。穴の底は液体で満たされており、落水した火炎蜥蜴は全身余すところなく水没した。抉られた右目からも、半ば開かれたままの口からも、その液体は体内に侵入する。侵入した先から激痛が走り、体内は炎とは違った熱を発した。自らの炎で液体を蒸発させようと火力を上げようとするが、激痛でうまく炎を操れない。もがき、苦しんだ末に、火炎蜥蜴は最後まで訳が解らないまま事切れた。
──神器に燃鱗の腕が登録されました。
レインの宣言に、ライシールドは肩の力を抜き深く安堵の息を吐いた。
最後に残された腕は彷徨靫葛を倒した際に登録されたもので、蔓で槍を作り、捕食袋に消化液を溜めて獲物を捕らえ、消化した獲物で治癒力を高めることが出来る。言わば回復に重点を置いた腕だ。
ライシールドは槍の内部に細工を施し、螺旋の中央に空洞を作って消化液を充填し、細い蔓で漏れを押さえて燃やされるのを承知で攻撃したのだ。焼けて脆くなった槍を叩きつけ、傷ついた右目に消化液を浴びせれば、倒すまではいかなくても怯ませる事くらいは出来るだろうと踏んでいた。
果たして予想通り、火炎蜥蜴は痛みに驚き、距離を取ろうと後退した。そこにはもう一つの罠を張っていた。
回りながら地面を叩き、牽制しているように見せて捕食袋の素を火炎蜥蜴の周りの地面に埋め込んだ。それがどれほどの時間で成長し、火炎蜥蜴を飲み込めるほどになるのかが判らない以上、危険度の高い賭けだが、もうこれしか思いつかなかった。
最大の懸念事項は、ここの地面が見たこともない材質で捕食袋の罠を設置できるかの判断がつかない事だった。それだけは仕掛ける前にレインに確認した。
これでダメだったら打つ手はない。その覚悟で挑み、辛うじて勝ちを拾えた。
──お疲れ様です。少し休憩しますか?
流石に疲れた。蔓の腕を霧散させると仰向けに倒れ、目を閉じた。
──破損した腕の修復が終わるまで、ゆっくりとお休み下さい。
僅かでも長くと、レインは若干修復速度を落とすのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。