第63話 見合う力(Side:Rayshield)
「我々蟻人種は、産まれた時からこの鎧と共にあります」
ロシェは手甲に手を添えると、優しく撫で擦った。
「まず、蟻人種が人族とは異なる生活習慣を持つということを念頭に置いてください。我々は基本単一種族のみで構成される社会を構築する生き物ですが、他種族とまったく交流がない訳ではありません。その辺りの匙加減は、集落の長である女王次第ですので」
この地の場合は交流以前に滅多に他種族が訪れない未踏地帯なので、女王の方針以前の話ですが、とロシェは補足する。
「わたくし達蟻人種には、基本男性は産まれません。産まれてくる子供達も生殖能力を持つ支配階級と生殖能力を持たない被支配階級に分かれます。わたくしは辛うじて支配階級の末席に引っかかっている状態です。被支配階級もいくつかの役割ごとに集団が分かれます。戦闘種と生産種、そして労働種の三種類です」
「蟻の社会形態と似通った部分が多いですね」
説明を聞いてレインが感想を述べる。
通常の生物としての蟻も魔物としての蟻も、階級と社会を作ると言う点では非常に似ている。卵を産み続ける事が仕事の女王蟻、巣を守り、時に他の巣を襲撃する兵隊蟻、餌の確保や巣穴の拡張、幼虫の世話等を担当する働き蟻、とそれぞれの役割にあわせて姿も能力も違う。
「そうですね。我々は蟻と人族の特製を持った種族ですから。話を戻します。わたくし達は胸に鎧核を持って産まれてくるのですが、その鎧核の種類によって所属する集団が決まるのです。鎧核自体は持ち主に合わせて成長します。一定の年数が経つとこうして鎧として展開することができるようになるのです」
「と言うことは、普通に着脱は可能なのか?」
ロシェはライシールドの質問に首肯する。若干頬が赤いのは何故なのか。
「鎧核自体は掌ほどの大きさなので、胸の上部、胸骨柄の中心辺りに張り付いています。ここから鎧状に展開された鎧骨格が全身を覆います。着脱と言うより展開収納といった方が意味としては合っていると思われます。ですので、その、収納しますとですね……全裸となる訳ですが、ご覧になられますか?」
赤面の理由が理解できた。そして鎧を外すということは全裸を晒すということだと判った今、ライシールドは慌てて首を振った。
「いや、いい! すまん、そういうこととは知らなかったんだ」
明らかにほっとした表情で胸を撫で下ろすと、話を続ける。
「本来は鎧骨格を収納しているときは袖無貫頭衣等を上から羽織るのですが、寝るとき以外は基本殆ど鎧骨格を展開しています。不要のものとして蟻人種には服飾文化がありません。他種族との交流を主とする役柄の者くらいしか衣類を所持しているものがほぼ居ないのが現状ですね」
軽く丈夫で破損も再生する衣服兼防具があれば、なかなか服を作ろうとは思い至らないだろう。必要に駆られて最低限は用意されているようだが、被支配階級の蟻人達にはまったく不要なものなのだろう。
「因みに大陸東北部の蟻人国家では、竜王国との交流があるので服飾にもそれなりに理解と興味を持った蟻人が多いそうです。鎧骨格を展開する時に邪魔にならない衣装なども開発されているそうです」
「随分と遠い地の情報を把握しているんだな。蟻人種同士の交流は盛んなのか?」
ライシールドの問いに、ロシェは苦い顔をした。
「同種の集落が出会う時は、即ち刃を交える時と等しいのです。一人二人の同種同士ならば問題ではないのですが、集団同士となるとこれはもう縄張り争いですから」
そういうものか、とライシールドは納得する。確かに蟻と蟻が出会うと大体争っている。それと同じようなものだろうか。
「実は、わたくしのお母様はあちらで産まれ、この地に辿り着いてここに集落を作り上げたのです。ですのでわたくしの知っている情報も少し昔の話になります。今はあちらの集落がどうなっているのかは判りませんが、竜種を狩る兵力を持つあの集落がどうにかなるとは思えません」
ロシェの話が一区切りついたところで、甲車がゆっくりと停車する。どうやら着いたようだ。
「さあ、お母様がお待ちです。頑張ってくださいね」
何やら不穏な単語が聞こえた気がするが、いったいどういう事なのか。嫌な予感を感じながら、ライシールドは甲車を降りた。
何故かライシールドは女王の私邸とは名ばかりの円形の闘技場の中に居た。確かに邸宅はあった。石造りの大きな建物があり、その入り口を潜った所までは覚えている。
その後謁見前の待機室で、折れてしまったシミターの代わりに何か武器を融通してくれないかと頼むと、ロシェの口利きで私邸の警備兵が使う武器の内一品を譲り受ける許可を得る事が出来た。
程良い重さで手に馴染む長剣を一本選んで譲り受け、それを腰に佩いて警備兵の案内でやってきたのがどう見ても闘技場としか思えない円形の広場だった。
高い壁に囲まれ、入場口の対面には一段高い観覧席が設置されており、中央には他の蟻人達より一回り大きな蟻人の女性が座っている。薄い黒の全身鎧は光を反射して灰色に鈍く輝く。この巨大な集落を作り上げた覇王の空気を纏った女王は、闘技場に立つライシールドを睥睨し、その口を開いた。
「そなたが蟻地獄殺しの勇者か。あれを討伐した功には報いる用意がある。ただし、我が娘を所望と在らばその力を示し、我を納得させてみよ! 我は名声に娘はやらぬ! 我の心を納得させてみよ!」
居丈高にそう宣言すると、腰に佩いた虹色に輝く刀身の長剣を抜き、ライシールドに向けて突き出した。それが合図となっているようで、左右の壁面が迫り上がり、十名の蟻人が姿を現した。片手剣に盾を持つ者や槍を構える者、中には二メートルはあろうかと言う斧槍を頭上で振り回す蟻人まで居る。
「おい、話が随分と違うがどういうことだ」
傍らで腰の長剣を抜き、逆三角の盾を構えるロシェに抗議の声を上げる。ロシェは澄ました顔で「頑張って下さいと言いましたでしょう? 蟻人の価値基準は強いか弱いかに集約されます。ここで力を示さねば、どちらにせよこの集落から出られませんよ」とさらっと重大な事実を答えてきた。
「ロシェ、これが終わったら覚悟しておけよ」
ライシールドはロシェを半眼で睨みつけると、先程手に入れたばかりの長剣に手を添える。レインはマントの内ポケットから移動して、神器に同期済みだ。
「この状況で勝った先の話をされるのですね。流石はライ様、その必勝の心構えは素晴らしいの一言に尽きます。しかし彼女達も女王の護衛を任された精鋭揃い、そう簡単にいくとは思わないほうが……」
「翅脈の腕」
神器【千手掌】を起動して速度特化の蛇腹の腕を装填する。ロシェが呑気に解説している間に左壁から現れた五人の蟻人が武器を取り落として地に伏せる。
「取り合えず鞘と柄で意識だけ奪ったが、技量の高さを感じたから手加減が難しかった。出来たらこの五人は治療した方が良いぞ」
右手に長剣を逆手に持ち、左手は剣の鞘を掴んでいた。高速で接近してそれらを鈍器代わりに鳩尾や首の後ろを叩いて意識を刈り取った。倒れ伏す蟻人達の向こう側で、ロシェが呆気に取られて倒れる蟻人とライシールドを交互に見る。
「この程度で役に立たなくなるような柔な鍛え方はしておらん。じき目を覚ます」
そう言いながらこちらに武器を向けるのは、他の蟻人と比べて頭一つ分大きい、斧槍を構えた大女だった。
「その速度、私には通じん、ぞ!」
斧槍を縦にする。固い物同士ががぶつかる甲高い音が響き、いつの間にか大女とライシールドは武器をぶつけ合っていた。
「これに反応するか。すまん、見誤っていた」
「先程より早いじゃないか。こちらこそ上限を見誤った。まだ早くなるのなら、少しキツイな」
お互いに歯を見せて笑い合う。ライシールドは不意打ち紛いの速攻よりも真正面から叩き潰す方が楽しそうだと蛇腹の腕を霧散させる。
「硬毛の鋭腕」
鱗毛の熊手を装填し、掬い上げるようにして三本の爪を長剣と斧槍の隙間から大女に抉りこむようにして突き込んだ。大女は斧槍の柄を斜めにずらしてライシールドの長剣を滑らせ、彼が僅かにバランスを崩したところで柄を更に回転させ、熊手を巻き込んで弾き上げた。ライシールドは弾かれた勢いに逆らわず大きく一歩飛び退き、その目の前を大女の斧槍の先が通過していく。
「あれを防いで反撃するか。いいね」
「あそこで姿勢を崩した所から持ち直して突きを避けるってのも中々やるじゃないか」
お互い睨み合いながらも、獰猛に笑う。ライシールドの背後で「四人は邪魔にならないように排除させていただきました。そちらはお任せいたします」とロシェは既に高みの見物と決めたようだ。
「いくぞ!」
「おう!」
裂帛の気合いを込めて斧槍が突き出される。鋭いが直線的なその動きを見て、ライシールドは右に大きく移動して避ける。大女は利き足に力を込めて強引に突きを止めるとライシールドを追ってそのまま横凪ぎに斧槍を振るう。
ライシールドは左の熊手で迫り来る斧槍の斧刃を弾き上げ、その勢いで仰け反るように浮き上がった大女の上半身に長剣を真っ直ぐ突き出す。大女は踏ん張りきれないと見たのか逆に軸足で無理矢理地面を蹴ると、身体ごと後ろに跳んでライシールドの長剣を交わす。大女の側を通過していくライシールドの腕に蹴りを当てて彼の突きの軌道を変え、僅かに距離を離す。
大女の足が地につくのと、ライシールドの突きの勢いが収まるのはほぼ同時。大女は再び斧槍を突き出し、ライシールドは横凪ぎに長剣を振って迎え撃つ。
「ははっ! 良いじゃないか! 速度に頼った軽い男かと思ったが、一撃が重く、鋭い!」
「あんたこそ、その武器でする動きじゃないぞ」
お互いに相手を認め合いながら、一合一合武器をぶつける。本来なら長物を持つ大女の方が有利に選局を動かせるはずだが、ライシールドは上手く斧槍の内側に位置取ってその有利を活かさせない。突きの出し難い状況の中、大女は早々に長物としての利用を諦め柄を短く持ってライシールドの長剣を迎撃する。斧刃を当て、柄で防ぎ、一瞬の隙をついて背中側から石突きへと勢いを流して反撃する。
「埒が明かんな!」
強引に斧刃を叩き付けてライシールドに僅かな隙を作らせ、その一瞬で飛び退くと大女は叫んだ。斧槍を腰だめに構えると、気合いを込める。
「本気で行くぞ! 死なないように気を付けろよ!」
斧槍がビリビリと震え、大女が一回り膨れ上がったような錯覚を覚えるほどの気迫が放たれる。
「豪槍穿通!」
斧槍の穂先に不可視の刃が生まれる。旋風のように回転を始めるそれは斧槍全体に風を纏わりつかせて推進の力に変える。大女は引っ張られるようなその力に逆らわず、寧ろそれに導かれるように大地を蹴る。踏み出す一歩の歩幅が広がり、大女は空を駆ける速度で一瞬の後にはライシールドの眼前に迫っていた。
とっさに熊手を最大限まで鱗化して翳す。斧槍の先端が熊手の鱗に接触した瞬間、泥に杭を打ち込むように、抵抗無く熊手を穂先が突き抜ける。
「何!?」
防ぎきれない可能性は考慮していたが、一瞬の抵抗も出来ないのは想定外だった。熊手を半ばから吹き飛ばされながら、ライシールドは姿勢が崩れるのもかまわず横っ飛びに身体を投げ出した。自らの手の剣で怪我をしないように注意を払いながら地面を転がって膝立ちに剣を構え、大女の通り抜けた先を睨み付けた。
「強者の腕!」
二の腕から先が千切れ飛んだ熊手を霧散させ、大鬼の腕を装填する。突進力の導くままに壁際まで移動していた大女がこちらに振り返る。
「……おいおい、確かに左腕を吹き飛ばしたはずだ。なんだ、その腕は? 変化するだけではないのか?」
立ち上がって再び剣を構えるライシールドに呆れたような声を上げる大女。
「やってくれたな。今度はこちらから行くぞ」
今のやり取りをキラキラした目で見ていたロシェの側に寄ると、ライシールドは彼女に「剣を貸してくれ」と手を差し出す。
「宜しいですが、そちらの剣に異常でも出ましたか?」
ライシールドは首を振る。
「まぁ見とけ」
右手にロシェの剣を持ち、左手の大鬼の腕に自分の長剣を持つ。
「ほう、双剣か」
大女が若干距離を詰めて再び斧槍を構える。さあ、第二戦の開始だ。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。