第62話 蟻の王女(Side:Rayshield)
「いや、無理だろう?」
自分がどういう立場か解っているのだろうか。末妹とは言え女王の娘がおいそれと出奔出来るわけがないだろう。それもどこの馬の骨とも知れない男となど、許可されるわけがない。
「先程申しましたでしょう? わたくしの立場は限りなく自由であると。明日この地を去ると告げても引き留めるものは居ないでしょう。なによりわたくしは新たな地で新しい集落を造る為、真っ先にここを去らねばならない立場なのです」
出る者とはそういう意味だったのか、とライシールドは納得した。言葉の意味には得心がいったが、その申し出に是と答えるのはまた話が違う。
「しかしだな、ロシェは俺がどんな人間かも知らないだろう? 俺だってロシェの事はなにも知らない。そんな相手と明確な理由もなく旅に出るなんて、おかしいだろう」
「ライ様は思い違いをされているようですが、わたくしはひとつの明確な目的をもって旅に出るのです。わたくし達蟻人種の本能とも言える生きる目的。蟻人種の集落の無い地に新たな集落を造るのです」
彼女達は同種の居ない地を求めて彷徨い、条件に合致した場所に集落を造る。他種族の町の近くに造る者もいれば現女王のように未開の地を終の棲家と定める者も居る。中には他種族の町に適応して集落ではなく国の一員となる者もいる。
「わたくしはお母様のように、蟻人種が誰一人到達し得なかった地を見つけたい。そこにわたくしの集落を造り、その地に我らの種を根付かせたいのです」
それに、とロシェは続ける。
「ライ様からは覇道の気配を感じます。その道を共に歩めば、わたくしは更なる強さを得て何時か理想の地に辿り着く予感がするのです」
ライシールドは考える。目的を達成するためには一人の力に拘ってはいけないと先だって気付いたばかりだ。一人でも多くの協力者を得ることが出来れば、それだけ終着点は近づくというものだ。
「着いて来ると言うのなら好きにしたら良い。道を違えた時にはそこで別れれば良い。ただし、敬語は辞めてもらおう。旅の仲間は主従とは違うのだから」
「解りましたわ。出来るだけ抑えますが、わたくしこの口調が素ですので、多少はご容赦下さいな」
ロシェは立ち上がって、今度は今までのような君主に対するもののような礼ではなく、軽く腰を折って優雅に一礼する。
「俺のシミターがどうなったか知らないか?」
落下中に蟻地獄に突き刺したまま回収できていない。蟻人達が回収してくれていればいいのだが。
「シミターと言いますと、二本角の悪魔に突き刺さっていた片刃の片手剣の事でしょうか。もしそれなのだとしましたら、残念ですが半ばで折れておりまして、もうお使いにはなれないかと」
名刀、と言うわけでもなかったが、それなりに長く振ってきただけに随分と手に馴染んでいた。いざ無くなってみると自分があの無銘の片手剣を随分と気に入っていたのだと気づかされた。
最後は武器としての役割外の使い方だったとは言え、ライシールドの命を救う重要な要素として働いてくれた。
「そうか」
一抹の寂しさを感じながら、ライシールドは片手剣に静かに黙祷を捧げる。彼にとって武器とは己の手の延長であり身体の一部である。戦いに置いて最も身近な相棒となる主武器との別れは、仲間との別れに等しい。
「ライ様の事、わたくしますます貴方の事が気に入りましたわ。己の身を任せる主武器への貴方の真摯な思いを感じました」
ライシールドにも聞き取れないような小声で何事か呟くと、その笑みを深くする。断片的に聞こえたのは「……理想の伴侶……絶対に逃が……」と中々に物騒な単語だった。同行を許可したことを若干後悔しながら、ライシールドはその呟きを聞かなかったことにしようと心に決めた。要は棚上げである。
銀の腕輪から治癒薬を取り出し一気に飲み干す。背中の痛みが瞬時に癒され、体を捻って異常が残っていないことを確認するとベッド代わりの岩の台から降りて立ち上がった。
「ロシェ、俺はどのくらい寝ていたんだ?」
「発見されてここに運び込まれてから今日で五日目になります。落盤があったのは発見直前だったかと」
アティ達とはぐれて五日。ククルの様子から一日は付近で休養したとしても三~四日は先に進んでいる可能性が高い。はぐれた地点から水聖の杯までは、真っ直ぐ北に進めばアティなら一週間といったところか。ククルを抱えてでも十日もあれば十分たどり着くだろう。
「ロシェ、落盤した場所の地上の様子は確認したか?」
「ええ、斥候が確認した限りでは、人族の様な女性の二人組が二日程滞在した後、北に消えたそうです。ライ様の敵か味方かの判断が付かなかったので接触はしませんでしたが、現在何名かに追跡させています」
予定通り水聖の杯を目指しているようだ。
「伝言を頼めるなら、生存の報告と目的地で合流しようと伝えてもらえないか?」
ロシェは「随分と足が早いので、接触まで時間を要しますがよろしいですか?」と訊いてきた。生存が伝われば向こうも安心するだろうから、出来る限りで構わない、とライシールドは返した。
「後もう一つ、ここから水聖の杯と呼ばれる場所までの道程を教えてくれ」
身体はもう大丈夫だ。後は一刻も早くここを出立しなければ。
「出発前に、お母様にお会いいただけないでしょうか。蟻地獄討伐のお礼をしたいとの事なので」
ロシェは旅の準備のため一時退室する際、ライシールドにそう訊いてきた。ライシールドはお偉いさんと会う為に必要な知識も作法もないと伝えると、私的な謁見と言う形にするのでご安心を、と返ってきた。事情さえ理解してもらえるなら、会うくらいはいいと返事をすると「準備が整い次第お迎えに上がります」と部屋を出ていった。
「さて、レインはロシェをどう見る?」
辺りの気配を探り、ひとまず聞き耳を立てている者が居ない事を確認してレインに訊ねる。
「ライの寝ていた間も含めて、信用してもいいと思うよ。普通に介抱していただけだし、特別怪しい行動もなかったし。あの王女様の言動行動も、私の知る限り不自然なところはないと思う。後は一緒に行動していくうちに見極めるしかないんじゃないかな」
恐らく戦力的には問題ない。寧ろ前衛としてアティ達を任せてライシールドは遊撃に回れる。アティを中衛、ククルを後衛に据えればバランスのいい組み合わせになりそうだ。
後はまぁ、あの二人との相性と言ったところか。こればかりは二人に会わせてみないことには判らない。
「なるようにしかならないか」
机の上の果物に手を伸ばし、ロシェが戻るのを待つ。アティを思い出してどれ程の時間がかかるのかとげんなりとしながら。
予想に反して、ロシェは三十分と置かずに戻ってきた。黒い部分鎧姿で左手には横幅が四十セル、縦幅が一メル程の逆三角の盾を持ち、腰には長さ六十セル程の長剣を佩いている。背中には長さ一メル半を超える巨大な直剣を背負い、鞘の上から背負い鞄を背負っている。
「わたくしはこれで準備完了です。お母様の方が後半時ほどお待ちいただきたいとの事ですので、それまでわたくしがお相手いたしますわ」
ロシェは机の上に一枚の地図を広げた。複雑に入り組んだ迷路のようなものが描かれたそれの中央付近の一点を指差すと、彼女は「わたくし達がいるのはここです」と告げた。
「水聖の杯と言う名前かは判りませんが、この砂漠に唯一存在する水源地がこの辺りにあります」
今度は地図の端を指差す。縮尺が判らないが、それなりに遠そうだ。
「徒歩ですと登り降りや迂回をする必要がある場所も存在しますので、直進する時と比べて倍ほどの時間が必要になります。ですがライ様はお急ぎのご様子。そこでこちらです」
地図に重ねるように、もう一枚の紙を広げた。太い一本の道と無数に枝分かれした細い道が描かれている。木の根を連想させるそれは、ロシェ曰く地下水路らしい。
「この水路を遡った源泉に当たる場所が、目的地の水聖の杯と思われる水源地となります。物資の運搬に使用している水路用の船を使えば急いで五日、通常の運行でも八日で辿り着けます」
その程度ならアティ達に追い付けそうだ。
「その水路を使わせてもらおう」
「そう言われると思いまして、勝手ながら申請を通しております。お母様との謁見が終わり次第出発できるよう、手配してあります」
その手際の良さに、ライシールドもレインも密かに感心する。アティとは大違いだ。
「そろそろお母様の準備も整った頃でしょう。ご案内いたしますわ」
扉を開け、ライシールドを促す。扉を潜った先は道幅三メルはある広い通路になっていた。ロシェの先導の元通路を進むと、程なくして視界が大きく開けた場所に出た。
摺鉢状のに刳り貫かれた巨大な縦穴の中程、壁面に沿って作られた通路から見下ろすと、遥か下方では無数の黒い点が蠢いていた。どうやら点一つ一つが蟻人らしい。穴を掘り、生活する上で必要な鉱物を採掘しているそうだ。
見上げれば穴全体に蓋をするように、継ぎ接ぎの岩盤が支えもなしに覆い被さっている。蟻人特製の接着法があるらしく、天井全体を補強しつつ支えているとの事だ。よく見ると天井付近に張り巡らされた綱の所々で、蟻人が天井の点検作業をしている。
五百メルはあろうかと言う対岸を見ながら、ただ巨大と言うだけで圧倒される。そんなライシールドを促して、ロシェは壁沿いに進み再び通路に入る。
「もうしばらく進みますと、中央洞に出ます。そこから甲車に乗っていただいて、程なく到着します」
ロシェの説明を聞きながら進むと、五分と経たずに再び視界が広がった。
今度は道幅が十メル程の大通りで、左右の壁には住宅や店舗と思しき穴が刳り貫かれて煉瓦や木板で補強されている。絶えず蟻人が往来していて、結構な賑わいを見せていた。
「姫様、こちらです」
通りに出た所で待っていると、一人の蟻人がロシェに声をかけて来た。ロシェと同じような部分鎧に身を包んでいる。よく見ると通りを歩く蟻人の殆どが細部は違えど大体同じ格好をしている。思い返してみれば、採掘場に居た蟻人達も同様の部分鎧に身を包んでいたような気がする。
「ライ様、こちらに……どうされました?」
蟻人は普段から武装することが当たり前なのか、と疑問に感じながら通りを見ているライシールドの様子が気になったのか、ロシェが尋ねてくる。
「いや、ロシェもそうだがみんな同じ格好だな、と思ってな」
「ああ、そういうことですか。その説明は甲車でさせていただきましょう」
先ほどの蟻人が御者台に座っている馬車のような乗り物がロシェ達の横に止まる。普通の馬車とは違い、車を引くのは馬ではなく体長二メル程の大きな甲虫だった。鮮やかな緑の光沢の鞘翅を持った金蚉が縦に二匹、綱で繋がれている。
「甲車で十五分程も進めば目的の女王の私邸に着きます。その間に先程の疑問にお答えしましょう」
ライシールドはロシェの後に続いて甲車に乗り込む。思ったより快適な座席に腰を下ろすとロシェの合図で甲車はゆっくりと発車した。
「先程仰っていたお話ですが……」
ロシェの説明を聞きながらちらりと甲車の外を見る。活気溢れる蟻人の町を見て、随分と遠くに来たものだと感慨に浸る。視線を戻してロシェの声に意識を集中させた。
甲車は心地よい振動を立てて大通りをゆっくりと進んでいくのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。