第60話 いつか帰る場所(Side:Lawless)
最高位の治癒薬はスカディの命を繋ぎとめた。本当にギリギリのところだったが、何とか彼女は回復に向かっている。まだ暫くはベッドの上から動けないが、もう命の心配は無いのだから、大した問題ではないだろう。
治癒薬はアイオラが提供したことになっている。ウルは一生かかっても対価を支払うと言ったが、アイオラはそれを固辞した。最高級の治癒薬等、御伽噺に出てくるような幻の一品だ。対価といわれてもそもそも値段が付けられない。たとえ白金貨を山と積まれても、手に入らないものは手に入らないのだ。
アイオラは代々受け継がれた秘薬で、何時か使うときだと判断したときには迷わず使えと伝えられてきた物だと説明した。対価を持って手に入れたものではないので対価を持って手放してはならない、そう言われているとも。
それでも納得しないウルに、アイオラは一つの条件を出した。これから北の魔道王国に行かねばならないが、女の一人旅はやはり心細い。同行者を一人お貸し願えないか、と。
最初はウルが名乗り出たが、ローレスがそれを止めた。こんな状態のスカディを残して行くのか、と。そう言われてはウルにはぐうの音も出ない。
そこでローレスが名乗りを上げる。十歳の年少の身ではあるがウルのお墨付きは頂いている。自らの母親を救ってもらった恩を返す行為を、他人に譲る訳にもいかない、と力説しアイオラに同行する旨を表明した。
当のアイオラもそれに是を唱え、正式にローレスが同行者として決定した。
ここまでの流れは事前に打ち合わせた通りであり、ローレスは両親を騙したようで若干心が痛んだ。だがこればかりは人に任せられない。ローレス自身が彼女を護ると決めたのだから。
「……いつかは出て行ってしまうかと思っていたけれど、思っていたより随分と早い巣立ちになってしまったわね」
スカディは自らがきっかけでローレスが村を出る選択をした事に少なからぬ責任を感じていた。それを察したローレスが何度も母親のせいでは無いと言っても納得できる訳が無い。
「母さんとお前の妹のことは俺に任せろ。何があっても護ってみせる」
ウルはローレスの頭に手を置いてはっきりと宣言した。ローレスは「それは心配してないよ。父さんよりそれが出来る人なんて居ないと思うよ」と答えてウルに抱きしめられた。
「貴方の家族のことは任せてね。私と夫で支えていくわ」
ユミがそう言うと、隣でタクが頷いた。彼女たちがいれば母さんも妹も不自由なく暮らせることだろう。
「ねえ父さん。僕の妹の名前は決まっているの?」
「幾つか考えては見たんだが、中々決まらなくてな」
スカディは名付けはウルに任せていたので何も考えていなかったらしい。ウルもローレスの時は森人の英雄の名前を拝借したので直ぐ決まったが、女の子となるといささか難しい。
「フレイヤ、と言う名はどうでしょう。愛と豊穣を司る女神の名です」
「それは良い名前ね。どう? ウル、ローレス」
スカディがアイオラの提案に真っ先に反応し、ウルにしてみても妻を救った恩人の名付けならば何の文句も無い。愛と豊穣を司る女神と言う謂れも意味合いとしては非常に良い。
「僕も良いと思うよ。音も可愛いし」
機嫌良さそうにすやすや眠るフレイヤを囲み、皆で笑いあった。今夜一晩をこの家で過ごし、明日の朝には出発する。どうやら最後の夜を笑顔で過ごすことができそうだ。
そして旅立ちの日の朝。
ローレスはスカディのベッドの横で出立の挨拶に来ていた。
「母さん、行ってきます」
ローレスは深く頭を下げる。十年と言う短い時間ではあったが、産んでくれて、ここまで育ててくれた恩は決して忘れない。
「身体を大事にね。言うまでも無いと思うけど、アイオラさんをしっかり護ってあげるんだよ」
ローレスは勿論、と強く頷いた。スカディはその瞳の奥の強い光に安堵と一抹の寂しさを感じていた。
「ローレス君はあっという間に大人になっちゃったね。ちょっとお母さんは寂しいです」
おどけた様な口調で、一つまみの本気を混じらせてスカディは言う。仕方無いとは言え、ローレスはやっぱり少し申し訳ない気持ちで一杯になった。
「でもね、ここはローレス君の家なんだから、いつでも帰ってきていいんだからね」
「うん、必ず帰ってくるよ。それまで元気でね」
その言葉に、ローレスはしっかりと頷くのだった。
村の門の前でウルと別れの挨拶を交わす。お互いの剥ぎ取り用ナイフを交換し、いつかこれを返すまで無事で過ごすと言う儀式だ。
「俺のナイフは特別製だからな、絶対に返しに帰ってこいよ」
切れ味が上がる付与が施された特製のナイフだ。因みに製作者はローレス。
「知ってるよ。僕のナイフも同じだもの」
因みにローレスのナイフも以下略。
「貴方達親子はほんとに仲が良いのね」
横で見ていたアイオラがころころと笑う。
「アイオラさん、こいつは俺の自慢の息子だが、十歳の餓鬼でもある。同行者に言う台詞じゃないが、面倒見てやってくれ」
「はい、任されました。お義父さん」
澄ました顔で爆弾を投げるのが趣味なのか、アイオラの発言にウルが思わずローレスを睨みつける。睨まれたところで何もないのだからローレスとしても苦笑いを浮かべるしかない。
「父さん、アイオラさんの冗談だよ」
「そ、そうだよな? 十歳のお前に嫁さんなんてまだ早いよな? いやアイオラさんなら良いが、いやそういうことでなく」
混乱しているウルの脛を蹴飛ばし「落ち着いてよ、父さん」と声を掛ける。脛の痛みで正気を取り戻したウルが、痛む足を堪えながらローレスの頭に手を置いた。
「森の神の加護が、我が息子と共にあらんことを」
猟師の呪いは森と共にあれと祈りを捧げ、安全と大猟を願う。ウルの庇護を離れ、ローレスは今一人旅に出る。
「父さん、元気で」
「ああ、お前もな」
男同士の別れの言葉などこの程度で十分だ。無事なら何時か会える。それでいい。
ローレスとアイオラは二人並んで東へ向かう。まずは南の帝国領、そして森の境の街道を抜けて北へ。砂漠の縁を回って北の魔道国家へと入る予定だ。
ローレスは振り向かない。ウルの視線を背中に感じながら、アイオラと共に前を見て歩いた。
「貴方のお父さん、まだ見てるわよ」
振り返らないでいいのか、何も反応しなくて良いのか。言外にそう訊くがローレスは無言で首を振った。
「良いんだ。別れは済んだ。振り返ったら未練になってしまう気がする」
「そう」
肯定も否定もせずアイオラはローレスの言葉を唯受け止めた。前を向いて歩く。何時しかウルの視線は届かなくなっていた。
深い森の中、ローレスは焚き火を前にアイオラと二人座っていた。興味津々と言った顔でローレスの手元を見ている彼女の期待に応えるべく、彼は仏具を起動する。
「こうして目にしても、やっぱり信じがたい技能よね、これは」
ローレスの手の上に現れたのは、木の深皿に満たされた熱い野菜のスープだった。
「一度口にしたものは何でも複製出来るよ」
スープをアイオラに渡す。木の匙を鞄から取り出すと水袋の水で軽く濯いで手渡す。
「物としては普通の料理と変わらないよ」
言いながら、ローレスは自分の分のスープを複製して「いただきます」と手を合わせると食べ始める。
「ローレス君、北に向かうって決めたのは何か理由があるの?」
村ではゴタゴタと慌ただしかったからきちんと説明していなかったのを思いだす。
「そう言えば説明してなかったね。僕はアイオラさんと契約で繋がっているけど、同じように魂の繋がりを持つ存在が居るんだ。村に居るときはずっと北の方で反応があったから、取り敢えず目的地を北に設定したって言うのが理由かな」
アイオラは「確かにローレス君の魂を通して微かに何か別の存在を感じるわね」とローレスの肩に手を置いて目をつぶり、何かを探っているようだ。
「北の……随分と遠いわね。魔道国家を随分と入り込んだ先じゃないかしら。何か目印のようなものはないの?」
「雪に覆われた山の中腹、恐らく精霊湯の湧く温泉があるはずなんだ。恐らく四、五十年は昔の話になると思う」
人の世に知られている場所ならば、噂ぐらいが流れてくるだろうが、そういった話は全く聞かない。神仏の集う地として隠されているのかもしれない。
「このまま森を抜けて街道に出て、そこから北へ向かうって言うのは予定通り。本当は南の帝国の地人の聖地に行きたい所だけれど、北にいる子を随分と長く待たせているから、まずはあの子に会うことを最優先かな」
あの美しい雪豹は元気でやっているだろうか。聖獣となって寿命は克服したそうだから、病気や怪我をしていないかが心配だった。
ローレス達が植えた大王薬樹や神酒があるから大丈夫だとは思うが。
「北の魔道国家にある火神の玉座と呼ばれる山脈に、確か神仏魔の上位種のみが立ち入ることを許された地があったと思うけど、もしかしたらそこの事かしら。確か白い聖獣が守護する聖域と聞いた記憶があるけど」
「それだと思います。その聖獣が僕と繋がっている存在です、きっと」
これで目的地がはっきりした。火神の玉座と呼ばれる山脈を目指す。まずは中央王国に入り、北に抜けることを考えよう。
「歩きっぱなしで疲れているとは思いますが、三時間ほど夜番をお願いします。それだけ休憩すれば、僕は十分なので」
一人で森に狩りに入れば、薄い睡眠で体を休めなくてはならない。最初はきつかったがもうそれも慣れた。今なら三時間も集中して休めれば、後は焚き火を見ながらの休憩で問題ない。
「判ったわ。三時間したら起こせばいい?」
「多分自分で起きれると思います。もし起きなかったらその時はよろしくお願いします」
毛布を二枚取り出し、一枚をアイオラに渡してもう一枚にくるまると目を閉じた。
あっという間に寝息を立て始めるローレスを見て笑い、アイオラは焚き火の炎に目を向ける。
森の夜はゆっくりと更けていった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。