第59話 魂の絆(Side:Lawless)
感覚の導くままに森を進み、あと少しといった所でローレスははたと立ち止まる。
「僕のこの状況、どう説明したら良いんだ……?」
生まれ変わりました。十歳ですが中身はあの時と一緒です。そう言われてはいそうですかと信じる者がどれだけ居るだろうか。
信じてもらえなかったら、気付いてもらえなかったらと思うとローレスは途端に怖くなってきた。
「もしかしたらたまたま村に用事があるだけで、僕のことなんて特別なんとも思っていなかったら……」
アイオラがそんな人ではないと思っているが、それでも一旦頭を過ぎった悪い心証は彼の不安を掻き立てる。このまま帰ってしまおうか、等と考えてしまう。今から村に戻って、獲物は取れなかったと言えばいい。母さんが心配で戻ってきたと言えば良い。そんなことを考え、踵を返したその時、背後からの声がローレスを呼び止める。
「ローレス君、どこ行くのかなぁ?」
涼やかな、少しだけ甘い声。不安なんてあっという間に吹き飛んだ。
「あれ? ローレス君縮んだ?」
振り返るとあの日別れた姿のままのアイオラが、顎に人差し指を当てて小首を傾げている。群青色の直毛長髪の中にあった山羊の様な角は今は見えないが、それ以外はあの頃のままだ。
ゆったりとした灰色のコートに身を包み、白の手袋を嵌めている。右手には狼の意匠の施された杖を持っていて、左手には何も持っていない。代わりと言う訳ではないだろうが左肩には少し大きめの黒の肩掛け鞄を掛けている。足下は黒の膝までの高さの長革靴を履いている。
彼女の眠たげに目尻の下がった群青色の瞳で、真っ直ぐにローレスの事を見つめていた。
「お久しぶりです、アイオラさん。角はどうされたんですか?」
さっきまでの不安は吹き飛んだが、代わりにアイオラを信じられなかった自分が恥ずかしくなった。この人はいつか必ず恩を返すと言って別れたのだ。ローレスの事を簡単に忘れるはずがなかった。
「人族の村に行くのに出しっぱなしは良くないかなと思って隠してます。それよりローレス君こそどうしたの? あの後突然数年間経路が閉じたときは本当に驚いたわ。死んじゃったのかと思って心配したのよ?」
その数年間は歴史書から神域へと帰還した時に生じた誤差の期間だろう。
「また直ぐ繋がって安心したら、すっごく小さくて弱い反応になってるし、もしかして何かあったのかと別の心配をしたわ。弱々しいけれど死を予感する類いのものではなさそうだって気付いたから、暫く様子を見ようって思ったけど」
きっとその頃にローレスは産まれ直したのだろう。産まれたばかりの赤子の反応が小さいのは、ある意味仕方がないのかもしれない。
「最近は以前と比べても随分と強い反応が返って来るようになったから、もう大丈夫かなって思って会いに来たんだけど……もしかして迷惑だったかなぁ?」
ずっと気にかけてくれていたことが嬉しくて、でもそんな彼女を疑った自分が恥ずかしくて俯いていたところを勘違いしたのか、アイオラは困ったような顔で訊いてくる。
「そんなことないです! 僕もアイオラさんに再会できたのは嬉しい。でもずっと心配してくれていた貴女を信じきれなかった自分が恥ずかしくて……」
アイオラが会いに来てくれたことが本当に嬉しかったこと、直前になって不安になったこと、村に帰ってしまおうかと思ったこと等、全部告白した。幻滅されるかもしれないが、隠しておきたくはなかった。
「そっか、ローレス君は魂の繋がりがどう言うものかよくわかってなかったのね。それなら不安に思っても当然よ」
魂の繋がりとは、相手を理解するための一助でもあるのだ。繋がっている限り互いの生存が判り、近付けば強く離れれば弱く反応する。喜怒哀楽の感情もある程度そこには乗ることになる。
「私が近くに来たとき、ローレス君はすごく嬉しそうな感情を向けてくれたのは判ったの。ただ直前になってそこに不安の色が浮かんだのが不思議だったけど、そう言うことだったのね」
アイオラは優しげな笑顔を向けると言葉を続ける。
「契約を結んだと言っても、私とローレス君の間には信頼がまだ無いもの。不安に思って当たり前だし、簡単に信じられなくて当然よ。だから私は会いに来たの」
恩を返すと言うこともあるが、それ以上にローレスとしっかりとした関係を築きたい。アイオラはそう告げた。
「ローレス君がどう思っているかは解らないけど、私はローレス君に全て捧げるに値する恩を受けたの。ローレス君が望むならなんだってやるけれど」
言葉を区切り、あのときよりも低くなったローレスの目線に合わせるように屈んだ。
「もっとお互いを理解して、信頼しあった方が楽しい関係になれると思わない?」
無防備な笑顔を向けられて、ローレスは思わず見とれてしまった。ポカンと見ていると、アイオラが優しく抱き締めてくれた。
「大丈夫よ。私はその程度なんとも思っていないわ。寧ろ私の事で一喜一憂するローレス君が可愛いなって思っちゃう」
からかうような声にローレスの身体の硬直が解ける。柔らかいアイオラの抱擁に身を任せる。
「会いに来てくれてありがとう。会えて嬉しいよ」
やっと素直に言葉に出来た。どういたしまして、と笑うアイオラにきちんと笑顔を返す。
「僕の事、ちゃんと話すよ。聞いてくれる?」
勿論、とアイオラが頷き、ローレスは順を追って説明を始めた。
「そんなことになっていたの」
神域の事は話せるような内容ではないので割愛したが、アイオラと別れてからローレスは人生をやり直す機会に恵まれて十年前この地に転生したと話した。自分が異世界の記憶も保持していると言うことも話した。これ位は伝えるべきだろうと思ったからだ。
「どんな騒動に巻き込まれるか解らないので、この事は内密に」
アイオラは「こんなこと、信じてくれる人を探すのも大変よ」と笑う。確かにその通りかもしれない。
「で、ここからが本題なんだけど……」
村で今、自分の母親が出産を迎えようとしている事。他は知らないがこの村ではまだ妖魔族が訪れたことがなく、どういう反応が返って来るか解らない事。
「その辺は私も想定していたわ。角も隠しましたし、アマリも置いてきました」
「そうだ。なにか足りないと思ったら、アマリがいませんでしたね。アマリはどうしたんですか?」
あの小さなモコモコはどこに行ったんだろう。
「あの後私たちは無事に魔神領に辿り着いたんだけど、そこにアマリの同族が避難していてね。無事に私を連れ帰ったってことでアマリは狗頭妖鬼の英雄になっちゃって」
現在は良縁に恵まれて、十人の子持ちのお母さんだそうだ。神域で聞いてはいたが、アイオラの一族は絶えてしまっていたので暫く狗頭妖鬼の所に居たそうだ。
魔神領の庇護を受ける代わりに、様々な労役や制約を受けていたが、なまじ出自の高かったアイオラは引く手数多で身動きがとれない状態にあった。特に多かったのは縁組で、血統の高さとその美貌を手に入れようと求婚者が後を断たなかった。
その気もなく、またローレスの事が気掛かりだったアイオラは、魔喰らいの治療法を魔神領を治める上位妖魔に報告して妖魔に迫る驚異を未然に防いだと言う功績の褒美に自らの自由を戴いて、やっとここまで来ることが出来たらしい。
「地位でしか物事を見られない人には興味ないし、そもそも魔神領に骨を埋める気もなかったから、やんわりと断っていたんだけどね。余りにしつこい人には“心に決めた人が居るのでお受けできません”って言っちゃった」
悪戯が成功した子供の様に舌を出すと「責任取ってね」と片目をつぶった。
「ぼ、僕がお相手ですか!?」
ローレスがいきなりの事に目を白黒させていると「冗談よ」とまた笑った。
「ビックリしました」
「半分は本気だけどね。だからその気になったらいつでも言ってね」
「ええっ!?」
最後に爆弾を落とすのだった。
取り敢えずアイオラの立場は道に迷った旅人ということにした。森で迷っていた所をローレスが保護したと言う体で村に連れていくことになった。
「東の竜王国の方から来たと言えば、嘘にはなりませんから」
アイオラの立場を誤魔化す方法をあれこれ相談しながら森を抜け、門番がローレスの姿を認めると血相を変えて駆け寄ってくる。
「ローレス! どこ行ってたんだ!」
「どこって、母さんの為に狩りに……」
「そのスカディさんが危険な状態なんだよ!」
門番の男の叫ぶ声に、弾かれたようにローレスは駆け出した。アイオラの事すら頭からすっぽりと抜け落ちた。一秒でも早く母さんの側に。それだけが頭の中を支配していた。
「父さん! 母さんの容態は!? 赤ちゃんは!?」
息を切らせて家の中に駆け込むと、憔悴したウルの姿があった。側にはタクとユミの姿もある。
「赤ちゃんは無事よ。かわいい女の子」
ユミがウルの代わりに答える。赤ちゃんは無事。
「母さんは……」
一瞬の沈黙。ウルが奥歯を噛み締める音がやけに大きく聞こえる。
「スカディさんの容態は良くありません。出産後、出血が止まりません。今は神術で何とか持たせていますが、これ以上出血が続くと持たないかもしれません」
目の前が真っ暗になった。母さんが居なくなるかもしれない。前世で為す術なく両親を失った記憶が蘇る。
心臓がばくばくと痛いほど強く胸を打つ。思わず胸を押さえて蹲りかける。しかしここで膝を屈する事は、スカディの命を諦めることと同義となる。歯を食い縛って持ち直すと、ユミの制止を振り切って家を出る。
裏手の弓の練習場に行くと、ローレスは仏具【蓮華座】を起動、目録閲覧で治癒薬の項目を確認する。
「くそっ! これが複製できたら解決する話なのに!」
普通の回復薬と違い、治癒薬には増血作用がある。失った血液を増やし、傷を塞ぎ、体力を回復する。
「精神力が足りないのか? 容器の作成をキャンセル、容量の圧縮……駄目か」
空中に指を這わせ、様々な操作を試す。この十年の間に普通の回復薬は選択できるようになったが、今必要なものはそれではない。
「駄目だ……何をしても届かない」
指が止まる。諦めたくないのに打てる手がない。
「思い出せ、神域で何て言っていた……」
仏具を使いこなすのに必要なのはなんだとマリアは言っていただろう。精神力はあくまで容器を生成する時に消耗するだけだといっていた。ならば精神力の多少は問題ないはずだ。
「……魂の格?」
確かそう言っていた。魂の格が満たないと仏具は使いこなせない。では魂の格とはどうやってあげれば良いのか。
今まで鍛えてきたものが何一つ役に立たない。例え熊を一撃で倒せても、森で何年でも生き抜けても、スカディを救うための力がない。
「ローレス君、私の魂の力をあげるわ」
肩に手を置かれる。振り返ればそこには真剣な表情のアイオラさんが立っていた。群青色の瞳に見つめられて、ローレスは尋ねる。
「それを僕が受け取ったら、アイオラさんはどうなりますか?」
「私の事は良いのよ。貴方のお母さんの事を考えて……」
アイオラの言葉を遮り、ローレスは重ねて問う。
「駄目です。答えてくれないと僕は貴方から受け取ることが出来ません」
アイオラを思うが故の拒絶。本当は藁にも縋る思いでいる筈なのに、そのためにアイオラに不利益をこうむらせる事を是としない。そんなローレスに肩を竦めると笑顔で答える。
「能力の低下、そしてローレス君との繋がりがより強固な物になるわ。貴方の死が私を道連れにするくらいの、強い絆に」
「そんな危険を貴女に背負わせる訳には!」
アイオラは笑顔のままで首を振る。再び真っ直ぐにローレスを見ると、はっきりと告げた。
「私の命は貴方のものよ。あの日、貴方に救われた命だもの、貴方と共に潰えるのなら本望よ。それに、こんな瀬戸際でも私のことを想ってくれる貴方になら、私の全部を預けても良いと思えたわ」
何を言っても彼女はその意思を変える事はないだろう。ならば。
「……解りました。アイオラさんの提案を受けます」
ローレスはアイオラの手を取り、両手でしっかりと握り締めた。確固たる意思を持って、アイオラに宣言する。
「アイオラさんに頂いた魂の力の分は、僕が責任を取ります。貴女を必ず護ります」
「うん、お願いね」
握り合った手の中に、暖かい何かが集まってくる。アイオラの掌から溢れるそれは、ローレスの掌に吸い込まれ、彼の胸の奥で熱く燃え上がった。仏具に流れ込む膨大な魂の力が仏具の能力を解放し、灰色の文字で表示されて選択出来なかった治癒薬の項目に白い光を齎した。
ローレスは脳内でその項目を選択、彼の右手には原色の黄色い液体が満たされた瓶が握られていた。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。