第58話 再会の予感(Side:Lawless)
父さんが二ヶ月弱の仕事を終えて帰ってきた。
「ローレス、お前にお土産だ」
渡されたのは十歳の僕が持つには少し大きい弓と矢筒、背負い鞄に野外装備一式だった。
「仕事で出る前に合格だって言っただろ? ローレス、お前はもう一人前だ」
つまり、卒業祝いと言うことだろうか。
「勿論家を出て行けとかそういうことじゃないぞ。ただ、何時独り立ちしても良いように装備一式を送らせてもらった」
詳しくは教えてくれなかったが、今回の仕事は予想以上に割が良かったらしく、産まれてくる子供の分の予定額を大きく上回ったらしい。途中森人の集落や竜皮族の町で色々と選んできたようで、どれも何らかの力が付与されているとのことだ。
「まずこの弓だがな、聖木を芯に作られた森人謹製の一品だ。製作者に頼んで、お前の誕生祝に貰った火竜の髭を弦に使ってもらった。使いこなせば矢に焔気を纏わせる事が出来るそうだ。この矢筒は聖宿木の枝を使って作られていて、見た目よりも遥かに多くの矢を収められる」
この矢筒は父さんとお揃いらしい。背負い鞄は容量拡張の付与が施されたもので、自然魔術を使うときに必要な道具や手に入れた獲物を運ぶときに非常に役に立つ。拡張された容量は結構あるらしく、そうそう一杯になると言うことは無いらしい。
後は細々とした野営道具や森に長期間入っても不自由が無い程度の雑貨一式と言ったところかな。
「他に何が必要か、自分で考えて用意すると良い。母さんに今日までのお前の獲物の分の売り上げは預けてある。それも今日からは自分で管理するんだ」
出来るな? と父さんが聞いてくる。勿論僕は頷く。こちらでは十年しか生きていないが、前世では一人暮らしの経験もあるんだ。無駄遣いしないように気をつけて、必要なものをそろえて行くとしよう。
「ありがとう、父さん」
合格とは言え、まだまだ教わりたいことは多い。これからもよろしく、父さん。
「ローレス君、行ってくるよ」
ミヤちゃんの旅立ちの時がやってきた。隣にはトーヤ兄さんの姿もある。
「うん、頑張ってね。気をつけて」
正直心配で仕方ない。村に居た間はいつも一緒に居た姉のような妹のような存在が明日からはもう居ないのだ。手の届かない所で危険な目に遭わないかと考えると、やっぱり引き止めたくて仕方ない。
「大丈夫だよ。俺も気を配るし、うちの仲間は皆優秀だ。心配することは無いよ」
トーヤ兄さんは僕の内心を察してか、気負うことなく笑顔で答えてくれる。トーヤ兄さんを信じてミヤちゃんのことは任せよう。
「そうだ、ミヤちゃん、これ持っていってよ」
自作の回復薬の瓶を詰めた袋と僕自らが付与した焔飛矢の束を差し出した。
「ありがとう、ローレス君。大事に使うね」
「大した物じゃないんだから、無駄だと思わず使っちゃってよ」
ミヤちゃんは歳相応の可愛らしい笑顔で「解ったよ」と答えると、僕へと向けていた視線を動かした。僕の斜め後方、彼女の両親の立つ方へ。
「お父さん、お母さん、行ってきます」
ユミさんはミヤちゃんの手を取って「気をつけて行ってらっしゃい、身体を大事にね」と抱きしめた。タクさんはもうこのまま死んでしまうのではないかと言うくらい真っ青な顔で、それでも何とか気丈に笑って見せた。
「私は正直心配で今にも倒れそうです。ですが貴方達を信じることにします。少し早いですが、巣立ちの時が来たのですね」
タクさんはミヤちゃんに一振りの短剣を差し出す。木彫りの鞘に収められたそれを、ミヤちゃんは受け取る。
「これは……」
「鞘は私が作りました。短剣自体はどこにでもある物ですが」
娘の安全を祈るくらいしか、私には出来ませんから、とタクさんは少しだけ寂しそうに笑った。手彫りの鞘をじっと見て、ミヤちゃんはポツリと呟く。
「……ありがとう、お父さん。お土産いっぱい持って帰ってくるよ」
トーヤ兄さんが「そろそろ行こうか」と出立を促した。このままだときっと何時までも旅立つことは出来ないと感じたのだろうか。
「気をつけて。二人ともたまには帰ってきてね」
「いつでも祈っているよ。トーヤとミヤの安全を」
両親の言葉を背に受けて、兄妹は村を出て行った。いつか僕もあの二人に追いつこう、そう心に誓ったのだった。
ミヤちゃんがこの村を出てから三ヶ月が過ぎた。母さんのお腹も随分と大きくなって、早ければ今月中には産まれるらしい。
僕は産まれてくる赤ちゃんの為に布団を作ろうと思いついた。布団用の毛を採取する為に、一人森の中に居た。
「さっきからちらちら気配はするんだけどな」
僕の気配察知に何匹かの獲物が引っかかっているが、今日狙っているのはそれらではない。本来はもう少し奥に行かないと出てこないのだが、冬になるとこの辺りまで遠征してくる個体がいるとの事で、三日前から張り込んでいると言う訳だ。
夏場は短毛だが冬場になると毛が生え変わり、もこもこの綿菓子みたいな姿になる雲兎と言う名前の大兎の毛は保温性が高く非常に良い布団の綿になるそうだ。
「今の時期なら気の早いヤツが冬毛に変わっていると思うんだけどな」
ちなみのその身も割と美味しい。鳥のような兎肉の食感と、独特の甘みのある風味が辛めに作ったスープに良く合う。栄養価も高いので母さんに食べてもらおう。勿論辛さは控えめに、だけど。
「こいつは……お、居た」
感じた気配を目視で確認。真っ白な雲のような格好をした兎が時々毛の奥から少しだけ飛び出した耳をピクピクさせながら草を食んでいる。
火竜の弓を引き絞り、鏃に氷結の付与を施した氷飛矢を放つ。命中した鏃は体内で急激に熱を奪って獲物の息の根を止める。余り小さな獲物にこれを使うと、血抜きする前に体内で凍結してしまうので肉質が落ちてしまうと言う欠点があるが、雲兎の様な大型の獲物ならば問題ない。
「こいつ一匹で三日か。ちょっと時間を掛けすぎたか」
仕留めた獲物の血を抜き、皮剥ぎそのほかの作業は村に戻ってからすることにして背負い鞄の中に放り込む。
ふと、胸の奥が引っ張られるような感覚を覚える。心を手繰り寄せられるような奇妙な感触。
「んー、何かまたちょっと近くなった気がするな」
最近、僕が成長したからなのか各種術式を使うようになって感覚に慣れてきたからなのか、僕の中の二本の経路をはっきりと感じられるようになってきた。
その二本のイメージは白と黒。そのうちの黒い一本の接続先との距離が近くなってきている気がする。
雪豹はどこかの山の上で守護者として生活しているだろうから、距離が近くなると言うことはないだろう。白い一本は遥か北に続いているので、恐らくこちらがシアンなんだろうと思う。
「と言うことは、黒い方は上位妖魔の姫さん、なのかな」
まだまだ未熟な僕の感覚では、おおよその方角と近い遠い程度の曖昧な距離しか解らないが、この数ヵ月の間に随分と近くまで来ているような気がする。
僕の体感でも十年も前の事なので朧気にしか思い出せないが、アイオラさんの優しげな笑顔を思い出して懐かしく思う。元気でやっていてくれるといいんだけど。
「とりあえず村に帰ろう」
毛皮の処理に布団の製作とやることは一杯ある。さっさと帰って準備をしよう。
どうでも良いけど一人で森に入ると独り言が増えるね。昔知り合いに聞いた「孤独な作業に従事する人は独り言が多い」ってのは本当なんだな。
ユミさんに内緒で教わりながら、子供用の布団一式を作り上げる。慣れない裁縫作業に指を怪我しながら、何とか完成した。
採取した毛を特殊な防虫処理を施して乾燥、梳綿作業が地味に大変だったが、ここをしっかりやらないと折角の雲兎の毛が無駄になってしまう。中の綿が片寄らないように指し縫いをして完成だ。
本職の人が作るものと比べれば拙い出来だけれど、そこは素人の腕と言うことで勘弁していただこう。気持ちはたっぷり込めたしね。
雲兎の肉は悩んだ末に燻製にした。父さんに燻製の製作方法を習いながら、二週間掛けて完成させた。自然魔術にそのもの燻製と言うものがあるのだが、あえて手作業で作ってみた。流石に温度管理は自然魔術に頼ったが、それ以外は全て手作業で行った。
失敗する可能性を考慮して、保険として半分は自然魔術で作ったけど、うまく出来上がったのでこちらは僕の保存食としてしまうことにした。
「父さん、教えてくれてありがとう」
自然魔術で出来ることをわざわざ面倒な手作業ですると言い出した僕によく付き合ってくれたと思う。何でこんなことを思い付いたのか、あえてなにも訊いてこないが何となくは察しているようだ。
「息子の頼みを断るわけないだろ? 何より作業行程を理解した方が、より自然魔術は巧く使いこなせるようになるからな。こういう一見無駄に見える作業は決して無駄にはならないんだよ」
確かに科学知識を持っている僕の方が自然魔術を使う際により応用力の高い使い方が出来る。火を維持するには可燃物と火種、そして酸素が必要だ。この世界では火に適度な風を送れば火力が上がることは経験則として知られているが、それが酸素を供給することによって成っていると言うことは理解されていない。
そもそも酸素とか窒素とかそういう分子があると言うこと自体が発見されていない。砂はどんなに細かくなっても砂でしかないし、水の中に溶けた塩は水分がなくなれば結晶になるが、それが純粋な塩なのか混じったものなのか程度の違いしか興味を持たれない。
もしかしたら何処かの国では研究されているのかもしれないが、なまじ各種術式が発展したこの世界では、科学技術と言う迂遠な方法を取らずとも直接的に結果を導き出せてしまうのだから科学技術の進歩が遅れるのは仕方のないことなのだろう。
ただ生きていく事が難しいこの世界では、こうすればこうなる、ああすればああなるといった経験則の理由に興味を持っている余裕がないと言うのも一因かもしれない。
「しっかし……ローレスは本当にしっかりしてるな。俺の十歳の頃はこんなにしっかり考えて行動してなかったぞ」
そりゃ合計すると三十歳近いんだし、肉体に精神が引っ張られるとは言え普通の十歳児よりは落ち着いているだろう。そんなことは言えないけれど。
「父さんと母さん、それにこの村の皆のお陰だよ」
その言葉が出るのがすげぇよ、と父さんは笑った。
母さんの陣痛が始まった。部屋の隅には父さんの作ったベビーベッドが置かれ、僕の作った布団が敷かれている。
「さぁ、ウルさんにローレス君は部屋から出て行ってね」
ユミさん達村の女性陣に追い出された。父さんは落ち着かないのか部屋の前でウロウロしている。今回は町の教会に高い寄付をして神術の使い手の修道女にも来て貰っているので、早々滅多なことは起こらない。起こらないはずだがやっぱり心配なことには変わりないだろう。
「落ち着かないし、ここに居ても何も出来ないから、僕は森に行ってくるよ。出産を終えて疲弊した母さんに栄養のある物を食べさせてあげたいから」
父さんは気もそぞろに「わかった、気をつけてな」とだけ答えると椅子に腰掛けてジッと扉を見つめた。
「タクさん、父さんをお願いします」
任されましたよ、と笑って答えるタクさんに落ち着きのない父さんを任せ、僕は村を後にする。正直僕も父さんと一緒に母さんの側で待っていたかったが、そういう訳にもいかなそうだ。
近くの森の中に、村へと近づいてくるアイオラさんだろう気配を感じた。多少近づいた程度ならばともかく、真っ直ぐ村を目指してやってくるこの気配は間違いない。
「僕に会いに来てくれたんだよな、きっと」
今の村の中で再会する訳には行かない。唯でさえ出産で慌しくなっている所にこれ以上混乱を持ち込む訳には行かない。まずは一人で会い、事情を説明して口裏を合わせなくては。
そう思いつつも、僕はアイオラさんともう直ぐ会えると思うと胸が高鳴るのを抑えることができなかった。幼い頃に憧れたお姉さんに久しぶりに会うような感覚と言えばいいのだろうか。そんな浮わついた想いに、こんなときに何を考えているんだ、と自分自身不謹慎に感じながらも期待が高まるのを押さえることが出来ない。
この時僕はまだ、彼女と会うことでこの村を旅立つことになるなんてまったく想像もしてはいなかったのだ。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
ローレスの一人称はここまでです。次話からは三人称に戻ります。