第57話 砂漠の強襲者(Side:Rayshield)
「無限の捕食腕」
砂漠蟻の腕を装填してみる。現れたのは土色の外骨格に覆われた蟻の前足。だが手首から先は二本の蟻の牙が生えていて、掌に当たる部分には大きく穴が口を開けていた。
「なんとも奇妙な形の腕じゃの」
アティとククルには神器の事をある程度教えている。行動を共にする時間が長ければ疑問に思う機会も増えるだろう。その時に余計な詮索をされる位なら、話しても良さそうな部分だけでも話してしまおうと考えたからだ。無論レインが。
教えていると言っても、一時的に腕を装填出来る事と倒した敵の能力を持った腕を作り出す事が出来る特異技能だと言うような感じで伝えている。ウルより多少多目に情報を出した程度だ。
先ほどの砂漠の蟻を倒して手に入れた腕だということは二人も理解している。だが理解している事と驚かない事は同義ではない。特に今回のように特殊な形状をしていれば尚更だ。土色の外骨格の腕の先を見て、アティは不思議そうな顔をした。手首から先は腕と言うより目の無い蟻の頭がくっ付いた長い首に見えるのだから、不思議に思っても仕方ない。
試しにガチガチに硬い保存食を一つ左手で捕食してみると、バリバリと噛み砕いて飲み込んでしまった。穴の中に保存食が消えた途端、身体の内から活力が漲ってくる。
「なんじゃ、腕が物を食っておるぞ!」
アティが捕食行動を見て驚いている。今回は捕食と言うよりただの食事だが、それにしても何の説明も無く見せられれば驚いて当然か。
そんな彼女を放置して、ライシールドと同調してこの腕の能力を検分しているレインに確認した。
──これは捕食の効果だね。腕が何かを食べることによって腕の中に取り込み、直接体力に変換しているみたい。腕を装填している限りこの体力は蓄積し続けて肉体に流れていくみたいだよ。
レインの解説はつまりは、攻撃と同時に捕食して体力を回復すると言うことか。
──正確には捕食で腕の中に回復薬を生成するようなものかな。疲労も回復するし滋養も確保出来るから、空腹も大分軽減できると思うよ。
更には硬いので防御の腕としても使える。護りつつ回復出来る非常に便利な腕と言える。
「捕食前提って言うのがちょっと厄介だが、今後はこいつも装填の選択肢に入れておこう」
「食事する腕でどうやって戦うんじゃ?」
レインの言葉が聞こえていないアティにしてみれば、ライシールドが突然腕で食事を始めたかと思ったら装填候補に入れると言い出したのだ。疑問に思うのも仕方ない。
「ライ様、食いしん坊?」
横で黙ってみていたククルも小首を傾げて訊いてくる。
「詳しい説明は面倒だからしないが、この腕は飯を食うだけの能力でもないし別に腕まで使って食事がしたいと言っている訳でもないからな」
二人の見当違いの質問に答えながら、ライシールドは出立の準備を始めた。燻る程度まで火力の落ちた焚き火の上へと砂を掛けて完全に火を落とす。仕舞い忘れ等が無いように確認すると日の昇り始めた砂漠へと目を向ける。
今はまだ岩場の影に居るので陽射しは感じないが、一歩踏み出せば長時間当たれば肌が火傷したように腫れ上がる程の灼熱の地獄である。
ライシールドはマントのフードを目深に被り、昇り始めた小聖鏡にその身を晒す。マント越しに陽の光の熱が感じられる。
「人族は不便じゃの。我はこの位の熱気の方が調子が良いな」
アティが熱に強いのは当たり前だ。火を司る火竜ともあろう者が、火と熱に弱い等ある訳が無い。
「ライ様、風気窓帷に入る?」
ククルは風の竜魔法で体の周りに空気の壁を作り、絶えず熱気だけを放出して内部気温を一定に保っている。効果範囲はそれほど広くないので、その恩恵を受けようと思うとククルの側に寄らなければならない。丁度手を繋ぐ距離位に。
「いや、ククルは自分の心配をしておけ。俺は大丈夫だ」
砂漠に入って一週間。まだ目的地まで十分の一も進んでいない。それぞれ独力で移動が出来るようにして置いた方が砂漠の環境に慣れる時間も早いだろう。ライシールドはそう言ってククルの好意をやんわりと拒否した。
「そうだね。この環境に適応するのも大切だよね」
あわよくば手を繋いで歩けるのでは、と期待していたククルは残念そうだ。そんな様子にライシールドは全く気づいていない。マントの隙間から顔を出したレインがその様子に溜息を吐く。
この鈍感脳筋馬鹿は全く!
「ライ、環境に適応するのも大切だけど、出来るだけ消耗を押さえた方が移動距離は稼げるよ」
長い旅程の序盤から全力全開でいって、最後まで続く訳がない。そもそもライシールドの目的は砂漠に適応してこの地の住人になることではないのだから。
「手段のために目的を忘れちゃダメだよ、ライ」
レインの言葉を受けて、自分の目的が何だったのかを再認識する。自分自身が強くならねば姉を救えないと言う考えに囚われ、肝心の姉の下へ辿り着く為の旅を蔑ろにしていたようだ。
「そうか。まずは目的を果たすための努力を優先するべきか」
その為にはまず移動速度を上げ、目的地へ確実に辿り着く事をこそ優先せねばならない。
「ククル、さっき断っておいて図々しいが、やっぱり入れて貰っても良いか?」
ククルは笑顔で「勿論!」とライシールドの側に駆け寄ると、風の竜魔法の効果範囲に彼を招き入れる。
「ライはもうちょっとその脳筋思考をどうにかすべきだと思う」
快適な気温の中で羽を伸ばしたレインのぼやきが耳に痛い。苦笑するライシールドを見て、ククルも自然と笑みを浮かべた。
「我も仲間に入れて欲しいんじゃが……」
竜魔法の効果範囲外で、アティが一人蚊帳の外で寂しくなり声をかけてくる。
「アティ姉様は外の方が調子が良いと言ってなかった?」
「やっぱりククルは意地悪じゃな!」
過酷な環境下には似つかわしくない和やかな雰囲気で、ライシールド達は北を目指して歩き始めた。
「旅の目的の再確認をさせてくれ」
日陰になる岩場を見つけたので、丁度いいと一行は小休止することにした。陽射しを避けて腰を落ち着けると、携行食を摘まむ。
「この砂漠の中央西よりに在ると言う水聖の杯に宝珠を届けるのが今回の目的だ。ここまではいいか?」
対面の二人が頷く。
「それが成った後は、一度西に抜けて獣王国に入る。そこから北の魔道国家を目指し、そこに在る火神の玉座が次の目的地だ」
更にそこでの用事が終われば、次は地霊の口腔の深部を目指さねばならない。あそこは高い冒険者階級が必要になるため、暫く足止めされることになる。
「そこに辿り着くまでは少しでも早く進む必要がある。二人には少し負担かもしれないが、俺に力を貸してくれないか?」
頼む。と頭を下げるライシールド。対面の二人にしてみれば彼の力に為れるのなら多少の苦労など厭わない。
揃って笑顔で頷く二人を見て、ライシールドはもう一度深く頭を下げるのだった。
「ライ! 気を付けるんじゃ! 足下に居るぞ!」
アティの警告と同時に足下の地面が沈む。流砂のように流れ落ちる砂に足を捕られ、なかなか抜け出せない。
「アティ! ククルを掬い上げられるか!?」
「やってみる! いや、やってみせる!」
いち早く岩場の上に退避したアティが叫ぶ。彼らの視線の先では、半身を砂に呑まれて身動きの出来なくなったククルがぐったりとしていた。
「くそっ! こいつは一体なんなんだ!?」
砂の中を疾走する姿を見せない襲撃者に苛立ちの声を上げる。足下の流砂に氷の刃を連続で叩き込み、砂ごと地面を凍りつかせて足場代わりにして沈みかけた足を引き抜いて、流砂の範囲外まで飛び退く。ククルとの距離が開いてしまって完全に手が届かない。
アティが氷の鞭をククルの腕に絡み付かせて流砂から引き抜こうと力を込める。冷気を限界まで押さえているから多少の低温火傷程度で済むだろう。
何とかなりそうだと安堵の吐息を漏らした瞬間、ククル目掛けて襲撃者が突進してきた。
「不味いぞ! ライ!」
いち早く気づいたアティが叫ぶ。ククルを引き上げるために全力を注いでいる彼女には対処のしようがない。
ライシールドは己の失策を悔いていた。ククルを引き上げるのを自分が担当していればよかったのだ。蔓の腕を伸ばせば十分届いた筈だ。そうすれば自由なアティが氷の鞭で相手を牽制出来ただろうし、時間を稼ぐことも可能だったろう。
後悔先に立たず。このままだとククルが危ない。とっさに思い付いたのは一つだけだった。
「翅脈の腕!」
速度特化の蛇腹の腕を装填し、同期したレインが限界まで能力を引き上げる。限界を越えた足捌きで流砂に足が沈む前に駆け抜ける。
「間に合え!」
果たしてライシールドは間に合った。ククルと襲撃者の間に飛び込んで、シミターを抜き放つ。砂の中からライシールドの身長ほどはありそうな巨大な二本の大顎が飛び出し、彼に大量の砂を浴びせかける。風の針を連続射出して砂を蹴散らすと、ライシールドはシミターを切り上げて大顎の一本を切り飛ばす。
「ライ! ククルは回収したぞ!」
アティの声に安堵し、一瞬油断した。片方の顎を切り飛ばされた襲撃者が残った大顎を勢いよく降り下ろした。一瞬判断が遅れたライシールドは思わずそれをシミターで受けてしまう。
──駄目!
レインの制止も間に合わず、上からの攻撃を足を止めて受けてしまい、流砂の中に太股まで沈み込んでしまった。これでは自力で抜け出すことはできないだろう。襲撃者は容赦なく再び振り上げた顎を叩きつけてくる。
今度は何とか受け流すが、脇にそれた顎が流砂を強かに打ち付けて砂が派手に吹き上がる。その際右足が自由になり、踏ん張りが利く体勢になったのを幸いと蛇腹の腕を霧散させる。
「破壊の巨腕!」
巨人の腕を装填し、素早くシミターを持ち替える。三度顎を振り上げた襲撃者の、無防備に晒された腹に全力でシミターを振り下ろす。
巨人の腕の膂力を余すところ無く伝えて振り下ろされたシミターが襲撃者の腹を割り、その剣圧は空気ごと襲撃者の巨体を両断した。振り上げた姿勢のまま左右に分かれて地面を大きく揺らして襲撃者が倒れる。
──神器に餓蟻人の腕が登録されました。
いつもの登録情報が脳裏に響く。今だ砂の中の片足を引き抜こうと、自由な右足に力を込めた瞬間、ライシールドは腹の底に響く不快な浮遊感を感じた。
「ライ!」
頭上でアティの叫び声が聞こえた。地面が崩れ、自分が落下していることを理解した。
(くそ! 拙い、拙いぞ!)
このまま落下したら確実に死が待っている。何か打開策は無いかと見回せば、先ほどの襲撃者の半分の体も一緒に落下しているのが見えた。手を伸ばして何とかしがみ付くと、襲撃者の体にシミターを突き立てて来るべき着地の衝撃に備えた。
そして衝撃。叩きつけられて跳ね上がり、シミターから手が離れる。砂地に背中から叩きつけられ、ライシールドは痛みに失われそうになる意識を必死で繋ぎ止めた。なんとか周りを確認しようと開いた目の先に、蠢く何かの影が見える。
(駄目だ! 何かが居る! 気を失っては駄目だ!)
周りに何が居るのか判らない状況で気絶することは死に直結する危機だ。どうにかして必死で堪えるライシールドだったが、到底耐え切れる痛みではなく抵抗虚しく意識は刈り取られた。
暗転する世界の中、アティとククルの顔が浮かんだ。
(あいつらが無事なら良いんだが……)
闇に落ちる寸前、二人の無事を祈ってライシールドは意識を手放した。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。