第54話 ローレス、十歳(Side:Lawless)
僕の十歳の誕生日に、嬉しい報告があった。僕に弟か妹が出来たらしい。産まれるのはまだ半年以上先らしいが今から楽しみだ。
お隣のユミさん達家族も随分と落ち着いたようで、再会当初のギクシャクとした空気は無くなったが、代わりにミヤちゃん自身はちょっと思春期特有の反抗期に突入したみたいで、タクさんにはちょっと余所余所しい。
トーヤ兄さんは今この村には居ない。家族の事はタクさんが居るから、自分は外から家族を支える、と村を出たのだ。現在は南西の都市国家群の一国で冒険者として活躍している。冒険者階級は十二、中級と呼ばれる冒険者全体でも五パーセント程しか居ない上位者の仲間入りを果たしている。各地を回り、随分と有名になっているらしい。あの地霊の口腔にも入ったことがあるとか。
何時かトーヤ兄さんとも一緒に冒険してみたいが、流石に実力が離れすぎているかな。
「ローレス君、今日は何をやっているの?」
ミヤちゃんが僕の所にやってきた。今僕は家の裏手の練習場で色々試している。仏具【蓮華座】も大分複製可能な物が増えてきたので、先ほどまで目録閲覧を眺めていたのだ。
流石にミヤちゃんが来たのにずっと空中を睨んでいる訳にもいかないので、仏具の使用を止めた。家の影からこちらを覗き込んでいるミヤちゃんに目を向けると、栗色の髪を後ろで縛っていて、馬の尻尾が揺れている。まだ少し肌寒い日も多いが、今日は少し日差しが強いのでミヤちゃんは白の袖無シャツに薄緑のキュロットスカートと結構無防備な格好をしている。
「これから何しようか考えてたとこ」
言いながら、傍らの矢筒から矢を一本取り出して鏃に付与術で火の文字を焼き付け、風切り羽根の方には風の文字を刻む。これを弓で射ると矢の速度が上がり、突き刺さった鏃から強い熱が発生して獲物を内側から焼く。
「ミヤちゃんはどうしたの?」
僕が矢に付与をし続けるのを黙って見ている彼女に声をかける。彼女は困ったような笑みを浮かべる。
「お父さんがね、最近ちょっとうるさくて」
ミヤちゃんのお父さん、タクさんは五年前にこちらに来てユミさん達家族と再会した。その後ユミさんの指導もあって一年で大陸共通語の習熟を終え、今は村の何でも屋の様な物をやっている。
最近はユミさんの指導方法が町の方でも話題になっていて、わざわざこの村まで教えを乞いに来るものも少なくない。
ミヤちゃんはトーヤ兄さんの後を追って冒険者になりたいらしい。身体能力的には問題なさそうだし、父さんに師事しているので弓と自然魔術の腕前は大したものだ。
しかしそれと親心はやはり全然違うらしく、彼女の両親は冒険者志望に割りと否定的な様だ。
特にタクさんは反対らしく、この村で生き、結婚して平穏に過ごしてほしいそうだ。トーヤ兄さんからの仕送りも結構な額が貯まっているらしく、将来の不安も少ない。
「まぁ、冒険者は危ないからね」
「ローレス君までそんなこと言って!」
裏切りものっ、と抗議してくるミヤちゃんを制し、僕は手を動かしながらミヤちゃんを見る。
「ミヤちゃんの事が心配なんだよ。タクさんも、ユミさんも。僕だってミヤちゃんに何かあったらと思うと不安で、手放しには賛成できないよ」
ミヤちゃんもその辺は解っているらしく「そりゃそうだけど……」とぼそっと呟くと俯いた。トーヤ兄さんはミヤちゃんが冒険者になったら自分の伝手を頼りに暫くは面倒を見ると言ってくれている。
だから絶対とは言えないけど当面は多分大丈夫だろう。
「今は地力を養うのみだよ。もう少ししたらトーヤ兄さんがユミさん達を説得しに来てくれるんでしょ?」
今年中には一度トーヤ兄さんが村に帰ってくる。ミヤちゃんはその時に冒険者として旅立つつもりらしい。トーヤ兄さんには話は着いているとのことだ。
「そうだね。よし、絶対にお父さん達に認めさせてやるんだから!」
弓置き小屋から自分の練習用の弓と矢を取り出し、早速練習に精を出すようだ。彼女の邪魔にならないように、僕はこっそりとこの場を後にするのだった。
僕は今、茂みに隠れて一頭の鹿に狙いをつけている。音を立てないように、慎重に弦を引く。片眼鏡の技能で草を食んでいる鹿の額に標準を合わせて弦から指を離す。
狙い過たず、目と目の間を貫いて鹿を仕留める。暫く待って完全に息絶えたのを確認すると側に寄り、血抜きで体内の血液を抜くと、頭部を切り離し喉側から皮剥ぎ用の短刀を入れていく。腹側の肉を開き、内蔵を取り出すと不要の部位を一纏めにして自然魔術で開けた穴に放り込んでいく。角は様々な道具の素材になるので根本から折って回収。頭部は今回は不要物と一緒に処分穴行きとした。
後は肉をそれぞれの部位で切り離して収納、穴を埋めて作業完了だ。
「よし、合格だ」
どこからともなく父さんが現れた。今回は僕が一人で獲物を見つけ、狩り、解体して後始末まで出来るかの見極めを兼ねた狩猟活動だった。僕も十歳になって早二ヶ月、そろそろ独り立ちの頃合いとの事で今回の試験となった。
「ローレスは優秀だな。俺の十歳の頃よりいいんじゃないか? この仕上げは特に」
これなら十分店に卸せる、と太鼓判を押された。今日はこの先の夜営予定地で一晩明かして村に帰る予定だ。
まだ昼前なので、もう何頭か仕留めたら移動しようと言う話になっている。
「ウル殿」
突然僕らの前に一人の男性が現れた。って言うか見知った顔だ。
金髪の森人、僕の主観でも十年近く前になる、相手からしたら七、八十年経っている事になる。
火の子供族のアスガル、あの頃と全く変わらない姿の彼がそこにいた。森人の長寿ぶりには驚かされる。
「アスガル殿じゃないか。どうしたんだ? こんな森の浅いところまで来るなんて珍しい」
「ウル殿に火急のお願いがあり、参上した次第で……む、そちらはウル殿の自慢の子か」
アスガルさんが僕に目を向ける。向こうは僕とは初対面で、僕は彼と話した記憶がある。そんな奇妙な関係になんと話しかけていいものかと思案していると、父さんが僕の側によって肩に手を置いた。
「前から話していたうちの息子だ。多分弓の命中率なら俺より上だぞ」
ウル以上、と言う言葉に、アスガルさんは目を見開いて驚いていた。僕も父さんが矢を外したところを見たことがないのに、それ以上何て言ったらそれは驚くよね。
「まぁ威力や速度、合わせのタイミングなんかはまだまだだがな。この歳でこんだけやれれば十分ではあるがな」
「父さん、僕はまだ十歳です。無茶な事を言わないでください」
とりあえず抗議しておこう。確かに威力や速度なんかはまだまだなのは実感している。だからこその付与矢なのだし、日々の訓練もこうした不足を補うために色々と頑張っている。最近は隠蔽と隠密を使った待ち伏せや、片眼鏡の技能で遥か彼方の獲物を探し当てる等、技能に頼った狩猟にも力を入れている。森に入り獲物を仕留める。それだけの事がまた難しい。
「私は火の子供族のアスガルと言う。君の話は父上からよく聞かされているよ。よろしくお願いする」
僕に丁寧に頭を下げ、アスガルが自己紹介してくれる。以前の彼は人族に対して腹に一物ありそうな態度が露骨に見えていたが、今の彼からはそんな気配は微塵も感じられない。何も変わっていないように見えて、やっぱり色々と変わっているんだな。
「はじめまして。ウルの息子のローレスといいます。今後は森で狩りを父さんとすることもあると思いますので、何処かでまたお会いするかもしれません」
その時は遠慮無く声をかけるといい、とアスガルさんは言うが、正直森の中でアスガルさんを見つけ出せる自信はない。そう伝えると笑われてしまったq
「そう言えば、何やら火急の用があるんじゃないのか?」
父さんが訊くと、アスガルさんは表情を切り替えた。
「ウル殿にお願いしたい事があって来た。実は疾風の森林に入りたいと言う者が居てな、案内を頼みたい」
「あそこは俺でも結構きつい所だが、その依頼主は何だってそんなところに……?」
疾風の森林と言ったら、確かここからずっと東にある街道の更に東に広がる森だったと思う。常に風が吹き、奥には何か触れてはいけないなにかが潜んでいると噂されている。
「詳しくは判らんが、火竜様の知り合いの方で疾風の森林に届け物だそうだ」
「火竜様の知り合いか。大丈夫だろうな?」
父さんが胡散臭そうに訊く。火竜様って始まりの勇者の時代にライ君が出会ったって言うあの火竜の事かな。
「大丈夫だろう。ガズ殿も知っている方だそうだ。ウル殿が断られると言うなら、私が案内を買って出るつもりなので、無理にとは言わないが」
ただ、金払いは良いらしいがな、とのアスガルさんの言葉に、父さんが露骨に反応する。
「しかし、ローレスが居るし、そろそろ森の生き物も活発になる時期だしな」
疾風の森林に行くとなると、月単位の行程になる。父さんは長期に渡って村を開けるのが心配らしい。
「ローレス殿は私が村まで送り届けよう。ウル殿が戻るまで、村の周辺の警戒は我々森人が担当してもいい」
森人の護りを得られると言うのは破格の条件ではなかろうか。父さんもそれで覚悟を決めたらしく、案内依頼を受けることに決めたようだ。
「今度産まれてくる二人目の子の為にも稼がなきゃならんしな。竜皮族の町に行けば良いのか?」
「受けてくれるか。門番達に案内の件で来たと言ってくれればいい。話しは通してある」
父さんは僕の前にしゃがむと、視線を合わせてきた。
「ちょっと仕事にいってくる。母さんに伝えておいてくれるか?」
「うん」
「母さんと村を頼むな」
握り拳を突き出してくる。僕はそれに拳を合わせる。
「任せてよ。父さんこそ気を付けて」
満面の笑みで「任せろ」と答えると、父さんは立ち上がった。
「アスガル、息子と村を頼む。ローレス、じゃあ行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
片手をあげて僕に返事をすると突然姿が消えた。多分隠蔽と隠密を使って森を一気に抜けてしまうつもりなのだろう。
「ではローレス殿、村に戻ろうか」
アスガルさんに促され、父さんの消えた辺りを見ていた僕は踵を返した。流石は父さん、何の痕跡も見つけられなかった。
こうして僕の十歳の日々は過ぎていった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。