第50話 ローレス、五歳(Side:Lawless)
僕が五歳になってしばらくして、大事件が起きた。村の近くの森の中で、一人の壮年の男性が発見されたのだ。
父さんに連れられて村にやって来たその男性は、見慣れない服装でこの辺りでは見たこともない犬種の一匹の犬を連れていた。本人は大陸共通語が話せない様子で、意味の解らない言語しか喋れなかったそうだ。
こんな素性も知れない怪しい壮年の男を、自称“村(というか家族)の守護者”である父さんが連れて来た事には理由がある。
その意味の解らない言語に心当たりがあったのだ。具体的には七年前、森の同じ場所で発見した母子が喋った言語に似ていたのだ。つまり、ユミさん達親子と同じ言葉を喋っている可能性が高かった。
ユミさんたちは突然森の一角に現れたとしか良い様のない状態で発見された。着の身着の儘で言葉も解らず、ここが何処かも不明のまま父さんに保護され、村で暮らしながら細々と情報を集め、元々住んでいた場所に帰る方法を探していた。待っている人がいるからなんとしてでも帰りたいそうだ。
そんな折、同じような状態で発見された似た言語を話す人物が現れたのだ。事情を知る父さんは何かの手がかりになれば良いと男性を連れて村に帰ってきたという訳だ。
まず自警団のトーヤに会話が可能か確認を取ろうと思ったのだが、生憎交代時間を過ぎていたらしく今は自宅に戻っているとの事で、それならばとユミさんを門まで呼び出してもらうことにしたそうだ。
家の前でミヤちゃんと遊んでいた僕の前を、血相を変えたユミさんが飛び出していった。何事かとミヤちゃんと二人慌てて追いかけたが、あっという間に姿を見失ってしまった。代わりにトーヤ兄さんが僕達の後ろから来て、一緒に門の所まで行くことになった。
門に向かいながらトーヤ兄さんがミヤちゃんに素の世界から来たかもしれない男が居る、と説明しているのを聞いた。もしその男が日本からの迷い人なら、この村だけで既に四人もの異世界人が揃うことになる。何かこの辺りにはそういう穴の開きやすい環境でもあるのだろうか。転生者である僕がこの村に産まれたのももしかしたら偶然ではないのかもしれない。
そんなことを考えながら後を着いていくと、門の外でユミさんが壮年の男性と抱き合っている姿が見えた。お互いに涙を流し、強く抱きしめあっている。
「……と、うさ、ん?」
トーヤ兄さんがその男性の姿に足を止める。呆然と見つめるトーヤ兄さんをミヤちゃんは不思議そうに首を傾げて見ると、泣きながら抱き合うユミさんと男性に視線を移した。
「△△△△、△△△!(とうさん、父さん!)」
トーヤ兄さんが全力で駆け出す。ミヤちゃんも僕も置いて、ただ我武者羅に。おそらく意識しては居ないのだろうが、トーヤ兄さんは日本語で叫んでいた。
「お兄ちゃん、泣いてる。どうしたんだろう」
ミヤちゃんは状況が理解できずに僕の手を取って聞いてきた。理解できていないなりに何か大変な事が起きているということは薄々感じているらしく、僕の手を握るミヤちゃんの小さな手は、僅かに震えていた。
大丈夫、きっとこれは悪いことじゃないよ。そういう想いを込めてミヤちゃんの手を強く握り返した。
「△△! △△△! △△△△△△!(柊弥! 柊弥か! 大きくなって!)」
ユミさんを抱きしめていた手を離し、飛びついてくるトーヤ兄さんを受け止める。ユミさんもそれに気付いたのか男性から離れ、トーヤ兄さんに男性の胸を譲る。涙でぐちゃぐちゃの顔は幸せそうな笑顔が浮かんでいる。
ふと少し離れた所で僕と手を繋いで三人を見ているミヤちゃんにユミさんが気付いた。ユミさんはミヤちゃんを手招きする。
ミヤちゃんはもじもじしつつもどうしたらいいのか判らないみたいで、所在なさげにしながらも僕の手を離そうとしない。
「行っておいでよ」
僕はミヤちゃんの手をそっと離すと、軽く背中を押してあげる。押された力にさして抵抗せずに足を出す。一度出た足は止まらず、力無くとぼとぼとユミさんの方へと歩いていく。
トーヤ兄さんを抱き締めていた男性がそんなミヤちゃんに気付き、ユミさんに何事か訊き、ユミさんが頷く。
涙を溢れさせた男性が優しそうな笑顔でミヤちゃんを見ている。ユミさんがミヤちゃんに何事か囁き、ミヤちゃんはやっぱり不思議そうな顔で男性に顔を向ける。
「お、父、さん? なの?」
ミヤちゃんが男性に問いかける。ユミさんが通訳したようで、男性は頷いてミヤちゃんの頭に手を伸ばす。びくりと肩を震わせると、ユミさんにぎゅっとしがみつく。二歳で別れているのだし、顔も覚えていないのだろう。実感だって沸かないに違いない。
男性は伸ばした手の行き場を失い、少しだけ寂しそうな顔をした。今はまだミヤちゃんの気持ちの整理がついていないが、それは時間が解決してくれることだろう。
男性は拓弥さんと言うらしい。やはりユミさんの旦那さんでトーヤ兄さんとミヤちゃんのお父さんだそうだ。
結局ユミさん達と一緒に住むことになったようで、暫くはユミさんの指導で読み書きとこちらの生活の仕方を習いつつ村の作業を色々と手伝うことになった。歳の割には鍛えられた肉体は労働力として問題なく、どこでもそれなりに役に立つことだろう。
ミヤちゃんとの間にはまだ壁が感じられるが、こればかりはゆっくりと距離を縮めて行く他ないだろう。
「ミヤちゃんは暫くユミさんと一緒にタクさんのお手伝いをすることになったらしいの」
そう僕に説明するのは母さんだ。
「だから、暫くミヤちゃんは家には来られないみたい。ちょっと寂しいね」
「仕方無いよね。せっかくお父さんに会えたんだから。もっと打ち解けられるといいんだけどね」
やっぱり家族は皆一緒がいいからね。
「……やっぱりローレス君は大人だねぇ」
感心したような、呆れたような顔で母さんが笑う。ちょっと子供っぽくなかったかな。
まぁ、この歳で弓を使いこなしたり薬を調合している時点で子供っぽさからは遠く離れているけれど。
「僕は父さんと母さんがいればそれでいいよ」
僕の言葉に一瞬ぽかんとした後、母さんはにっこり笑って「わたしもよ」と抱きしめてくれた。
「でも、こんな事言ってくれるローレス君も、大きくなったらお婿にいっちゃうのよね」
「気が早いよ。僕まだ五歳だよ?」
それもそうね、と二人で笑いあった。まだまだ一緒に居てね、母さん。
今日は師匠の下で覚えられた薬の種類が十種類を超えたと言うことで、お祝いに調薬用の道具一式を頂いた。
何でも出入りの行商人に頼んで北の魔道国家からわざわざ仕入れた一級品らしい。購入資金は僕がこの一年作り続けた薬の売り上げとの事だが、絶対それだけで手に入るような安物ではない。これだけの道具を頂いたからには、師匠の期待に答えるべく調薬の腕を上げていこう。
行商人は北の魔道国家まで自らの足で物を仕入れに行ってくれたらしい。その際父さんがお金を出して付与術の入門書とも言える初級導術書も探してもらったらしい。魔道王国の名に恥じぬ品揃えで、何人もの付与術者を尋ねて初心者にも解りやすい物を選んでくれたらしい。
師匠の所に預けられていたこの本も、今日道具一式と一緒に渡された。師匠は付与の適正が無かったので調薬は魔石頼りだったが、付与術が使えれば魔石を使わずに付与で力を籠める事が出来る。
「この二つを使いこなせば、お前さんは私を超える調薬師になれるよ」
「師匠を超えるにはまだまだ経験が足りません。師匠の作る薬の透明度、木目の細かさ、効果の高さには到底叶いません。これからもご指導よろしくお願いします」
師匠は僕の頭に手を載せると優しく撫でてくれた。
「お前さんは師匠を煽てるのが巧いよ。これからも精進おし」
煽てているつもりは無いし、本心で言っているんだけどな。いつかこの人の薬を超えてみたい。この人の弟子として一つでも多くの作製方法を受け継いで、師匠の名を汚さないように頑張っていこうと改めて誓うのだった。
今日も父さんに自然魔術を習う。
初級は無事卒業し、現在はより複雑な術式を必要とするものを練習中だ。
体内の液体の中から血液だけを抜き出す血抜き、体の表面から羽毛を選び出しそれだけを排除する毛抜き、人体に影響のある毒素を指定して分離する毒抜き等、対象を特定して指定、作用させる事で効果を発揮する術式群。
血抜きは対象物がどういった肉体構造をしているかをきちんと把握できていないと指定から外れた血液が体内に残ることがあるし、毛抜きは対象から外れた産毛や皮膚内に取りこぼされた軸が残ったりする。毒抜きに至っては毒の種類とそれがどの動植物のどの部位にどれだけ存在するかを理解しなければ意味が無い。
座学で知識を蓄え、実地で経験を積まなくては使いこなせない魔法ばかりだ。
「今日はこいつを解体してみるか」
父さんが取り出したのは大頭黒森百舌と言う毒を持つ珍しい鳥だ。この村の付近に生息する毒性生物の情報は、一通り教わっている。確かこの鳥は……。
「毛抜きで羽毛を全て袋に抜き出して、毒抜きで表皮にある毒を分離してこの瓶に入れて、血抜きで血抜き……と」
この鳥は羽毛と皮膚に毒を溜め込む。溜め込む毒は自分自身では生成出来ないので、餌として食べた虫などの持つ毒を利用している。非常に強力な神経毒で、皮膚に触れただけでその部位に強力な麻痺を起こさせる。粘膜接触なんてしようものなら、下手をすると心臓が麻痺して亡くなってしまう事も珍しくない。
「うん。合格だ。羽毛も毒も処置は問題ない。血抜きも体内に殆ど血液が残っていない。十分合格レベルだ」
実はこの試験、今回で既に五回目である。
一回目は上手く術式が起動しなくて中止。二回目と三回目は処置が甘く毒素や羽毛を採り切れなくて食材を駄目にしてしまった。四回目は毒と羽毛の処理は出来たのだが、血液の回収で盛大に失敗をして大量の血液が体内に残ってしまった。
そして迎えた今日、遂に問題なしの合格に漕ぎ着けた訳だ。苦労した分達成感が半端ではない。正直小躍りしたいところをぐっと堪える。
「あとはまぁ、知識と経験を養うのみだな」
父さんと野外実習に出る日も近そうだ。
こうして、僕の五歳の日々は過ぎていった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
15/12/18
決め→木目