第42話 ローレス、二歳。(Side:Lawless)
意識を取り戻して、一年が過ぎた。寝返りを打っては喜ばれ、立ち上がっては褒められた。
初めて「おはよう」と発言したときは、父さんが抱き抱えて近所中に触れ回り、母さんに全力で叱られていた。
「ローレス君、今日は機嫌良いね」
母さんが朝食の後片付けをしながら、僕を見る。
そう、僕の名前はローレスと名付けられた。どうやら森人に伝えられる救世主の名前らしい。
……僕のことじゃないよね?
「ミヤちゃん、ちょっとローレス君のこと見ておいてくれる?」
母さんの横で洗い終わった皿を拭いていた小さい女の子が頷いて僕に近づいてくる。
「ローレス君、お姉ちゃんと遊びましょうね~」
この子はお隣のミヤちゃん。確か今年六歳になったはずだ。割と頻繁に家の手伝いに来てくれる。六歳にしてはしっかりしているように見える。六歳と言うことは小学一年生だから、まだまだ子供なはずなのだが、お手伝いに(僕の)子守にと大変忙しい日々を送っている。
実は僕は、お隣さんの事が少し気になっている。このミヤちゃんにはお兄ちゃんがひとり居て、名前はトーヤ。そして母親の名前はユミ。名前もそうだが、見た目が凄く東洋人っぽい、と言うかまんま日本人って感じの顔立ちをしている。
どこからかこの村に移住してきたとしか教えてもらってはいないが、僕の予想では転生ではなく、召喚とか迷い込んだとかそういう類でこっちに来てしまった人たちなのではないかと思っている。いつか詳しい話を聞いてみたいものだ。
その予想を前提に、最初の半年は凄く疑問に思ったことがある。おそらくこちらに迷い込んだであろう彼女らが、何故こんなに流暢にこちらの言葉を話せるのかが凄く不思議だった。その疑問の答えだろう事柄は二つ。
まず一つ目は単純に時間の問題。彼女たちがこの村に住むようになって、僕が産まれた当時で既に二年経っていた様だ。そりゃ二年もあればある程度は喋れるようになる。必要に迫られてっていう分もあるしね。ミヤちゃんに至っては当時まだ二歳だ。下手をすると日本語の方が解らないのではないだろうか。
そして二つ目。これが一番大きいのだが、彼女の母親は所謂才媛ってヤツらしく、特に語学に明るいようだ。最初の半年で読み書きを習熟し、残り半年で効果的な勉強方を確立した。自分の子供達にそれを実践し、実績を持って村の皆を説得し村人に読み書きを叩き込んだ。この村は下手な町よりも識字率が高くなり、技術の伝達も教科書を作って文章に残すことで効率的になった。
実は僕もその恩恵に与っており、ここ半年で簡単な読み書きと会話は出来るようになっている。
「ミヤちゃ、お外」
まぁ、体が追いついていなくて、舌が上手く回らないんだけどね。
「スカディさん、ローレス君と散歩に行ってきても良いですか?」
スカディと言うのは僕の母さんの名前だ。母さんは「気をつけていってらっしゃい」と許可してくれたので、ミヤちゃんとお散歩、の名目で村の観察に今日も乗り出した。
「今日はどこに行きたいの?」
態々僕の視線に合わせてしゃがんで聞いてくれるミヤちゃん。ちょっと小首を傾げた仕草が可愛い。思わず頭を撫でてあげたい衝動に駆られるが、残念ながら僕の方が遥かに小柄だ。手が届かない。
「門」
村は全体を低めの木の柵で覆われている。外側には鋭く尖らせた丸太を突き出させて、外部から突撃してくる野生動物を寄せ付けないように工夫されている。
そんな村に入るには南北に一つずつある門を抜けなければならない。南側はこの村を含むここら辺り一体を治める領主の駐留兵の宿舎があり、南門は町への街道へと続く道と繋がっている。北側は逆に森人の大森林と呼ばれる森に繋がる道が続いていて、森との間には六百メル程の平地が続いている。これはあえて木を倒して下草を刈り、森から野生動物や魔物が迷い出てきても直ぐに発見できるようにしているようだ。
この村は森に最も近い村であり、魔物の被害がもっとも出易い地でもある。その危険を考慮して、領主はここに兵を派遣しているらしい。ここを抜けられると町まで街道一本なのだ。なんとしてもここで食い止める必要がある。
と言う話を教えてくれたのは、北門の門番をやっている少年からだった。
「あれ、ミヤにローレスじゃないか。こんな所まで来たら危ないよ」
少年の名前はトーヤ。ミヤの兄で、今年十四歳だったかな。十二歳で村の自警団に入り、北門の見張りと言う仕事をずっと続けている。
どうやら強くなりたいらしく、見張りの仕事がない日は駐留兵の訓練に参加したり、森が目的の冒険者達に教えを乞うたりしているようだ。その並々ならぬ努力が実を結んで、今では村でも有数の実力者みたいだ。
「大丈夫だよ。何かあってもお兄ちゃんが護ってくれるでしょ?」
ミヤちゃんが子供らしい笑顔でにぱっと笑った。僕にはお姉さんぶるが、大好きなお兄ちゃんにはデレデレのご様子。見ていて微笑ましい。
「まぁそりゃな。ミヤもローレスも大事な家族だからな」
強くなりたい理由は家族を護るためらしい。その考えは共感できるが、何があればあそこまで“護る力”を求めるようになるのかが判らない。
僕はこの黒髪の少年の事を尊敬している。僕自身の精神的な年齢で考えると大分年下の彼は、僕なんかよりよっぽど大人で先を見据えている。
「トーヤにーちゃ、頑張って」
僕が手を振ると、トーヤ兄さんは笑顔で振り返してくれた。再び門番の仕事に戻る彼の邪魔にならないように、僕らも移動しよう。
次に来たのは村の集会所。冠婚葬祭や収穫祭等の祭りなんかに使われる村の共用施設だ。
使われていないときはもっぱらミヤちゃんのお母さんが村の子供達や手の空いている大人を集めて読み書きや計算なんかの勉強を教えているか、女性陣を集めて裁縫や料理なんかの教室を開いている。
「あら、ミヤとローレス君じゃない。どうしたの? 今日は料理の日で包丁や火を使うし、危ないから入っちゃ駄目よ」
追い出されてしまった。お料理教室で僕が学ぶことはまだ無さそうだし、まぁ仕方ないか。
とそろそろ家に帰ろうとしたところでミヤちゃんがお母さんに呼び止められ、何か受け取っている。
「ローレス君、お母さんから」
僕の口に何かを放り込む。さくりと口の中で解ける小さな丸い焼き菓子。ああ、懐かしい味。卵黄と小麦粉、ほんのちょっとの甘味で出来たそれは前世で食べたボーロに似ている。
「ん、美味し」
二人で笑いあい、家路に着いた。
ボーロと言う単語を思い描き、言語が解る様になって気付いたことを思い出した。翻訳のあった頃は気付かなかったが、素の言語を聞き、理解出来るようになるとはっきりとした違いが出てきた。
技能の効果で言葉が理解できると同時に、どうやら向こうの言葉も日本語に無理矢理変換されていたようだ。ポケットやシャツ、ズボンなんかが良い例で、衣嚢、襯衣、下服といった感じに、僕自身使ったこともない漢字表記で頭の中に伝わっていた。
技能の凄いところは、そうした見覚えも聞き覚えも無い単語をきちんと認識して理解できたと言うこと。突然、衣嚢なんて言われても意味が解らないはずだが、技能を持っていた当時はきちんと意味を把握できていた。
マリアの言うように言語を習得する上では翻訳は邪魔以外の何者でもない。
ボーロがどういう風に翻訳されるのかはちょっと気になる。取れるものならいつか取得して確認してみよう。
「ローレス君?」
おっと、ちょっと考え込んで立ち止まってしまった。ミヤちゃんが心配そうに覗き込んできていた。
「いこ」
そんなミヤちゃんの手を取り、帰路を急ぐ。大分お腹が減ってきた。遠くに見える自宅の煙突からは煙が上がっている。母さんがお昼ご飯を作っているのだろう。
「お腹空いたね。早く帰ろう」
頷いて少し早足になる。二歳児の早足で出る速度なんて高が知れているけれど、それでもぽてぽて歩くよりはましだろう。
「お、帰ってきたな我が息子よ」
家に帰り着くと父さんがテーブルに付いていた。何日か家を空けていたが、どうやら僕達が出たのと入れ違いに帰ってきたようだ。母さんが言うには数日前から森に入って狩りに勤しんでいたらしい。
機嫌が良さそうなところを見ると、大物でも仕留めたのだろうか。
「おかえり」
「おかえりなさい。ウルさん」
ウルというのが父さんの名前だ。母さん大好きって雰囲気を一切隠さずたまに鬱陶しがられ、僕を可愛がろうとしては雑な扱いで僕に嫌がられる。そんな若干空回り気味なところはあるけれど、それを差し引いても十分尊敬に値する立派な父親だ。
村人達には“狩猟の神に愛された男”と呼ばれ、一人で森に入り、数日の内に様々な獲物を仕留め、捕らえて帰ってくる。誰よりも弓が巧く、誰よりも獲物の追跡が得意で、誰よりも森に詳しい。
「ミヤちゃん、今日もうちの子の相手ありがとうな。これはお礼も兼ねたお土産。皆で食べてくれ」
父さんはミヤちゃんに麻袋に詰めた何かを渡している。遠慮がちに受け取ったミヤちゃんは袋の重みに苦労しながら抱え上げる。
「森の中で採った果物とか茸とか入ってるから、ユミさんに渡してくれ。食べ方が判らないのがあったらいつでも訊きに来て良いって伝えてくれるか?」
森の果物、と聞いてミヤちゃんの顔がぱぁっと明るくなった。甘味に乏しい辺境の村では、森の果実はご馳走だからだ。そりゃあ嬉しいだろう。
「ありがとうウルさん! お母さんに見せてくる!」
そう言うとミヤちゃんは母さんの制止も聞かずに飛び出していった。ミヤちゃん、今日はお昼うちで食べるんじゃなかったっけ?
「まぁいいわ。ユミさんに渡したら戻ってくるでしょう。先に頂きましょう」
肉や野菜たっぷりのスープとパンが並べられる。僕の前には冷まして柔らかい野菜だけの入ったスープとトロトロの麦粥。慎重に、頑張って食べる。まだ力が弱いのでスプーンも上手く扱えないが、頑張って一人で食べると両親が喜ぶのだ。
「ローレスは今日も頑張ってて偉いな」
「手が掛からな過ぎてちょっと寂しいけどね。贅沢な悩みだけど」
母さんが寂しがると言うのなら仕方ない。スプーンを適当に放り投げて、母さんに給仕を強要する。あらあらと言いながらも嬉しそうな母さんに、恥ずかしいのを我慢して口を開けて食べさせてもらう。
「お、俺にもやらせてくれ」
父さんはスプーンいっぱいに掬って口に突っ込んでくるので非常に食べにくい。なのでかわいそうだけど顔を背けて母さんの方を向く。視界の端で情け無さそうな顔の父さんが見えるが、ここで同情すると痛い目にあうのは僕なのだ。
もうちょっと大きくなったらもっと頼るからね。今は我慢してください。
ローレスに成って一年目。二歳の日々はこうして過ぎていった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
良い具合にストックが溜まりましたので、明日は朝晩二回投稿できると思います。
15/10/05
ミヤ、トーヤの年齢周りの誤差を修正。
18/02/02
矛盾した記述を修正。