第37話 姫の願い
今日も二話投稿です。本日一話目。
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天幕用の敷き幕代わりの厚手の毛皮の絨毯の上に更に毛布を敷き、その上に女性を寝かせると毛布を掛けて身体を隠した。体格的には予備の衣類が着られそうなのでそれをアマリに渡して起きたらそれを着てもらうように言うと、とりあえず祭壇の部屋から一時退室する。
竜王の香炉の準備自体はすぐにも終わるので、彼女が起きてからでも良いだろう。
「これで後は香を焚いて古竜を刺激すれば終わりかな」
狭い迷宮の中で盛大に火を使う訳にもいかないので、発熱の魔石で大鍋に湯を沸かし、沸騰したお湯を使って小麦を乾酪と共に煮て粥を作った。塩と胡椒で味を調えて木杯に水を入れ法生とライシールドは遅めの夕飯を済ませた。レインには森人の焼き菓子を進呈。
「栄養補助に干し果物も食べといてね」
干し果物と干し肉等の携行食も出して、大き目の瓶に水を入れて置いた。
「いつ起きるか判らないし、長丁場になるかもしれないからね。ゆっくり休憩しておこう」
交代で仮眠を取ることに決め、ライシールドの後でいいと言う言葉に甘えて法生は横になり、目を瞑った。
「ありがとうございました。私、アマリの主でアイオラと申します」
姫が起きたとアマリに呼ばれて祭壇の部屋に戻ると、毛布に正座した女性が自己紹介をして深々と頭を下げた。
群青色の直毛長髪の中から生える山羊に似た角が彼女が妖魔だと言う証明なのだろう。
「顔を上げてください」
妙齢の女性にいつまでも頭を下げられていると、なんだか落ち着かない気分になってしまう。
アイオラは法生の言葉に従い顔を上げる。彼女は年の頃二十代前半と言った感じの、整った顔立ちの美しい女性であった。その髪の色と同じ群青色の瞳に思わず見惚れた。やや目尻の下がった柔和そうな顔つきは慈愛に満ち、高い鼻筋に桜色の唇。右の目の下の小さな黒子が仄かな色気を醸し出している。
法生の(新品の)換えの服を着ているのだが、男物の服なので大分きつそうだ。下品にならない程度に豊満な胸が厚手の麻の襯衣を押し上げ、お腹が丸見えになっている。下服は足の部分は大分余裕があるようだが、臀部が若干きつめに見える。
正直に言って、目のやり場に非常に困る。当のアイオラは気付いていないのか気にしていないのか、特に恥ずかしがるでもない。やや紅潮する頬を押さえ、法生は予備の袖無外套を出してアイオラに渡す。
「すみません。少し衣服が小さいみたいで。これを羽織っていただけると……」
法生的に非常に助かる。可愛い物好きではあるが、ちょっと年上のお姉さんが好みな法生としては、凄く好みなアイオラのあられもない姿は目の得もとい目の毒であった。
「あら、重ね重ね申し訳ありません」
再び頭を下げる。締まりきってない首元から見えたり見えなかったりで目を逸らすのに必死である。
「と、取り合えず袖無外套を! お願いします!」
不思議そうに首を傾げつつ、言われるままに袖無外套を羽織る。まだその双丘とかが存在を主張しているけれど、ひとまずは目のやり場が出来て助かった法生だった。
まず、魔素薬程度ではやはり大して回復してはいなかったらしく、今も周りの魔素を吸収し続けているそうだが本来の五分の一も回復していないらしい。
生命維持についてはこれだけあれば十分だそうだが、妖魔としての力を使うにはまったく足りていないそうだ。今も魔素薬を飲んでいるが、この薬は多く服用すると質の関係で魔素の摂取量が極端に効率悪くなるらしい。
だが、せめて半分は回復してくれないと南の魔神種領までの道中が不安との事。自然回復に任せると、魔素の薄いここでは十日は掛かる計算になるそうだ。
「と言う事で、私と契約してくれないかなぁ」
アイオラが脈絡も無く唐突にお願いしてきた。何の説明もなく、情報も持ち合わせていない法生は「契約?」と首をかしげる。どうやら非常識な提案だったらしく、アマリは驚きのあまり固まっている。
ライシールドは我関せずだ。どうやら年上属性はないらしい。
「姫様!急、言う、駄目、契約、簡単、駄目!」
法生は考える。急にそんなことを言ってはいけません、契約はそんな簡単にするようなものではありません、だろうか。
「でもね、アマリ。このままここにずっと居ると、恩人であるローレス君やライシールド君、レインちゃんに迷惑かかっちゃうでしょ?」
要するに、高位妖魔は多種族と契約を結ぶことによって魂の繋がりを作り、お互いの同意の元であればその内在する力を分け合うことが出来るらしい。受け手側に高度な制御能力があれば別の力を魔素に変換して取り込むことも出来る。
「それに、私ローレス君の事、気に入っちゃった」
好みの女性に気に入られて嬉しくないわけがなく、法生はとっさに口許を隠した。にやけた顔を見られるわけにはいかない。
逆にアマリは必死である。妖魔族にとって契約とは非常に重要な意味を持つ。おいそれと結ぶ訳にはいかない。更に相手は法生である。主と契約を結ぶと言うことは、主と同格になると言うこと。
先達ての法生を思い出すと、恐怖しかない。あの美味なる焼き菓子や姫の毒を排除した手腕を勘案しても契約者として相応しいとはとても思えない。
「アマリ、私はローレス君達に救われたの。失う命を掬い上げてもらったのよ? 本来なら隷属を願い出て忠誠を誓っても補えない大きな恩を受けたの」
アマリは反論できない。確かに彼らがいなければ、仲間も居なく封印を締め直す術もない現状、早晩準備も整わぬまま封印が解けて、アイオラは成す術無く命を落としていただろう。
もしくは封印が緩み、アイオラの気配に気付かれれば、強固な封印処理をされるか、強制解除されて毒で死ぬか。毒が何とかなっても、強引に封印を解ける技量の者が弱った高位妖魔を簡単に自由にするはずがない。隷属を強要されてもおかしくないし、名を売るために嬲り殺しに遭うかもしれない。
法生達は行く道を邪魔するアマリを害すること無く、事情を聞いて手助けを了承し技能を惜しげもなく使い、あまつさえ対価も期待できないアマリ達に大量の薬や衣類、食料まで提供した。
アマリは目的を達成し、アイオラは命を拾った。これは全てを擲ってでも返す恩に他ならない。
「でも、私たちは今それをする訳にはいかないでしょ? 私に殉じてくれたアマリの一族の弔いに、私自身の一族との連絡も取らないといけない。ローレス君達に今すぐ従属する訳にはいかないの」
だからこその契約。
短期的には契約相手に更なる負担をさせてしまうが、彼らをこの場に足止めせずにすむ。
長期的には圧倒的に内包量の多いアイオラから供給を受けることによって、実質的には契約者本人の総合的な底上げに繋がる。
「それに契約によって魂の繋がりが出来ますから。また逢う為の導となるでしょう」
アマリは渋々ながらも納得せざるを得ない。あの暴走さえなければここまで難色を示すことも無かったとは思う。アレさえ自重してくれるなら、否やは唱えまい。
「と、そちらで納得されたところ悪いんですが、何故僕なんですか?」
アイオラを救ったと言う事であれば、ライシールドも変わらない。しかし端から対象と見做されていないのは何故なのか。
「ライシールド君はレインちゃんと繋がっちゃってるじゃない」
別に繋がる相手が一人しか駄目だと言うことはない。それを言い出せば法生だってシアンを眷属としている。相方としてではないが、魂の繋がりはある。
まぁ、アイオラからするとそれは方便の一つに過ぎないようだが。
「それに、ローレス君は私の唇を奪っちゃった訳だし。その辺の責任は取って欲しいかなー」
唇に人差し指を当て意味深に法生に目配せした。医療行為的な側面があったとはいえ事実は事実。あの場面を思い出して法生は真っ赤になった。
「あ、あの時起きてたんですか!?」
「んーん。ローレス君の必死の呼びかけでちょっと意識が戻っただけ」
そう言うと悪戯が成功した子供のように笑うと、真面目な顔で法生を見詰める。
「責任とかはほんの冗談。でも、契約を結ぶならローレス君がいいかな。割と本気よ?」
「……解りました。それが最良と言うなら僕に異存はありません」
こうまで言われてしまうと、非常に断りづらい。不利益は無いように見えるし、アイオラ達が安全に南に行く手伝いが出来るなら、多少の不利益なら甘んじて受けよう。
「じゃあ、目を閉じて」
法生は素直に目を閉じる。アイオラの涼しげな声が契約の呪文を紡いでいる。まるで歌を聴いているような気持ちになり、法生は穏やかに契約の締結を待った。
法生の肩にアイオラの手が乗せられる。アイオラの両手は優しく引く様な力で法生を引き寄せる。
詠唱は続いている。アイオラの甘い吐息が耳元を擽る。
「我アイオラは汝との契約の証を立てん」
アイオラの詠唱の終わりと共に、法生の唇に柔らかい何かが押し付けられる。驚いて目を開いた先に映るのは、想像以上に近くにあったアイオラの相貌だった。
目を白黒させている法生をそのままに、アイオラの唇がゆっくりと離れて行く。接触が無くなるのと同時に、法生とアイオラの間に目に見えない繋がりが形成されたのが理解できた。
「これで私とローレス君は魂で結ばれた契約者と成りました。よろしくね、ローレス君」
少し恥ずかしげに頬を染めて告げるアイオラに、真っ赤な顔で「よろしくお願いします」と蚊の鳴くような声で返答する。もう一杯一杯だ。
繋がれた魂の経路からゆっくりと消耗が始まる。アイオラの魔素不足の肩代わりが始まったようだ。
「辛いようでしたら言ってくださいね」
身体の奥の手の届かない所から流れ出るものを感じながら、呼吸を整える。倦怠感を感じるが、それほど辛くもない。
「このくらいなら平気そうです」
よかった、と笑うアイオラ。法生の魔素量は人並みで大したことはないが、精神力は使う宛が複製時の容器製作くらいで消耗がほぼ無く、人より若干多目な為、主にこちらを媒介として魔素変換に当てている。どうやら仏具から流れ込む力の影響で精神力の回復が早まっているらしく、アイオラは継続的に供給を受けることができている。
「これなら一日あれば最低限の魔素量は回復しそうね」
要塞都市周辺は治安も良いので、暫くは低めの魔素量でも問題なさそうだ。移動中にも回復するので、不安定な地域に入る頃には目標の魔素量回復はなるだろう。
「じゃあ、こっちの準備も始めようか」
竜王の香炉を背負い鞄から取り出すと祭壇の部屋の中央に置く。必要な香料等を置いて行く。
準備はあっさりと終わった。後はアイオラの回復と出発を待って、大地の災厄を始めよう。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。