第36話 影の姫
本日二話目です。第35話をお読みでない方はご注意ください。
明日も二話投稿します。
アマリの妨害が無くなった事で法生達は割と直ぐに目的の祭壇に辿り着いた。
そもそもアマリの妨害目的は祭壇に人を近づけさせないこと。その為に最初は仲間が遺した採掘道具を祭壇手前に配置。それを囮に追い返していたそうだ。だが何度か出し抜かれて仲間の道具は一つ減り二つ減り、少し前に最後の一つを持っていかれてしまったと言う。
アマリの悪戯は初見の嫌がらせには良いが、相手を追い返すには至らず、結局何度か祭壇前まで侵入を許してしまったらしい。幸いにも最近緩みだした封印の気配を感じ取れる程の者がここに来ていないので事なきを得ているが、もしそれに気付くものが現れ、強力な封印をされたりしたらアマリにはもう手が出せなくなる。
封印が緩んだ原因はおそらく時間の経過と狗頭妖鬼の多くがこの地を去り、封印を締めなおす儀式が満足に行えなくなったため。アマリは一人になってから暫く、ここを離れてひたすら毒を治す薬を探す旅に出ていた。旅先で小鬼に自らの大切な採掘道具と交換でどんな毒にも効くという薬を貰ったと言う。
長い旅を終え、再びこの地に戻ってきたアマリは、封印が随分と緩んでいることに気付いた。しかし締めなおしの儀式は一人では出来ない。ならば封印が解けるまでここに人を近づけないようにしつつ、封印を少しずつでも解くのがいいと考えての一連の行動だった。
「その小鬼は最低だな」
疑うことが苦手なアマリを騙し、粗悪な回復薬で大事な採掘道具一式を取り上げたのだろう。目の前に姿を現してくれたら小型弩で針鼠にしてやるのに、と法生は憤慨する。
「あいつ、知る、ない、かも。薬、偽物」
小鬼自身も毒を消す薬と信じて渡してきてくれたかもしれない、と言いたいのだろう。本人がそれで良いのならかまわないが、それにしても不憫で仕方ない。思わず焼き菓子と花茶を複製、アマリに差し出した。
「一人で頑張ったアマリにご褒美だよ」
きっと初めて見るのだろう。指先でつんつんと突いて摘み、匂いを嗅いで口に入れる。
「甘い、サクサク、美味しい」
一枚の焼き菓子を両手で持つと、一口食べるごとに目を輝かせて美味い、美味しいと連呼する。一枚食べきると花茶の入った木杯を両手で掴み、ゆっくりと口をつける。
「これ、美味しい、嬉しい」
幸せそうな顔で木杯を置くと、おずおずともう一枚の焼き菓子に手を伸ばし、上目遣いで法生を見た。
「また、一枚、食べる、いい?」
「もー好きなだけ食べてください」
法生は再び抱きしめそうになる自分を戒め、目を瞑って耐える。ニコニコしながら二枚目に手を出すアマリの幸せを壊してはいけない。
「あれは暫くどうにもならんな。折角だから休憩するか」
レインの「アレはもう病気だね」の声を聞きながらライシールドは座り込む。法生がいろんな意味で戻ってきたのは、アマリが焼き菓子を食べ終わってから更に暫くの時間を要するのだった。
祭壇とされる場所は、一つ長さ五十セル、幅五十セル、高さ五十セルの正方形に近い形の石材をいくつも積み上げて組まれた舞台で、不規則に組まれた舞台の上、中央には直径五十セル程の丸い石が鎮座していた。材質は黒っぽい灰色をしていて玄武岩の特徴に似ていた。
地霊の口腔にある祭壇に石の珠が祭られている様に見える事から、地霊の祭壇と呼ばれている。
ここで香を焚けば仕事は終わりとなる。だがその前にアマリの言う手伝いが一体どんなものなのかを確認する必要があった。
「俺たちは何をしたら良いんだ?」
アマリの言うには、どうやら今組まれている祭壇を加工して、上に載っている岩の珠を下に降ろさなくてはいけないらしい。
鉱夫でもあり、同時に地を司る力に長けた狗頭妖鬼でもある。鉱物や岩を卑銀に変える特殊な技能を有しており、それを使って祭壇を変形させる。
ただし、その技能を使用している間は無防備になってしまうため、作業が終わるまでここに誰も来ないように見張っていて欲しいそうだ。
「その珠は直接降ろしたら駄目なのか?」
ライシールドが訊くと、アマリは身振り手振りを交えて説明する。
珠を降ろす手順には意味はないが、下手な降ろし方をして傷をつけてしまう可能性を考えると安易に降ろすのは拙いそうだ。その為にはきちんと祭壇の再整形をしないといけない。
「つまり、傷付けずに降ろす分には問題ないんだな?」
そう確認する。彼の意図が解らず怪訝そうにアマリが頷くのを見て、ライシールドはレインに同期を申請した。袖無外套の中にレインが潜り込むと、今まで装填していた紫電の腕を霧散させる。
「破壊の巨腕」
左腕が膨れ上がり、巨人の腕に変わる。突然現れた巨腕にアマリが驚いているうちに、ライシールドは地霊の祭壇の両端の石材を一つずつ掴み上げ、正面に階段を作成していった。
次いで石の珠を固定している石材をレインの指示通りに動かし、力加減を調節しながらゆっくりと祭壇端まで転がす。巨人の腕で強引に持ち上げ、落とさないよう慎重に階段を降り、平らな地面の上に静かに降ろした。
「ふう……。これでいいのか?」
アマリは驚きのあまり声を失っている。祭壇の石は玄武岩に準拠するとしても石材一つ約四百キルあり、普通の人族が持ち上げられる限界を遥かに超えている。
「お前、本当、人族?」
当然の疑問だが、生憎とライシールドは人族で間違いない。
「ああ、特別な技能を持っていると思ってくれれば良い」
技能と言われてしまうと納得せざるを得ない。技能と言うのはそういう理不尽を可能にするものがいくつも存在するのだから。釈然としない気持ちを抱きながらも、アマリは気持ちを切り替えて封印を外す準備に入った。
石の珠の表面に卑銀化を使って模様を描いていく。図形や文字のようなものを並べ、繋いで大きな図形に変えていく。その表面が半分ほど図形で埋まると、少しずつ石の珠自体も光を発し始める。
八割ほどの面積が埋まる頃、石の珠に大きな変化が訪れた。頂点に音を立てて罅が走り、そのまま全体が割れていく。卵の中の雛がその殻を脱ぎ去るように、その身に纏う玄武岩を脱ぐ。
その下に現れたのは卑銀の珠。一回り小さくなった銀色の珠を前に、法生はアマリに尋ねる。
「えっと、その珠がお姫様?」
「そう。でも、ちがう。封印、もう一つ」
アマリの姫様はその身を卑銀の内に閉じ込め、その全てを卑銀と成すことで毒の進行を止めているらしい。封印を解くと毒の進行が再開される。どれだけの猶予があるのかは判らない以上、即座に治療する必要がある。
「僕は治療の準備をするよ」
魔喰らいは魔素を喰らい増殖する。それは魔素の量が多ければ多いほどその進行は早まる。であれば毒が魔素を変換する事を止めるにはどうすれば良いか。
魔素を完全に無くなるようにする訳にはいかない。依存率が低い物質界の住人でさえ、魔素が全く無い状態では体に変調をきたす。魔素が命に直結する妖魔族ならばなおさらだ。
魔素を維持したまま魔素を喰う存在を排除するには、それ以上の魔素を持って誘き出すしかない。人族であれば体内の魔素量も少ないのでこれも容易だが、高位の妖魔となると話が変わってくる。
「まずは、この薬で体内の魔素を可能な限り凝固、結晶化させる。同時にこの薬で仮死状態まで落ちた魔素を最低限度で維持、毒素を結晶の方に移す。毒素に犯された結晶を体外に取り出し、仮死状態の魔素を補充してやれば問題は解決する」
まず最初の薬は過剰な魔素の侵食を受けた際に、余分な魔素を凝固させ体外に排出させる解魔素薬。次の薬は膨大な魔素に犯された地で活動するために体内の魔素を固定、維持する防魔素薬。腹の中で結晶化された魔素を体外に排出するために嘔吐促進剤を使い、最後に極端に魔素が落ちて体調を崩したときに服用する魔素薬を用いて体内の魔素を最低限度強制回復させる。
解魔素薬と防魔素薬は使用時期を計って服用させないと全ての魔素を凝固させかねないので中々に難しい。アマリに姫様の体内魔素を確認してもらいながらなんとしてでも成功させるしかない。
「防魔素薬の投与時期が成功の鍵だね」
全ての薬は複製完了している。魔素薬は念のため多めに用意した。
「アマリ、封印の解除を」
「解った。封印、解く」
卑銀の塊に手を触れる。聞き取れない程に小さな声で呪文のようなものを呟く。卑銀の表面が仄かに光るとぐにゃりと歪み、圧縮するように小さくなって光の中で人型の影を模った。
光が消え、全裸の女性が残る。法生はとっさに袖無外套を脱ぐと女性を包み、ゆっくりと横たえる。
「姫、様」
アマリの声に女性は反応を示さない。苦悶の表情を浮かべ、荒く息を吐いている。一刻の猶予も無さそうだ。
「アマリ、姫様の体内魔素をしっかり見ていてくれ」
アマリは頷くと、横たわる女性の手を取りジッと見つめる。些細な変化も見逃すまいと必死だ。
「急の話で申し訳ありませんが、僕を信用してこの薬を飲んでください。魔素を凝固して毒を誘導、排除します」
解魔素薬を口元に当てる。彼女は一瞬躊躇した後、アマリの手を握り返して薬を飲み下した。
苦しみが増し、女性の全身から汗が噴出す。生命を維持する魔素を搾り取られているのだ。その苦しみは想像以上だろう。痛いほどに握られる手を必死で握り返し、アマリは女性の体内魔素を見続ける。
ぐんぐんと失われていく魔素と、お腹の辺りで大きくなっていく魔素の気配。その差が一対三になった所でアマリは叫ぶ。
「今!」
法生は防魔素薬を女性の口に流し込む。彼女は抵抗することなくそれを飲み下す。魔素の結晶化が止まり、体内魔素は低い水準で固定された。女性はぐったりと力が抜け、浅い呼吸だけが生きている事を教えてくれる。
お腹の魔素の塊がジリジリと減り始める。彼女自身の体内魔素には変化が見られない。腹部の魔素が生成時の半分程まで減り嘔吐促進剤を飲ませようとした所で問題が起きた。
「拙い、意識がない。薬を飲んでくれない」
このまま魔素の塊が全て消費されてしまったら、毒は再び体内に戻ってしまう。そうなっては元の木阿弥どころではない。残り僅かとなった体内魔素は喰らいつくされ、女性は生命を維持することが出来ないだろう。
「緊急事態だ。許してね!」
法生は嘔吐促進剤を口に含み、口移しで女性の口内に流し込む。首の後ろに手を回して心持ち頭を挙げ、顎を上げて流し込んだ薬が流れ出ないようにして祈る。
「頼む、飲んでくれ」
祈りが届いたのか、喉が薬を拒むだけの力すら残っていなかったのか、何とか薬は体内に収まった。吐瀉物で気道を塞がないよう横向きで寝かせなおすと、苦しげに嘔吐きだした。
背中を擦り嘔吐を促すと、胃液のような薄黄色の液体と共に、どす黒い粘液を纏わせた魔石のような結晶を吐き出した。この粘液が毒本体なのだろう。毒というより粘菌と言った方がしっくり来るが。
法生は薬の空き瓶にその結晶を入れると、しっかりと蓋をした。後は結晶を食い尽くした毒は自滅するだろう。
嘔吐促進剤の効果は直ぐに切れ、嘔吐きが収まった女性の口元に魔素薬を持っていく。嘔吐時に意識を取り戻したらしく、今度は自力で飲んでくれた。
三本の魔素薬を消費した後、落ち着いたのか女性は静かな寝息を立て始めた。これでもう心配はないだろう。
彼女が起きるまでまだ時間がある。起きてから事情を説明しなければならない。今の内に少し休憩しておこうか。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
修正 15/10/01
外套→袖無外套