プロローグ・end 仕事の下準備
真っ暗だったのは一瞬。気づけば法生は真っ白な世界に立っていた。
「ようこそ我らが世界へ。歓迎します」
目の前には十五才位の銀髪の少女。その隣に立つのは僕と同じくらいの年齢の、焦げ茶色の袖無外套を羽織った黒髪の少年。
「受諾者が揃いましたので、これより依頼の説明に入らせていただきます」
そう、少女が宣言した。
「まずはお互いに自己紹介しましょうか」
銀髪の少女が隣の少年を促した。
「ライシールド」
短く名前だけ告げる。法生を一瞥すると、興味を失くした様ですぐに視線を外した。
「僕は音無法生。17歳。さっき死んだばっかりだから事情も何も知らないんだけど。依頼ってのを一緒に受ける人でいいのかな?」
何を話したらいいのか分からず、困ったように頭を掻きながら、法生はライシールドを見た。
視線を外したはずのライシールドは、驚いたように目を見張って思わずといった感じで呟く。
「……17歳? 同い年くらいだと思ってたのに」
「ということは、君はいくつなの?」
「15歳」
「二つ下かー。よろしくね、ライシールド君」
人の良い笑顔を向ける法生。
諸事情により、悪意に晒されるのが日常だったライシールドにとって、平和ボケした現代人の悪意の無い笑顔はなんとも扱いに困る。とりあえず軽く会釈だけで済ませた。
「私は神の代行者をさせて頂いております、マリアと申します。依頼の説明とサポートも担っておりますので、しばらくの間ですが、よろしくお願いします」
二人を視界に納めるように数歩後ろに下がると、マリアは一礼した。
「今回お二人にお願いしたいのは、歴史の修正です」
「歴史の修正?」
「はい。原因は取り除けたのですが、最後の足掻きでいくつかの歴史書が改竄の被害を受けました。唯の歴史書ではなく、神域の記録書に直接干渉されてしまったので、過去にまで影響が及んでいます」
「僕たちがそれを修正するって事ですか」
「実際に時間軸を超える必要はありません。神域の歴史書本体に介入して、改竄箇所の障害を排除してください」
マリアの説明は続く。
修正する箇所は四箇所。始まりの勇者の時代、六英雄の時代、異族大戦の時代、夢魔侵攻の時代。
始まりの勇者の時代の修正には力を。六英雄の時代の修正には癒しを。異族大戦の時代には救いを。夢魔侵攻の時代には奇跡を。
「事前にいくつか準備があります。まず、お二人にはこれを」
ライシールドには黒い宝珠を、法生には白い林檎を差し出した。
「宝珠は胸に押し当ててください」
言われるままに胸元に押し付けると、宝珠は崩れるように黒い煙となってライシールドの胸の中に吸い込まれた。
「うぐ!」
煙が完全にライシールドの中に消えると同時に、短く呻くと左肩を抑えてうずくまった。相当の苦痛に耐えているのか、苦痛に歪む彼の顔には尋常ではない量の脂汗が流れている。
「ラ、ライシールド君!?」
思わず駆け寄ろうとする法生だが、それを右手で制してライシールドは立ち上がった。
「……大丈夫だ。もう収まった」
汗を袖無外套で無造作に拭った。全身を灼き尽くされる痛みに比べれば大したことは無い。
左肩に違和感を感じて触って見るが、ただ肩があるだけでおかしなものは何も無い。ただ、胸の辺りから肩にかけて、感じたことの無い感覚が走っている。
「宝珠の融合は成功のようですね。では次は……」
自身の肩を訝しげにさするライシールドを見て納得したらしいマリアが、不安げに手の中の林檎を見つめる法生に目を向ける。その視線に気付き、顔を上げてマリアに目を向ける。
「この林檎も同じように……?」
ライシールドの痛みに苦しむ姿に若干及び腰の法生が、彼女に恐々と訊いた。正直ちょっと怖い。
恐怖に竦む彼の気持ちを知ってか知らずか、彼女は邪気の無い笑顔で答える。
「いえ、林檎はそのままお食べください」
「た、食べるとどうなるんでしょう…?」
恐る恐る訊いてみる。宝珠とは手法が違うという事は、もしかしたら痛みは伴わないかもしれない。
「経口摂取することにより、法生様の食道を通過中に体内に侵入、内壁を擦り抜けて心臓に核を生成、血液の流れに沿って右手に経路を形成します。物理的な物ではないのですが開通までに若干の痛みが走ります。ご容赦ください」
痛み、の単語に一気に顔色が悪くなる法生。現代に生きて死ぬまでの間、怪我らしい怪我も喧嘩らしい喧嘩もしたことが無い彼には、割と高いハードルだ。
とは言え、今更止めるわけにもいかない。深く考えずにこの話を受けたことをほんのちょっとだけ後悔しつつ、それでも覚悟を決めて林檎と向き合った。
「……よし、覚悟完了。イキマス」
ぎゅっと目を瞑り、勢いのままに林檎に齧り付く。口いっぱいに広がるのは彼の知る林檎の食感、林檎の味。だが今まで食べた林檎の全てを凌駕する美味しさに、先程までの恐怖は何処かに吹き飛んだ。
彼は一心不乱に口を動かし、気付けば何も残っていなかった。本来残るはずの芯すら見当たらない。
あまりの美味しさに呆然とする法生の心臓の辺りがじんわりと火照ってきた。その熱量が上がるに伴い、胸から右肩、右腕を経て右手に向かって火照りが進んで行く。掌の中心にその熱が到達した瞬間、心臓から掌にかけて激痛が走った。
「ぐああああっ!」
腕の中を何かが貫いて行った。法生にはそうとしか感じられないような激痛に、右手を押さえてひっくり返った。立ってなどいられない。
「すぐに収まります。申し訳ありませんが耐えて下さい。その痛みは魂に刻まれる印が形成されるのにどうしても避けられないものなのです」
荒く息を吐き、強く目を閉じて痛みに耐える法生の傍らに跪き、その手を取った。
マリアの触れた辺りから、若干熱が引いた気がした。ほんの少し痛みが和らいだかと思った瞬間、心臓から掌まで突き抜けるような感覚が走った後、驚く程あっさりと痛みが消えた。
「……収まりました」
「無事、経路の形成を確認しました。無理をさせてしまって申し訳ありません」
「いや、こちらこそ。ライシールド君と比べて大分情けない姿を見せてしまいました」
法生はばつが悪そうに頭を掻いて弱弱しく笑った。一瞬で痛みを押さえ込んだ二つ年下の少年に比べて、自分の痛み耐性のなんと低いことか。恥ずかしさのあまり、穴があったら飛び込むところだ。
「その痛みは、魂に直接刻まれた痛みです。基本的には耐えられるものでは在りません」
基本耐えられないとの言葉に法生は思う。
つまりライシールドは耐えられないはずの痛みを克服したというわけだ。驚愕度がさらに上がってしまった。
「お二人の得られたお力のご説明をさせていただきます。よろしいでしょうか」
「問題ない」
「僕も大丈夫です」
「では、まずは宝珠です。打ち倒したものの力と腕を奪う【千手掌】と呼ばれる神器です。まだ生成されたばかりなので何の力も宿っていません。ですので、あちらで擬似的に生成された魔物を倒していただいて、力を得ていただきます」
マリアの示す、壁も何も無い場所に扉だけがぽつんと立っていた。その前には何の支えも無く両刃の片手剣が浮かんでいる。
「対抗可能なレベルの魔物が生成されます。力を奪い、能力に慣れたら次の魔物を生成しますので納得のいくまで訓練を続けてください」
「わかった。もう行ってもいいのか?」
ライシールドは言いながらも、すでに扉の前に移動しており、中空の片手剣に手を伸ばしている。
「もう少しお待ちください。お二人が協力していくためには、お互いの力を知っていたほうがよろしいかと」
掴んだ剣の腹を右肩に預け、扉の横でマリアの方に顔を向け、頷いた。
「続いては林檎です。自らの糧としたものを生み出し、分け与える【蓮華座】と呼ばれる仏具です。同じく生成されたばかりなので、何の力も宿っておりません」
「と、言うことは僕も魔物というのを倒さないといけないのかな?」
「いえ、【蓮華座】は戦う力ではありません。詳しくはこの後、改変時に必要な物の登録の際に、合わせて説明させていただきます」
そもそも暴力を伴う喧嘩すらしたことの無い法生に、いきなり命のやり取りをしろと言われても二の足を踏んでしまう。
「お二人の持つ【千手掌】と【蓮華座】は、打ち倒した魔物の力を奪い、行使する腕を作り出す能力と、食べたものを複製、生成する能力です」
「つまり、強いやつを倒せばその力を手に入れられるということか」
「僕の能力は補給特化って理解すればいいのかな?」
「そうですね。その認識で間違いありません」
マリアが目を向けると、扉がひとりでに開いた。その向こうは黒一色で何も見えない。
「お入りください。詳しくは中に居るものが説明いたします」
ライシールドは頷き、扉を潜った。黒い境界線を越えた途端に、彼の姿はかき消え、扉も勝手に閉まった。
「では、こちらも始めましょう」
人一人が突然消滅したことに唖然としている法生の背後で、マリアが机の上に液体の入った瓶や小さな木箱などを並べていた。
「お座りください」
マリアに促され、法生は椅子に座った。木箱は蓋がされているので、中に何が入っているのかは判らないが、透明な瓶の中には多種多様な液体が入っている。
先程の話からするに、法生はこれを口にしないといけないようだが、量も然ることながら、真っ青や毒々しいショッキングピンクの液体を見ると、自然と眉根を寄せざるを得ない。正直不味そう。
「……これ、全部ですか?」
「はい。頑張ってください」
マリアの有無を言わせぬ笑顔に、法生はがっくりと肩を落とすのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
修正 15/08/29
大陸大戦の時代→異族大戦の時代
修正 15/09/30 狸地様のご指摘のより。ありがとうございます。
血液の流れに沿って左手に経路を形成します。
→血液の流れに沿って右手に経路を形成します。
修正 15/10/01
外套→袖無外套