第35話 迷宮の影
今日と明日は朝と夜に一話ずつ投稿します。
本日一話目。
三の三十三番。そこは一見するとただ土壁に空いた人が通れるくらいの亀裂に過ぎない。入口に小さい看板が立てられているだけで、特に変わった所は見受けられない。
左右を見れば似たような亀裂が並んでいてそれぞれ右が三十二、左が三十四の看板が立っている。
「迷宮って言うよりただの洞窟だね、これ」
紫電結界の届く範囲には何も居ないのを確認して、法生達は迷宮の中に進入する。
薄暗い洞窟を魔道具の角灯の灯りを頼りに進む。時折光を放つ茸や苔が照明代わりになっている場所もあったが、基本的には真っ暗な通路が続いている。
途中分岐する場所があったが、行き止まりやちょっとした小部屋になっているだけで特別何もない。
「話にあった採掘道具も見当たらないね」
レインがライシールドの頭上を飛びながらキョロキョロと辺りを見回す。確かに岩と土と石ころくらいしかない。暫く歩き、迷宮って何だっけと考え始めた頃、突然法生の足元に直径二十セル程の穴が開き、思わず踏鞴を踏む。
「うわっと」
何とか転ばずに踏みとどまる。頭を上げた途端に目の前を拳大の岩が落下して足元で割れた。思わず見上げた天井には誰も居なければ崩れた形跡もない。
「ライ君、今何か居た?」
ライシールドは首を振る。紫電結界には何も反応がなかった。
「と言うことは、高い隠密持ちか」
法生の言葉を継ぐように、レインが続ける。
「実体のない“何か”かですね」
見上げた天井は薄暗く、見える範囲には何も見えない。そこに何が潜んでいるのかも杳として知れなかった。
その後、足元に穴が五度開き、天井から四個の岩が落ちて、今足を引っ掛けられた。これで二回目になる。どうも奥に進めば進む程悪戯は頻度を増してきている気がする。
「いい加減鬱陶しいね……」
今居るのは左右に分岐する二股の分かれ道。右は光の届く範囲の先まで暗がりが続いているが、左は直ぐ三メル程で行き止まりになっている。
「ライ君、ちょっと」
この地形は今思いついた策を試すには丁度よさそうだ。ライとレインに少し後方に下がっていてもらい、準備をして待機をしていてもらう。法生は一人左の道を進む。突き当りまで進み、壁面の状態を確認して振り返り、分かれ道に戻ろうと一歩を踏み出した途端、目の前を子供の頭程のの岩が足元に落下した。
「今だ!」
法生の声と同時に分岐へと続く道が砂の壁で塞がれた。
「いっせーの!」
右手を振り上げて複製、降り下ろす。薄茶色い粉が辺り一面に舞い散る。左手で鞴の魔道具を起動して風を起こして飛び散る粉の範囲を拡大する。その粉はかつて地人の都市で登録した不純物が混じった砂糖だ。勿体無いが他に適当な粉末もない。
何度も繰り返し、辺り一面にうっすらと降り積もったところで法生はそれを見つけた。
「う、がう」
全身に浴びた砂糖が隠蔽も隠密も無効化してその姿を白日の下に晒す。そこに居たのは法生の膝より少し高いくらいの小人だった。
その六十セル程の身長と牧羊犬の顔を誇張省略したような、正にぬいぐるみと表現するに相応しい愛らしい生き物がそこに存在していた。
「な、な、な、な……」
その姿を前にして、砂糖塗れの法生は全身を戦慄かせるとごくりと喉を鳴らす。
「なに、これ、甘い」
たどたどしく単語で喋る姿に完全に心を持っていかれた法生が飛び掛る。
「何だこの愛くるしい生き物はーっ!!」
「ぎゃ! なに、お前、やめろ、離せ!」
恐ろしい勢いで飛びつかれた犬小人は必死で逃れようともがく。しかし可憐愛玩至上主義の法生から逃れられる訳も無く、もうされるがままだ。
「どうだ、成功した……のか?」
何の反応も合図もないことを心配し、ライシールドとレインが砂壁を解除して見たものはぐったりとした犬小人とそれを幸せそうに抱きしめる法生の姿だった。
目を回す犬小人を毛布の上に寝かせた。法生は少し離れた場所で正座させられている。
「この子は狗頭妖鬼、下位妖魔族ですね」
古くからこの地霊の口腔に巣くう者と言われているが、滅多な事では姿を現さないらしく目撃情報は殆どない。特にここ十数年目撃例はないらしく、既にこの地を去ったのではないかと言われていた。鉱石と採掘を司る妖精と言われることもあるが、実態は妖魔族の下位種族である。
「すみません。その子のあまりの可愛らしさに理性が飛びました……」
法生はライシールドに頭を叩かれて正気を取り戻し、次いで腕の中で気を失う狗頭妖鬼に気付いて慌てて毛布を取り出してその上に寝かせた。そして自分の頭の悪さに猛省中と言うわけだ。
「その辺は次、気をつけろとしか言いようがないな。ん、起きるぞ」
ライシールドの言うとおり、狗頭妖鬼が意識を取り戻した。飛び起きると逃げ出そうとするが、ライシールドの蔓の腕から伸びる蔓が手に絡み付いており、引き戻された。
「先ほどは連れが手荒な真似をしてすまん。あの通り反省しているから、許してやってくれないか」
正座から更に頭を下げ、両手をついての土下座中。
「お前、何、しに、ここ、来た」
「この奥の祭壇に用があってきただけだ」
祭壇、と言う言葉に狗頭妖鬼は強く反応した。
「駄目! あれ、我ら、護る、大切!」
暴れてどうにか逃れようとするが、蔓を引きちぎることはできずただもがくだけだ。
「落ち着け。俺達は祭壇に危害を加えにきたって訳じゃない。ただ祭壇で香を焚くだけだ」
それが終わったら帰る。祭壇は絶対傷つけないから。そう告げるととりあえずは大人しくなった。
「離せ、案内、する」
狗頭妖鬼の申し出に、ライシールドはじっと目を見て思案し、結局蔓の戒めを解いてやった。蔓の外れた腕を見た後、狗頭妖鬼は意外そうな顔でライシールドを見た。
「お前、俺、逃げる、思う、ないか?」
「騙そうとするやつは目を見れば判る」
そういうライシールドを見て、何かを決心したような狗頭妖鬼は彼の足許に寄って彼を見上げた。
「頼み、ある」
そう言って頭を下げる。
「俺、お前、祭壇、連れる、行く。お前、用事、する。お前、俺、手伝う、頼む」
祭壇まで案内するからこちらのことも手伝ってくれ、と言うことか。だが何を手伝えと言うのか。
「俺にも出来ることとできないことがある。何をやらせたいんだ?」
「祭壇、着く、話す。俺、アマリ」
「そうか。じゃあまずは祭壇に行くか。俺はライシールドだ。呼びづらかったらライでいい。頭の上のはレイン。向こうで反省しているのはローレスだ」
頭上でレインが「よろしくねー」とアマリに手を振る。
「わかった。ライ、行く」
道の奥を指差し、アマリは歩き出した。途中法生を大きく迂回し、アマリに嫌われたと悟った彼はがっくりと肩を落としている。レインが「まぁ、あれは仕方ないよね」と言いながらも法生の頭をなでなでして慰めているが、あまり効果は無さそうだ。
アマリの先導の元、ライシールドとレインが後に続き、少し距離を置いて肩を落とした法生が続く。
「しかし、本当に狗頭妖鬼が居たな」
「妖魔族にとっては物質界との関係が大きく変わる時期だから、この辺りで多く見かけるのは仕方ないのかもしれないけどね」
「どういうことだ?」
この辺りの土地が妖魔と深い関わりでもあるような口ぶりだ。ライシールドはその意味を問うた。
レインが言うにはこの地の南には上位妖魔である魔神種の住む地があるのだという。人と関わることをせず、深い山脈の奥に居を構えるその魔神種が何を思ってそこに居るのかは誰も知らないが、既に数百年以上そこに存在している。
魔神種を崇める中位、下位妖魔も多くこの地に居り、魔神種の住む山脈を護っている。異族との戦いで物質界との交流を得た精神界の住人である妖魔種のこちらでの拠点のひとつでもあり、現在は東の竜王国と試験的な交易が始まっている。
とは言え今だ反融和派が多い妖魔種は意思疎通が取れているとは言いがたく、竜王国も南の山脈に住む妖魔族とのみ交流を持つ状態となっている。
法生達は知らないことだが、最近地霊の口腔の警戒が厳しいのは、山脈の妖魔たちからの情報で近々反融和派の勢力が何かを企んでいるとの情報が竜王国に流されたことにある。
「狗頭妖鬼は魔神種を主とする下位妖魔だから、例の祭壇に本当に噂の魔神種が封じられてたりして」
そんなレインの冗談めかした言葉に、アマリが振り返って頷く。
「我ら、主、娘、封印。俺、一族、最後、一人。一族、悲願、姫、救出」
懐から薬瓶を取り出す。どうやら下位の回復薬のようだが中身は濁り、余り効果は期待できそうもない。そんな薬瓶を大事そうに抱え、アマリは訴える。
「我ら、姫、毒、受けた。毒、特殊、治す、無理、自ら、封印。俺、薬、入手。姫、救う」
誇らしげに言うアマリだが、その手に持つものは毒消しですらない効果も期待できない回復薬モドキ。ライシールドはなんといってやれば良いのかと言葉に詰まるが、後ろで話を聞いていた法生が意を決してアマリに話しかける。
「アマリ、そのお姫様はどんな毒を受けたんだい?」
法生に話しかけられて若干びびり、ライシールドを間に挟みながら答える。
「我ら、妖魔、魔素、大事。大事、魔素、抜ける、戻らない。体力、抜ける、戻らない」
妖魔にとって第二の命の源ともいえる魔素を消耗し、体力自体も消耗する上、どちらも回復しない。どちらかが底を突けば命を失う。
法生はその症状に心当たりがあった。神域で解毒の薬を登録しているときに、マリアから毒の効果から発生する病気に対する対処も習っていた。その中にそれと同じ症状の病気の話も出てきたのだ。
魔喰らいと呼ばれる病気で、人族が罹っても風邪に似た症状を見せるだけで大した影響はなく、直ぐに治る。これは人族の身体が魔素にあまり依存していないからであり、魔素依存の強い妖魔にとっては生死を分ける恐ろしい病なのだろう。妖魔が発祥する事例が滅多にないので治療法もあまり知られておらず、薬も普及していない。もしかすると病気自体を知らないのかもしれない。
人族にしても稀にしか掛からない病気にかかると言うことは、それだけ人と接してきた妖魔だったのだろう。今後様々な物質界の住人と関わっていく妖魔達の中には、いずれ同じ病に掛かるものも出るかもしれない。
「残念だけど、アマリの持っている薬では治らない」
一瞬で表情を凍りつかせるアマリ。それを安心させるように法生は笑った。
「でも大丈夫。僕ならその毒、治せるよ」
魔喰らいは魔素を消耗するのではなく、魔素を精神力に変換する毒が体内に入り、変換する際に発生する力を媒介に自身を複製すると言う生き物のような特性を持つ毒で、魔素量が一定量以上ないと消滅してしまう。魔素依存が高い妖魔の、更に上位種ともなればその毒も猛威を振るうことだろう。
「一つだけ条件があるんだけど」
「言え、なんでも。姫、助かる、なんでも、する」
法生の出す条件は、毒を治療する代わりに南の山脈に直ぐ移動する事。今回の毒の治療法を妖魔族全体に伝えること。
「僕達はこのまま妖魔が人と仲良くやっていってくれることを期待しているんだ」
それが将来法生が生きる世界が生き易くなることに繋がるだろう。そんな打算的な考えだが、結果不幸なことが減るなら良いことだ。
「わかった。姫、封印、解く、暫く、力、出ない。南、連れて、帰る」
封印で力が弱くなった状態でここに居ても無駄に害されるだけだろう。山岳の魔神領で静養でもして平和に過ごしてくれれば言うこと無しだ。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。