第34話 祭壇のある迷宮
要塞都市を出発して徒歩で十五分。
南に続く通称“迷宮街道”をひたすら進み、最初の支道を東に曲がり、後はひたすら真っ直ぐ進んだ先に、一軒のこじんまりとした小屋が建っている。そこが階級三の二十一から四十を管理する管理小屋である。
管轄の迷宮に入る場合はここで入場記録を登録して許可を得る必要がある。小屋の前には二人の竜皮族の兵士が槍を片手に立っていた。こちらの姿を認めると鋭い眼光でこちらを観察してくる。誰何でもされるかと内心身構えていたが、特に何の声も掛けられなかった。
「こんにちは。階級三の三十三番に入りたいんですが」
若干の警戒を匂わせる兵士に声を掛けると「中で記録をお願いします」と抑揚のない声で答えられた。
何を警戒しているのかは判らないが、言われたとおりに扉を潜った。外見通りの小さな部屋で、机と大き目の棚くらいしか家具らしきものは置かれていない。棚には二十一から四十の番号が振られた書類箱が並んでいて、それぞれが迷宮の一つ一つに対応しているようであった。三十八から四十の箱は二つずつ、三十三は三つの箱が並んでいた。
「入場希望者かな? 何番だい?」
机の奥側で法生達に声を掛けてきたのは意外なことに人族の青年だった。
「あれ、意外って顔だね」
どうやら顔に出ていたらしい。そんなつもりはないが、もし不快にさせていたのなら申し訳ない。
「すみません。この国の公務人員で龍皮族の方以外を目にするのは初めてで」
「ああ、いいよいいよ。慣れてるしね。ただ、竜王国は実力主義の国だ。種族や性別の括りはあまり意味を持たないんだ」
この国に竜皮族が多いのは、彼らが優秀だからに過ぎない。法生の謝罪を軽く受け流し、青年は書類棚の前へと移動する。
「それで、何番だい」
「三十三番です」
三十三の番号の箱の内一つを引っ張り出すと、机の上に置く。椅子に座り直すと引き出しから帳面と紙束を取り出すと、法生達に組合札の提示を求める。
法生達が札を手渡すと、帳面と紙束に必要事項を写し取る。
「はい、ありがとう。三十三番はちょっと今危ないみたいだから、怪我しないように気をつけてね」
札を返却し、法生達に注意を促す。礼を言って退室しようとする法生達の背中に、青年が質問を投げかける。
「ああ、別に答えなくても良いんだけど、何の用事で三十三番へ?」
「半分観光みたいなものです。地霊の祭壇って言う所を見てみたくて。ちょっとした験担ぎ見たいなもんです」
へぇ、験担ぎねぇ。となにやら含むような物言いが引っかかったが、それ以上何も言われなかったので気にせず小屋を後にする。入り口の兵士達に挨拶をして、法生達は三十三番目指して歩き出した。
「うん、ちょっと気になるね」
「アレは少し異常だぞ。私をずっと警戒していた」
管理小屋の青年が呟くと、誰も居ないはずの小屋の隅から声が聞こえた。
「君に気付いていたのか。そりゃますます気になるね」
二人が出て行った扉を見つめ、青年は人差し指で机を細かく叩く。
「組合からの報告通り、ちょっと怪しすぎる。ちょっと見てきてくれるかい」
どうやら法生とライシールドの素人芝居はバレバレだったようだ。犬耳受付嬢も伊達に組合受付で多くの人間を見ていないということか。
「了解」
見えない同席者は短く答えると気配を消した。扉が開いた気配も窓から出て行った様子も無かったが、既にこの小屋のどこにもいないのだろう。
「アイツに気付くか。もしもを考えると、つけさせたのは失敗かな?」
引き出しから小さな革の袋を取り出すと小屋を出る。歩哨の兵士達にしばらく留守にする旨を伝え、小走りで道を進んで行った。
「ローレス、やっぱりつけられているぞ」
ライシールドが法生の側に寄ると小声で囁いた。小屋を出て直ぐにライシールドにもう一人の存在を知らされ、ようやくあの含みのある喋り方の意味を法生は理解した。
暫く尾行はなかったが、先ほどライシールドの紫電結界に引っかかった。彼は歩哨の兵達の警戒の高さが気になり、自分達が何かへまをやって目を付けられているのではないかと訝しんで事前に紫電の腕を装填、紫電結界を張っていたのだ。小屋に入ったとたんに姿無き同席者の存在に気付き、疑惑は確信に変わった。これは誰かに疑われている、と。
「うーん……組合の犬耳の受付嬢さん経由、かなぁ」
問題はどこまで報告が行き、どの位の警戒をされているかと言うことか。
しかし何の価値もないとされている祭壇の見学をするというだけで、何故ここまで警戒されねばならないのか。
「あの祭壇、もしかして何かあるのかな?」
もしくは三十三番自体に何か秘密があるのか。
「さて、どうしようか」
後をつけ続けられるのは困る。法生達がやることとその結果を関連付けることは難しいだろうが、疑惑を持たれた状態でなら話は違ってくる。早々、監視の目をどうにかしなくてはならない。
「一番簡単なのはとっ捕まえて縛り上げることだけどな」
ライシールドがなんとも物騒なことを申してくれる。それが出来るなら悩んでいない。
「でも、目的地がばれてる時点でもうどうしようもないのは事実なんだよね」
いっそ本当に縛って何処かに監禁しておこうかと頭を黒い考えが掠めたが、理性で押さえつけて考え直す。そもそも何が目的で尾行してきているのかが解らない時点で対策の立てようもない。もういっそ直接訊くのが一番早いのではないだろうか。
「ライ君、捕まえられる?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
少し道を戻り茂みの前で立ち止まると無造作に右手を突っ込んだ。
「きゃっ!」
茂みの中から引きずり出されたのは、年の頃十八といった黒髪黒目の人族の女性だった。暗い色の布の服に身を包み、腰には短剣を佩いている。足音を立てないためか厚めの布の靴を履いており、肩まである長さの髪の毛は後ろで一本に纏められている。
「何で付けてきた」
ライシールドが問うと、女性は信じられないものを見るような目で呆然と彼を見つめている。
「ありえない。私の隠蔽がこうもあっさり……」
「あんなのは観る目が変われば隠れた事にならない」
事実、紫電結界で丸裸だったわけだ。隠蔽は視覚や聴覚に強い隠密系技能だが、蝙蝠や海豚のような第二の目となる感覚器官を持つものには効果が薄い。
「それで、お姉さんは何で僕達をつけてきたの?」
視線を逸らす。答える気はないようだ。
「そちらが聞きたいことがあるなら答えるよ?」
法生の言葉に思わず目を向けてしまう。慌てて取り繕うように視線を外すがもう遅い。どうやら彼女は駆け引きには向かない性格のようだ。
「とは言ってもさっきの管理小屋で話したことが全てなんだけどね」
「信じられんな。あの祭壇には何があるというんだ」
ああ、何もない祭壇に意味があるはずだと思っている集団、ってヤツか。と法生は理解する。法生達が祭壇の謎を知っていて何かをするためにここに来たと思っているらしい。
「祭壇かどうかも怪しい、と聞いていますが」
本当にただ見に行くだけです。と答えるも、女性はまったく信じていないようだ。
「ここまで怪しまれると、逆にあそこに何があるのか気になるね」
何を根拠にここまで疑っているのか。
「何を惚けた事を。何があるのか等と、お前達が一番解っているだろうに」
結果ありきの疑いを持つ彼女はなかなかに手強い。
「解らないから訊いているんですよ。僕達は名前以外あの祭壇についてはなにも知らない」
「そんなはずがない! 組合で嘘を付き、私の隠蔽を見破る様な奴等が、あんな何もない場所に理由もなく訪れるなど不自然極まりない!」
何もない場所。つまりあの場所に謂れや曰は無いと言う事だ。根拠のない疑いだとはっきりした。しかしどうにもこの監視役は失言が多い。見付からないことが前提の諜報専門だろうが、それにしても向いていないのではないだろうか。気になる言葉もあるし、少し突いてみようか。
「組合で嘘? 僕は嘘を着いた覚えはありませんが、何を根拠に?」
「嘘を吐くな! 組合受付には嘘感知の魔道具が置かれている。それが反応したなら、嘘を着いたことは間違いないだろう!」
あっさりと口を割るこの人は、機密に関わらせたら駄目な種類の人ではないだろうか。
「あの、余計なお世話かもしれませんが、受付に嘘感知の魔道具があるって僕に喋って良い話なんですか?」
「あ」
さっと蒼褪める女性を見て、機密を知ったのだと理解する。駄目監視員決定。
「ローレス、誰か来るぞ」
ライシールドの紫電結界にこちらに向かってくるものが引っかかった。特に隠れる気もない様で、無警戒に近づいてくる。
「ああ、やっぱりこうなっていたか」
姿を現したのは先ほどの青年だった。額に手を当て、同僚の失態にため息を漏らす。
「すまない。彼女に監視を頼んだのは私だ。出来たら彼女を離してくれるとありがたいんだが」
ライシールドは頷く法生を見て女性の手を離した。飛びのいて青年の側に寄ると頭を下げる。
「すみません。見破られました」
「うん。見れば判るよ。君は隠蔽は凄いのに何で隠密は苦手なんだろうね」
隠密は熱源や音波等の第二の目と呼ばれる感覚器官を欺くことに特化した技能である。存在を歪めるため五感の鋭いものには効果が薄い。
「技能とか以前の問題だと思いますが」
あの失言率はいただけない。無関係ながら心配になるくらいである。
「あー、彼女が階級三の管理小屋勤務の理由はそういうことなので」
青年も思わず苦笑い。どうやら想像以上に役立たずの模様で。青年の苦労が見て取れる。
「まぁいいや。君のお仕置きは後にするとして」
お仕置き、の単語で涙目になる女性。日常的に痛い目にあっているようだ。
「こちらも仕事でね。怪しいと思ったものには監視を付けることになっているんだ」
着いたばかりの二人組が、何もないとされる場所に態々嘘を吐いてまで行こうとする。ここでまず疑問を持たれ、管理小屋では隠蔽を見破っていながら一切言及せず、目的は誤魔化した。更に疑惑が募るわけだ。
「最近急に訳の判らない現象が続いている上に、いい加減なことで有名な噂話専門報道屋の間で信憑性の低い噂が立っている場所って言うのも悪かったね」
曰く、三の三十三は魔神の数字だの、最近の奇妙な現象は魔神復活の予兆だだの、謎の祭壇は魔神の封じられたものだだのと、やけに魔神関係の噂が急に出始めたのだ。
「まぁ魔神とやらと採掘道具に何の関係があるのかって話になるんだけどね。そもそも三の三十三番は竜王国の管理になってからついた番号だし」
そんな怪しいだけの情報でも、完全に無視するわけにもいかず調査が近々始まる予定だったが、そこに法生達と言ういかにも怪しい二人組が姿を現したので変に信憑性が出てしまったのだ。
「って訳で、申し訳ないが嘘を吐かずに私の質問に答えてくれないか」
懐から革の袋を取り出し、中に手を突っ込む。
「すまないね。中身は嘘感知の魔道具で、ちょっと物自体は見せられないんだ」
魔道具の姿形が知られてしまうと、事前に対策が立てられてしまう恐れがあると言う事だ。
「では、君たちは三の三十三番の祭壇に何の用があるんだい?」
嘘は見破られる、となると正直に話をするしかない。だが馬鹿正直に話すこともないだろう。
「祭壇を見に行くんだ。魔神が封じられているだとか魔神の復活だとかは見たことも聞いたこともないし魔神の封印を解くなんて滅相もない」
「ふむ、嘘はないね」
詐欺師の理論。祭壇を見に行く事に嘘偽りはない。見に行った後香を焚くわけだが、それは魔神の復活とやらとは何の関係もないので嘘ではない。全て話した訳ではないが嘘は一切口にしていない。
「では、良からぬ事を画策しているわけではない、と」
「この国と民にとって良くないことをする気はないです」
将来無辜の民が虐げられるような事が無いように画策はするが、これは良からぬ事ではないので嘘では無く、事実魔道具も反応しなかったようだ。
「……疑って悪かったね」
まだ納得してないような顔ではあったが、青年は素直に謝罪を口にした。
「では、都市に帰るときにまた管理小屋に顔を出してね。出場記録も必要だから」
お気をつけて、と女性と連れ立って青年はこの場を後にした。暫く見送った後、ライシールドの「紫電結界の範囲から出て行った」との言葉に大きく安堵の息を吐いた。
「漫画の知識が通用してよかったよ……」
人並みに本も読めば漫画だって観る。手に職を主義の法生も娯楽はそれなりに手を出していた。こうなると趣味も役に立つもんだなと思わずにはいられない。
それはさておき、後顧の憂いも無くなった事だし、祭壇を目指して出発しよう。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。