第32話 病床の君
白い空間に戻ってきた法生達の目の前に居たのは、金髪碧眼の美形青年だった。
「はい、みなさんお疲れ様」
にこやかに法生達を労う青年。だが待って欲しい。本の中に移動したときは確かにここにはマリアが居た。前回まではきちんとマリアが迎えてくれた。だが今目の前に居るのは無駄に美形な好青年。姿処か性別まで違う。
「……貴方はどなた? っていうかマリアさんは?」
思わず尋ねる法生を誰も責められまい。まぁ、誰も責めないが。
「混乱させてごめんね。その辺今から説明するから」
青年は困り顔で笑うと、法生達に席に座るよう促した。大人しく席に着くと、対面に腰を下ろした。
「まず、私の名はクリス。人族から成った『超越者』って奴だ」
『超越者』とは、この世界に産まれ落ち、様々な理由からその産まれた種族の枠を大きく超える力を有したものの一部が到達する一つの階位であり、俗に言う神の同意語でもある。
因みに聖獣は種族の枠の外側ではあるが超越者との間には幾つもの壁がある。『超越者』と呼ばれるものはまったく異なる存在になることと同義であり、幾つもの壁を突破した正に超越したものの事を指すのだ。
「実は僕は所謂始まりの勇者、って奴でね」
クリス曰く、『焔纏いし聖剣』を得て最初の『追放者』を倒した勇者が彼自身である、と言うことらしい。その後『追放者』との戦いを経て神格を得るに至り、伴侶の導きの下、幾つもの試練を超えて『超越者』と成ったそうだ。
「その伴侶って言うのが、マリアなんだ」
マリアの旦那様だそうだ。年端もいかない少女だと思っていたら、実は人妻だったらしい。
「で、話の本題なんだけど」
クリスはまだ成り立ての新米なので、経験を積む為に様々な土着の神仏や『超越者』、時には世界を渡って忙しく働いていた。
逆にマリアは神の代行者として神域に常駐しており、基本ここから動くことが出来ない。夫であるクリスの側に居る処か、言葉を交わすことも姿を見ることさえもない。
彼が『超越者』と成るまでは常に共に居た。それ故に長く離れると言う苦痛も一入で、それでも彼女自身は随分と我慢してきたと言えよう。神仏の感覚で言えば百年程の時間経過など瞬きにも等しいが、物質界に降臨する際に肉の器に入り、感覚を人のそれに調節した経験が仇と成った。逢えぬ百年で随分精神的歪みを溜め込んでいたらしい。
「今回の改竄事件の後始末が終わったら、少し纏まった休暇をいただけることになっていたんだけどね。ちょっと君たちを見て限界を迎えちゃったみたいでね」
神域での仕事は主に歴史管理と他世界との書類のやり取り程度で、ほとんど人と接することもない。上は百年前の過酷な仕事をこなしたマリアに、ちょっとした休息の意味もあって楽なこの仕事につけたつもりだった。
歴史書を紐解くことで知識も増え、マリア自身も一つ上に行ける良いことずくめの仕事のはずが、厄介な愉快犯による改竄事件のせいで今回の法生達との共同作業となり、ライシールドとレインの仲の良さに往年の自分とクリスを重ね、ジェダと法生の甘酸っぱい出会いと別れなんて見せつけられて、大きくなるクリスへの想いと仕事への責任感の二つの重圧に耐えかねて。
「まぁ体調崩して寝込んじゃったんだよ」
肉の器を持つものは、精神的な強度がそちらに引っ張られる。判りやすく言えば今のマリアは外見年齢の十五歳前後に相当する精神強度であると言える。
「休暇に向けて、私の外見に合わせた器に成長させる予定で調整していたんだが、ちょっと失敗だね、これは」
それでもマリアは職務を全うしようとはしたらしい。ふらふらのまま法生達の監視を続けていた所を見かねて、上がクリスを強制帰還させて休むよう説得させ、交代要員として彼がここに留まっていると言う訳だ。
「我々も結構脆い存在でね。上の目指す最終突破はまだまだ遠そうだよ」
はは、と力なく笑うクリス。神仏や『超越者』、世界の管理機構が目指すものについては、下手に首を突っ込んでも良いことは無さそうなので全力で流す。
「そうだ、私の時代でも君たちは色々頑張ってくれたんだろう? お陰で私の存在に歪みが起きなかった。お礼を言わせていただくよ」
ありがとう、とクリスは頭を下げる。毎度思うのだが、頼まれたことをやっただけなのでお礼を言われても困るのだ。だがそれを言い出すと長くなるのも経験上学習した。曖昧な笑顔で受け流す。
「そういう経緯で、今回は私が担当させてもらうことになった。さて、気になっているだろうから、地人の聖地があの後どうなったかなんだけど」
予想通り大森林の方で大規模な『異族』の侵攻があったようだが、そちらは森人の勢力と英雄達の力を合わせて撃退に成功。
その際に折れた大剣を直すために地人の聖地を訪れ、結果地人王自らが鍛え直して聖剣の土台たる器を得るに至ったとの事。
大森林での敗北が『異族』の侵攻派勢力を大きく弱め、『異族』側の撤退派勢力に風を吹かせる形になって大戦は随分と早く終結することになったようだ。
地人の聖地の地下深くにも異界へ続く扉の設置条件にあった場所があるらしいのだが、そこも戦線の維持が保てないことから放棄され、晴れて地人の聖地は危機を脱することとなった。
結局、最終的には最後の扉に追い詰められ、『異族』は異界へ撤退。扉は封印され、妖魔の王の一人がその監視としてその地に残ることで決着と相成った。
「と言うわけで、君達は良い仕事をしたよ。結果としてまた少し世界に猶予が与えられた」
ジェダや地人達が安寧を得たということだ。喜ばしい限りだ。
「さて、残っている改竄箇所は……」
クリスは神書を取り出し、ぱらぱらと頁を捲る。
「ここだね。[善きものも悪しきものも等しく大地の災厄に晒され、例外無く死出の旅路に迷うとき]この一文の大地の災厄の所が削られている」
大地の災厄、つまりは大災害が無くなったのなら良いことではないのか、と法生などは思うのだが、そう簡単な話ではないらしい。
災厄の消滅により妖魔族の反融和勢力の有力者達が被害を受けることがなく、結果長引く動乱で両界層は大きく疲弊する。災厄の被害は戦う意思のある双方の武闘派勢力に限定されるが、長引く動乱は力を持たない弱者から順番に被害を受けていくことになる。
「乱暴な言い方をすれば、死ぬ覚悟のあるものの犠牲で覚悟の無い命を救うと言う事だね」
本来死ななくて良い人達が、死ぬ定めの人たちの代わりに死んでいくと言う理不尽を正すとも言える。
「なかなか理解し辛いとは思う」
クリスの言葉に、法生は首を振る。積極的に賛成ではないが、これしかないと言う意味では納得できるからだ。ライシールドはそういうものだという割り切りが出来ているのか、特になんとも思っていないようだ。
先の犠牲を減らす為に今に犠牲を求める、となれば反発もしよう。先の犠牲と言うものが未確定である以上、どちらも回避する努力をするのが最善という意見が正しく聞こえるからだ。
しかしこれに限って言えばそれは通らない。ここで災害が起きなければ必ず先で犠牲が出るのだ。これは覆らぬ事実であり、この瞬間にしか選択肢はない。ここをやり過ごし、後に起こる被害も未然に防ぐと言う理想は通らない。ここ以外の流れを変えることは出来ないのだから。
この改竄を修正すると言うことは、何処かの勢力に肩入れをするということと同義ではない。人種も魔物も物質界も精神界も、等しく痛みを受け、等しく被害を抑えることを念頭に行われている。ゆえに災害を押さえた上で反融和勢力を潰すことも、逆に融和派を潰すことも出来ない。しかし融和が成らなければ被害が拡大し、融和が成るには災害の発生以外に道がない。
「つまり、君達には大地の災厄を起こしてもらう。封印された古竜“月の斥候”レイヴンムーンを刺激し、大陸東部に大震災を誘発する。地霊の口腔に潜ってもらって、魔幻月影の真下でこれを使い、刺激を与えて下さい」
差し出されたのは一抱え程もある円形の香炉。直径五十セル程の口に周りには、等間隔で八本の牙が突き立てられている。その八本の牙の上に半球状の蓋が乗せられ、その上には東洋風の竜が塒を巻いている。
「これは八大竜王の牙を一本ずつ頂戴して作り上げた竜王の香炉です。これで香を焚き、これを焼べてください」
それぞれ八大竜王の髭と八大竜王の鱗だそうだ。
そもそも八大竜王とは何かが解らない法生達は、一体どういう存在なのかを尋ねた。
「八大竜王と言うのはね。物質界の八方を守護する竜王様の事だよ。彼らは虚無の侵食から世界を護っているんだ。因みに虚無っていうのはこの世界の外側を指す言葉で、概念的な意味での無の世界だね」
世界と言うのは安定を嫌う。膨れ上がるか縮み上がるかの二択を常に選択する。膨張を選べば虚無は後ずさり、縮小を選べば前進してくる。波打ち際の波のような存在でそれ自体に意思はない。そんな受動的な現象を虚無と呼ぶ。
法生は思う。地味にまた世界の真理を聞いてしまった気がする、と。
「彼らは世界を護る存在であり、また全ての竜を統べる竜でもあるんだ。勿論古竜レイヴンムーンも例外ではない」
まだ『追放者』の来訪も無かった時代に、名も知られぬ存在の斥候としてこの大陸を蹂躙した邪竜であり、まだ世界の果てを守護する必要が無かった八大竜王の手により大陸東部に封印された古竜である。
その亡骸は竜の骸と呼ばれる山脈と成り、東部を大きく東西に分割している。地霊の口腔はその裾野に口を開ける巨大な空洞であり、無数の洞窟の入り口の総称でもあり、地の属性の魔物が溢れる大迷宮である。
「地霊の口腔の比較的浅い所で香を焚いてくれれば、八大竜王の気配を嫌がってレイヴンムーンが身じろぎする。その振動が大地の災厄と呼ばれるものになる」
東は今、竜とその眷属達が治める竜王国家となっているそうだ。地霊の口腔はいつ魔物が溢れてもおかしくない大陸最大の地下迷宮であり、大陸各国の協力を得て常に調査が続けられている。
地霊の口腔の近くには要塞都市があり、そこを拠点に所謂冒険者と呼ばれる者達が集い、魔物を倒し一攫千金を夢見て地霊の口腔へと潜っていく。
その冒険者に扮して地霊の口腔へと入り、指定の場所まで辿り着けば仕事は終わりとなる。
「今の君達なら、そんなに苦労することもないと思うよ。頑張ってね」
戻ってくる頃にはマリアも元気になっていると思うよ、とクリスは言うと、神書に手を翳す。
白く輝く世界。さぁ、最後のお仕事を頑張ろう。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。