第31話 地人の少女の胸の内
防衛線の構築が済んだ後、予定では深部侵攻部隊の編成のはずだったのだが、予想外の大集団との戦闘で大分消耗し攻勢に出るまでの余力は残っていなかった。
計画を修正、変更してここ防衛線の戦力強化に重点を置き、戦力の回復を待って深部侵攻を改めて計画する、と言うことになった。アレだけの数を殲滅した以上、暫くは深部からも大規模な侵攻が来ることはないだろう、というのが上の判断だ。
結果雇われの身である冒険者や傭兵の類は皆坑道を撤収し、都市にてそれぞれ報酬を得て解散の運びとなった。
「これで改竄時期にこの都市が無くなっていると言うことは回避できたと思います。」
今代の英雄がこの地を訪れるのは今から三ヶ月後。恐らくはぼちぼち森人の仲間の案内を受け、大森林に入った頃のはずである。
今回の魔物の大発生が人為的なものであった以上、これからしばらくは大森林での攻防に力を割かれ、地下都市に手を着けている余力などなくなるはずだ。
この時期、こんな形で魔物の大集団を動かせる勢力など一つしかない。
「それこそが『異族』と呼ばれることになる異界層からの侵略者達の勢力です」
つまり、ピューピルは『異族』だったと言うことか。
「まあ、恐らくはもう遭う事も無いと思いますが」
これからこの時代を去り、次に訪れる時代では既に『異族』との戦いは終わっているはずであるのだから。
「そっか、もうあいつと遭うことも無いのか」
出来たら二度と遭遇したくなかった法生は安堵し。
「くそ、決着は付かず仕舞いか」
次こそは片を付けると目論んでいたライシールドは大層悔しがった。
少なくない報酬を受け取り、宿へと戻る二人を背後から呼び止める声が上がった。
「ローレスさん、ライシールドさん、今日はお疲れさまでした」
普段着姿のジェダがいつもの笑顔で近づいてきた。
法生が見るジェダは大体鉄の兜に鎧姿だったので、普通の服を着ているだけで随分と新鮮に見える。
わたあめのような癖のあるふわふわの髪は今は押さえつけられるものが無い分ふんわりと柔らかそうで、全体の体毛はまるで熊のぬいぐるみを彷彿とさせる。人懐こい笑顔と合間って、青藍厚地織布地の肩紐吊作業着がよく似合っている。
「ローレスさん? どうかしましたか?」
あまりにも普段と違う雰囲気に見とれていたとも言い出せず、内心の焦りを圧し殺して笑顔で答える。
「いえ、ジェダさんの格好がいつもと違ったもので。よくお似合いですね」
熊のぬいぐるみみたいで、お持ち帰りしたいです。とは口が裂けても言えない。実はこの法生、かわいいものが大好きと言うちょっと乙女な所のある男であった。よく「似合わない」と友人には言われていたが、好きなものは好きなので仕方ない。
「う……ローレスさんはお世辞がお上手ですね」
若干赤くなりながら上目使いのジェダを見て、心を撃ち抜かれる法生。異性的にではなく、小動物的にだが。
「お世辞じゃないですよ。ジェダさんは可愛らしい」
法生の中ではお人形さん的な可愛らしさの事である。
「か、可愛……そんなこと言われたの初めてです……」
ジェダさんの周りは見る目無いなーと返す法生に、ジェダはますます顔を赤くして俯いている。
地人族の女性の好みは健康で強く恰幅が良いおかん体型なのだから、(地人族にしては)引き締まった(地人族の中では)痩身の童顔であるジェダは、そういう対象としては大分外れているのだ。
ジェダ本人もその辺若干劣等感を抱いており、誉められ慣れていない事もあって法生に対する好感度はぎゅんぎゅん上昇していた。割りとチョロい。チョロすぎて心配になる。
「なあ、あれってわかっててやってると思うか?」
「いえ、お二人の間に乗り越えられない大きさの認識の齟齬が見受けられます」
旗折り男、法生の密かな通り名である。勘違いで女の子を惚れさせ、知らぬ間に相手に認識の違いに気づかせ幻滅させる、一種の職人である。
当人は惚れられたことも幻滅されたことも気づかないので余計に質が悪い。
「そ、そうです! 乱戦中にローレスさんの声に助けられた気がしたんですが」
空気に耐えられなくなったジェダが話題を変える。
「背後の小鬼に気付いてなくて、怪我でもしたらと思ったら、思わず声が出てしまいました。余計なことをしてしまって」
ジェダはぶんぶんと首を降ると、ローレスの言葉を否定する。
「そんなことありません! あのとき声を掛けてもらってなかったら、私は背後の気配に気づいていませんでした。ローレスさんの声に救われたんです。ありがとうございました」
一息に言い切り、ローレスに向かって深く頭を下げる。
「それならよかった。僕も声を張り上げた甲斐がありました」
顔をあげるジェダに笑顔で答える法生。その笑顔を見て更に頬を赤らめるジェダ。
「す、すみません。私用事を思い出しました! お先に失礼しますね!」
完全に出来上がってしまったジェダが耐えきれずに逃げ出した。法生は呑気にそうですか、お気をつけて、等と返している。
「うーん、なかなかの朴念仁。ライに匹敵する鈍感力」
「おい、何でそこで俺が出る!?」
背後で騒ぐ二人の声を聞きながら、仲が良いなぁ等と思う法生であった。
やることは終えたので、法生たちはそろそろ向こうへ戻らねばならない。とは言え町中で急に居なくなっては不自然なので、きちんとこの地から旅立つ必要がある。
宿の退宿手続きをしていると、今日は非番だというジェダが声を掛けてきた。昨日とは違い薄い菫色の少しだぼっとした作りの上着付裳姿で、緑掛かった金色の癖毛と良く合っていた。
「退宿手続きをしていると言うことは、他所へまた旅に出るって事ですよね」
少し寂しそうな顔のジェダを姿に、僅かな時間でもこうして別れを惜しんでくれる人が出来たって言うのは嬉しいなぁ、と思っていた。惜しむ別れの方向性が大分違うのだが、この男は解っていない。
「次は何処に行くか決まっているんですか?」
本の外ですとは答えられないので、適当に北を目指すとだけ伝える。確か海岸沿いに抜けていけば、中央の王国に出られるはずだ。そちらの方でまた何か仕入れて、今度はそのまま北を目指すのも良いですね、等と呑気に答えている。
その言葉にジェダは割と凹み気味だ。何時かまたここに立ち寄ることがあるとしても、この話しぶりからすると大分先の話になるだろう。地人は比較的長命種なので五年十年程度は気にならないが法生は人族だ。次に会ったときに忘れられていたらどうしよう、などと恋する乙女にしてみるとかなり深刻な悩みに陥っていた。
「ローレス、俺はちょっと用事があるから、門の所まで馬車で先行ってる。急がなくて良いから夕方までに来い」
ライシールドはそう言うと、法生の返事も待たずにさっさと御者台に乗ると馬車を発車させる。遠くのほうで「ライ、どうしたの? こんな出来る子だっけ?」とのレインの声が聞こえた。
「置いてかれちゃった」
呆気に取られていた法生は、ばつが悪そうにジェダを見た。恥ずかしそうに笑う姿を見て、彼女はくすりと笑う。
「そうみたいですね。ローレスさん、良かったら門まで歩きませんか?」
「折角の非番なのに、お付き合いさせる訳には」
いいんです、私が歩きたいだけですから。と笑って答える。
「散歩にお付き合いいただけませんか?」
小動物系には目がない性格の法生が、少し上目遣いではにかむジェダのお誘いを断れるわけがない。
「僕で良ければ喜んで」
ローレスさんが良いんです。と返すジェダは満面の笑顔でローレスの隣に立つのだった。
まだ日は高く、ライシールドには夕方までにと言われている。彼の用事が何かは判らないが、時間を潰す意味でもジェダが付き合ってくれているのはありがたかった。
特殊な魔道具で作られた氷を利用して作成された氷菓子を二人で食べ、露天の商品を冷やかし、ジェダの同僚と遭遇して冷やかされ、途中お勧めのお店でお昼を食べて、と傍から見れば逢瀬にしか見えないのだが、当人達にはその自覚はない。
ふと道端で装身具を広げている地人細工師の作品が目に留まった。簡素な銀細工の台座に、小粒とは言え透き通るような深緑の翡翠をあしらった衣装留。ジェダの瞳を思わせるのこの細工は彼女に良く似合いそうだ。
思わず購入し、店主から受け取ったそれをジェダに差し出す。
「今日の記念に、贈り物」
「こ、こんな高いもの頂けませんっ」
安くは無かったが決して高すぎると言うほどでもなかった。というか、この時代で得たお金はこの時代に少しでも返しておきたい。
「でも、もう買っちゃったし。ジェダさんに似合うよ、きっと」
強引に手を取り、ジェダに握らせる。彼女は諦めたように困った顔で受け取り、それでもやはり嬉しくて、口元がちょっと笑っていたりする。
「強引ですね。ありがとうございます。……大切にしますね」
胸元に抱え、大事そうに抱きしめた。
「喜んでもらえたなら良かったです」
因みにこの衣装留、持ち主の会いたい人が近くに居るとき限定で方角が判る迷子探知の術式が付与された便利魔道具だったりする。当人たちは気付いていなかったが、商品を渡す際に店主はしっかり説明していた。二人とも全然聞いていなかったが。
のんびりと進んでも、何時かは終わりが来る。二人は地下道を抜け、遂に地上にたどり着いた。防壁の門の側にある守衛小屋で身分証を提示、照会手続きを取って正式に退門となる。
「態々こんなところまで見送りで来て頂いて、ありがとうございました」
門を出て直ぐの所で待っていたライシールドと合流し、御者台の上に登った法生が門の内側で笑顔で手を振るジェダに頭を下げる。ジェダは大きく首を振ると、笑顔のままで手を振り続ける。
「ローレス、行くぞ」
ライシールドに促され、法生はジェダに手を振り返すと馬車を門の反対方向に向ける。荷台の幌が邪魔をして、ジェダの姿が見えなくなった。
後は人の目が無くなったところを見計らって、マリアが回収してくれるだろう。
「ローレスさん、さようなら」
小さくなっていく馬車をいつまでも見つめ、ジェダが囁いた。きっと泣くと思っていたのに、不思議と涙は出なかった。何と無く胸の内に予感があったのだ。
「きっとまた会えます。そんな気がします」
もしかしたら気のせいかもしれない。でもそれでも信じてみようと思った。
胸元の衣装留が、夕日の光を浴びて優しく輝いていた。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。