第19話 野営地の三日目
──神器に未熟技巧の腕が登録されました。
頭領猿を風の針でメッタ刺しにした上で、動きの鈍ったところを偃月刀で真っ二つにしたところ、残りの手負いの二匹と無傷の一匹は脇目も振らずに逃げ去った。
「頭を潰してあれだけ力の差を見せ付けたんだ。暫くは来ないだろう」
その間にさっさと作業を終わらせて帰ればいい、とライシールドは思う。正直半日岩盤砕きを続けて飽きたのだ。
法生は抱きかかえた雪豹の仔の口に最上級の治癒薬を近づけるが、匂いが嫌なのか中々口をつけてくれない。どうしたものかと思案して、昔見た動画で子猫には注射器で飲ませていたのを思い出す。
手元には注射器はない。ならばどうするか。
「よし、作ってみるか」
仏具の目録閲覧から治癒薬の項目を閲覧、容器選択を心象検索で補正、注射器(針無し)が該当したのでそれを選択。
法生の左手に、下級の治癒薬入り針無し注射器が複製された。
「ちょっと勿体ないけど」
中の下級治癒薬を捨てると、最上級治癒薬を針無し注射器で吸引しして嫌がる雪豹の仔の口に薬液を流し込む。何度も繰り返し、なんとか規定量以上を飲んでもらえたようで、腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。もう痛みはなさそうだ。
優しく撫でてやると、直ぐに寝息を立て始めた。その様子にほっとして、ようやくライシールド達をほったらかしだったことに思い至った。そういえばお腹が空いたとか言ってた気がする。
「無事に怪我も治ったみたい。ライシールド君、助けてくれてありがとうね」
ライシールドに向き直り、腕の中の雪豹の仔を落とさないように注意して深く頭を下げる。
「気にするな。戦うのは俺の仕事だ」
そっぽを向いているが、ちょっと顔が赤いような気がする。どうも彼はぶっきらぼうで口が悪いのではなく、恥ずかしがり屋で感謝され慣れていないだけなのではないか、と法生には感じられた。口が悪いのは照れ隠しなんだろうか等と考えていると、レインが奇妙な表情で法生の下に飛んできた。
「法生様? その手に持っている物はなんですか?」
レインの示しているものは先程の針無し注射器。それを説明すると今度は少し難しそうな顔をした。
「容器の選択に心象検索ですか。法生様の仏具にはそんな機能なかったと思うのですが……」
レインの知識の中の仏具の性能では、経口摂取する事で登録をし、目録閲覧で選んだ物を複製するだけのものであるはずであった。少なくとも法生の言うような曖昧機能はなかったはずだ。
「なんと言いますか、法生様は仏具を使うと言うより使いこなす域に入っているようです」
つまり、上手に使えているということだろうか?
「本来登録されたものでしか複製は出来ないはずなんですが、法生様は今回心象検索なる新機能を使って未登録の容器を登録、複製した訳です。これは非常に難しい問題になります」
「なんでだ? 便利に使えてるなら良いじゃないか」
ライシールドは訳が解らないと首を傾げてレインに訊いた。
「だからライは脳筋だって言うんだよ。未登録のものを複製、登録出来るってことは、一種の物質創造に他ならないんだよ。複製とはまったく違う話になる訳」
今のところ登録済みのものを起点にしなければ出来ないようではあるし、将来的にも全くの無から薬品を作り出す事までは出来ないのかもしれない。
だが、問題は法生自身の知識の中からこの世界では現在存在していない合成樹脂を造り出していると言うこと。
彼自身は深く考えての行動ではないし、針無し注射器は合成樹脂製の、医療品としての注射器というよりは水飴の入った駄菓子の印象が強かった。
まあ正直、なにも考えずに何となくでやらかしたと言うわけだ。
「今どうこう言う話ではありませんし、とりあえず保留と言うことで」
何より今は仕事を片付けるのが第一である。
「その注射器はくれぐれも落とさないように気を付けてくださいね。この時代に残してしまうと、どんな影響が出るかわかりませんので」
既存の鉄剣等ならば問題ないが、未知の素材で出来たものが残され、厄介なことになっては不味い。
「わかった。そうだ、ご飯の前に焚き火を起こし直さないと」
振り向いた先では既に新しく設置された焚き火を前にライシールドが立っていた。黒焦げの猿の死体も片付けられている。
「よく解らない話で時間もかかりそうだしやっといた」
だから早く飯にしてくれ、と目で訴えかけてくる。肉体労働担当だけに、消費も大きかったようだ。
昼食の準備をしている間に、と干し肉や干し果物等を渡す。空腹をまぎらわせるには充分だろう。
雪豹の仔を起こさないように降ろして調味料などを取り出す。後は腹の足しがなくなる前に食事の準備できるかが問題だ。
「法生様たちも一緒に掘削地に行きましょう」
食事が終わり片付けをしていると、レインがそう提案してきた。
ここに残していくとまたなにかが来たときに助けが間に合うか判らない。
なにより予備の天幕を向こうに設置する必要があったので、猿の襲撃のあるなしにか変わらず向こうに行ってもらう必要はあった。
「いっそ野営地自体を移動するか?」
ライシールドはその方が移動も楽だし、何かあってもすぐ判る距離の方が何かと都合が良いのではないかと提案する。
「精霊湯がどの程度の勢いで噴出するか判らない以上、あまり近くに拠点を設置したくはないのですが……。先程のようなことがもう起こらないとも言えませんし、止む無しですね」
という訳で、急遽天幕の撤去と掘削地付近に再設置と大移動が始まった。
解体と背負い鞄に収納はそれほど時間が掛からなかったのだが、再設置の為にはまず掘削地より高台である程度の距離があり、それでいて遠すぎない位置を選び、さらにある程度の広さを除雪し地面を均した上で建て直さないといけない。
地味に時間がかかり、再び焚き火を用意して掘削地にライシールドが戻ったのは随分と日が傾いた頃になってしまった。
午前中いっぱいで約五メル程を掘り進み、レイン曰く「大分精霊力を強く感じるようになった」程度には近づいているらしい。
レインと同期していざ掘削開始、と粉砕金槌を振り上げたところで穴の上が騒がしくなった。
「駄目だよ! その中に入ったら危ないってば!」
法生の制止の声が聞こえたと思ったら、上から白いものが降ってきた。雪豹の仔はライシールドの目の前に綺麗に着地すると、地面にフンフン鼻を押し付け、何かを探すように暫く辺りをうろうろした。そしてある一箇所に座り込むと「にー」と鳴いて地面を尻尾でてしてし叩いた。
「ライシールド君、ごめんね! ほら、邪魔しちゃ駄目だよ、上に戻ろう?」
やっと下まで来た法生が息を切らしながら雪豹の仔を手招きする。
「……いや、待て。あいつ何か伝えたいんじゃないか?」
相変わらず一点に座ったまま、尻尾で岩盤を叩く姿を見て、ライシールドは雪豹の仔が何かを訴えているように感じた。
「そこを掘れってことか?」
雪豹の仔の側まで行くと、ライシールドは尋ねた。雪豹の仔は彼の目をじっと見つめた後、立ち上がると法生の側に行ってしまう。
「作業の邪魔してごめんね。この仔は頭が良いから、もしかしたらさっき助けてくれたお礼だったのかも」
雪豹の子を抱き上げた法生はそう言うと「戻ってるね」と告げて段を上がっていった。
「お礼……もしかして、岩盤の薄い場所を教えてくれたのか?」
──精霊の力を嗅ぎ分ける鼻を本当に持っているのなら、ですが。高位の精霊術の使い手ならば可能でしょうが、雪豹の仔にそれが出来るとはとても思えません。
「まぁ、間違っててもそう大して損もしないし、やるだけやってみるか」
どうせ今日はそれほど作業時間もない。ならば一縷の望みに賭けてみるのも一興か、とライシールドは火蜥蜴の腕で岩盤を熱し、氷で冷やし、鉄杭を突き立てた。
雪豹の仔が示した場所を中心に一メル半径を集中して掘り進める。広範囲を均等に掘削していた時とは比べるまでもない速度で掘り進み、大体五メル程の深さになった頃、ライシールドは足元の岩盤の変化に気付いた。
「暖かくなってないか? ここ」
靴越しに熱を感じ、掘削作業を中断すると直接地面を手で触れてみる。明らかに岩盤の温度が上がっていた。
──うん。精霊の力も凄く強くなってる。これならもう五十セルも掘り進めて岩盤強度を下げれば精霊湯の圧で噴出すんじゃないかな。
「よし、じゃあ一気にいくか」
見えた目標点に気合を入れ直すライシールドだが、レインはそれに水を差す。
──精霊湯が出てからだとやりづらくなるから、今のうちにお湯の逃げ道とか浴槽とか作っておこうよ。崖側へと水路を作って、途中に広めの窪地を掘る感じで。
やっと終わると安堵した矢先に別の作業が追加され、ライシールドは深くため息をつくのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
修正 15/09/14
一部ルビを修正しました。