第13話 やりすぎ
「矢はあるだけ使ってかまわん! 一匹でも多く仕留めるのだ!」
アスガルの号令で十五人の射手が小鬼の群れに一斉に矢を放った。密集しているため全て命中し、当たった小鬼は転倒、後続に踏み潰されて絶命する。それでも一向に数が減ったようには見えない。
同じ動作を三度繰り返したところで子鬼の群れが門に到達し、手に持つ粗末な造りの石手斧を叩きつけ、門を破壊し始める。
「門の周辺を掃討せよ!」
壁上から門を破壊しようとする小鬼に向けて矢を放つ。今度は密集しているのが仇となり、石手斧を振るう小鬼への射線が中々確保できない。
「不味いな、そう長くは持ちそうもない」
裏側の門から逃げ出そうにも、未だ体力が復調していないものが多い現状では逃げ切れる可能性は低い。なんとしてもここで食い止めねばならない。
だがこのまま矢を射掛けていたとしても何れ門は破壊され、集落に小鬼の群れが雪崩れ込んでくる。現在戦える者でも時間を掛ければこの数を殲滅することは可能だろう。だが、全て倒すまでの間にどれほどの犠牲が出ることか。
「非戦闘員で門の前に防塞を築け! 廃材でも家具でも何でもいい、門が破られても容易に進入できないよう高く壁を作れ!」
門に攻撃を加える小鬼を一匹一匹丁寧に射殺しながら、アスガルは指示を飛ばす。症状が軽く比較的体力の消耗が少なかったものや後方支援担当の者が総動員で障害壁を積み上げていく。だが門を破られたらこの程度の防塞など物の数ではないだろう。門の向こう側では優に五十を越える小鬼の死体が転がっているが、それでも数が減ったように見えないほど門を中心に群がっているのだ。
小鬼はこれほど攻撃に執着する性質ではない。仲間がこれだけやられたならば、逃走を選んでもおかしくはないのだ。そもそもこれだけの数の小鬼が一同に会して一つの目標に損害無視で突貫する等ありえない。それを可能にするだけの何かがこの背後には居るのだ。
アスガルは唇を噛み締めて無力感を押し殺し、無言で矢を射る。一匹でも多く葬ること位しか今は思いつかないのだ。
法生は集落中を走り回り、他の森人達と共に防塞に使うための物資をかき集めていた。
小屋を回り、家具や補修用の板や丸太等、ある程度の大きさで障害物になりそうなものを片っ端から門の前まで運んだ。とにかく人手を必要とする作業なので、ある程度の力がある子供も男女の別無く駆け回っている。
だが、あの頑丈そうな門を破壊するような相手に、こんな即席の壁がどれほどの役に立つのか。直ぐに数に押し負け、乗り越えられ、破壊されてしまうのではないか。
法生はこれでは駄目だと考える。素人とは言えこの世界の住人とは異なる思考と知識、そして特殊な力を持つ自分に出来ることはないのかと考える。
今一番の問題は数の差。推定二百対十五(+非戦闘員三十程)である。数だけでも四倍、戦える者の数で言えば十倍以上の差がつく。彼我の単体での戦闘力はこちらのほうが上とは言え、数の暴力を覆す程の差があるとは到底思えない。
現在地の利はこちらにある。高所から一方的に攻撃を仕掛け、数を減らせているだろう。だが既に門に取り付かれて、防塞作成の指示が出たということはそう長くは門が持たないということだろう。地の利は失われつつある。
病の後遺症で本来の力を出せるものが少ないというのも痛い。純粋な戦力としての手が足りなすぎる。これでは直接戦闘に移行した場合、数に押し潰されるのは必至だ。
「まずは数の差をどうにかしないと……」
出来るかどうかわからないが、一つ思いついたことがある。その為に必要なものがこの集落にあることは確認済みだ。物資を集める際にそれを使った道具が集落全体で使われているのを見た。後は本当にそれが可能かが鍵となる。十中八九いけるだろうとは思うが、まずは試して見ないことにはなんとも言えない。まず試すためにもそれが保管されている場所と、法生自身がそれを試す覚悟だけだ。
「出来れば小分けで保管されているといいんだけど」
集落全体の明日が掛かっているのだ。覚悟とか言ってる場合ではない。後で倒れるようなことになったとて、成せるのならば死ぬ気で耐えるのみだ。
決死の決意を胸に、忙しく走り回る森人の一人を捕まえて、先程小屋から拝借してきた物を見せる。
「すみません! これの中身が保管されている場所を教えてください!」
壁の下でアスガルを呼ぶ声が上がる。どうにも緊急の用らしく、彼を指名しているようだ。
「今は一本でも多く矢を打ち、小鬼共を仕留めねばならんと言うのに……。一体なんだ!」
持ち場を離れるということは、それだけ門の寿命が縮まるということ。これが致命の隙にならないと言う補償は無いのだ。下らない用事だったら徒では済まさんと怒りも露に叫び返した。
「アスガルさん! お忙しいところ申し訳ない! 僕が壁の上に登る許可をください!」
「ローレス様!? 壁上は狭く、慣れない者が上がってくるには危険過ぎます!」
同じ森人の誰かだと思っていたら救世主様だった。だが流石に不慣れなものを上げるわけには行かない。だが当の法生は諦めない。この状況をどうにかする策があるのだ。
「僕に考えがあります! お願いです、壁を登る許可を下さい!」
壁の上でなくては出来ないことだ。必死でアスガルに訴える。数の差をひっくり返す、今のうちにやらなければ手遅れになる、と。
「……わかりました。梯子を降ろせ!」
投げ落とされた縄梯子を何とか登り、法生は壁上から眼下を望む。うじゃうじゃと群がる小鬼に顔を顰め、視線をアスガルに戻した。
「僕がこれから行うことは、何も訊かないでください。出来たら誰にも内緒で」
誤魔化す暇も惜しい。法生は仏具をアスガルに隠すことを諦めた。だが色々訊かれるのも面倒なのでここだけの秘密にして欲しいところだ。
「我が誇りと命に賭けて」
そこまで賭けなくてもいいのだが。まぁ黙っててくれるというのならそれでいいかと流し、法生は複製を始める。右手から次々と、赤みを帯びた黄色の透きとおった液体を満たした小瓶が現れる。
「これは……角灯の油?」
法生は角灯を見て、その燃料である油を仏具に登録すれば複製して火計を仕掛けられるのではないか、と考えたのだ。
問題は二点。油を仏具に登録できるかと言うことと、法生自身が油を登録するための必要量を飲みきることが出来るかと言うこと。ちなみに保管されていたのは一リル程の木製の小さな樽で、幸いなことに化石燃料ではなく植物性の油だった。
植物油だろうと動物油だろうと大量に摂取すれば気持ち悪くなるもので、途中何度か吐きそうになるのを堪えてどうにか腹に収めることに成功。もう少し大きいものだったら駄目だったかもしれない。
吐き気を堪えつつその場で複製すると、木の小樽に入った油が無事に複製できた。精神力を使って容器を生成するというのなら、材質を変えることも出来るかもしれないと仏具を操作して見ると容器の材質、容量の変更が項目に追加されていた。やれば出来るものである。まぁ余計な精神力を消耗するようだが。
「アスガルさん、残りの矢にこれを括りつけて小鬼の所まで飛ばせますか?」
際限なく現れる油瓶の不思議を前に、色々訊きたいことはあるのだが訊かない約束だ。ぐっと堪えて法生の質問を考える。この大きさなら矢に括りつけて飛ばす位は問題ない。精密な射撃は無理だが、小鬼共の群れの中に打ち込むくらい訳はない。
瓶は地面に刺さっても小鬼に当たっても、衝撃で割れ、辺りに中身を撒き散らすだろう。そうして油をばら撒いて何をする気かなど、考えるまでも無い。
集落の油の備蓄では到底足りなかった。だがここには作戦に必要な油が十分な量ある。
「出来ます! 出来るだけ小鬼共全体に満遍なく打ち込めばいいわけですね!」
そして火を掛ける。門の前はそれなりの広さがある。この辺りの樹木は唯でさえ燃えにくく、薪とするためには念入りに乾燥させる必要があるので、森に火が移ることはないだろう。
法生は樹木の性質を知らないが、例え燃え移っても消火する術は考えてある。仏具に登録されている飲料水を容器なしで大量に複製し、消防車代わりになるつもりだったのだ。正直この規模の森が火事になった場合、消防車一台では到底追いつかない。森林火災を舐めた浅知恵だが、遭遇したことの無い法生には想像の限界である。
「後はお願いします。僕はちょっと(油を飲みすぎて)限界なので」
出せるだけ油瓶を出した。精神力低下のダルさに加え、胸のムカつきもきつくなってきた。正直体力的に限界だった。
「後はお任せください! (奇跡の技を使って)消耗も激しいでしょう」
間違ってはいないが、正解でもない。吐きそうで動けない等と、今のアスガルには気付かないほうが幸せだろう。
「おい、なんだあいつらは!」
壁上では変わらず門前の小鬼共を矢で仕留める者と、瓶を矢に括りつける作業をする者に分かれて行動している。その矢を射ている者達から声が上がった。その声に瓶を括り付ける作業をしていた者達も顔を上げ、彼らが指差す方に視線を向ける。
小鬼の群れの後方から、二メル程もある土色の肌の大鬼が姿を現した。その数は五体。さらにその後ろには真っ赤な肌の大鬼が悠然と歩いてくる。
その気配に怯え、小鬼の門に対する圧力が上がった。今までよりもさらに激しく叩きつけられる石手斧に門は悲鳴を上げる。
「拙い! 油矢を急げ!」
通常の矢を射るのを止め、油を括りつけた矢を小鬼の群れに放つ。各所で瓶の割れる音が聞こえる。油に濡れても小鬼共は意に介さず、必死で門へと攻撃を続ける。
大鬼共が小鬼の集団の直ぐ後ろまで辿り着いた。赤大鬼は門を指差し、取り巻きの大鬼に攻撃を指示したようだ。足元の小鬼など居ないかのように踏み潰しながら、大鬼は門に近づいていく。
大鬼に油矢が当たる。瓶が割れ、油が飛び散る。
「今だ! 火矢を放て!」
火を纏った矢が小鬼の集団を目掛けて飛ぶ。それは小鬼に当たり、地面に刺さり、大鬼を掠めた。
そして、爆発するかのように豪炎が上がる。小鬼を飲み込み、大鬼を火柱に変える。空気が震え、凄まじい衝撃波が起きた。壁と門が悲鳴を上げながら激しく揺れる。後方に控えていた赤鬼は突然の衝撃波に吹き飛ばされ、肩に担いでいた戦斧は遥か後方の巨木の幹に突き刺さった。
予想以上の火力に驚いたのは鬼達だけではない。壁の内側からも立ち上る炎が見え、轟音と熱気と衝撃波に息が止まる。この世の終わりが来たのかと蹲り、神に祈った。
「これは、気化爆発……?」
正確には気化爆発もどきである。本物はこの程度ではない。
この辺りは気温が低く、通常より低い温度で揮発する油を知らずに使っていた。使用されている角灯も気密性は低く、それほど内部の気温は上がらない。森人たちも普段から低温に慣れているので風の通らない室内ではそれほど暖は取らないので、油が激しく揮発するということは無かった。
その油を小鬼の群れの中に放り込みばら撒いたのだ。密集して激しく動く小鬼の発する熱量は相当なものである。そんな場所で瓶が割れ、飛び散る際に一滴一滴が空中で揮発し、そこに大鬼に命中した油が高所から降り注ぐ間に大量に気化する。辺り一面に油を孕んだ空気で充満した。
そして止めの火矢である。気化した油に火をつけながら火気を最深部まで運んだのだ。連鎖的に油に火がつき、爆発的な火力でもって周囲を殲滅、辛うじて生き残ったものたちを襲ったのは窒息死。一気に酸素が消耗されたことにより周囲が酸欠状態となったのだ。気化した油と空気中の酸素は一瞬で消耗され、燃料を失った炎は直ぐに消えた。森の木々への延焼は無い。
ここで幸いだったのが気化した油が壁の高さを越える前に火をつけたこと。油自体の総量が少なかったのか気化が不十分で油の分布にバラつきがあったのかは判らないが、壁の上の酸素は大きく減じはしても窒息を誘発するほどの消耗は免れたのだ。
「これは……ちょっと、やっちゃった感が半端無い」
黒焦げの小鬼大鬼の残骸とか、顎が外れるくらい大口開けて呆けている金髪美形とか、もうどうでもいい。この後どう収拾つければいいのか、それが問題だ。
あ、赤大鬼はいつの間にか姿を消してました。巨大戦斧とかほったらかしで。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
本来はこんな簡単に燃料気化爆発は起こらないと思います。たぶん。