第137話 勝つ者負ける者(Side:Rayshield)
今回は早めにご提供できました。
木剣同士の打ち合う乾いた音が響き、ライシールドとドランは双方距離を取った。入れ替わるように重装備の大盾とロシェの盾が火花を散らし、鈍い衝突音を響かせる。
「見た目の割りに軽いですわね」
ロシェは涼しい顔で大質量の突貫を真正面から受け止め、弾き飛ばす勢いで大盾をぶつけに行った重装備の足が止まる。彼女より一回り以上ある体躯の全力を振り絞って盾を押し付けるも、ぴくりとも動かない。
「馬鹿なっ!?」
完調とは言えないが、六割ほどの硬度を取り戻した鎧骨格の防御力に頼るまでもなく、彼女自身の能力だけで相手を圧倒していた。
「蟻人の膂力を軽く見ていただいては困りますわね」
重装備の盾使いは自身の突貫力に装備全体の質量を上乗せして相手を押し込み、押さえ付ける役割を担う。滅多にお目にかかることのない蟻人の力は未知数ではあったが、それでもその細腕でまともに受け止められるとは思っていなかった。交わされるか、受け流されるか、どちらかだと当たりをつけていた。
だからこそ思考が止まる。初級に出来るとは思えないが、万が一避けられ抜けられた場合の備えは彼の背後にあった。まともにぶつかって吹き飛ばせればそれこそ予定通りだった。
それがよもや、受け止められるどころか押し負けて押さえ込まれることになろうなどと全くの予想外だった。それも片手だけで。
「気をしっかりとお張り下さい。いきますわよ」
だから、彼女が何を言っているのか理解できなかった。今この瞬間がまだ過程であるなどと理解したくもなかった。
矜持が砕ける。それが解るからこそ身構えようとする己の肉体に抗う。歯を食い縛るな。足に力を込めるな。盾を支えるその腕を強ばらせるな。
そんな理性を嘲笑うように彼の体は反応する。止まらない。止められない。憖経験を積んだ盾使いであるが故に、最前線で体を張っていたが故に。その危機感は、恐怖は抗えない。
彼の背後に待機する片手剣の戦士は信じられないものを見る。試験開始と共に飛び出していった鉄の塊が、大猪の突進を受け止め、熊の一撃すらも押さえつけてきた頼もしい鉄の壁が彼の目の前を突如塞いだのだ。思考は追い付かず直後にきた衝撃にあっさりと意識を刈り取られてしまった。
「あら呆気ない事。もう少し張り合いが欲しいですわね」
ロシェは頬に手を当てて嘆息した。開始早々二人行動不能に追い込んでしまった。この速さではすぐに暇になってしまいそうだ。
「……何だ? あの娘は一体何なんだ!?」
何もしない内に二人脱落した。しかも一人は前線を支えるはずの男だ。
「中級も大したことはなさそうだ。余所見してる間に向こうも終わりそうだな」
ライシールドは既にロシェ達の方を見てはいない。ドランは彼の視線を追って後方へと目を向ける。そして新たな驚愕を目にする事になる。
ロシェが派手に重装備を弾き飛ばしたのを合図代わりにヴィアーは身を低くすると地を這うように後衛陣に接近した。彼女の視線の先ではロシェの大立ち回りに呆気にとられた術者達は詠唱が中断してしまっていることにも気づいていない。
前衛は既に半壊している。そのうちの一人はライシールドが相手をしているドラン。ヴィアーは残った最後の一人の足下へするりと潜り込んだ。
「……え?」
意識の外側から突如現れた銀の一閃が彼の視界を覆う。顎先に衝撃を受け強制的に上を向けられ、続いて柔らかい狐の尾が頬を撫でた。訳が判らないままにどうにか正面へと戻した視界が捉えた最後の映像は片足立ちで蹴りを放つ寸前のヴィアーの姿。
そして革鎧で護られた胸を蹴る一撃に意識を刈り取られ、後方へと吹き飛ばされた。
弓使いの男がその一部始終を目にすることができたのは偶々でしかなかった。ロシェに打ち負けた重装備が片手剣使いを巻き込んで倒された時、後衛の中でも一番外側に位置していたことで辛うじて視界の端にヴィアーの動きを捉えられたにすぎない。
いつの間にか片手剣の男の足下に踞っていた銀狐族の娘が縦回りで後転、銀狐に気付いていなかった男は無防備に顎先を蹴り上げられた。僅かに距離を開けて着地した銀狐は左足で立ち腰を捻りながら右足を折り畳む。
「っ!?」
一瞬銀狐と視線があった気がした。言い様のない怖気に震え、声にならない声をあげてしまった。その目が悪戯を思い付いた童のように嗤ったからだ。
何か来る。迎撃のために弓を引き絞るべきか、弓を捨ててでも逃げ出すべきか、瞬きの迷いが彼の命運を決した。五メルは離れていたはずの片手剣の男が物凄い勢いでこちらに吹っ飛んできたのだ。硬直しそうになる筋肉を奮い立たせてどうにか回避が成功した。彼のとなりに立っていた魔術使いを巻き込んで気絶した男が転がっていく。
どうにか凌いだ、と息を吐いた直後。
「油断大敵、だよ」
銀狐の膝が彼の頬を打ち抜き、意識を刈り取った。
「前衛が私を残して全滅……」
二人の視線の先で、ヴィアーが水を得た魚のように縦横無尽に飛び回り、弓使いも魔術使いも為す術なく蹂躙されていく。
「この中で一番やれるのはあんただろ?」
想像の斜め上をいく現状に放心しかけていたドランは、ライシールドの一言で我に返った。
「驚いてるところ悪いが、そろそろ俺に集中してくれないか?」
「……失礼した。君たちの力量を見誤っていた」
「ああ、そういうのはいい。別にどうとも思っていない」
謝罪するドランにライシールドは肩を竦めた。木剣を構え直し二人は改めて対峙した。ロシェは後方で暴れるヴィアーの姿に獲物が残らないことを悟ると、ライシールド達の対決を若干距離を取って見学することに決めたようだ。
「ロシェ、解っているとは思うが手は……」
「ええ、出しませんわ」
少し前のドランだったら、なめられたと憤慨していたかもしれない。しかし今はそんな気持ちなど微塵も湧かない。
「仕切り直しだ」
「ああ、お相手しよう」
ライシールドの構える木剣にドランの木剣が当たった。今度は距離を取らずに互いが一歩を踏み出した。そこはもうお互いの剣の領域。
ライシールドが腕を折り畳んで素早く突きを繰り出せばドランはそれを盾で受け、横に流す。
若干開いたライシールドの胸元へ吸い込まれるようにドランの突きが向かえば、ライシールドは受け流された右側へと重心を移動させてその攻撃を避ける。
軸足に力を込めて強引に体を捻り、下回りで掬い上げるように襲い来る剣をドランは突きの姿勢から斜め下へと振り下ろし、それを弾いて防ぐ。
お互いの一撃を木剣で受け、弾かれるように半歩ずつ後退した二人は、休むことなく木剣を振るい、突き、受け、交わす。
互角に見える相対もその表情には大きな差が出始めていた。余裕が無くなり焦りの色を浮かべ始めるドランに対しライシールドの表情に変化はない。右手一本で攻撃と防御を熟しながら、なお息を切らせた様子もない。
「君達の、特別措置の、理由が、理解できたよっ!」
ライシールドの攻撃を捌きながら、ドランは途切れ途切れに声を出した。
「これだけの人材を、低階級に、しておく、訳には、いかないからな!」
「仲間の身分証代わりに登録に来ただけだったんだがな」
階級上げは慌ててしなくても良かったのだ。簡単な試験だけで飛び級してくれるというからこうして試験を受けているわけだが、悪目立ちして面倒臭いことになっている現状を見るに、あまり得策ではなかったかもしれないと思い始めていた。
「あんたらの不信も不満も判らなくもない」
「その辺は、こちらが、大人気なかった! 重ねて、謝罪しよう!」
ライシールドが姿勢を低くして抉り混むように突きを放つと、ドランはそれを盾で受けつつ死角であろう左肩口へと木剣を振り下ろす。
避けにくい角度で繰り出された一撃を転がるようにして回避すると足を蹴り上げて盾を弾き、その勢いで立ち上がって半回転しつつ横凪ぎの一撃を放つ。
弾かれた盾の衝撃をあえて逃がさずに後方へと身体ごと飛び退いてそれを交わしたドランは、半回転して背を見せるライシールドへと鋭く木剣を突き出す。
背後に目でもあるかのような動きで屈みこんで突きを避けたライシールドは、ドランの足を掬うように地を這う回し蹴りを放つ。
突きを放つために前に出していた軸足を払われ、ドランは体勢を崩しかける。体術を織り混ぜたライシールドの変幻自在ぶりに冷や汗を垂らしながら、倒れないように後ろ足を踏ん張りどうにか持ちこたえる。
安堵する暇も与えられず、斜め下から顎先を狙ってライシールドの木剣が迫ってくる。足払いの回転力を乗せた旋風のような一撃を頭を仰け反らせ首を捻って辛うじて交わす。完全には交わしきれず右頬を掠めた斬擊に抉られ、鮮血が舞う。
「っの、ちょこまかとっ!」
頬に走る痛みを押さえ込み、歯を食いしばって腕の力だけで強引に木剣を振り下ろす。崩れた姿勢からの悪手は一周回って戻ってきたライシールドの木剣に容易く弾かれ、致命的な重心の崩れを引き起こす。
「しまっ」
己の失策に舌打ちする猶予もなく、三周目の竜巻が襲い来る。剣閃の軌道に盾を放り込めたのは奇跡のような偶然に過ぎなかった。とは言え幸運もここまで。回転の力が存分に乗ったライシールドの剣擊は受けた盾ごとドランを叩き飛ばす。
盾と身体に挟まれた左腕から鈍い異音が響く。有り得ない角度に曲がる左腕が激痛を訴える。
左腕を庇うように転がる。ようやく止まったドランは腕を押さえて脂汗を流しながらもなんとか立ち上がる。
「……終わりか?」
直後、目の前に移動していたライシールドが木剣を喉元に突きつける。ドランは深く溜め息を吐くと首肯する。
「ああ、俺の敗けだ。何だお前、その動きは」
めちゃくちゃだ。まともな剣技ではない。その捉え所のない変則的な動きも然る事ながら、年の頃十四、五程の若さで手に出来る強さとは到底思えない。
ドラン自身がその年の頃、十年ほど前の自分と比べても異常に過ぎる。一体どれ程の修羅場を潜ってきたというのか。
「勝てなければ死ぬ。それだけだ」
ライシールドはこの大陸とは比較にならない過酷な地の開拓村で幼い頃から戦ってきたのだ。ドランとは始まりから違う。過程が違う。神器【千手掌】の影響もないとは言えないが、そもそもの地力が違う。
初めて魔物を倒したのは五歳。それからは大怪我や病気で身体が動かないとき以外は毎日戦ってきたのだ。戦わねば死ぬ。負ければ死ぬ。犯罪奴隷の子であったライシールドは、逃げることすらも死と同義であった。
まさに勝てなければ死が待っていた。常に崖を背に戦い続けた結果得た力であった。
「真理だな」
ライシールドの短い言葉の中に見える強さの意味に頷くドランの背後で、最後まで足掻いていた準上級の弓使いがヴィアーに蹴り飛ばされていた。苦痛の呻き声を上げ、気を失う。
それは試験官の全滅を意味し、同時に昇級試験の終了を告げていた。
構成上の都合で次回もライシールド編となります。
拙作をお読みいただきまして有難うございます。
17/09/01
表記間違いを修正
18/04/02
表記間違いを修正