第135話 取り残された者(Side:Rayshield)
また大分間隔が開いてしまいました。
申し訳ありません。
その異族は自らを無貌と名乗り、優雅に一礼した。顔面を構成するものが一切合切抜け落ちているので、表情を伺うことは出来なかったが。
「改めて挨拶させていただこう。私は無貌、君達物質界の住人が言う所の異族である。本名は君達には発音出来ないだろうから省略させていただくよ」
「お前の名前にさほど興味もないからな。どうでもいい」
「そうか。まあ確かに私の名前などどうでもいいな。私は君達に助命の嘆願をする立場だが、出来れば名前など教えていただけないだろうか」
──何かの罠かもしれないから、本名は避けて。
レインの警告を聞き、ライシールドは表情には出さずに脳内で首を傾げた。
(何かあるのか?)
──んー……。念のためと言うか……。
歯切れ悪く説明するレインの言うには、以前戦った異族、百目のピューピルとの戦闘経験から、異族は固有の特殊能力を持っているということが判っている。そして偽物のチャックが授かった能力の傾向から判断するに、目の前の異族無貌の持つ力は肉体を変化させる類いの可能性が高い。顔がないのが基本形で、任意の対象の能力を複写する、といったものの可能性もある。
逆に各種術式に対象の名称を起点に干渉する系統があり、対象物の変質や障害を付与する。その術式のように名前を知られることで不都合が生じないとは限らない。
(要するに名前を知られるだけで攻撃されるってことか。厄介だな)
──各種術式の方は術式発動の条件が厳しい上に膨大な手順と準備が必要で、ライが考えてるほど簡単じゃないよ。それに、異族の特殊能力ははっきりしてる訳じゃないし、最悪を想定しての用心だからね。
(そんなものか。そういうのはよく解らん。だからレインの言うとおりにしよう)
──それってただの思考停止じゃ……まぁ、信頼してくれているって思っておくよ。
ライシールドの返答に呆れて内心レインは肩を竦めた。
「ライだ。俺の名前だけでいいだろう?」
脳内会議を終えたライシールドは無貌に剣先を向けながら答えた。
「……ふむ。当たり前だが随分と警戒しているね。信用できないとは思うが、私にはもう打つ手はないよ。まさしく無抵抗」
強い警戒の空気を隠そうともしないライシールドの姿に、おどけるように無貌は両手を広げて無防備を示す。
「で、この忌々しい異族の処遇をどうするつもりじゃ?」
「面倒な話になったな……」
ライシールドからしたらこの異族に思うところがあるわけでもない。けしかけられたゴーレムも、状況が落ち着いた今考えれば大した障害でもなかった。むしろ神器【千手掌】への新たな登録や使用制限の存在、更には質量兵器ともとれる大剣の入手など利が多い結果となった。是が非でも命を取らねば収まらない、と言った決定的な損も恨みもなく、更には白旗を掲げ降参した無抵抗な相手を害するというのも後味が悪い。これ以上の被害が出ないのであればあえて殺すまでもない。
同行の二人を見れば、アティは異族に対して嫌悪にも似た視線を向けている。ああ見えてそれなりの年月を経た竜だ。憎悪を募らせるだけの何事かが過去にあったのだろう。対してヴィアーは特に思うところもないようで、興味無さげに欠伸を噛み殺している。
ここで問題となってくるのはこの異族無貌がこれからどうするつもりで、その為にどうしたいのかと言うことだけだ。
ライシールド達に降伏の意を伝えてきたとは言え、現実問題としてコルトブル家乗っ取りを画策した以上、社会的に無罪放免という訳にはいかない。捕縛して連れ出せば間違いなく命はないであろう。そういう意味では勢いのままに倒してしまっていれば後腐れがなくて良かったのだが。非常に面倒臭い問題を抱えてしまった。
「一度は敵対してきたことだし、斬って棄ててもいいんじゃないか? 誰からも異論はでないだろ」
「いやいやいや、そこは待とう。そんな物騒な思考は良くないと思うよ? 穏便にいこうじゃないか」
ライシールドが早々に投げやりな意見を提案したことにより、自らの命が風前の灯であると認識した無貌が若干の焦りを漂わせつつ再考を願った。
「どの口で宣うのじゃ。世界の敵対者の分際で」
無貌の文字通り命懸けの説得の言葉を、アティは鼻で笑った。なかなかに物騒な単語を含んだ侮蔑の言葉に、ライシールドは訊き返す。
「世界の……敵対者?」
「そうじゃ。こやつらは異界より来たりて災厄をばら蒔き、封じられし世界の蓋を抉じ開けて災禍を呼び戻さんと蠢く狂信者どもよ」
(そうなのか? レイン)
──間違ってはいない、かな。始まりの勇者の時代に暴れまわっていた『追放者』を崇める異界の民。『追放者』の眷属であり物質界を手中にせんと幾度となく現れた侵略者だね。
そう言うことなら話は違ってくる。世界に破滅を齎す存在であるなら、この世界の住人であるライシールドとしても見逃すわけにはいかない。
さらに言うなれば、ライシールドたちは今後大陸の封印を解くのだ。万が一があれば『追放者』の及ぼす災禍はこの大陸に止まらなくなる。救うべき者の居る地に災厄を招くような真似は決して認められない。
「生かしておいても厄介しかないな。よし、始末するか」
右手の牙の剣を握り直し、無貌へと一歩を踏み出す。特に気負った風でもなく、ただ目の前の害虫を始末するように無造作に振り上げる。
「いやいや、ちょっと待とう! 話を聞いてくれ! まず第一に私は深き御柱様方にこちらの世界へと御降臨頂くつもりはない。それに私の提案を聞くことで君達に塁が及ばないと約束するし、敵対行為と思われるような行動はしないと誓おう」
──深き御柱って言うのは、『追放者』の事だよ。
脳裏のレインの解説を聞きながらライシールドは振り上げた牙の剣を一旦下ろした。
「それをどうやって信用しろと?」
「私の自由を担保に差し出そう。これを使ってくれていい」
無貌が差し出したのは青い獣皮の首輪。中央に赤い宝石が嵌め込まれている。
「この首輪を嵌めた者の命令には逆らえない。服従をもって信用の証とさせてもらおう」
──申告通りの効果を持った隷属の首輪で間違いないよ。見た感じおかしな細工はないと思う。
差し出された首輪を見たレインの補足を受けて、ライシールドはそれを受けとり、無貌の背後に回り、首輪を嵌めた。
「さて、これで私はライ……ここは様を付けた方がいいのかね?」
「好きにしろ。話の腰を折るな」
「隷属の身に堕ちるというのも貴重な体験だ。折角なのでライ様と呼ばせていただこう。ライ様に絶対の服従を誓ったわけだが、これをもって私の言葉を信用していただきたい」
レインの見る限り、首輪は正常に働いている。それすら偽装であるならば、目に写る全てが虚偽である可能性を考えなければならない程度には信頼のおける情報である、と彼女は太鼓判を押した。彼女がそう言うのであれば、丸投げすると決めたライシールドにはレインの意見に否やを答える選択はない。
「で、その提案って言うのは?」
そもそも異論を挟む以前に、異族相手のやり取りがいい加減面倒くさくなってきたライシールドは投げ遣り気味に問うた。首輪の効果で無害化されたのであれば、警戒し続けるのも馬鹿馬鹿しい。
「私の一番の望みは異界への帰還。だが現状、私の持ちうる手段では不可能であるということがわかった。帰る手段を探すために有力者の立場を乗っ取ろうとも考えたが、君達がここにいるということはその計画も頓挫したと見ていいだろう。もう打つ手もない。故に自力での帰還は諦めて寝てしまいたい」
無貌の口から出てきたのは何とも覇気の無い返答だった。しかしその内容を要約するに、再び封印処置を施して欲しいということであり、自らを無力化する事を宣言しているに等しい。
「正直な話、私はこちらに来たくなかった。そもそも侵略や乗っ取りなんて非生産的で面倒な行為は馬鹿のすることだ。元々私は非侵略派に属していたしね」
無貌がこちらに連れてこられたのは戦闘要員としてではなく後方支援としてであった。異界の住人と言えども傷を癒し鋭意を養う拠点は必要であったが、こちらに渡った者は戦闘に特化した者が殆どであったためそうした拠点を整備する人材が不足していた。
「私の得意とするところは自動人形の製作と施設整備なのだよ。故に戦闘の経験も技術も持ち合わせてはいない。戦闘において私は役立たずでね」
拠点の補修や施設運用に自動人形は有用である。休憩を必要とせず、不平も不満も言わないのだから。無貌自身の持つ知識や経験もそういった方向に特化していたため、この施設は当時非常に重宝されたそうだ。
「侵略が阻止された際にこの施設も破棄された。この辺りは私たちに対抗する勢力が強い地域だったようでね。異界撤退の時に余裕がなかったため、私はこちらに取り残されてしまったという訳さ」
無貌にとって幸いだったのは地下の存在がばれていなかったことだ。施設全体を休眠化、自身も防衛機能も待機状態に移行させて地上を囮に息を潜めた。
そのまま死んだふりを続けていつか来るかもしれない異界からの救助を待つ為に眠りについたのだ。
「救助用の通路が崩落して、現地住民に私や施設が起こされてしまう等とは思いもしなかったよ」
戦闘能力が低いと悟られてしまうと身の危険だと判断し、餌や脅しで侵入者たちを操ったと言うことだった。施設の機能を使った観測では手持ちの手段では自力帰還は不可能と判断し、強引ではあったがコルトブル家を操って帰還の為の手段を模索しようとした。
帰還が成ればコルトブル家は解放するつもりであった。こちらに残りたいわけではないのだから。最終的に解放する予定である以上、現状回復を考えればあまり力業に頼るわけにはいかない。故に当主を精神的に弱らせ、その隙をついて中から籠絡しようと策を練っているうちに事件は起きた。
手駒が暴走したのだ。結果当主を殺しかけたと聞いたときは肝が冷えた。下手に害してしっぺ返しを食らうことを恐れての裏工作の予定が、恐ろしく直接的な実害を及ぼしたのだから当然ではあったが。
どうにか当主の一命は取り止めてくれたが、重度の障害が残った。乱暴な手段ではあったが、肉体の回復と意識を封じる薬を用意して当主の精神を乗っ取る計画に切り替え、最終段階に入ったところでライシールドたちにすべてひっくり返されてしまったというわけだ。
「結果はこの有り様な訳だ。慣れないことをすると陸な結果にならない」
「地上の遺跡の魔物はどう説明するつもりだ。あれの被害は相当なものらしいぞ」
「あれは私の制御下にあるわけではないのだよ。施設の復旧にともなって警備機構も立ち上がってしまってね。初期設定が破損状態で暴走しているんだよ、あれは」
施設敷地外へは出ることはない。暴走していても根幹をなす部分の制限は優先される。どうにか数名の通行許可を割り込ませることはできたが、それ以上の介入はできなかった。
「手出しさえしなければ無害ではあるんだよ」
ダンの言う地下の異界への門もはったりだと言う事だ。そもそもそんなものがあるならさっさと向こうに帰っている。
「まあ、それもライ様に倒されたことだし、地下を再び封印していつか来るかもしれない救助を待ちたい、と言うのが私の願いだね。
そもそも地上に私を受け入れてくれる場所などないだろう? 不可抗力とは言えこれだけの事をしでかしたんだ」
だからこその自身の封印。無期懲役に近い形をとるから勘弁して欲しいと言うことらしい。
「無論、用意できるだけの賠償をしよう。当時の備品で今も使えるものを見繕った。それなりの価値はあるはずだ」
薬品や魔道具が詰められた箱を差し出した。
「自分勝手な理屈ばかり述べよってからに。ライよ。判断は任せるが忘れるでないぞ。異族は世界の敵じゃ。生かしておく理由などないと思うがの」
それまで黙って話を聞いていたアティが吐き捨てるように棘のある敵意を放った。
──嘘をついているようには感じないけど。首輪も反応していないってことは抵抗の意思なしってことだと思う。
「あたしはどっちでもいいよ。ライが決めたらいい」
アティの発言を受けてそれぞれの意思をライシールドに伝えてきた。どう判断したものか悩む彼は、聞きそびれていたことを思い出す。
「お前、能力はなんなんだ?」
「能力……ああ、異能の事か。私の異能は擬態。姿や能力を模倣する」
ただし、と無貌は続ける。
「外見を真似するだけなら制限はないんだが、能力を模倣するとなると制約がある。自分自身の能力を超えることはできないし、一部能力を模倣先に合わせて上昇させると別の能力が劣化してしまう」
能力の貸与も出来るそうだが、その場合は外見模倣は同種族でなければならず、能力強化の倍率も低い。
──総量が決まっていて、その数値を足し引きする感じかな。偽チャックが同じ制約を持っているなら筋力に振りきったからその他の部分はお粗末になったんだろうね。
「元々能力の低い私にしてみれば、ちょっと便利な変装程度の細やかな異能だね」
隷属の首輪は嘘を許さない。首輪が反応しないと言うことは、語る言葉に嘘はないと言うことだろう。
「被害を受けた人間たちにしてみれば業腹だろうが、この辺を落としどころにしていただければ幸いだね」
賠償がわりの物品を預かり、これ以上の被害は出さないとの言質もとった。後はあの何を考えているのか解らない当主に事情を説明しておけばいいだろう。面倒な説明は頭脳労働担当に押し付ければ解決する事だろう。
最大の脅威である遺跡の魔物はもう居ないのだから、騒動が起こる前の状態に戻ったと言うことで手打ちとしてもらおう。
後はこの地に住む者たちでどうにかしてもらうしかない。ライシールドたちには騒動の原因も終結の責任もないのだから。魔物退治に異族の処理まで終わった今、これ以上関わっている暇はないのだ。
「……ここに引きこもると言うならもう好きにしろ。ただし、以後の責任は持たないからな」
話は通すが、絶対に誰も手出ししない保証はない。ライシールドはそれを監視するつもりもない。
「ああ、わかっているさ。用心はしておく」
「まぁ、手を出すと痛い目に遭う、位の脅しはしておいてやるよ」
どれ程効くかは判らないが、と続けるライシールドに、顔のない異族は肩を竦めて答える。
「十分だ。ありがとう、ライ様」
そして無貌は大仰な仕草で深く頭を下げ、ライシールドに感謝の意を伝えるのだった。
拙作をお読みいただきまして有難うございます。