第134話 繋がる想い(Side:Lawless)
特筆すべき事は何も起こらないまま、ローレスたちは無事首都へと辿り着いた。
組合に依頼完了の報告を済ませ、資料で調合法を再確認したローレスは採取した薬草の半分を消費して石化病治療薬を調薬した
無論完璧とはいかなかった。最初の内は失敗することも多かったが、二十回も調薬を続けると流石に慣れたのか危なげなく成功するようになった。
結果、それなりの数を用意することが出来た。後半の成功率の高さのお陰で少し多いくらいだ。
潜伏期間も考慮して事前に服用して発病を押さえ、かつ仏具【蓮華座】への登録も兼ねてローレスは薬を一本飲み干した。
「じゃあ、ちょっと行ってきますね」
貧民街に女性を連れていって余計な騒動を引き寄せることもないと、ローレスは一人で出向くことに決めた。子供が一人で彷徨くのも十分目立つが、彼一人なら技能を使えば回避もしやすいだろうという判断だ。
とはいってもローレスがはじめに向かったのは貧民街ではなく、少し草臥れてはいるがしっかりした造りの小さな建物だった。看板を見るに薬を扱う店舗のようだ。
「……ん? なんだ坊主。お使いか?」
店内には薬品の臭いが混じりあったような独特の香りが漂っている。ローレスは師事していた薬師を懐かしく思い出しながら、話しかけてきた中年の店主に返事をする。
「突然すみません。僕はローレス、一応冒険者です。スズリという少年をご存じですか?」
「スズリ? ああ、貧民街の坊主か。あいつならここ数日見ないな」
店主は冒険者組合に依頼を出さず、スズリたちのような働く術を持たない貧民街の子供たちから直接薬草を買って少しでも多く収入を得られるよう配慮していたらしい。
とは言え薬草自体の単価は安く、また店主にも生活がある。正しい採取の方法も知らず、有用な薬草とただの雑草の区別も曖昧な子供たちの持ち込む大量の不良品を前に、傷付けずに採取する方法を指導し、必要な部位がどこかを教え、いくつかの薬草の見分け方を叩き込んだ。そうして技術と知識を得て最低限稼ぐ術を得た子供たちの大半は、より収入を得られる組合へと納品先を変え、稼ぐ手段を変えて貧民街を出られる職を手に入れていなくなってしまう。
そんななかスズリは変わらず薬草を集めては売りに来ていたそうだ。店主の教えを吸収し、早い段階から状態のいい薬草を採取してきたので、きっと直ぐに姿を見せなくなるだろうと考えていた。
しかし予想に反してスズリは数日に一度必ず顔を出した。不思議に思った店主はその理由を訊いた。
スズリは母親が臥せっているのであまり貧民街から離れられない事、石化病のせいで人の多いところでは迫害されがちな事等、その理由を話した。
「だからまぁ、急に姿を見せなくなって心配してたんだ。最近のあいつはちょっとおかしかったからな。坊主が何でスズリを探してるのか知らんが、あいつの居場所を知りたいのはこっちの方さ」
スズリの様子が変わったのは二月ほど前の事だ。ただでさえ寝たきりで衰弱している母親が石化病に冒されたようで、抵抗力が落ちている母親はあっという間に悪化した。治療薬を手に入れられないかと相談を受けた。
「しかしな、間が悪いことに首都全域で発病が頻発したみたいでな」
首都内の薬はほとんど買い占められてしまい、残った在庫も騒動に便乗して随分と価格が跳ね上がった。スズリが用意できる資金では到底届かない。
主原料である薬草は暖かい時期にしか採取できないので、今の時期にはなかなか手に入らない。在庫として抱えている店舗も無いことはないのだが、それらもほとんど買い占められてしまっている。
更に間が悪いことに、貧民街でも石化病は蔓延していて、店主がいざというときのために確保しておいた薬も治療に使ってしまった後だったのだ。
「俺も若い頃は自分で採取行ったりしてな。その頃見つけた徒歩だと若干離れた場所に、冬場でもその薬草が取れる所があるんだが……」
貧民街の、ましてや子供が一人で辿り着くことは出来ない。かといって護衛を雇うだけの金などない。そもそもそれだけの資金があれば、割り増し料金でも二、三本の薬が買えるだろう。
「俺が代わりに行ってやりたいところだったんだがな。この有り様じゃあな……」
仕切り台の向こうから出てきた店主の右足は、膝下から先が木製の義足になっていた。採取に行った際、魔物に襲われて食い千切られたそうだ。たまたま通りかかった者に助けられて一命をとりとめたらしい。
「とは言え、薬の不足は問題だからな。放置していい問題でもないし、知り合いの薬師に声をかけて護衛代金を募って、薬草を採取に行くことになってたんだ」
何度か様子を見に行った限りでは、スズリの母親の病気の進行は落ち着いていた。間接部に硬化が見られたので寝たきりなのは変わらないが、まだ猶予はあった。
貧民街全体の発症者も概ね似通った病状だった。護衛を雇って薬草を取りに行くだけの時間は十分ある。
「それでも不安そうな顔しやがるから、薬草の性質と冬場に生えている場所の事を教えてやったんだ」
薬草が寒気に弱いこと。店主の知る特殊な環境の地では冬場でも一定の暖気で護られた薬草が生育していること。具体的な採取場所は教えなかったが、往復と採取でも数日の行程だから、調薬にかかる時間を足してもそれほどかからないこと。
それらを説明してスズリの不安を取り除いてやった。
「周囲が常に暖かい空気で包まれた不思議な大木の話をしたときに、衝撃を受けた顔をしてたのは妙だったがな。やけに深刻な表情をしてたが、一人で無茶なことをするほど馬鹿なガキじゃないだろうと思っての事だったんだが……」
余計なことをしちまったかな、と呟いた店主の顔には後悔の色が浮かんでいた。スズリが姿を見せないと言うことは、そういう事だと察したのか。
おそらくスズリは店主の話を聞いて、自分の帰る場所を思い出したのではないだろうか。
情のある母親役の女性が助かる筋道はすでに出来ている。後は自分が在るべき場所へ帰れるかどうか。
ローレスが手を貸したことで、結果として上手く事が回った。しかしそれは随分と細い糸の上を歩いていたのだと今なら判る。一歩間違えば全て失われていたかもしれないのだ。
依頼がなければローレス達は森には行っていないし、スズリは森に帰ることはできなかっただろう。そしてローレス達が森に行かなければ、休眠から目覚めた屍体使いが屍体と共に採取に訪れた店主たちを襲ったに違いない。
そうなれば薬草の採取はならず、上手く逃げ延びられたとしてもその後スズリの帰還を待ちきれずに、痺れを切らせた異族は首都を襲い、結果少なくない被害が出た可能性もあった。
しかしそれは、あったかもしれない可能性にすぎず、全て終わったことだ。
「まあそういうわけで、スズリの奴がどこにいるのかはわからんよ」
「えっと、すみません。スズリが居ない事は知ってるんです。僕は彼から依頼を受けたものです」
話に割り込む隙が見つけられずに、店主の話に区切りが着いたことでやっと本題を口に出来た。スズリの知り合いの薬師を探して入った店で、いきなり事のあらましを説明されるとは思わなかったのだ。
店主はローレスのその言葉に怪訝そうに眉根を寄せる。
「依頼?」
「はい。これを」
仕切り台の上に薬草の束をのせた。調薬済の薬瓶もその隣に並べる。
「……こいつは」
店主の目が大きく開かれる。それも当然というものだろう。先程話に出たばかりの、現在入手困難な薬草が目の前にある。価格が高騰している薬が置かれている。それもどちらも大量にだ。
「組合の依頼としてスズリの護衛を受けました。その際に彼からお願いされたのが貧民街の石化病の治療。薬草の何割かは僕が調薬させていただきました」
薬草の総数はあえて暈した。万が一薬が足りないとなったときに、仏具で複製したことを誤魔化すためだ。薬草の総数が判らなければ薬の数も判断しにくいだろう。
「……依頼って。あいつは護衛依頼を出すほどの資金は持ってなかったはずだが」
「その辺は秘密ということで。僕も損はしていませんし」
「……坊主が納得してるんならいいけどよ」
あまり納得していない顔の店主に、ローレスは困ったような表情で笑う。説明する訳にはいかない事が多すぎる。
「僕からも質問させてもらっていいですか?」
「なんだ?」
「おじさんは、何でそんなに貧民街の為に行動するんですか?」
小さいとは言え店舗を構える事が出来るような身分の人間が、貧民街の住民ににここまで肩入れする理由が解らない。薬の主材料である薬草の採取にしたって、わざわざ貧民街の住人を雇わなくても入手手段はいくらでもある。
手間暇かけて育成し、成長してもずっと店のために採取をしてくれる訳でもない。店主に利があるようには思えない。
「得なことなんかないさ。そもそも損得でこんなことやってる訳じゃねぇしな」
肩を竦めて店主は続ける。
「自分の故郷を少しでも良くしようって、それだけの事さ」
店主も元々は貧民街の住人だった。貧民街を脱け出せた先人たちの助けを受けて、自分もこうして店を構えるまでになれた。ならば自分も先人にならい、抜け出すためのきっかけを与える側になろう。
脱け出した全員が成功する訳ではない。何人も失敗して出戻った奴を見ている。無茶をして命を落とした者がいる。
しかし、生まれを呪い貧民街で腐っていくだけの人生よりはましだ。無論強制はしない。そうして生きる方が楽だと言うならばそうすればいい。
ただ掬い上げるための手を掴む者にはきっかけを与えてやりたい。
自分が、それを希望と思えたから。
「ま、俺はへまやって足を駄目にしちまったけどな。それでも出来る事はある。いつかそれが実を結ぶこともあるだろうさ。勿論俺の生活第一だけどな」
照れ臭そうに笑う店主を見て、ローレスは眩しいものを見るように目を細める。
伝えることは出来ないが、店主の想いが多くの貧民街の住人を救い、巡り巡ってスズリとローレスを引き合わせ、異族の襲撃を阻止し、病を駆逐する結果を得たのだ。
店主を引き上げた先人たち。店主が引き上げた子供たち。そうして受け継がれてきた想いは様々なところで芽を出し、今回は目には見えないが確かに結実したのだ。
ここにスズリが居ない事が寂しい。仕方がないことだったとは言え、残念だった。
「この薬と薬草で足りなければ、まだ在庫はありますので言って下さい。春までは首都に滞在する予定ですので」
「これだけあれば貧民街のみんなの治療にゃ多分十分だろう。明日から早速回ってくる。ありがとうな」
「いえ、スズリの頼みですから」
山に入れるようになるまでの期間は、細かい依頼や訓練に当てるつもりでいたので時間に自由がきく。
手伝いを申し出るも、店主はやんわりとそれを断る。
「薬草と薬で十分だ。これ以上手伝わせたら、恩を返しきれねぇよ」
薬草と薬を数え、相場の代金をローレスに渡してきた。
「代金なんて要らないですよ。友達の頼みに応えただけですから」
「そんなわけ行くか。代金は受け取ってくれ。俺もみんなから少しずつでも回収する。それよりも坊主、いやローレスは貧民街の人間を友達と言ってくれるのか」
貧民街の住人を人としてすら見ない者が多い中、人間扱いどころか友と言ってくれる者などそうそう居ない。店主はそれを身を持って知っている。だからこそ店主は貧民街の住人が這い上がるための手伝いをしている。
「それにどうせスズリの奴も帰ってるんだろ? 他にも何人か薬草売りに来てる奴らにも手伝わせるさ」
「あー……、スズリは戻ってきていません」
ばつの悪い顔でローレスは歯切れ悪く答えた。店主の眉間に皺が刻まれる。
「……何?」
「スズリはちょっと特殊な事情でこちらに帰ってくることは出来ませんでした」
「……死んだのか?」
ローレスが帰って来て、薬草も薬もあるのにスズリだけが居ない。悪い予感しかしない。
その空気を察して、ローレスは勤めて明るく話を続ける。
「元気ですよ。怪我ひとつないです。病気も治っています。心残りは自分の手で薬を届けられないことだと。詳しくは説明出来ないのですが、今は家族と一緒にいます」
自分で口にしながら、我ながら説得力のない事を言っていると内心で溜息を吐く。だが流石に話せるような内容でもない。
そんなローレスの内心を知ってか知らずか、店主は元気という言葉に胸を撫で下ろした。
「そうか。元気でやってるならそれでいい。何か言えないような事情でもあるんだろ?」
「すみません」
「死んでなきゃどうとでもなるさ。いつか会えるかもしれないしな」
貧民街の母親と血が繋がっていないことは知っていたらしい。スズリ以外にも何人か女性の下で暮らしている子供がいるそうだ。
女性はスズリの事も、他の子の事も判別出来てはいない。ただ子供というだけで愛情を注ぐのだという。
「心は壊れちまってるけれど、あの人は母親なんだよ。ずっと、子供がいる限り」
母親がいない子供は多い。無論父親がいない子も、どちらもいない子も。
そんな貧民街の子供の母親役が彼女であり、父親役が店主であった。
「貧民街の事は任せてくれ。どうにでもなる。それよりも、今度暇なときにまた顔を出してくれ。個人的に礼がしたい」
「お礼なんていいですよ。スズリとの約束だっただけですし。そもそも薬草と薬の代金もきちんと頂きましたし」
スズリの望みは貧民街のみんなを助けること。その望みの対価として悪食の胃袋を貰っている。その上、店主から報酬を受けとるというのは貰いすぎに感じてしまう。
「馬鹿言え。こんだけしてもらって、スズリの想いまで届けてもらったんだ。何もなしなんて出来るか」
店主はローレスに門外不出の調薬製法をいくつか教えると告げた。今のところ跡を継ぐ者も居ない。このまま廃れさせるくらいなら役立ててほしいと言われては、断れない。
「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「おう。甘えろ甘えろ。他にも俺が教えられることがあれば全部教えてやる」
どうせ山に入れるまで時間はあるのだ。ついでに貧民街での治療も手伝わせてもらおうと決めるローレスだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。