第129話 百足討伐(Side:Rayshield)
用事が立て込んでいて投稿が遅れました。申し訳ありません。
ライシールドが百足の魔物の体を駆け上がるのを見て、ヴィアーの心臓が跳ね上がった。
確信はない。何の予兆もない。しかし感じ取ってしまった。
それはライシールドの死の予感。漂ってくる負の臭いにヴィアーは顔を顰める。
「駄目だ!」
このままではダキニのように、ヴィアーの前から居なくなってしまう。杞憂かもしれないが、彼女の感覚はずっと警鐘を鳴らし続けている。ライシールドに災厄が降りかかる。そんな予感が止まらない。
「ククル! あたしも行くよ!」
まだ全快とはとても言えない。全力で戦える時間も短いだろう。だがそれがどうしたと言うのか。
今動かなければ大事な人を失ってしまう。
「ヴィアーさん!? どうしたんですか!?」
ククルの制止を振り切り、ヴィアーは百足の魔物に向かって走った。ライシールドに手が届かなくても、近くまで辿り着ければ出来る事がある。
「嫌だよ! あんな思いはもう嫌なんだ!」
ヴィアーは失う恐怖に怯えながら、ただひたすらに走った。
「ライ様! ライさまぁぁぁぁぁっ!」
ロシェの悲痛な叫びが辺りに響く。彼女の目に写るのは鎌に貫かれたライシールドの姿。
そして、ライシールドが掻き消える。左の鎌はそのまま空を切り、右の鎌がヴィアーの腹に突き刺さる。
「どうなってますの……!?」
ライシールドが致命傷を受けたと思ったらその姿が消えて、代わりにヴィアーが鎌の餌食になっている。ヴィアーは血を吐きながらもうっすらと笑みを浮かべる。
「ライ……間に合って……よか」
ヴィアーの視線の先には、呆然としたまま立つ無傷のライシールドの姿があった。その姿を確認したヴィアーは腹部から鎌を引き抜かれ、血を吹き出す腹を押さえながら頽れた。
「ヴィアー!」
──ライ! 腕を装填し直さないと駄目だよ!
先程、鱗熊の腕で窮地に立ったのだ。このままあそこに戻っても同じ轍を踏むだけだ。
それに今必要なのは戦う腕ではない。
「判ってる! 無限の捕食腕」
しかし、ライシールドが選んだのは軍隊蟻の腕。無数に開いた顎をガチガチと鳴らし、ライシールドはヴィアーの元へと走る。
「あの鎌も何もかも喰らい尽くしてやる!」
『アティ姉様が援護します! ヴィアーさんを私のところに連れてきてください!』
風がククルの切羽詰まったような声を運ぶ。だが憤怒と悔恨に支配されたライシールドは走りながら首を振った。
「アティにヴィアーを運ぶよう伝えてくれ。俺はこいつをぶち殺す!」
──ライ! それは違う! ヴィアーさんを一番早く安全なところに連れていけるのはライなんだよ!
事実、ライシールド自身が速度特化の腕でヴィアーを連れ戻り、ククルに預けている治癒薬を使用するのが一番である。万能とも思える治癒薬だが、効果が現れるまでに暫く時間が掛かる。例え僅かな時間でも、危険な場所で意識を失ったままで居させるわけにはいかない。この戦場でもっとも安全な場所はククルの居る場所だ。だからこそ治癒薬を預けているのだ。
だが怒りに我を無くしたライシールドは、その怒りのままに魔物を屠ることしか考えられずにいた。
──まだヴィアーさんは生きてる! まだ、まだ間に合うんだよ!
ライシールドとレインは魂に紐付けられた存在同士である。それはある意味自分自身と言える。そんな存在の声が心に届かないはずがない。
噛み締めた奥歯がミシミシと音を立てる。怒りを圧し殺し、ライシールドは軍隊蟻の腕を霧散させる。
「翅脈の腕!」
速度特化の蛇腹の腕を装填する。人の身を越えた速度で倒れ伏すヴィアーの側まで辿り着くと、ヴィアーに追撃を掛けてきた鎌の腹を牙の剣で叩いて軌道を逸らせる。
「ちょっと待ってろ。すぐに戻ってくる」
低く圧し殺した声でそれだけ言うと、ヴィアーを横抱きにして魔物の背から飛び降りる。
「レイン、よく俺を止めてくれた。あのまま間違えていたら、また俺は失うところだった。ありがとう」
──何いってるのさ! 私はライの一番の相棒なんだよ? ライの為だったら何度だって止めるよ!
そんなレインの言葉に感謝しつつ、ライシールドは魔物がこちらに向けて来る敵意を警戒する。
ライシールドの宣言を理解出来なかったのか、理解した上で無視したのかは判らないが、魔物に背中を見せて無防備なように見えるライシールドの背に鎌を振り下ろす。
ライシールドは迎撃のためにちらと背後を見て、その心配が不要だということを知った。
「させぬよ!」
甲冑姿の魔物の背後から鎌の柄に炎を纏った鞭が絡み付く。結構な勢いで振り下ろされていた鎌の動きが止まり、ライシールドは無事に着地した。
「悪い。アティ、少しだけ頼む」
先ほど振り向いたときに、ちょうどアティが甲冑姿の魔物の背後に辿り着いたところだった。ライシールド自身が回避するまでもなく、甲冑姿の魔物はすでに彼女の攻撃範囲のなかに居たと言うわけだ。
「任せるがいい! さて、ライが戻るまで暫し遊ばせてもらおう!」
甲冑姿の前に立ち、アティは不適に笑う。彼女の身体から立ち上る竜の気配に甲冑姿は逡巡したように鎌を引いて、警戒するようにアティに向けて鎌を構える。
アティをライシールドよりも上位の脅威と認め、甲冑姿は彼女を次の標的と定めて無傷の左鎌を降りあげる。左の鎌を上から振り下ろし右の鎌を横凪ぎに振るう。
アティは振り下ろされる左の鎌を受け止めようと右手を掲げ、左腕を横凪ぎに来る右の鎌の軌道に合わせて防御の姿勢を取る。
「人の似姿なれど、我の身は竜よ。たかが虫けらの爪ごときに傷付けられると思うでないぞ」
右の鎌は彼女の腕に阻まれて止まり、左の鎌は掌に僅かの傷すら付けることは出来ていない。受け止めた右手を無造作に握り、鎌はそれだけでひび割れ、その刃を毟り取られる。
「我とて仲間を傷付けられて些か腹が立っておる。じゃがお主はライの獲物じゃ。ライが戻るまで、我と暫し踊るがいい」
毟り取った刃の欠片を投げ捨て、アティは嗤笑の声を上げた。甲冑姿は毟られた鎌に頓着する余裕もないようで、蟷螂のように両方の鎌を自らの胸元に引き戻すと、ゆらゆらと体を揺すって警戒の構えを取った。
「さあ、我を退屈させるでないぞ? うっかり殺してしまうかもしれん」
腕を組んで再び振り上げられた鎌を見やり、アティは不適な笑みを浮かべた。
ライシールドの危機に、彼女は狐族幻惑を発動した。本来は己の姿を別の何かと写し変え、己の身をその何かと移し代える緊急避難の術式である瞞しの影を逆の形で行使したのだ。ライシールドの姿を纏い、その位置を交換した。降り下ろされる鎌はとっさに身を捻って交わしたが、ライシールドが押さえていた右の鎌は避けきれず、腹に深々と突き刺さった。
ライシールドの無事な姿にほっとした途端、緊張の糸が切れて痛みと失血で意識を失ったはずだった。
「……あれ?」
意識を取り戻したヴィアーは、はっきりしない頭で腹部に感じていた熱のような痛みが無くなっている事に気が付き、ついで自分が誰かに抱えられている事に気付いた。
見上げればライシールドの顔があり、その表情は泣きそうでもあり、怒っているようにも見えた。
「大丈夫か?」
感情を圧し殺したようなライシールドの声に頷くと、彼は深く息を吐いてゆっくりとヴィアーを下ろした。
「ライ、無事でよかった」
「……あれは完全に俺の判断が間違っていた。何をしたのかは判らんが助かった」
だが、とライシールドは低い声で呟いた。握った拳がミリと音を立てる。
「あんな真似はもうやめてくれ。身を犠牲にするな。俺ももっと気を付ける。だから約束してくれ」
泣きそうな顔のライシールドに優しく微笑み、ヴィアーは答える。
「約束なんて出来ないよ。あたしはライが危なくなったら何度でもこの身を差し出す。ライが居なくなったらあたしはどっちにしても生きていけないからさ」
だから。
「あたしが手を出さなくても良いように頑張ってよ」
「……無茶な注文だな」
窮地に立つなと言うことは、後ろ向きに考えれば戦うなと言う意味だ。だがヴィアーの言う意味はその真逆。戦ってなお不利を背負うなと言うことだ。何とも難しいことを言ってくれる。
「そうだな。俺の目指す場所に辿り着くためには、そのくらいでちょうどいいか」
「ライに置いていかれないよう、あたしも頑張るよ」
ライシールドは蛇腹の腕を霧散させると、再び軍隊蟻の腕を装填する。ヴィアーが手甲から半透明の爪を生やすのを見て、手を翳して制止する。
「少し休憩していてくれ。ヴィアーの手を煩わせるまでもない」
百足の魔物を見る。その頭部では牙を盾で弾き、剣で牽制するロシェの姿が、背の上では振り回される鎌を時に交わし、時に受けながら時間を稼ぐアティの姿があった。
「軽く潰してくる」
「うん。お言葉に甘えさせてもらうよ」
ヴィアーは駆け出すライシールドの背中を見送った。
『ライ様、ちょっと時間が掛かり過ぎてるかも。眷族がいつ出てきてもおかしくないかも』
「アティにロシェの補助に付くように言ってくれ。鎌の方は俺が始末を付ける」
『解った……ライ様、気を付けてね』
ククルの気遣うような声に「心配かけて悪かったな。もう大丈夫だ」と勤めて穏やかな声で答える。
目の前でアティがライシールドに片手で合図を送りながら、鎌を蹴り上げて甲冑姿を仰け反らせ、ロシェの方へと飛び降りる
入れ替わるようにライシールドが甲冑姿の前に立つ。甲冑姿も体勢を整え、双方の視線が交差する。
「待たせたな。心置きなく喰らい尽くしてやるよ」
ガチガチと顎を鳴らして、軍隊蟻の腕が獲物を求めて騒ぎ出す。右手で牙の剣を抜くと、左手を前に構えて一歩出る。
甲冑姿は右の鎌を振り上げ、左の鎌で体を隠す。ライシールドはさらに一歩、甲冑姿に近付く。鎌の間合いに足を踏み入れた途端、振り上げられた鎌が振り下ろされる。
「まずはその鎌をいただくぞ」
ライシールドは軍隊蟻の腕で鎌を迎え撃つ。拳の代わりに生えた蟻の顎を右の鎌と真正面から打ち付け合い、鋭い刃物同士がぶつかるような不快な音が響く。
幾筋も罅割れが走り、無数の刃こぼれを起こしていた鎌が、傷一つ無く鋭く硬い軍隊蟻の牙に噛みつかれては耐えられる道理がない。バキン、と硬いものが割れ砕ける音を立てて、鎌は粉々に砕け散った。
「まず一つだな。どうした? 来ないならこっちから行くぞ」
よほど自分の鎌に自信があったのだろう。竜の気配を纏った強者と違い、先程の相対で殺す寸前まで追い詰めた小さな人族が、自慢の鎌を打ち砕いたのが信じられなかったようだ。戦闘中にも関わらず、砕け散った自らの鎌を不思議そうに見つめる甲冑姿へと、ライシールドは無造作に距離を詰める。
慌てたように左の鎌を引き上げようとするが、既に軍隊蟻の牙が届く位置だ。退く速度より掴む速度が勝り、アティが毟り取った刃の後のさらに内側に軍隊蟻の牙が突き立つ。鋭い牙が食い込み、脆くなっていた鎌はその刃の半ばでまっぷたつに折れた。
「冷静に考えれば、棲家に入り込んだ侵入者である俺達を攻撃してくるのは当然だよな。だが俺の仲間を傷付けたんだ。相応の対価を支払ってもらうぞ」
魔物の立場からしたら随分と勝手な言い分だが、お互い意思の疎通は出来ていないので伝わることもなく。
両腕の鎌を失った甲冑姿は攻撃も防御も術無く、人族の胸に相当する部位を軍隊蟻の腕に貫かれ、苦悶の呻きをあげた。
「喰らい尽くせ」
ライシールドの命令に従って、腕に数えきれないほど発生した大小様々な軍隊蟻の顎が一斉に牙を剥いた。
ぎゃうぅぅぅぅぅっ!
内から貪り喰われる痛みに絶叫し、甲冑姿は半ばまで失った腕を出鱈目に振り回してライシールドを殴る。
力が強いとは言え至近距離から考えもなしに振り回される攻撃に怯む訳もなく、冷静に右手の牙の剣で受け流し受け止める。
その間にも胸部に潜り込んだ軍隊蟻の腕は魔物の体内を喰い千切り、喰い破る。魔物の抵抗も徐々に弱く、緩慢になり、やがて力無く項垂れるようにして動きを止めた。
──神器に災厄断つ鎌が登録されました。
「何?」
神器【千手掌】に登録されるのは魔核を持つ魔物をライシールド自身が倒す事が条件である。しかし甲冑姿の機能は停止したようだが、その下半身とも言える大百足の体は活動を停止していない。つまり今だ倒しきれてはいないと言うことだ。
──この魔物は二体で一体の魔物だったみたいだよ。
登録された腕の情報を元にレインが推測するに、この二体が雌雄の関係だと仮定すると筋が通るようだ。雄である甲冑姿の魔物は下半身を半ばまで雌である大百足の体に融合させ、生命活動の全てを依存する寄生のような形をとっている。
レインの神域の知識の残滓には深海等の生存困難な地に生息する生き物にこのような生態を持つ生き物が存在するという情報があった。過酷な環境に棲むものにとって、出会うということそれ自体が得難き僥倖であり、次に出会えるかが判らない以上、死ぬまで共にあることが最も効率がいい。
この大陸の魔物にそれと似通った生態を持つものは確認されていない。この大百足の魔物は元々そうした環境に生きる生き物が変化したものなのか、この遺跡に潜む異族が異界の過酷な環境下から連れ出したものなのかは判らないが、このような特異な生態を獲得するに至った何かがあったということだろう。
「災厄断つ鎌」
ライシールドが登録されたばかりの鎌甲冑の腕を装填する。彼の左手に折り畳んだ状態の蟷螂の鎌を思わせる黒い腕が現れる。手首に相当する部位には三本の小さな指がついているが、物を掴んだりする用途には不向きで、何かに掴まったりといった程度にしか使えそうもない。
ライシールドは付け根から計って二メル程はある漆黒の鎌を展開すると、無造作に目の前で力無く項垂れている甲冑姿に斬り付けた。
牙の剣ではあれだけ苦労した甲冑姿の腕が抵抗もなく斬り飛ばされる。そのまま胴の部分を輪切りにして刃が反対側に抜ける。
「この鎌甲冑は倒せたとは思うが、大百足と融合しているのなら復活しないとも限らないからな」
──無いとは思うけど、こうして切り離してしまえば万に一つも回復はないだろうからね。
切り離された胴体をさらに斬り刻み、再び鎌の刃を収納する。
──これだけ念入りにやっておけば多分大丈夫だと思うけど……。
『ライ様! 大変!』
風に乗ってククルの緊迫した声が上がる。
「加護聖印:麻痺! 守護の砦!」
慌ただしく神術を発動する声が上がる。ロシェが大百足の吐く麻痺毒の吐息を盾と術式でどうにか耐えている。避けること無く足を止めて堪えていることを疑問に感じたライシールドだったが、彼女の足元を見て解答を得て駆け出す。
『百足の眷族がロシェさんに絡み付いています! 早くなとかしないと、ロシェさんが危険です!』
無数の百足の眷族がロシェの足に絡み付き、彼女をその場に縫い付けている。彼女の周りだけではない。大百足の周囲を十セル前後の百足が埋め尽くしていた。
アティが炎を周囲に撒き散らして百足を減らしてロシェを救いだそうとするが、数が多すぎて倒して空いた隙間が直ぐに埋まってしまい、彼女の元まで辿り着くことが出来ない。強引に突き進めばロシェのように絡め取られてしまうだろう。
「ククルは風の竜魔法で援護を! ヴィアーは百足どもにククルの竜魔法の行使を邪魔されないように護衛を頼む! アティはそのまま数を減らしてくれ。俺がロシェの助けに入る!」
漆黒の鎌の腕を霧散させる。
「空穂の腕!」
蔓の腕を装填するとロシェの周りに蔓を伸ばし、彼女を百足ごと強引に引き揚げる。大百足の背中に下ろすと、蔓の腕を霧散させ、火蜥蜴の腕を装填する。
「ロシェ、少し熱いが我慢してくれ」
百足に塗れたロシェが頷くのを見て、ライシールドは腕の火力を上げて彼女に絡み付く百足を焼き払う。
「さすがに駄目かと思いましたわ……ライ様、ありがとうございます」
「こっちこそ手間取ってロシェに負担をかけてしまってすまなかった」
鎌の無力化に予想以上に時間がかかってしまった。眷族の出てくる前に片を付けるつもりだったが、間に合わなかった。
「終わりにするぞ」
大百足の魔物はアティに注意が向いている。全力で眷族を焼き払う彼女が一番の脅威だと錯覚したようだ。
「災厄断つ鎌」
漆黒の鎌を装填する。展開した刃を振り上げ、振り下ろす。大百足の体を貫いた鎌をそのまま振り抜いた。
抵抗無く斬り開かれ、大百足の魔物は左右に裂け、その活動を停止するのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回は03/11に投稿予定です。
07/02 単語の抜けを修正。