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第127話 護る者、壊す者(Side:Lawless)

諸事情でしばらく金曜投稿にさせていただきます。

投稿日が安定しなくて申し訳ありません。

「あっぶなかったーっ!」


 ローレスの心臓がばくばくと激しく鼓動し、全身から冷や汗がどっと噴き出した。スズリを抱え込んだまま暗い下り道を転がり落ち、平坦な床の場所に投げ出されてようやく止まることが出来た。


「一か八かの賭けだったけど、上手く逃げ切れた……綱渡りの連続だったけど……」


 猫耳少女が飛びかかった瞬間、ローレスは不可視(インビンシブル)の盾(シールド)を発動、展開させていた。見えざる盾は十全にその機能を発揮し、人族の胴体など布切れを引き裂くがごとき強力な一撃をすら無効化した。

 手傷は負わなかったがそのまま突っ立っていては二撃目が来る。そうなった時、今度は防ぐ手だてがない。そう考えたローレスは攻撃を喰らって吹き飛んだように見せかけて、スズリの近くまで自ら飛び退いた。

 気を失った振りをしてスズリの足元に転がり、こっそりと小細工を始めた。革の小手の裏側を改造して作った収納に納められていた魔剣寸刻砕(スキップモーメント)の留め金を外し、左手に隠し持った。右手には治癒薬を複製し握り締めた。

 穴が開いた瞬間、飛び掛かってきた猫耳少女の爪がスズリに迫った。その凶刃が届く寸前、ローレスは目前のスズリの足に魔剣を突き立てた。

 想定外だったのはスズリの足に突き立てた刃が硬質の何かに阻まれ弾かれた事。目の前でスズリの胴体が凪ぎ払われ、ガリガリと何かが削れる。その衝撃でスズリは木の幹に開いた穴の前に倒れ込んだ。それ以上の追撃を邪魔するためにローレスは遮蔽幕シールディングカーテンを多重発動、外側には内側が見えない従来のものを、内側には外側が見えないよう効果を逆転させたものを発生させて視界の阻む遮蔽空間を構築した。

 自然魔術(ナチュラルミーンス)の発動にローレスの無事に気付いたか、スズリが退避を叫んだ。その声に弾かれるようにローレスは立ち上がり、スズリに飛び付くと勢いのままに木の幹に空いた穴に飛び込んだ。

 背後で出鱈目に爪が振るわれ続ける音が響く中、ローレスはスズリを庇いながら暗闇を転げ落ちて今に至ると言う訳だ。


「そうだ! スズリ! 怪我は!?」


 仰向けに倒れるローレスに覆い被さるようにして目を回しているスズリを横に下ろし、切り裂かれた衣服の下の傷痕を確認する。


「え? 傷がない?」


 不健康そうな青白い肌が覗いている。傷一つ見当たらない素肌が。


「ローレス、焦っていたのは解るけど、もうちょっと考えてくれよ。痛くて敵わない」


 頭を振りながらスズリは愚痴りながら立ち上がった。衣服はボロボロになっているが、怪我らしい怪我はしていないようだ。


「ああ、不思議そうな顔してるね。()()が完了した今、俺を傷つけるにはあの程度の攻撃じゃあ足りないさ」


 言いながら暗闇を奥へと進む。途中「点灯」と言えば周囲の壁や天井が光り出し、「換気」と言えば風の流れが発生して埃っぽい淀んだ空気が清浄なものへと入れ換わる。

 照らし出されたのは十メル(メートル)程の大きな部屋。半球状の丸天井(ドーム)は穴一つ、傷一つ無い。転がり落ちてきたはずの穴すら見当たらなかった。

 そして中央には不思議な光沢の見たこともない材質で作られた円筒形の台座の上に真っ二つに割れた水晶球が置かれていた。


「こいつに負荷が掛かって割れたのか。経年劣化で抵抗値が上がってたみたいだし、ついでに古いのをいくつか代えておいた方がいいかな」


 スズリは「六番十二番三十二番取り出し(イジェクト)、廃棄」と告げると、割れた水晶球を乗せた台座の上部に穴が開き、破損した水晶球を収納して閉じた。床の何ヵ所かから同様の柱が伸び、乗せられていた水晶球が同じように廃棄された。


「予備棚」


 足元から水晶球が幾つも仕舞われた棚が()り上がってきた。スズリは棚から水晶球を取ると柱の上の台座に補充していく。


「作業終了。これで元通りだ」


 最後の台座に水晶球を乗せて押し込むと、全ての台座がそのまま床の中へと消えていった。

 台座が完全に床に飲み込まれ、それに連動するように棚が収納されると、今度は部屋の中央に円形の机が迫り上がってきた。その上には高い塔とその周辺と思われる山野を形作った模型が設置されていて、四方に四色の光る宝石が嵌め込まれていた。

 スズリが南側の黄色い宝石の前、一段高くなった場所に立つと宝石に触れる。すると台座の模型の三方に配置された宝石から声が上がる。


『あ、スズリ。ようやく戻ってこれたのね』


「ああ、アウストリ。ただいま」


 スズリと同年代と思われる幼い声。スズリは東側の赤い宝石を見て答えた。


『スズリちゃん、お帰りなさい』


「ヴェストリ姉さん、ちゃんは止めてって言ってるだろ」


 妙齢の女性のような優しげな声。スズリは西側の緑の宝石を見て答えた。


『スズリ。()()()んだな?』


「うん。ノルズリ兄さん。もう大丈夫だ」


 頼り甲斐のありそうな力強い男性の声。スズリは北側の青色の宝石を見て答えた。

 事態に思考が追い付かず、ローレスは呆然と目の前の光景を見ていた。まずこの部屋の造りが今まで見てきたものと比べてあまりに異質すぎることに驚き、次いでその模型の精巧さに驚き、最後に説明も紹介もなく始まった会話に驚いた。


『ところで、そちらの少年は何だ?』


 青色の宝石、ノルズリの声がスズリに訊いた。


「ああ、こいつはローレス。俺をここまで連れてきてくれた恩人だよ」


『待て! ここに一般人を連れ込んだのか!? 何て馬鹿なことを!』


 ノルズリの怒声が上がる。どうやらここは人を入れてはいけない場所のようだ。


「緊急事態だったんだよ。でもまぁ、大丈夫だよ。こいつは信用出来るし、何より」


 スズリがどや顔でローレスを手招きする。言われるままに隣に立つ。


「こいつは神域の関係者だ」


『何?』


「えっ!?」


 男性とローレスが同時に驚きの声を上げた。


「……あれ? ローレスは神域関係者……だよな?」


 どや顔一変、不安そうに聞き返すスズリだった。




「……えーと、まぁ見たところスズリは普通の人族じゃないってのは解った。ここが恐ろしく高度で特殊な技術を用いて造られた場所だって言うことも判る」


 スズリのばつの悪そうな顔を見ながら、ひとつひとつ確認するように答えていく。


「何を(もっ)て僕を神域の関係者だと思ったのかは解らないけど、まぁ関わりがない訳ではないって意味でなら関係したことはあるよ」


 先程驚いたのは、唐突に神域なんて単語が出てきたからだ、と説明した。ローレスは神域との具体的な関係性は口にしなかった。スズリ達がどこまで知っているのか、どういう立場の者なのかが判らない以上、迂闊なことは喋れない。


『スズリ、もっときちんと確認してから連れてこい』


「ごめん、ノルズリ兄さん」


 ノルズリの叱責にスズリは頭を掻いて答えた。


『ごめんなさいね、ローレス君。私達はこの辺り一帯を高位異界敵性体から護る結界を維持する役目を仰せつかっている、人工魔道生命よ』

 

 ヴェストリがスズリに代わって簡単に説明する。とは言えその中身はさらっと告げる内容ではない。


『正確にはあいつらがこっちに出てこないようにしてるのよね』


 アウストリが補足する。目まぐるしく入れ替わる発言に一つ一つの単語を追い掛けるだけでローレスは精一杯だ。


「えっと、つまり貴方達は魔道国家の首都を護るために造られたってこと……?」


 森を南方に四方を押さえて結界を張ると言うことは、内側に魔道国家首都が収まる事になる。

 確か魔道国家の建国は約百年前。始まりの勇者の時代だったはずだ。追放者と戦う者達が一人の王の下に集って築いた砦がその始まりだったと言われている。

 しかし、当時から現在までの魔道国家にこのような高度な施設を建造する技術があるのだろうか。

 そんなローレスの疑問はすぐに解消される。そもそもその懸念自体が的外れだったのだ。


『魔道国家? スズリ、どう言うことだ?』


「あー……それなんだけど」


 ローレスの質問を受けて、怪訝そうな声音でノルズリはスズリに問う。まるで魔道国家そのものを知らないように感じる。それに対するスズリの返答は歯切れが悪い。


『どうした?』


「俺たちが護るべき帝国はもうとっくに滅びてたよ」


 ノルズリが再度返答を促すと、スズリは深く溜め息を吐いてそう溢した。それを受けた三方の宝石からは息を飲む音が聞こえた。


「帝国……って言うと、もしかして遥か昔に滅んだっていうあの古代帝国の事かな」


 滅びた帝国と聞いて、ローレスが思い浮かべたのは遥か神話の時代の国の事だ。

 お伽噺や神話に出てくる古い国。現在有る幾つかの迷宮はその頃の施設だとも言われている。中央王国の城壁迷宮や南西の都市国家群にある学園迷宮等がそうだ。東の竜王国の地霊の口腔(ワームレアー)も何らかの施設跡だったのではないかと言われている。

 迷宮を調べると必ず行き着くのがその古代帝国に関する情報だった。特に今回は石化病(ロックスキン)の薬の素材となる薬草を調べるために立ち寄った魔道国家の図書館には、その手の書籍も大量に存在し、ローレスは後学のためと古代帝国の情報も目を通していた。

 神仏がまだ人と共にあった時代。種族の垣根もなく、神仏と(ヒューマン)という垣根しか存在しなかったと言われる時代にあった人の国。人が神仏に至るまで暮らす楽園と言われていた。

 その帝国が消え去ったのは千年の昔。天の彼方の星の門を越え、異世界にまで手を伸ばしたその帝国の滅びの原因は、彼らが不用意に開いた異世界への扉から来た追放者と呼ばれる高位生命体であった。

 一体一体が強靭で凶悪な体を持つ追放者は、神仏の位に片足を踏み入れた『超越者』を多く擁する古代帝国をして全力を傾けねば対抗できなかったという。

 異世界とこちらを繋ぐ門の向こう側から現れる数多(あまた)の追放者の大多数を、階層世界の最深部に作り出した隔離世界に封じ込めて追放者の世界と繋がる門を全て封印した。

 しかし、長く続いたその戦いの中で人は疲弊し、様々な呪いを受けて幾つもの種族という単位に分裂して神仏とも遠く離れてしまった。封じ損ねた数十もの追放者どもは大陸を蹂躙し多くの『超越者』が葬られた。

 世界は壊れかけ、神仏は世界の維持と再生に全力を傾けねばならなくなった。神域は固く閉ざされ、地上との直接的な介入は禁止された。間接的な援助を得て、追放者どもを打ち倒した英雄達が大陸を解放するまで長い暗黒の時代が続いたという。


「何処まで本当の話かは判らないけど、古代帝国は滅びて千年以上経っているのは間違いないみたいだよ」


『……そうか。まぁ、薄々そうではないかとは思っていたが』


『そうね。もう千年以上帝国の方が調整(メンテナンス)にも更新(アップデート)にも来られてませんものね』


 ローレスが古代帝国に関する情報を告げると、ノルズリとヴェストリは深く息を吐いた。

 自分達の創造主であり、また護るべき対象であったはずの帝国が彼らの知らぬ間に失われていたという取り返しのつかない喪失観に直面しているのだ。

 ローレスは前世で両親を事故で亡くした時を思い出していた。あの日送り出した両親の訃報を聞いたのは、既に両親が亡くなってから半日以上経ってからだった。手遅れになってから知らされる事の辛さ、彼らと自分では立場が違うので気持ちが判るとは言えないが、その気持ちを察するくらいは出来るつもりだった。


『帝国は滅びたのかもしれないけど、大陸に人は居るんでしょ?』


 アウストリが訊いてくる。あっけらかんとしたその声には悲壮感は感じられない。悲しみの色どころか寂しさすら感じさせないアウストリの声に(いぶか)しむローレスだったが、それを訊ねる前にヴェストリやノルズリが言葉を続ける。


『そうだな。我らの使命は人の生存と隔離された追放者どものなれの果て、深き異質(ディープヘテロ)がこちらに出てこないように蓋をし続けることだ』


『そうね。私達はそのために、こうして在るのだものね』


 大陸を、ひいては物質界(マテリアル)を護ることが彼らの存在意義である。親とも言える造物主が居なくなっても、その役目は変わらない。彼らはそこに自分達が存在する意味を見いだすことが出来る。

 彼らにとっても、この時代に生きる者にとってもそれは幸運なことなのかもしれない。


「ローレス、もう解ったと思うが、俺は人じゃないんだ」


 スズリがローレスに顔を向ける。左横顔を覆っていた石の肌は跡形もなく消えていた。


「スズリ、石化病(ロックスキン)は……」


「まともな生き物じゃない俺が人の病に(かか)るわけ無いだろう。あれは俺の能力が暴走してただけだ。俺が石化病(ロックスキン)に罹ってるなんて一度も言ってないはずだぞ」


 言われて思い返してみれば、確かにそんな発言はなかった。


「まぁ、ローレスが勘違いしてるって判ってて、あえてそのままにしてたんだけどな」


「あの熱は? 石化病(ロックスキン)の症状じゃなかったのか?」


 あの時、スズリは訊いてきたのだ。石化病(ロックスキン)の症状を知っているか、と。


「そうだよ。詳しくないと確認した上で、あえて誤解を招くような訊き方をしたんだ」


 実は石化病(ロックスキン)で熱が出るようなことはないのだとスズリは言った。あれは本体であるこの地から切り離されていたので、内部処理で発生する熱を放出しきれず、暴走しただけであるらしい。

 この地との接続が完了した今、大地の属性を持つスズリの防衛能力は正しく機能し、先程の攻撃は一切届いていなかったそうだ。


「何でそんなややこしいことを……?」


「神域関係者だって気付いたのはあいつらに襲撃された時だぜ? それまでは出来るだけ素性を隠しておくつもりだったんだよ」


 最初の予定では森に入ったところで適当にローレスを振り切るつもりだった。中枢に入ればローレスに渡す報酬はいくらでも用意できる。不義理ではあるが薬草と一緒に報酬を馬車に届け、貧民街(スラム)に薬を運んでもらおうと思っていた。


「ローレスは金もない見窄(みすぼ)らしい貧民街(スラム)の餓鬼を本気で心配してくれた。何の関わりもない俺の事を気に掛けて、わざわざ声を掛けるようなお人好しだ。実際に苦しんでいる人を見捨てるようなことはしないだろ?」


 スズリはローレスが声を掛けるまでに、何人かの冒険者に声を掛けていた。まず身形(みなり)で無視され、組合(ギルド)の評価に繋がらないと断られ、報酬が少ないと追い払われた。最終的には組合事務員に建物の前から追い払われてしまった。

 弱者を(ないがし)ろにする冒険者と組合を見て、護るべき対象からあまりにも冷たい仕打ちを受け、記憶を失って機能停止し掛けていた自分を助けてくれた人達が死に逝くのを黙って見ていることしか出来ない自分の無力さが悔しくて悲しかった。本来なら貧民街(スラム)の人たちを救うだけの力を持っていたからこそ、尚の事(いきどお)りは激しかった。そんな折、ローレスと目があった。怪訝そうな視線を受けた瞬間、年端もいかない子供から蔑まれる事に恐怖したスズリは思わずその場から逃げ出してしまったんだと言う。

 なけなしの現金をかき集め、依頼と言う形で森まで連れていってもらおうと考えた。直接助力を乞うたから、利がないと素気無(すげな)くされたのだと考えたのだ。組合を通せば評価とやらが加算されるのだろうから、受けてくれる者も出てくるだろう。

 森まで辿り着ければ後は薬を合成して、どうにかして貧民街(スラム)に届ける手段を考えよう、と決意したあの日、ローレスに声を掛けられたのだ。


「あのまま単身で組合に乗り込んでも、依頼を出すことは出来なかったみたいだけどな。ローレスが声を掛けてくれて、こうしてここまで来てくれたからこそ俺は帰ってこれたんだ。ありがとう」


 もしローレスが無理矢理にでも共に森に入って来なかったら。そう考えるとゾッとする話だ。スズリはあの屍体どもと猫耳少女に阻まれ、接続作業をすることが出来なかったかもしれない。

 基本的に死ぬことのない体ではあるが、施設との同期が取れていなければ人族の子供並みの身体能力しかない。容易く奴等に捕らえられてしまうだろう。

 以前は施設から持ち出した外部装備を全損した上で尚記憶に重大な損傷を受けるほどの手傷(ダメージ)を負い、辛くも逃げ出すことが出来たのだ。外装の無い状態では、対抗する(すべ)も逃げ延びることも出来はしなかっただろう。


「そうだ、スズリ。さっきの猫耳少女は何だったの? 」


 スズリは襲撃者どもと以前にも相対した経験があるように言及していた。あいつらの正体に心当たりがあるのだろうか。


「そもそも、俺が施設の外に出たのはあいつらのせいなんだよ。俺達の封印結界は力の強い深き異質(ディープヘテロ)を封じ込めるためのものだって言うのは解っただろ?」


 ローレスは頷く。古代帝国によって造られた封印結界は千年を経て尚その役目を全うしている。


「あいつらは深き異質(ディープヘテロ)を封じている俺達を排除しようとする集団なんだよ。深き異質(ディープヘテロ)を信奉し、追放者の眷属として異界から現れた侵略者ども。帝国の手で異界との門は固く封じられていたはずなんだが、誰かがあっちの門を開いちまったみたいだな」


 スズリの担当するこの森の一部で、封印結界に異常な負荷が掛けられ、主回路の一部が焼き切れて予備に切り替わってしまったため、その修復のために安全な施設を出たところを襲われたのだと言う。施設に戻ることも出来ずに追い詰められ、外装も全て損耗して自爆気味の包囲突破で振りきることは出来たが、その際に記憶の大半を損壊する事になってしまい、放浪の末辿り着いた村で保護され、紆余曲折の末首都の貧民街(スラム)に流れ着いたそうだ。


「異界から……? それってもしかして異族の事かな」


 異界からの侵略者と聞いて、ローレスが思い付くのは過去に戦った異族の事だろうか。


「三十年くらい前に大陸の北西部で異界の門が開いて、大陸が蹂躙された大戦があったんだけど、その時の侵略者を僕達は異族と呼んでいるんだ」


 異族大戦と呼ばれるその戦いは、多くの犠牲を払って異族を異界に追い返して終息した。現存している異界門で封印されていないものは存在していない。大陸の五大国と妖魔の住まう島で今も封印監視されている。今だ凝りの残る妖魔種との間でも、こと異族に関してだけは打算抜きの協力体制が成り立っていた。


「ああ、あいつに襲われたのが丁度そのくらい前だ。帝国の時代から常に物質界(マテリアル)を狙って奴等は侵略を繰り返してきた。俺達は浅き異質(アッパーヘテロ)と呼んでいるんだが、恐らくその異族で間違いないと思う。今の人達は自分達の不始末はきちんと方を付けられるくらいには力をつけているんだな」


 先程の猫耳少女改め猫型異族は大戦中にここの結界を潰すためにこの地で色々画策し、結界管理者であるスズリを取り逃がして尚諦めず、奴の言を信じるならスズリが帰還するのをずっと待っていたと言うことらしい。恐らく取り残されたということも、異界に戻るすべも、仲間が門のこちら側に居ないと言うことすらも知らないのだろう。


『スズリ、お前が外に出ていた三十年の記録は情報領域(データベース)に上げておいてくれ』


「今やってる。ローレス、事情は解って貰えたと思う。俺の代わりに薬を届けてくれるか? 本当の母ちゃんじゃないけど、世話になった人を見捨てるのは寝覚めが悪い。それに、石化病(ロックスキン)が蔓延してるのは俺のせいなんだ」


 老いることも、死ぬこともないこの身体だ。記憶を失っている間は様々な問題を引き起こした。行く先々で迫害された。

 最初は身寄りの無い不幸な孤児として扱われ、数年が経つと何時までも成長しないスズリを(いぶか)しむようになり、化け物と罵られて追いやられる。そうして追い立てられるようにして辿り着いたのが首都の貧民街(スラム)だった。

 そこの住人は自分のことだけで精一杯で、一、二年程度成長しない子供など気にも留めなかった。この頃になるとスズリ自身も経験則から長期的に一つ所に住み続けることの危険性を学び、また記憶の修復も進んでいたこともあって上手く立ち回りながら生活していた。

 森の施設に戻らなければいけないと思いながら、非力な身では馬車で半日の距離を踏破することが厳しいと言うことも理解出来ていた。どうすれば良いか判らないまま、南に向かう者達に潜り込む機会を伺いながら日々を過ごすうち、ひょんなことから一人の女と暮らすようになった。

 その女は男に騙されて全財産を失い、子供と共に貧民街(スラム)に流れてきたそうだ。失意の中で身体を壊し、スズリと同年代の子供を食わせることも出来ずに亡くしてしまった。己の身に降りかかる不幸に心が壊れかけた女は、たまたま見かけたスズリを亡くした子供と思い込むようになってしまった。スズリも子供一人よりも大人と一緒の方が怪しまれないと思い、女性を受け入れた。

 そんな生活を送るうち、女は石化病(ロックスキン)に冒されてしまう。人ならざる身であるスズリは女とはほとんど何の繋がりもない。見捨ててしまえば楽だったのだが、人に似せて造られたスズリの思考処理(プロセス)はそれを良しとしてくれなかった。

 それに、女が石化病(ロックスキン)を患ったのはスズリが原因かも知れなかった。それどころか貧民街(スラム)を中心に首都に蔓延している原因でさえも。

 スズリ自身も石化病(ロックスキン)と似た状態になっていたが、これは大地の属性を主軸とした能力の暴走に依るもので、石化病(ロックスキン)とは関係がない。しかしその暴走は周囲に過剰な地属性の力を振り撒く事になった。

 実は石化病(ロックスキン)と言う病気は体内の地属性が許容量を越えることで発症する事が解っている。故に土に関わりの深い職に就く者が発病する例が多く、一日の大半を町中で過ごす富裕層の者には滅多に発病する者は出ない。

 薬の素材として使われる薬草も地属性に強い水の属性を持っていて、これを使うことで体内の地属性を打ち消し、属性の均衡(バランス)を正常に戻す効能の薬が出来るのだ。水属性は氷の属性に弱いので、寒い季節は基本的に育たないと言うのはそういう理由だ。

 原因であるスズリが首都に居る限り、石化病(ロックスキン)は猛威を振るい続ける。しかし今重篤(じゅうとく)な事態に陥っている者はスズリという因子を取り除いても進行した病が改善する可能性は低い。体内の余剰分が体外で石の皮膚と言う形で排出されているので、その石の皮膚自体の地属性が体内に影響を及ぼし、ただでさえ弱って調整の効かない自身の力では均衡を戻すことは出来ないだろう。

 世話になった貧民街(スラム)の住人と、短い間とは言え母子として過ごしてくれた女に恩を返すため、そしてスズリ自身の力の暴走による病の責任を取るためには多くの薬が必要だった。

 しかし過去類を見ない石化病(ロックスキン)の蔓延は常の薬の備蓄量で治療出来る人数を遥かに越えていた。富裕層による買い占めの影響で貧困層まで薬が回ってこないのは当然の結果だった。

 不幸中の幸いだったのはまだ死亡者が出ていないこと。だがそれも何時まで持つかわからない。取り返しのつかないことになる前にどうにかしたかった。

 結果としてスズリが考えていた計画とは随分と外れてしまったが、こうして施設に戻ることも出来たし薬の素材となる薬草も手に入った。ローレスは貧民街(スラム)に薬を届けることを断りはしないだろう。スズリ本人としては自らの手で薬を届けるのが筋なのは承知しているが、自分が行くことで症状に悪影響が出ないとも限らない。そもそもがやっと戻ってこられたここを離れるための準備を整えている間に犠牲が出ないとも限らない。ローレスにお願いするのが一番良い選択だろう。


「そういう訳で、勝手なお願いだとは思うけど俺の代わりに薬を届けてくれないだろうか。今度はきちんとした報酬を出すからさ」


「事情が事情だし、命が懸かってるんだ。別に報酬なんか無くても届けるよ。それに僕も調薬の勉強になるからね」


『そういう訳にはいかない。スズリの上げた情報を閲覧させてもらったが、ここまでの護衛の料金でさえ足りていない。これ以上を頼むのだから、報酬を受け取ってもらわねば我らは君に頼み事をすることは出来ない』


 そうまで言われては報酬を受け取らざるを得ない。


「解った。じゃあ報酬はそちらに任せるよ」


 不意に甲高い音が鳴り響いた。災害時の警告音を思わせるその音に、ローレスは思わず天井を見上げてしまう。


「あいつらが暴れだしたみたいだ」


 スズリがローレスと同様に天井に目を向けた。「警告停止」の声に音は止まったが、代わりに微かに破壊音のようなものが聞こえている。


「こんなところまで聞こえてくるとは……随分と派手に暴れてくれてるみたいだな」


「大丈夫なの? この施設は」


「主要施設はもっと下に埋まってるから問題ない。ただ、森がどうなってることやら……」


 現在居るこの施設自体も百メル(メートル)程地下にあるらしい。そんな地下まで聞こえてくるような破壊音が鳴り響いているのだ。地上では一体どれ程激しい破壊活動が行われているというのだろうか。


「……まずい。スズリ! 出口を教えてくれ!」


「急にどうしたんだ? ここに居ればあいつらは手出しできない。諦めて大人しくなるまで待って、それから森の外まで送り帰してやるよ」


「駄目だ! それじゃあ間に合わない!」


 ローレスの予想が正しければ、急いで地上に戻らなければならない。これだけ深い地下にさえ届く破壊音が聞こえないはずがないのだ。聞こえてしまえば動かないはずがないのだ。


「アイオラさん達があいつらと遭遇してしまう!」


 あの屍体使いの異族の力は未知数だ。溶岩騎士(ラバナイト)達を従えたアイオラとテーナの二人がそう簡単にやられるとは思わないが、それでもやられないと言う保証はないのだ。


「地上に戻してくれたら僕は一人でどうにでも出来る!」


『どうやら緊急事態みたいだな。スズリ、緊急の避難路を使ってもらうと良い』


「解った。ローレス、色々すまなかった」


 スズリが手を差し出す。ローレスはその手をとって首を振る。


「スズリだって被害者じゃないか。悪いのは全部……」


 頭上を睨み付ける。この地を離れる事になったのはスズリが悪い訳ではない。行く先々で辛い思いをして苦しんだのも、首都の人々が病に苦しんでいるのもスズリの責任ではないのだ。


「あの侵略者どものせいなんだから」


 ローレスはあの屍体使いの異族を敵と認識した。どんな理由があろうとも、大陸に生きる者にとって奴等の目的は相容れない。

 倒すべき敵、そう認識したのだった。

拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。


次回は02/26に投稿予定です


04/28

重複していた表現を修正。

宝石の色のミスを修正。

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