第09話 笑顔の為に
二話ストックが維持できているので、もう暫く毎日投稿でいけそうです。
マリアが神書に手を翳し、視界が真っ白な光に包まれたと思った次の瞬間には、二人はうっそうと茂る森の中に居た。
「これが、本の中? すごいな……」
思わず法生は呟いた。木の匂い、虫の声、緑の気配に満ちた深い大森林。これが本の中の記述された世界とはとても思えない現実感だった。
「法生様、森人の集落はこちらを真っ直ぐ行けばすぐにたどり着けます」
レインの指し示す方角には、確かに遥か先に丸太を束ねて作ったであろう壁らしきものが見える。
「私とライは反対側。火の加護がついていないので、万が一にも疫病が感染すると厄介です。私たちは集落には立ち寄らず、直接台座のある洞窟を目指します」
特に声を掛けるでもなくレインの支持するままにライシールドは法生に背を向ける。
「あ、ライシールド君、ちょっと待って」
振り返った彼に大き目の麻の袋を差し出した。袋口を麻紐で縛り、上部と下部に縫い付けられた紐通し口に長めの麻縄を通して肩紐代わりに出来る構造になっている。
「これは?」
受け取った袋の中には焦げ茶色の袖無しの袖無外套と、鞘に収まった刃渡り60セル程の片手剣が入っていた。袖無外套は登録作業前に脱ぎ捨ててそのまま忘れていたもの、片手剣は損傷が酷かったので置いてきていた。
袖無外套を羽織り、器用に片手で剣の鞘の金具をベルトに引っ掛ける。
「マリアさんから預かってたんだ」
そういう法生も同じような袖無外套を羽織り、1.5メル程の木の杖を持っていた。
「僕は剣を使えないからね。後、これも持っていって」
右手から治癒薬を各三本ずつ、汎用解毒薬を各二本ずつ取り出して小さめの麻の巾着袋に詰める。それとは別に干し肉等の携行食を別の巾着袋に納めると、二つの小袋を差し出す。ライシールドはそれらを受け取り、麻袋に仕舞って右肩に肩紐を掛ける。
「助かる。では」
軽く頭を下げると、用は済んだと踵を返した。頭の上でレインが法生に手を振っている。
手を振り替えし、二人の姿が木々の向こうに消えるのを見送ってから振り返った。
「さぁ、僕も行くか」
苦しんでいる人を助ける。言葉にするのは簡単だが、弱っている人たちの下に見知らぬ他人がやってくるのだ。警戒されるのは間違いない。
あの壁の向こうがどうなっているのかはわからないが、どうにかして助けなければと気合を入れるのだった。
木製の壁は割りと直ぐに途切れた。と言うか直ぐのところに出入り口があったのだ。
内側に開く両開きの大きな門扉があり、今は完全に閉じられている。門の左右の壁の上には物見台が作られているらしく、そこから法生に向けて弓が構えられている。
そう、彼は今絶賛大ピンチなのである。
「そこのお前! 何者だ! 我等の集落に何のようだ!」
誰何の声が上がり、足元に一本の矢が刺さる。思わず両手を挙げて叫び返す。
「旅の薬師です! こちらの集落で疫病が蔓延していると聞き、お力になれるかと思い、訪ねてまいりました!」
「薬師……だと? お前のような年若い薬師等聞いた事がない! 証拠を見せろ!」
不信感を露に訊き返してくる。それもそうだ。永い時を若い容姿で過ごす森人ならばいざ知らず、ただでさえ短命な人種だ。童顔の法生はまるで子供のように見える。
薬師とは薬の製法に精通し、病を知り怪我を癒す術を学ぶ、言わば治療の専門家だ。長い修行を経て辿り着いた者の呼び名である。
年若い薬師、など疑ってくれといわんばかりである。
「ある日突然体温が下がり、体の末端が痺れて、やがて起き上がれなくなり衰弱し、死を迎える」
法生は疫病の症状を述べて、その病を知っていると訴える。こうしている間にもこの壁の向こうでは病に苦しむ人が居るのだ。出来る事なら一刻も早く治してあげたい。
「僕はこの病を知っています。治療することもできます。予防にも効果の在る薬を持っています」
手を上げたまま叫ぶ。壁の上がざわついて来た。後一押し。
「僕を中に入れてください! 手遅れになる前に!」
法生に向けられた弓が下げられる。変わりに一人の男性が顔を覗かせる。線の細い切れ長の眼の美形で、肩口まである金髪の間から伸びる耳は長い。森人の特徴はよく読んだファンタジー物と大差ないらしい。
「暫し待て! 長に話をしてくる」
金髪美形の顔が引っ込み、こちらを注視する複数の視線が残った。
法生は緊張で張り裂けんばかりの胸を袖無外套の中で押さえて、大きく息を吐いた。とりあえず偉い人に話が行ったようだ。緊張のあまりからからに乾いた喉を潤そうと、袖無外套の内側で獣の胃袋で作られた水袋を複製した。これも旅の必需品と言うことで携行食と一緒に登録してあったのだ。
水袋の水を飲みながら、ライシールドに水を渡すのを忘れたことに気付いた。今更だが。
(ライシールド君、大丈夫かな)
まぁしっかり物のレインが居るし、大丈夫か。などと益体も無いことを考えつつ壁の上の返答を待つ。正直下らない事でも考えて気を紛らわしていないと、緊張で潰れそうだ。
待つこと十分。再び金髪美形が顔を見せ、叫ぶ。
「今から門を開ける。こちらも手荒なことはしない。指示に従って中に入ってきてくれ」
「判った」
法生の返事を受け、門が人一人通れる位だけ開けられると、先ほどの金髪美形の森人が隙間を潜ってきた。彼の服装は深緑の貫頭衣の腰のところを紐で縛り、その下は麻で織られた長袖長ズボン。背中には80セル程の短弓と矢筒を背負い、腰には刃渡り30セル程の短剣を佩いている。
「私は火の子供族のアスガル。この集落の守り手を束ねている」
右手を心臓の辺りに当て、優雅に一礼する。美形は何をやっても様になるなぁと感心しつつ、法生も返礼する。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。僕は旅の薬師で……」
名乗ろうとしてはたと思う。この世界で音無法生って違和感がひどいんではないかしら?
もっと事前に考えておけば良かったと後悔しながら、昔からよくゲームで使っていた名前を名乗った。
「失礼、ローレスと申します」
真ん中の二文字をとって無法。安直である。そんな適当な由来だということをアスガルが知るわけもなく特に指摘されるでもなく。
「ではローレス殿、こちらへ」
アスガルに促されるままに、門扉の隙間を潜り抜ける。
そこは、諦めが支配する領域だった。空気を読むのがあまり得意とはいえない法生をして感じ取れるほどの負の感情の坩堝。
病に犯された者はその低下した体温を補おうと焚き火の周りに寝かせられているが、これはあくまで対症療法でしかない。下がった体温を外部の熱で補っているだけだ。症状が進行していけば焚き火の熱では間に合わなくなる。体が動かなくなり、いずれ至る所で機能不全を起こし、そこから先は長くない。
根治治療が無く、進行を遅らせることしか出来ない。そうしている間にも徐々に患者が増え、人手は減り、現状食料の調達も滞る始末だ。
集落全体の行く末もそう長くない。そんな諦めが支配している。
「我々は人族とは一切交流が無い。戦に明け暮れ、森を害する愚か者、と言う認識でしかない」
前を歩き、法生に背を向けながら、アスガルは告げる。
「それはローレス殿、あなたに対してもそうだ。出来る事なら集落に踏み入れさせたくは無い。それに病を治す術を持っているという言葉もにわかには信じられない。だが」
足を止め、アスガルは視線を落とす。
「私も、長老たちも、集落の仲間を救う術を見出せなかった。今日明日にも命を落とすものが出るだろう。狩に出る者も採取に行く者も皆病に倒れ、無事な者も看護に明け暮れている。もう後が無い」
振り返り、法生と目を合わせる。振り絞るような声で懇願する。
「……頼む。みんなを、集落を救ってくれ」
深く、頭を下げる。
「頭を上げてください。僕はその為に来たんです」
きっとこの集落は法生が辿り着くまでに幾つもの絶望を味わってきたのだろう。打開策を探し、試行錯誤し、打つ手が無いと判ったときの無力感は如何許りだったろうか。
その闇を払う為にここに来たのだ。これ以上の悲劇は止めなければいけない。
「必ず治ります。今まで頑張ってきた事は無駄ではないんです」
少しでも、僅かでも進行を遅らせようとした必死の努力が報われないなんてあってはならないのだ。
「……ありがとう」
顔を上げたアスガルは感謝を述べた。これから法生はこの言葉をたくさん聴くためにがんばるのだ。
「アスガルさん、まだ早いですよ。その言葉はこの集落が元気になったときに、もう一度聞かせてください」
敢えて冗談めかして言うと、法生は笑った。ここからは笑顔と希望の出番だ。
「ふん、調子に乗るな。私はそう何度も人族に頭など下げん」
途端に不機嫌になり、顔を背けた。やっぱり人族の嫌われ度は相当高いらしい。
「……まぁ、皆が元気になった暁には、人族ではなくローレス殿個人になら礼の一つも言わんでもないが」
素直じゃないだけだった。
「んじゃあ、アスガルさんのお礼を引き出すためにも、頑張りましょうか」
さあ、闇を払い、夜を終わらせよう。笑顔を取り戻すのだ。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
修正 15/10/01
外套→袖無外套