第118話 昇級試験終了(Side:Lawless)
トールが左手首を閃かせ、雷速の金槌がローレスに襲い掛かる。
足留めの靴で壁面を駆け上がり、ローレスは番えた矢から指を離す。ローレスを正確に狙ってくる金槌を射ち防ぐ事自体にはもう慣れたが、何度弾いてもトールの手元に戻っては再び投擲される金槌の対応に追われ、攻撃に転じる隙が見つからない。
ローレスの聖宿木の矢筒には見た目以上に多くの矢が収納されているが、それとて無限と言う訳でもない。何時かは矢も尽き、攻撃も防御も出来ずに負けることになってしまう。
(どうせなら勝ちたい。アイオラさんやテーナさんはきっちり仕事を熟したんだ。……僕だって!)
手に持つ火竜の弓に精神力を注ぎ込む。ローレスの力を受けて弦がほんのりと赤く輝き、三本の矢を番えた彼の指に暖かい温もりを伝えてくる。
「焔気集いて対極と成せ」
弦全体に灯った微熱の光が集まって、薬指と小指に熱が集中する。壁面の上部まで登り切り、ローレスは足首に力を込めて自重を支えるとトールに視線を合わせる。
戻ってきた金槌を再び左手で受けると、トールは下投げで無造作に放つ。彼の手元から離れた金槌は空中で急に回転すると一瞬で雷速の閃きでローレスに襲い掛かる。
直後、ローレスの指が燃え上がり、その痛みに顔を顰めながら弦を離す。押し出されるようにして三本の矢が時間差で放たれ、一本目が飛来する金槌を上から地面へと叩き付ける。墜落した金槌に二本目の矢が命中して更に地面に押し付けられ、三本目の矢が金槌の直ぐ側の地面に突き刺さる。
「外したのか?」
先程まではどれだけ無理な体勢から放っても確実に中ったローレスの矢が地面に突き刺さったのを見て、トールはローレスが疲労から手元を狂わせたと判断した。金槌が戻り次第再び投擲して、同時にトール自身も打って出る腹積もりで前傾に構える。
しかし。
「む、戻ってこないだと?」
撃墜され地面に叩き付けられ減り込んだとは言え、その程度で金槌の戻る力が押さえ込めるとは思えない。かと言って何か特別な事をしたようには見えなかった。
「……金槌は戻りませんよ」
金槌の異変に首を傾げ、一瞬気が緩んだ隙にローレスを見失う。聞こえてくる声が何処から発せられているのかも判別がつかない。
周囲を警戒しつつ、地面に縫い付けられた金槌を確認する。
「……凍りついている、のか? 馬鹿な」
ローレスの攻撃はどれも炎の属性が付与されていた。トールの鍛冶師としての目は、彼の持つ弓が火竜に関わる素材を用いた逸品であると告げている。にも関わらず焔気とは正反対の属性である氷気で金槌が封じられたのだ。それも生半可な冷気ではない。金槌を地面諸共凍り付かせるほどの氷気を一体何処から調達したと言うのか。
「ヴァナめ。何が準中級の昇格試験だ。中級とやるよりしんどいぞ!」
今度は先程と違い雷の虎挟みは使えない。トールの索敵能力ではローレスの隠蔽と隠密を見破る事は非常に困難である。
「ええい、後の先は苦手だと言うのに!」
飛来する矢を大金槌で叩き落とす。あえて地面を叩いて降り下ろした勢いを殺し、強引に振り上げて二射目を打ち落とした。
(あんな重たい武器で一体どうやって矢の攻撃に対応しているんだ!?)
ローレスはトールが事も無げに矢を打ち砕いているように見えていた。飛来する金槌をどうにか封じ、気を逸らして何とか姿と気配を隠すことには成功したが一向に矢を当てることはできていない。
(奥の手を出して索敵兼投擲を封じたって言うのに……)
金槌を封じたのは三射した内の最後、三本目の矢の効果だ。本来焔気を纏わせて強力な火属性の矢を射つことが出来る火竜の弓だが、ローレスは焔気を操るその特性を逆手に取った。
火竜の髭を素材に使った弦の力で熱を集め、本来ならば鏃に移す熱量を指に集中、矢とその周辺の熱も奪って間接的に冷気を帯びた矢を作り出した。
この世界では術式に代表される様々な方法を使って熱を扱うが、熱いと冷たいは全く異なるものと言う認識が一般的だ。そもそも分子や原子といった微細な世界を知らないのだから、その認識で必要な事柄は説明出来る。
しかし、本来熱量とは大雑把に言えば物質を構成する分子が活発に動き回ることで発生するものだ。逆に言えばその活動が鈍れば熱量も落ちる。
ローレスは術式や弦がどうやって熱を発生させるかを試してみたことがある。あの熱や冷気、水や電気や風は一体どうやって発生しているのか。
まず付与術の場合は書き込まれた素材を基盤に文字が集積回路の役目を果たして、注がれた精神力を燃料に様々な現象を発動させる。熱を発生させる場合は文字内で精神力を擬似的に液化消費させて周囲の熱を奪い熱量を上げる。逆に冷気を発生させるには精神力を擬似的に気化消費して周囲に熱を放出して熱量を下げる。刻まれた文字が発動回路となるので精神力さえ注げば誰にでも発動できる。
自然魔術等の各種術式の場合はもっと単純である。詠唱を仮想回路として空間に力場を生成し、そこに精神力を注ぐことで擬似的に自然現象を再現し、空間や物質に干渉することで強引に事象を改変する。それ故に各種術式の仮想回路を構築するための適性次第で発動出来るかが決まり、改変に必要な燃料である精神力の量で威力が変わる。
火竜の弓の場合は付与術の発動条件に似ている。精神力を用いて弦を震わせ、周囲の分子の運動量を移して奪うことで熱量を確保していた。高熱を得るためにはより多くの精神力を注ぎ込んで弦の振動量を上げ、周囲の運動の力を大量に奪う必要があり、奪われた場所は逆に強い冷気を纏うことになる。
今回は弦に集められた熱量を指に集中して三本目の矢の鏃から運動量を奪った。そうして出来上がった冷気の矢を金槌の側に突き立てることで、熱量を取り戻そうと鏃が冷気と地面の運動量を交換した。結果、熱を奪われた地面は凍り付き、金槌を縫い付ける事に成功した。
無論本来の能力とは真逆の結果を出した以上、必要以上の負担が掛かっている。今回は無理矢理熱量を指に集めたため、三本目の矢を挟んでいた薬指と小指が炭化する規模の火傷を負った。
実験中にもやらかして大層アイオラを心配させた。その時は治癒薬で即座に回復させたので問題とはならなかったが今回はそう言うわけにもいかない。特殊な結界内で負った手傷は結晶が肩代わりするため実際に指がなくなったりしない代わりに、治癒薬等による回復の意味合いも低いのだ。
自爆でも負傷判定をしっかり受けてしまうようで、予想以上に結晶の色が抜けてしまった。結晶に残された色は残り少ない。
トールはほぼ無傷の上、ローレスには決定打と成りうる攻撃手段が欠けているのは相変わらずだ。基本的に不意を打っての攻撃主体であるローレスには防御を固めた相手の守備を抜いて傷を与える術がない。
(とは言え、何時までもそんなことは言ってられない)
猟師として生きるならそれでも問題ないだろう。野生の動物が防御を固めて矢の攻撃を防ぐことはまずない。だが冒険者として生き、仲間を護るためにはそれだけでは足りない。
今必要なのはトールの防御を抜く強力な一撃か、彼の反応速度を上回る高速攻撃、もしくは対応しきれないほどの飽和攻撃。
(今以上の速度は出せない。出来る全力を防がれている以上、今はその選択肢は取りようがない。飽和攻撃をするには足を止めて連射する必要があるけど……)
襲い来る土砂津波を思いだし、背筋が寒くなる。攻撃を始めれば間違いなく位置を気取られるだろう。そうすれば矢を放ちつつの移動ではあの攻撃範囲から逃れることは出来ない。全速力でもギリギリ間に合わなかったのだ。生き埋めになって終了であろう。
(強力な一撃。一発で防御を抜く必殺の一撃)
構想はあった。送風を基礎に術式を改編し、前世の知識で構築した矢の貫通力を格段に上げる独自魔術。
まだ開発途中と言うこともあって不安定で扱いにくいのだが、思い付く打開策がこれしかない。正直時間もないのだ。
金槌を封じた冷気もそう長くは持たない。恐らく後数分で凍結は緩み、金槌は自由を取り戻すだろう。そうなってしまったら今度は逃げ切ることも防ぎ切ることも難しいと言わざるを得ない。
(一か八か、やるしかない!)
矢筒から硬絶縁矢を取り出し番える。未完成のこの術式は普通の矢では衝撃に耐えきれず途中で砕けてしまう。実験でも制御を誤ると硬絶縁矢でさえ砕けてしまった。
(衝撃は出来るだけ低く、かつトールさんの防御を抜くだけの威力でなくてはいけない)
トールの構える大金槌は大質量ではあるが見たところ普通の金属の塊のようだ。何らかの付与もされておらず、特殊な金属も使われていない。何処にでもあるようなただの大金槌である。大金槌自体がなかなかお目にかかれない代物なので、ただのと言う表現は語弊があるが。
周囲を警戒するトールは右足を一歩前に踏み出して両手で大金槌を持ち、全体的に重心は右側に寄っているように見える。ローレスはもっとも降り下ろしにくいであろう右斜め後方に陣取ると術式に意識を集中させる。
(長く留まると技能特有の不自然さに気づかれるかもしれない。素早く展開して有無を言わさず終了する!)
「施条砲身展開。誘導経路構築。標的固定」
鏃の先に真っ直ぐの風の道が構築され、鏃から離れるほどに少しずつ旋回している。限界まで引かれた弦に矢筈を宛てがい、トールに照準を合わせる。
送風を基に魔改造されたこの術式はどうしても風を起こしてしまう。この辺りも要改良なのだが、今はどうにも出来ない。トールに気付かれないように祈るしかない。
「む、空気の流れが変わったか?」
術式完成直前にトールが風の流れの変化に気がついた。流れの元を探すように辺りを見回す。だがもう遅い。
「螺旋貫通砲身!」
螺旋を描く風の砲身が完成し、ローレスは弦から指を離す。トールに向かって放たれた硬絶縁矢が砲身を通過するに従い螺旋の旋回力を得て速度を劇的に上げる。
何か固いものが砕けるような音と共に、トールに向かって金槌が戻っていく。トールが金槌を左手に受け、右手の大金槌を勘を頼りに真横に振る。
それは偶然か戦士の勘か、ローレスの放った硬絶縁矢を真っ直ぐ捉えてその力が拮抗する。
「これは……片手では無理だな」
戻ってきた金槌を投げ捨てると、トールは両手で大金槌の柄を握り力を込める。矢を全力で打ち砕かんと力を込めるが、旋回して威力の増した硬絶縁矢は押し返す大金槌に負けない。
だが拮抗したのも数秒、金属の割れる音がして決着がつく。砕け散る大金槌を抜けて、トールに矢が襲い掛かる。
「まあ、相討ちならば文句もあるまい」
「相討ち?」
トールの言葉の意味が理解出来なかったローレスの呟きに重なるように、結晶が完全に透明になった合図である甲高い音が二つ鳴った。
「……最後の最後で油断したな」
呆気に取られるローレスにニヤリと笑い、トールが左手を上げる。その手にローレスに止めの一撃を食らわせた金槌が収まる。
「やられました。その金槌の性能を甘く見ていましたよ」
先程投げ捨てたように見せた金槌はトールの手を離れると忠実に主の敵へと一撃を加えた。自分の攻撃の余波で削れていた結晶の許容量はその一撃で綺麗さっぱり消えてなくなった。
「団体戦である以上、我らの敗けではあるのだがな」
ヴァナ達の側に生き残りはなし。ローレスの側は地味にテーナが生き残っていた。それもほぼ無傷で。
「さて、君たちの実力が初級処か、準中級の枠にすら収まらないと言うことが理解できたかな」
準上級の見えてきた中級でも上位のニョルズを打ち崩し、愛用の武器も防具も基本使わず、使い慣れない予備の魔武器にも様々な制約を科すといった制限を付けたとは言え上級のヴァナとトール相手に相討ちに持ち込んだのだ。中級の中でもこれだけの動きが出来る者が何人居ることか。その下の準中級の中にあっては言わずもがなだ。
「お主らは条件が整い次第上位の昇級試験を受けるべきだな。その力で低い階級に留まることは、様々な弊害を生みかねない」
延いてはローレス達が嫌がる悪目立ちの原因となることだろう。どうしたところでこれだけの力を隠し通せる訳はないのだ。
能力に見合った正しい階級になることで様々な悪意を押さえ込む事も出来る。余計な干渉を未然に防ぐ事も出来るだろう。
「頂点を目指せとは言わんが、それなりに高い階級になる事は悪い話ではないぞ。何を隠したがっているのかは知らんが、お前たちはどうしたところでいずれ目立つ存在になる」
アイオラの高い術式制御能力に加えて二重詠唱、疑似生命体二体の同時召喚と単体で二人分以上の仕事をする。
ローレスの隠密系技能の性能の高さに加えて反応速度、対応能力共に非常に高い水準で纏まっている。おまけに最後に見せた高い貫通性能の一撃は、通常の防具で防ぐことはまず出来ないだろう。
テーナは一見すると動きが地味で大した活躍をしていないような印象だが、ヴァナに攻撃を当て止めを刺したのは彼女だ。その突きの鋭さは準中級の資格を充分に有している。
「おめでとう。三人とも準中級の実技試験は合格だ。報告を見る限り、筆記は免除で良さそうだな。後は簡単な面接を経て晴れて階級七だ」
こうして、ようやく波乱の昇級試験は幕を下ろしたのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回は01/11の予定です。
16/01/08
文字数の調整をしました。
16/01/09
改行ミスの修正。
16/02/01
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