第112話 試験開始(Side:Lawless)
それから二十分ほどを別室で待ち、ローレス達は半径で百メルはある運動場に案内された。
「やあ、待たせたね。こちらは準備が終わっているが、君たちはどうかね」
運動場の中央付近に立つヴァナは両手で身の丈と同程度の長さの淡く青い光を放つ金属製の棍を持っている。長い金髪は首の後ろで団子状に纏められていて、激しい動きをしても邪魔にならない。革鎧は急所部分だけを棍と同様の金属が貼り付けられており、それ以外は一見すると珍しくもないただの革鎧に見える。
彼女の背後には二人の人影。黒いローブを羽織りフードを目深に被っているのでその表情は伺えない。
一人は子供と見間違うほどの小柄で、百五十セル程のローレスよりも若干小柄だが、そのローブから伸びるのは小さな身体には不釣り合いな太く力強い腕と足。背負った得物は冗談かと思うほど大きな金槌だ。
そしてもう一人は対照的に非常に大柄で、見上げるその身の丈は優に二メルを越える。ローブから見えるその四肢は黒い獣のような毛皮で覆われている。熊を彷彿とさせるそれは、ひょろりと細長く、全体的な体躯も枝のよう。右手に持つ杖は丁寧に削り出された熊の頭を模した細工が施されていて、その口には醒めるような青い宝玉が銜えられている。
「準備万端、と言いたいところですが、その前に一つ確認を」
ローレスの問いにヴァナは「何かね」と先を促す。
「この試験は実技ということで良いんですか? 多少の怪我なら問題ないんですが、万が一があった場合はどうなりますか」
多少の怪我なら許容範囲だが、死に繋がるような攻撃を受けた場合はどういう扱いをするのか。それを確認しておかないと、おちおち攻撃をすることもできない。
「それに関してはこれから説明しようと思っていたところだ。訓練や試験でいちいち命を落としていては、直ぐに冒険者という職種自体が成り立たなくなってしまう。只でさえ命を落としやすい商売だからね」
依頼を受けて仕事をこなす。実は冒険者の結構な割合がそうした何でも屋として活動している。各地の迷宮に潜るものも多いが、比較的安全な町の周辺で活動する者も多いのだ。それでも魔物と戦うことも野盗に襲われることもある。怪我をし身ぐるみ剥がされる程度ならまだ良いが、命を失うことも多い。
「そこでこの魔道具って訳だ」
ヴァナが取り出したのは三つの腕輪。飾りも何もない鈍色のそれには、白濁した結晶が嵌め込まれている。
「組合併設の運動場には基本、特殊な結界装置が張られていてな。この腕輪を着けて傷を負うとこの結晶が肩代わりしてくれる」
ローレスに三つ腕輪を渡すと棍を地面に突き刺した。懐から別の一つを取り出して腕に嵌める。
「トール! やってくれ!」
大金槌を背負った小男が背中の獲物を振りかぶると、無防備に腕を組んで立つヴァナにその大質量を叩きつけた。
「何を!?」
硬質の物が砕けるような甲高い音が鳴った。もうもうと土煙が舞い上がり、降り下ろした金槌を無造作に片手で持った小男は無言で数歩下がった。隣に立つ長身痩躯の男も特に反応しない。
「ヴァナさん!?」
「いやあ、実演した方が分かりやすいと思ってね。驚かせてしまったかな」
その土煙が晴れると、何事も無かったかのように無傷のヴァナがその場に立っていた。彼女が指し示す腕輪の白濁結晶は透明な硝子玉のように完全に色が抜けていた。
「傷や衝撃はこの結晶の色が抜け落ちることで肩代わりしてくれる。完全に透明になると音が鳴って知らせてくれるから、聞き逃さないように注意してくれよ」
つまり音が鳴った時点で戦闘不能の判定が下されるということだ。
「限界値を超えると結晶自体が崩壊するから、それだけは気を付けてくれよ。中身の補充は簡単だが、結晶本体は高価な上に手配するのに結構時間が掛かるんだ」
傷付かないからと防御や回避を疎かにすると、財布に痛い一撃を貰ってしまうと言うわけだ。今回は組合側の制度での貸与なので弁済は免除されるが、個人的な訓練などで使う場合はその辺りも考慮しなくてはいけない。
「便利な魔道具ですね。これなら安心して全力で対応できそうです」
ローレスの扱う武器は手加減が難しい。中れば怪我をさせてしまうし、中らなければ意味が無いのだから。しかしこの結界内でこの腕輪を装着した相手になら悩む必要もない。
「ほう。それはまるで攻撃を通すこと自体は容易いとでも言わんばかりの発言だな」
地面に突き刺した棍を抜き、肩に担ぐ。
「まあいい。出来るかどうかはこれから直ぐに判る事だからな。試験前にこちらの面子を紹介しておこう」
小男が一歩前に進み出て、自らのローブを剥ぐ。その下に隠れていたのは筋肉の塊だった。百五十に届くかどうかという身体はまるで酒樽のようなずんぐりとした体型をしている。その立派な髭を持つ特徴的な容姿にローレスは見覚えがあった。
「地人のトール。わしの金槌でぺしゃんこにならないよう気を付けることだ」
身の丈ほどはある大金槌を横凪ぎに振るう。その質量を振り回しても身体がぶれることもなく、地に根を張ったかのように下半身はピクリとも動かない。
「俺はニョルズ。見ての通り非力な術者だ」
トールの隣の長身痩躯の男がフードを下ろし、顔を見せる。濃い土色の髪を短く刈り揃えた男で特徴の薄い顔つきをしている。人族で間違い無さそうだが全体的に細い体つきは木人を思わせる。それなりに筋肉はあるように見えるが、縦に長いその身長のせいでひょろ長く見えてしまう。
「ではこちらも。東の竜王国出身の術者アイオラに旅芸人出身のテーナ、そして僕が森人の大森林側の出身の猟師でローレスと言います」
背後に並ぶアイオラ達を紹介し、最後に自ら名乗って頭を下げる。
「ヴァナと同郷か」
トールが独り言ちた。ニョルズは苦虫を噛んだような渋面になってローレスに問う。
「その辺りに同業でウルと言う男が居るだろう。今何をしているか知っているか?」
「あの辺りの猟師でしたら多分僕の父さんの事ではないかと」
ローレスの答えにニョルズは大きく目を見開いて驚愕の表情を浮かべる。ヴァナが「……何?」と寝耳に水を受けたような顔をして、トールが大きく溜息を吐いた。わなわなと肩を震わせて、ニョルズは杖で地面を突きながら怒鳴る。
「あの男は俺の欲しいものを全部持っていきやがる! 名声も女も、俺はまだ結婚もできないって言うのに、こんなでかいガキまでこさえやがって!」
「落ち着け、ニョルズ」
まるで子供のような癇癪を起こすニョルズをトールが宥めるが、彼の興奮はなかなか収まらないようだ。
「また始まったのか。それは全部お前の逆恨みだって何時も言ってるだろう?」
呆れ顔でヴァナがニョルズの後頭部を棍でひっぱたく。加減はしているのだろうが、それでも結構な鈍い音がしてニョルズは頭を押さえて蹲った。
「とにかく落ち着け」
痛みで冷静さを取り戻したか、ニョルズは蹲ったままでこくこくと頷いた。
「……父さんが何かしたんですか? と言うか女を奪ったような口ぶりでしたが」
事と次第では母さんに報告せねばならない。この大陸では経済的に余裕があるものなら配偶者を複数持つ事が出来る。だがそう言う制度があることを前提としても、きちんと家族に相談した上での話であろう。そうして話し合った上で二人目の妻を迎えると言うならまだ解るが、付き合いのある男性がいる女性に横から手を出したと言うのなら話は別だ。
「ああ、君の父親は悪くないよ。ニョルズの言っているのは君の母親の事だ」
「スカディ母さんですか?」
「ああ、そうだ。彼女は昔彼の婚約者だった時期があるらしい。村の外に出たかったニョルズと村で暮らしたかったスカディとでは夫婦生活は成り立たないと結局破棄された関係だがな」
確かにスカディは村を愛している。きっとウルが他に移り住もうと言っても首を縦には振らないだろう。
「俺は村では役に立てることは少なかった。だから外に出て術者として成り上がって彼女を迎えにいこうと思っていたんだ。だが俺が村を出てしばらくして、ふらっと現れた男に全てかっさらわれたって訳さ」
それがウルだったらしい。どこからか流れてきた一人の猟師があっという間に村に馴染み、その腕で村を護り、信頼を得て村の娘と結ばれ、村に定住した。
「風の噂にその男の事を耳にして一度村の知り合いに会って聞いた話じゃ、村一番処か帝国一番の猟師って話じゃないか。俺は弓も狩りもてんで駄目で、唯一才能のあった術式は村では必要とされなかったって言うのに」
ヴァナの補足では村では特に彼に辛く当たった訳ではないらしい。思うように活躍できなかったニョルズが一人空回りし、村人の制止を押しきって村を飛び出したそうだ。
「逆恨みだって立派な恨みだ。俺はいつかあの村をあっと驚かせるその為だけに冒険者として頑張ったんだ。ようやく準上級が見えてきて、後一息って時にまた差を付けられちまった。こんな才能の塊みたいな息子が居るなんて聞いてねぇぞ!」
自分の言葉に興奮してきたのか、また叫び始めるニョルズにヴァナは溜息を吐くと「もうちょっと大人になれんものかねぇ」と首を振った。
怒りをぶつけられたローレスにしてもたまったものではない。自分や家族に落ち度があったならまだ理解ぐらいは出来ようものだが、これは完全に言いがかりだ。謝罪の必要性も感じないし対処する気も起きない。
「ヴァナさん。厄介な人を連れてきてくれましたね……」
恨みがましく睨みつけると、ヴァナは肩を竦めて「急遽揃えられる中ではこの二人が最適だったんだ。仕方なかろう」と飄々と返してきた。
「さて、積もる話もあろうが時間は有限だ。そろそろ始めるとしようか」
ヴァナがそう宣言し、結晶を使い切った腕輪を新しい物に付け直して棍を構える。
トールは最初から装着していたようで大金槌を担いだ左手に腕輪が鈍く光っている。空いた右手を腰の後ろに回すと掌ほどの小型の金槌を取り出して握った。
ニョルズは釣りあがった目でローレスを睨みつけながら腕輪を装備し、杖を突き出して詠唱を開始する。
ローレス達もそれぞれに腕輪を身に付け、戦闘準備を開始する。
「わたしも今日は前に出るよ! って言っても横からちょっかいかけるくらいしか出来そうもないけど」
テーナが右手に細剣、左手に受け流し用短剣を構えてローレスに並ぶ。一撃は軽いが数で勝負する型の軽戦士の役割が出来るようだ。
「召喚:溶岩騎士」
アイオラの求めに応じ、赤熱の騎士が姿を現した。ローレス達の前に立ち、大型の盾を前に出して防御の構えを取る。熱気と威圧でヴァナ達には大きな壁が現れたように感じるはずだ。
「おいおいおい、なんだいこの騎士は! こんな精巧な代物は初めて見るぞ!」
ヴァナが驚愕の叫びを上げる。その後ろでニョルズが「何だって俺の前にはこんな“持ってる”奴ばっかりが出てくるんだ!」と絶叫している。彼の劣等感を痛く刺激してしまったらしい。
「落ち着けニョルズ。水と氷を使うお前なら相性としては悪くないだろう」
ただ一人冷静なトールがニョルズを宥め、右手に持った小型の金槌を振りかぶり、溶岩騎士目掛けて投げつける。金槌は盾に中り貫通して溶岩騎士の脇腹を抉り、空中で弧を描くとトールの手の中に帰っていった。どうやらあれは魔武器の類のようだ。
「見た目ほど堅くない。ヴァナ、お前の棍なら突き通せるだろう。熱いのは自分でどうにかしろ」
帰ってきた金槌を掴む手からぶすぶすと煙が上がる。実際には結晶が肩代わりしてくれているので手が焼けている訳ではないが、もしも結界の外で同じ行動をすれば鍛冶で鍛えたその分厚い手の皮膚すら焦がす熱で大火傷を負っていた所だ。この熱を何とかしないと溶岩騎士の攻略は危ういと言える。
「いいねいいね! 予想以上じゃないか!」
ヴァナが狂喜の声を上げ、棍を小脇に抱えて突進してきた。溶岩騎士は盾の後ろで赤熱の剣を構え、ヴァナの突進に備える。斜め後方に陣取ったテーナが溶岩騎士とヴァナの交差の瞬間生じるであろう隙を逃すまいと待ち構える。アイオラは溶岩騎士を制御しながら新たな術式の詠唱を始める。ローレスは溶岩騎士に視線が集中した隙にこっそりと姿を消して距離を開け、全体を視界に捉えながら火竜の弓を構えて機会を伺う。
こうしてローレス達と格上の冒険者達との試験と言う名の戦いが始まった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
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